1:ポン=シュ

 ここはグルミア帝国というらしい。何百年にも渡って世襲の皇帝が統治してきたダーパ大陸最大の国家だ。


 これまでの人生でそんな国名を聞いた憶えはない。現代でも歴史上でも。それも当然、ここは元々僕がいた世界ちきゅうとはまったく別の世界なのだ。


「ああ、こんなところにいたのか、ポン」


 こないだ十歳になったばかりの僕の、(育ての)父親、レイ=シュ。

 金髪に碧眼、長く尖った耳。なにより実年齢六十歳には到底見えない若々しいイケメンぶり。

 ――この世界で〝エフ〟と呼ばれる種族だ。特徴的にはファンタジー小説のエルフとよく似ている。


「おはよう、父さん」

「おはよう。朝っぱらから木登りか、元気なことだな」

「この子が落ちちゃったから」


 僕のてのひらには、ぷるぷると震える雛がいる。


「ミツスズメか。だが、人の手で巣に戻すと人のにおいがついて、他の兄弟に虐められてしまうかもな」

「だからてのひら、たっぷりミツユリの花を揉みつぶしといた」

「ああ、なるほど……花壇の花、これお前、母さんに怒られるぞ」

「あ、やべ」

「ははは。さあ、朝食が済んだら今日も学校に行くんだぞ。子供は学ぶのが仕事だからな」


 中身が精神年齢三十オーバーのおっさんという秘密は、村のみんなには内緒だ。

 

 

 

「――いや実際、お前ほど物覚えの早い子供は初めてだよ。勉学に関してはな」


 ジン=ルゥ先生は村の子供たちに読み書きを教える〝学校〟のただ一人の教師だ。外の世界で培われた博識っぷりは村を治める大人たちの相談役も任されるほどだ。


 御年七十歳越え、なのにせいぜいアラサーくらいにしか見えない。さらさらのストレートヘアとスレンダーな体型の多いエフ族にあって、短く切ったくりくりの癖っ毛と凶暴なまでのグラマラスボディーの持ち主だ。癖っ毛からひょこっと突き出た耳は左側だけ半分欠けている。


「その才能を魔法のほうにも……いや、それ以上は言うまい」

「もうほとんど言ってますけど」


 人口三百人そこそこの村に、学校の生徒は僕を含めて四人。エフ族の子は十五歳くらいまでは普通の人間とほとんど同じ成長速度なので、一緒に机を並べるのは年齢相応のチビっこたちだ。


「じゃあ今日は、昨日覚えた古代文字の復習からやるぞ。宿題の書き取りはやってきたな?」

「忘れたー」

「古代文字って難しいよねー、ゴチャゴチャしてて」

「先生おしっこー」

「ポン、便所連れてけ」

「また僕っすか」


 お昼すぎまでまったりダラダラと授業が進み、他の子たちが帰ったあとは僕だけが残される。週に二・三度の、居残りの魔法特訓だ。


「道がいつ開かれるかは精霊のみぞ知る、我ら小さき凡人は日々努力あるのみよ。今日も励みたまえ、赤毛の愛弟子よ」

「がんばります」


 この世界ではだいたい五歳とか六歳とかで〝託宣の儀式〟(という名の簡単なテスト)を受けることになる。生まれつき八大精霊の加護(魔法の適性)を持っているかどうかのチェックだ。


 ジン先生は村一番の魔法の使い手で、若い頃には冒険者としてブイブイ言わせていたらしい。欠けた左耳はその頃のヤンチャっぷりの証なのだとか。


 そしてなにを隠そうこの僕も、加護持ちと認められた一人でもある。


「ゆっくりでいい、指の先にマナを集めろ。目は閉じるな、意識が内側に流れすぎるからな」

「はい……」


 集中しろとか言われても、後ろから密着されたり手をにぎにぎされたりして気が散りまくる。いたいけな十歳児の中身が女性経験の乏しいおっさんだとも知らず、なんと無防備な。


「体内のマナを光へと変換するんだ」

「はい」


 両手を前にして、十本の指先にマナをこめていく。チリチリと指先が熱くなってくる、気がする。


「世界は光であふれている。忘れるな、お前がマナを使おうとするとき、光を通して世界と繋がるんだ」

「はい」


 イメージ、イメージ。大事なのはイメージ。


 自分の中をめぐるエネルギーを集める。集めたそれを光に変える。その感覚は、この身に触れる世界の光から伝わっている。


(できる)

(僕ならできる!)


 ――はずなのに。


「うーむ……やはりか……」


 先生が、僕の手の間を食い入るように観察する。イメージでは豆電球くらいの光の粒を生み出せているはずなのに、少なくとも肉眼ではなんの変化も見当たらない。これが現実だ。


「魔法の修行を始めて二年か……ここまで形にならんとはな……」

「……やっぱりダメか……」


 加護を持っているだけでも一握りで、そのうえ光属性となると結構レアだという。最初にそう聞いたときは素直に嬉しかったけど、まさかこんなオチが待っているとは。


「やっぱり……僕がヒュムだからですかね……?」


 僕はこの村で唯一のヒュム族だ。この世界における圧倒的多数派の種族で、元の世界でいう「普通の人間」だ。

「いや、ぶっちゃけドゥフ族以外はそんな変わらんぞ。お前みたいなのは私も初めて見るケースだな」


 ジョブ:魔法使いなのに肝心の呪文ゼロなんて。あんまりだ。


「……宝の持ち腐れってやつですね……」

「まあ、気長にやろうじゃないか。時間はいくらでもある、お前はまだ子供なんだから」

「……はい、がんばります」


 若干諦めモードなのは内緒だ。それでも師匠との二人きりの時間自体はとても好きなので、期待に応えられるように努力だけは続けたいと思う。

 

 

 

 二十一世紀の日本から、ファンタジーなこの世界で生まれ変わって十年。


 前世の記憶はバッチリ残っているものの、ポン=シュとしての新しい人生にはすっかり慣れたものだ。


 みなしごの僕を拾ってくれた両親は、実の息子みたいに愛情深く育ててくれている。ほとんどの住民も異種族の僕を分け隔てることなく受け入れてくれている。


 この〝オネの村〟は毎日平穏そのもので、(酒絡みの諍いなどを除けば)事件らしい事件はほとんど起こらない。それに意外と言ったら失礼かもだけど、この世界独特の「マナ文明」がわりと高水準で生活には不自由していない。


 ゲームやネットが恋しくないと言ったら嘘になるけど、思いがけず与えられた二度目の人生は、概ね満ち足りていると思う。神様のおかげだとしたら毎朝感謝のお祈りを捧げたくなるレベルだ。


 けれど――。


「ねえ、父さん」


 夕食のあと、食器を片づけながら父に尋ねてみる。


「何度も訊いてごめん。あの――」

「お前を拾ったときのこと、だろう?」


 赤ん坊だった僕をすっぽり収納した籠は、森の中の小川をどんぶらこしていたらしい。見つけたのは薬草摘み(という口実でデート)をしていた父と母だった。


「我らエフ族の森でヒュムの赤子を拾うとはな。ことわざで語り継がれそうな珍事だったよ」


 親をさがして上流を辿ってみたものの、結局見つけられなかった。連れ帰った僕の処遇をめぐって村では侃々諤々の議論がなされ、父と母の「私たちが親になる」という必死の説得もあって、ここで育てることになったのだ。


「ヒュムの元に引き渡すという選択肢もあったし、というかそれが一番だったのかもしれない……だが、私の指を掴んで無邪気に笑うお前を、どうしても手放す気にはなれなかった。お前は精霊様がお与えくださった宝物だと……たった十年前のことだが、それからのめくるめく日々を思えばひどく懐かしいものよ」


 赤ん坊だった頃の記憶はぼんやりと夢の中のできごとくらいにしか憶えていない。再び僕が僕と自認できるようになるまでには二年くらいかかったと思う。いわゆる「物心ついた!」となった瞬間だった。


 ただ、この世界に目覚めた瞬間のことだけは、今でもはっきりと憶えている。木漏れ日の眩しさと温もり、玩具みたいに小さくなった自分の手、そして――。


「あのときのことはよく憶えているが……やはりどう思い出しても、近くには何者もいなかった。人も、獣もな。なあ、母さん?」

「そうね、私もなにも見かけなかったわ」


 父の隣にやってきた母・メウ=シュは、少し困ったように微笑んでいる。誰も彼も美形ぞろいのエフ族、父がイケメンなら母も美人だ。その遺伝子を分けてもらえなかったのが残念ではある。


「だけど……僕、憶えてるんだ。あのとき、僕と一緒に……」


 揺り籠に眠る僕の腹の上にいた、ナニカ。


 僕の舌足らずな呼びかけに、か細い声で応じた、ちっぽけな生き物――。


「いいや、少なくともあの場にはなにもなかったよ。卵の殻も、生まれたばかりの獣も」

「むしろなにもいなくてよかったわ、あの日の出会いはすべて精霊様のお導きだったわね」


 この話を何度もしているうちに、父も母も無理に言い聞かせようとせず、事実をありのまま丁寧に話してくれるようになった。それはわかっている。


「なあ、ポン。どうしてそこまでその話にこだわるんだ?」

「……だって、ほんとに……」


 父の手に頭をくしゃくしゃと撫でられる。


「今日は先生の宿題があるって言ってたな。どれ、今日は父さんが手伝ってやろう。伊達にお前の十倍以上は生きちゃいな――」

「二級算術の公式の復習とカーラーン英雄叙事詩の書きとり」

「母さん、そういや薪が足りないと言ってたな。ちょっと割ってくる」

 

 

 

 ベッドに転がり込んで、仰向けのまま天井を見上げる。袖机の魔導式の照明が部屋をぼんやりと曖昧に照らしている。


 あれは、僕の夢だったのだろうか。

 あるいは――願望?

 でも……だとしたら、


「これは……なんなんだろう……?」


 シャツの裾をめくってみる。


 へその上あたり、今もくっきりと残っているものがある。赤っぽい痣だ。


 ちょうどあの卵が乗っていたところだ。ジン先生や村の医者は「なんの変哲もない、ただの生まれつきの痣」だと言っていたけど、僕にはこれが偶然の代物とはどうしても思えないのだ。


「……さくら……」


 あれはさくらだったんじゃないか。そんな思いが今も消えない。


 あのとき、僕は車に轢かれて死んだのだと思う。そしてこの世界に生まれ変わった。


 あのとき、僕はさくらを守れたのだろうか。それならきっと今頃は、別の飼い主の元で幸せに暮らしていることだろう。


 けれど――


(さくらもあのとき、僕と一緒に……)


 だとしたら、さくらもこの世界に来ているのではと考えるのは、都合がよすぎるだろうか。


(守れなかったことを期待するのは、違うよな)


 十年経った今でも僕は、さくらに会いたくてしかたないのだ。

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