13-4

スタンピードから数日経ち、私の体調もすっかり元通りになっていた

でもレイだけは少し変わった


「ねぇ」

自分を抱え込む手に触れながら声をかける

「ん?」

「今日も依頼、受けないの?」

「ああ」

レイは頷きながら背後から私の肩に顔を埋める


あの日からレイは可能な限り私を抱きしめている

「傷も治ったし、体調も元に戻ったよ?」

「分かってる」

そう答えながらも離そうとはしない

こんなやり取りも既に数えきれないほど繰り返していた


「一体どうしちゃったの?」

「…」

「ねぇレイ?」

私はレイの手を外しレイと向き合うように体の向きを変えた

そこには少し強張った顔がある

その目にあったはずの光がいつの間にか消えていた

虚ろなその目が現実逃避した人間の目だと理解するのに時間はかからなかった

どうして…?

あの次の日は何ともなかったはずだ

でもその後はずっと背後から抱きしめられていたせいで全く気付かなかったのだ

レイの頬に触れるとその手がすぐに包み込まれた

「レイ…?」

そのまま甲に口づけた後解放されると頭を引き寄せられた

いつもと違ういきなりの深い口づけに戸惑いながらも必死で答える


「…んっ…は……ぁっ………」

貪るような口づけは、それでも足りないというようにどんどん激しくなる


「サラサ…!」

ようやく解放されたかと思うと強く抱きしめられる

その手が少し震えているのがわかる

一体どうしたというのか…

私は一旦立ち上がるとレイの頭を抱えるように抱きしめた

レイは縋るように手を回し私の腰を引き寄せた


「どこにもいくな…」

その言葉はかすれるような声で吐き出された

「この温もりを取り上げないでくれ…」

レイの腕に力がこもるのが分かった


「あんな思いはもう嫌なんだ…」

その言葉に思わず抱きしめる腕を強めた


あの日レイは私と同じ思いを味わっていたのかもしれない

死にゆく私を前に、なすすべのない自分に絶望すら感じていたのかもしれない

私の過去を必死で守ろうとしてくれていたレイにとって、弾丸とはいえ他人の前で創造化け物じみた力を使うことがどういうことだったのか…

意識を手放す直前に見たやりきれない表情を今初めて思い出していた

計り知れない絶望感と罪悪感はあの日から少しずつレイの心を蝕んでいたのかもしれない


「レイ…」

何と言葉をかければいいかわからない

レイの謎の行動の原因がそんなところにあるのだと思いもしなかった

ここにいる生きていることをまだ実感できないでいるとしたら、抱きしめてくるレイから私が離れようとすることが、今のレイにとってそれは私を失うのと同じ意味だったのかもしれない


「ごめんレイ…」

「…」

「ここにいる。レイが信じられるまで腕の中ここにいるから…」

溢れ出す涙をそのままにレイの髪をかき抱き、抱きしめるというよりは縋り付くようなレイを受け止める

今の私にできるのはそれだけだった


「ずっと一緒にいるから」

レイに身を任せながら何度もそう伝える

食事の準備などで離れた後はうずくまるレイを私から抱きしめた



◇ ◇ ◇



レイはあの日からずっと体の芯から凍り付いたような寒さを感じていた

それは日毎に強くなり、同時に沸き起こる大きな不安に押しつぶされそうだった


サラサの傷は目をそむけたくなるような酷い状態で、『傷』という言葉で片付けられる軽いものでもなかった

冒険者にしては白く細い腕は、かろうじてつながっているものの、迷宮の特級ポーションでもない限り治せない状態だった

爪で引き裂かれた腹部からは、同じように引き裂かれたまま引きずり出された内臓が飛び出し、流れる血が信じられない速さで地面に赤黒い水たまりを広げていった


俺はなすすべもなく、色を失い冷たくなっていくサラサを見ながら自分の心が凍っていくのが分かった

サラサが創造あの力を使えば…

一瞬よぎった案をすぐにかき消した

命は助かるかもしれないが同時にサラサのこの先の人生が壊される危険を伴う

そんなリスクを背負わせるなどありえない


「…口止め…お願い」


呼ばれて続けられた言葉に頭を強打されたような気がした

自分が一瞬考え、すぐにかき消したことをサラサが行おうとしているのだと頭では理解した

おそらく助かる道はそれしかない

そう分かっていても全力で止めたい衝動に駆られていた


その後の記憶は酷くあいまいだ

靄がかかったようで、かといってそれをしっかり思い出そうとも思えずにいる

その中で鮮明な1シーンだけがずっと脳裏で繰り返されている


赤黒い水たまりが急速に大きくなり、色を失い冷たくなっていくサラサをただ見ているしかできない自分

それが延々と繰り返し流れ、それから逃れたい一心で考えることを放棄した


自分の中で絶望感とサラサを失う感覚だけが大きくなる

でも目の前に浮かぶぼんやりとした光の玉を抱きしめ温もりを感じている間だけはそれが止む

だから縋るような気持ちでその光の玉を抱きしめ続けた


「いつまでこうしてるつもり?」


そんな言葉が遠くで聞こえるたびにその光の玉は離れていく

その直後から脳裏ではまた同じ情景が繰り返され、逃れるためにまた抱きしめる

ひたすらそれを繰り返していた


俺はサラサを失ってしまったのだろうか?

それを認めたくなくて逃げているのだろうか?


そんな考えが何度も頭をよぎる様になると余計に体温が失われて光の玉を離せなくなった

少なくともこれを抱きしめている間はその温もりを感じることができる

今の俺にはそこだけが拠り所になっていた


「ごめんレイ…」

「ここにいる。レイが信じられるまでここ腕の中にいるから…」


そんな夢のような言葉がかすかに聞こえた気がするけど俺の妄想だったのかもしれない

でもそれを境に、どれだけ抱きしめても離れていった光の玉の温もりを長い時間感じられるようになった

少し離れた時は俺が求めるより先にその温もりで包んでくれるようになった


「ずっと一緒にいるから」


何度も繰り返されるその言葉が少しずつ鮮明に聞こえるようになっていった

ずっと一緒にいる?


そうだ…あの時サラサは確かに命をつなぎ留めていた

そこに思いいたった瞬間、暗闇に包まれていた視界が明るくなった


◇ ◇ ◇


レイの目に光が戻ったのはそれから2週間ほどしてからだった

「サラサ…?」

どこかすっきりした表情にもう大丈夫なのだろうとほっとした


「愛してる…ずっとそばにいてね」

「…当たり前だ…お前が生きててくれて良かった…」


ようやくすべてが以前に戻ったようだ

心配性のレベルがはね上がったレイを除いては…


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