第10話 齢の重み
まだ、私が三十代だった頃のかなり前のお話。
核家族で共働き、年子の子供二人はまだ小学生だった。
当時勤めていた透析施設までは、自宅から片道車で三十分を要した。
時間的に余裕のない日々、加えて精神的にも未成熟で日々イライラとしていた。今から思うと、子供たちに可哀想なことをしたと心の奥が痛む。もっと、おおらかに育ててあげればよかったと。
そんなある日のこと。
原因が何だったのかは、今ではもう忘れてしまったが、朝子供たちを叱ってから家を出た。白衣に着替えた私は、気持ちを切り替えたつもり。そうでなければ、患者さんにも失礼だし何よりもミスを起こしてしまう可能性が増す。
透析は、体重測定に始まって記入や計算、更には機械入力や穿刺時、回路接続などミスを犯してしまう可能性となる場面が多い。
「あんまりな、子供を怒ったらいけんで」
透析を開始した直後に高齢の男性が急に私に諭すように言った。
「えっ、……」思わず言葉に詰まった。
何故、朝のことを知っておられたのか。今でも不思議に思う。話した記憶はないのだけど。表情に出ていたのだろうか。もちろん、患者さん相手に不機嫌にしたつもりはなかったのだけど。
その患者さんは九十歳代でとても温厚な人柄だった。透析歴は長くなかった。
あんこが大好きな患者さんで、定期採血でよくカリウムの値が上がって注意をされていた。あんこは、小豆からできている。豆はカリウムを多く含む。
血液のカリウムの値が上がれば、最悪心臓の動きを止めてしまう可能性がある。
(上記については、腎不全の方にとってのお話です。)
年末ごろだっただろうか。
自宅でいつものように夜を迎え布団に入り、眠りながらそのまま永久の眠りへと旅立たれたのは。
あとで聞いた話だが、その日に大好きなあんこが入った大判焼きを数個食べていたらしい。
大好きなものを食べ自宅の布団で眠りながら最期の時を迎えられた。
その患者さんの生き方が、そのような最期につながったのだろうか。
今でも、その方の温厚な人柄と笑顔、諭すような声が心に響く。
そして、齢の重みを感じさせられる。
このエッセイで、噯語について綴ったことがあるのだけど。
あの時のあの言葉は、あの時の私が必要としていた言葉、噯語だったような気がする。
私もそのように齢を重ねていけたら良いのだけど。
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