第9話 前向きにならんと

 透析室でのかなり前のお話です。

 血液透析は、基本週に3回行われます。しかも1回あたり3時間から4時間、長い患者さんは5時間を要します。腎移植を受ける以外は終末医療です。亡くなるまで若しくは、透析に耐えられなくなるまで。

 だから、スタッフと患者さんの関係性も深い。良い時も悪い時も。


 その患者さんは透析歴が長く高齢でしたが、患者会の役員をされるなど活発な方でした。患者さんたちとのグランドゴルフ大会では、確か良い成績だったような。

 私もその大会に参加しましたが悲惨な結果で、途中患者さんから幾度もご指導を受けました。普段なら私が患者さんへあれこれとお話しするのに逆パターンです。懐かしい思い出です。


 活発だったその患者さんが更に年齢を重ね、体力の衰えが目に見えだした頃。その患者さんがイライラとすることが増え、度々呼び止められるようになりました。表情も険しく近寄りがたい雰囲気に。

 担当の日は覚悟を決めて臨むのですが、そうでない時もよく呼び止められ内心「またか。なぜ私ばっかり」と、思っていました。

 話の内容は、苦情的なもの。それも長期担当でもその日の担当でもない私に、私が返答や解決のできない内容。正直、私の与り知らぬこと。それでも、何とか返答していましたが聞く耳持たずといった感じでした。呼び止められる時間も長く、鬱々とした日々を週に3日過ごしていました。


 そんなある日、隣の方のバイタル測定中に背後からその患者さんの私を呼ぶ声が聞こえました。いつもと異なり落ち着いた静かな口調でした。

 その異変に、対応中の隣の患者さんに断りを入れて振り向くと、私の顔を見つめ話されました。

 「わしもな。前向きにならんとと思うけどしんどいんや」

 心の叫びだと思いました。

 どのように返答しようか。

 しばらく彼の話に耳を傾けた後に言いました。

 「私なんかほぼほぼ後ろ向きです。前向きなのは、たまに程度で」 

 私の本心でした。周りからは逆にみられることがある様なのですが、心の奥底ではいつも負の感情に飲み込まれるような感覚を持っていました。

 「そうか。あんたもか」穏やかな口調でした。

 

 その後、呼び止められ苦言を呈されることは若干減ったような気もしましたが、大きくは変わりませんでした。

 それから半年も経っていなかったでしょうか。

 ご自宅でいつもの眠りの延長のように永遠の眠りに旅立たれたのは。


 今回は、何故だかその患者さんとのやり取りが思い出されました。

 今までこのエッセイで書かせていただいたことには、それぞれピンポイントでお伝えしたい内容が明確にあったのですが、このお話では今こうしてキーボードを打ちながら考えてもはっきりとしません。

 ですが、お伝えしたいことが全くないわけでなく奥の方に幾つか潜んでいるような心持です。

 一つの出来事にも幾つもの捉え方があるのかと。

 ここまでお読みくださった方が、何かを救い上げてくだされば幸いです。

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