第2話 噯語

 噯語とは禅の言葉だったはず。

 もう、かなり前に読んでいた本に出てきたのだけど今では何という本だったのかも思い出せない。ただその言葉だけが今でも鮮明に私の中に残っている。

 最初目にしたとき浅はかな私はその言葉の意味を、相手を褒めたたえるようなまるで幼い子によしよしするようなそんなイメージを抱いた。

 だが、違った。

 『噯語』とはその時にその人が必要としている言葉だった。

  

 その言葉の意味を知って間もなくのこと一人の女性が入院してきた。

 今も心に残る一場面は彼女の入院初日の出来事だった。

 当日担当だった私は血圧などのバイタル測定や情報収集、看護計画の説明や署名依頼などのために彼女の病室を何度か訪室した。

  

 「なんで、また、、、」と、不意にそれほど広くはない無機質な個室に彼女の声がしんみりと響いた。彼女の目が私に何かを求めていた。

 「前に乗り越えたと思ったのに、、、」と言葉を単発的に放つ彼女。

 彼女は今どのような言葉を必要としているのだろうか。決して頑張ってや大丈夫という言葉は出してはいけない。そんな短絡的な、安易な言葉は彼女を更に追いやってしまう。私は頭の中をフル回転で想像した。

 そして、彼女の顔を見つめて少し低めの声で言った。

 「そう、感じておられるのですね。、、、前に乗り越えられたんですね。」

 次の瞬間、抜け殻のように見えていた彼女の表情が活き活きと蘇った気がした。

 「ええ、前にも乗り越えたんですもの。いろいろと世話を焼いてくれる息子に対してもね、、、」と言った彼女の笑顔はとてもスッキリとして頼もしさを感じた。

 その後、処置はスムーズに進み予定通りの日程で彼女は無事に退院した。

 

 私はその時の彼女にとっての噯語を導き出せた気がした。言葉の持つ力を改めて肌で感じた出来事だった。もちろん、実際には彼女の言葉をそのまま返ししただけでカウンセリングでの基本の一つでもあるのだけれど、彼女の笑顔が私自身の心を満たしてくれた。十年以上経過した今も心輝くやり取りだった。


 今回の話とは少しずれているのかもしれないが精神看護の講義の際に教わったことに、『人は人との関係の中で悪くもなるけれど回復もする』という内容があった。

 私たちは日々何かしら人との関わりの中で生きている。どれだけ人との関わりを断とうとしても、ある特定の人物や集団から逃れられたとしてもまったくのゼロにすることはできない。

 それなら、傷つくことは少なく回復しやすい人達と結びつくことができるように願いたい。まずは自身の心が愛で満たされその愛を他の人にもわけて回復を促せることができるような人物になりたい。

 う~ん、真面目になりすぎたけれど結局のところ私は看護師という仕事が好きなんだと思う。




 

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