第9話


「〜〜♪」


 ある日のこと。

 えらく上機嫌に部屋の掃除をする柚葉。別にいつも不機嫌なわけではないのだが、鼻歌を歌っているのは珍しい。


 気になることがあるとすれば一つ。


「なあ、柚葉」


「はい? あ、ごめんなさい。うるさかったですか?」


「いや、それは別に」


 俺が否定すると、柚葉はほっとしたような顔をする。

 

「そうですか。じゃあなにか? あ、お茶ですか?」


 こいつ、ここでの仕事がだいぶ手慣れてきたな。

 最初の頃はいやいややっていたのに、それが随分前のことのように思える。


 あれだけ嫌がっていたメイド服ももう当たり前のように着ているし。

 学校終わりにここに来て、さも当然のようにメイド服に着替えている。


 ミニスカもパンツが見えるだなんだと言っていたのに、今や気にしていない様子。

 それはそれで面白くないんだよなあ。


 なにか。

 新しい刺激が必要だな。


 ともあれ、今はそんなことより言うべきことがあるが。


「いや」


「?」


 お茶でもないなら何なのだ、という顔で首を傾げる柚葉。

 こういうことってちょっと言いづらかったりするんだけど、特に本人が気づいていなかったりすると尚の事。


 でも、言ってやらないと。

 柚葉のためにも。


「お前さ」


「はい」


「めちゃくちゃ音痴だな」


「うえっ!?」


 ボンッと顔を赤くする柚葉。

 しかし表情はとにかく驚いているのでやはり自覚はなかったらしい。


「ええ、え、えええ、え?」


「すげえ動揺すんなおい」


「これまで言われたことないんですけど?」


 まじかよ。

 不快とまでは言わないけど、気になるレベルには音痴だぞ。


「友達とカラオケとか行かないのか?」


 うちの仕事も毎日あるわけじゃないし、学校の友達と遊ぶこともあるだろう。

 よく分からんけど、高校生なんてカラオケくらいしか娯楽施設に行かないんじゃないのか?


「いや、そういう機会はまだなくて。お姉ちゃんと行ったことはありますけど」


「香椎のやつ、何も言わなかったのか?」


「……はい」


 あいつ、妹には甘々だからな。

 言えなかったんだろうけど、よくもこれをずっと我慢したな。


「あ、でも、仕事が入ったって三十分くらいで帰っちゃったので、そのあとはずっと一人でした」


 逃げてやがる。

 言えはしないけどずっと聴くのも苦痛だから苦肉の策として妹を置いて帰ってやがる。


「それからは一緒に行ってないなあ」


「誘われないのか?」


「はい」


「誘ったりはするのか?」


「はい。でも仕事だって」


 人との約束を断るのに仕事を使いやがって。社会人の悪いところだ。休みや勤務時間も不確定だから、使いやすいんだよなあ。


「そんなに下手くそですか?」


「ああ」


「どれくらい?」


「聴いてられないくらい」


 俺がハッキリ言うと柚葉はガックリと肩を落とした。あの感じから察するに、歌うことは好きなんだろう。


 悲しいな。


「練習したらどうだ?」


「でも、別に自分が下手くそだなんて思ってなかったし」


「カラオケ行ったら音程表示してくれる機能とかあるんだろ? それ使えばいいじゃん」


 あんまり行かないからよく分からんけど、テレビとかでたまに見ることがある。


「そうなんですか?」


「らしいぞ」


 こいつ本当に女子高生か?

 カラオケのあれこれくらいマスターしとけよ。エロ本ばっかり読みやがって。


「でも、そんなに音痴なら友達と行くのは恥ずかしいし、お姉ちゃんは仕事で忙しいし」


「一人で行けよ」


「やですよ、寂しいし恥ずかしいです」


 よく分からんけど。

 一人での行動を嫌がるやつの気が知れない。俺レベルになるとだいたいの行動が一人になるのに。


「あ、じゃあ先生が付き合ってくださいよ」


「嫌だよ」


「そこをなんとか!」


 お願い! と手を合わせて言ってくる。これまでにない熱量のお願いだ。


「……仕事で忙しいし」


「息抜きだと思って」


「お前の下手くそな歌聴くのが息抜きになるとは思えない」


「せんせぇー!」


 泣きついてくる柚葉。

 自分が音痴なのがそこまで嫌なのか。あんなの結局は自己満足なんだから下手くそでもいいだろうに。


 仕方ない。

 集中も切れたし。


「今度、何でも一つ言うことを聞くと約束しろ」


「わかりました!」


 即答だった。

 いつもなら「えっちなお願いするつもりだ!」とか一言二言あるのに。


 まあ、そういうなら付き合ってやるか。今度のセクハラに使える約束を手に入れたことだし。


 ということで、善は急げと俺達は駅前のカラオケに行くことにした。


 たまたま空いていた時間なのか、もともと繁盛していないのか待ち時間もなくすんなり案内された。


「好きなだけ歌えよ」


「……先に歌ってください」


「は?」


「なんかちょっと緊張するんで。先に先生が下手くそな歌を披露してくれればハードル下がるじゃないですか」


「勝手に俺を音痴認定するな」


「え、違うんですか?」


「知らんけど。カラオケなんか人生でも二回三回しか来なかったからな」


 あんまり歌も聴かないから流行りの歌とか知らないしなあ。


「なおお願いします」


 ちょっと腹立つから歌ってやるか。

 これで俺も音痴だとなんか凹むなあ。別に人前で歌を披露する機会なんかないからいいけど。


「あ、これがさっき言ってた音程表示してくれるやつですね」


 言いながら、柚葉は採点機能をオンにする。


 適当に知ってる歌を入れるとイントロが始まる。昔観ていたアニメのオープニングを入れたのだが、なんと映像が流れている。


 テンションが上がり、ノリノリで歌ってしまった。


 点数は八六点。

 平均もそれくらいだから、上手くはないが下手くそと言われるほどでもなさそうだ。


「……ぐぬぬ」


 柚葉はすげえ苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


 ざまあみろ。

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