第43話 苦しみの先に
病院を抜けたアイリスは、ある人物を待って首都セントラル・アーコロジーのカフェにいた。
よく冷えたコーヒーを口にしてスマートフォンを操作し、ロベリアから連絡が返ってこないことに眉を顰める。春の頭にしては冷たすぎたかと少し後悔しつつ、アイリスは朝食を追加注文した。
電子板にサンドイッチとオニオンスープを一つずつ入力したところで、後ろから現れた綺麗な指がそれぞれの数量を一つずつ増やした。
「ウチも一つずつ頼むわ。アイリス、まだ店入ったばかりやろ?」
「あぁ、変わらず何よりだ。海月」
屈託のない笑みを浮かべて現れた人物を見て、アイリスは思わず破顔する。
第九隊副隊長、人望と実力を兼ね備えた実力者——榎本海月。
「なんや、コーヒーがひやこいんか。苦手ならもらうで」
「飲めるなら飲んでいい。悪いな」
海月は席についてすぐ、アイリスの舌に合わなかったコーヒーを頂戴する。使用済みのストローも気にせず、あっという間に中身を飲み切ってみせた。
「ああ、こりゃ冷たいわ。スープも頼んどいて正解やな」
海月は優しい顔のままコーヒーを飲み終え、改めてアイリスを見つめ直した。
「ジブンがしたい話、ここで話すのはあかんな。ウチから始めさせてもらうで」
海月は右手のバンドから鍵のマークがついた情報を表示し、アイリスの端末に重ねる。転送された情報を開くよう促して、海月は説明を続けた。
「それは昨日の夜、ロベリア副隊長から送られてきた情報や」
アイリスのスマホに表示されていたのは、正式な文書として纏められたXの地下施設についての報告と過去の建設報告。
問題として挙げられていたのはX首都の地下。公式な建設履歴のない場所に新たな施設が増設されていたことを受けて、異常性を感じた守時とロベリアは施設の調査に乗り出した。
そこで遭遇したのがかつて首都襲撃を行った〝獣〟。地下施設に先んじて乗り込んでいた辻風を回収し二人は撤退。その夜に書かれたのがこの文書だった。
「事実か?」
当然だろう、という答えが頭の中を返ってくる。サウスエンドにてエクリヴァンと対峙した直後にあの爆発が起こったのだから、何かしらの準備がなされていたと考える方が妥当。それが地下に作られた施設ならば、Xを襲った機械人形の出所としても認めることができる。
海月は首を縦に振り、直後に自分のバンドでX首都の地図を表示した。
「敵は想像以上の広範囲に及んどった。この辺りの地下なんかはYも広げるだけ広げおって、結局輩が住み着いとる。ま、輩は買収されたってのが妥当なとこやな」
海月がマップを閉じると同時、店の奥から目的の料理が運ばれてくる。
皿を受け取って海月の方に流し、アイリスは真意を察したように言葉を返す。
「潰せばいいんだろ。ウォーミングアップとしてもちょうどいい、やってやる」
アイリスはマグカップと口づけをして同意を示した。
敵はY国によって買収されたチンピラの数々。復帰したばかりの彼女にとっても些事に過ぎなかった。
海月は運ばれた料理をすぐに食べ切って、ビニールに包まれた新品の服を机に置いた。
「ジブンは紛れもなく皇帝隊の一員や。守時隊長から届いとる。着ていきや」
溜まった不満を発散するよう、あっという間に食事を取り終えたアイリスは新品の封を開ける。
中から現れたのは皇帝隊隊長格であることを示す黒いローブだった。昔使っていたものと違うのはワンポイント——黄色と紫のアイリスが、それぞれ一輪ずつ刺繍されている点にあった。
「いいデザインだ。発案は?」
「ウチや。花の刺繍、覚えやすいやろ」
「ああ、悪くない」
アイリスは口元の端に笑みを作ってローブを羽織り、カウンターに現金を叩きつけて店を出る。
勢いのままに二人は店を飛び出して、閑散とした首都を歩き始めた。
その先に、Xの現状そのものが待ち受けているとも知らずに。
目的地までの距離は十分程度。下水道施設の近くにその場はあった。
いくら人がいないと言っても数名の様子が確認できた首都周辺に対し、付近にはただの一人も見られない。
性質上、かねてよりXの地下はかなりの規模を誇っており、必要とあらばいつでも利用できるよう整えられている。そのため下水道内部の面積も広く、ゆえに、こうした有事で警備が減った途端、輩が溜まり場にすることは珍しくない。
入り口は地下に在しており、その上はただの道路となっている。二人は道路から付近の様子を窺っていた。
「ええか、連行が目的や。今は殺さんようにせえよ」
「努力する」
海月の忠告に頷くと同時、アイリスは地下施設へと続く坂へ飛び降りる。
入り口を警備する男女が確認された。男の方は中肉中背だが、耳から鼻まで至る所にピアスが開いている。その顔は他者に従ったことなど一度もないような、くだらない自信と堕落に埋め尽くされていた。
一方の女は異国の人間だろうか、背が高く筋肉質だった。それだけでYの者と判断することはできないが、手に所持する鉄の塊は街中で持つのに物騒すぎる代物だった。
公式の警備員にしてはあまりに気味が悪い。もう少し頭が回らないものか。そんな悪態を心の中でつくと同時、アイリスと敵の視線が交差する。
「は」
アイリスは死神の顔をしていた。
怯える暇もない。
二人がアイリスを視認できたのはほんの数秒で、次に何かを考えつく頃にはもうコンクリートとの接吻を強制されていた。
「皇帝隊第四隊だ。ここは下水道のはずだが、一体何をしている?」
男の方は一撃で気を失い、女が何を言っているのかは聞き取れない。アイリスは忌々しげに舌打ちして、女の方の意識も奪い取った。男女の体を後方に投げ飛ばし、アイリスは勢いよく地下施設入り口の扉を蹴った。
「敵の方は問題ない。ここから中心に届かないまでだったな」
真っ暗闇の中に敵がいないことを改めて確認した後、アイリスは複雑な経路を瞬時に理解、一度たりとも止まることなく目的地へと駆けていく。
生臭さの酷い下水道は管理が行き届いておらず、壁の至る所が割れている。首都襲撃は避けようのない事態だったと思う彼女の目にも、この退廃は醜く映っていることだろう——アイリスのあらゆる行動に苛立ちが見え隠れしていた。
一度の確認で全てを把握したアイリスが目的の増築廃棄部へと辿り着く迄にそう時間はかからない。
「待てやコラ……ッ、ジブン速すぎるやろ」
「時間がないからな。開けるぞ」
ものの数分でアイリスが到着したのに対し、海月が要した時間もそう長いものではなく、そこにあったのは数分の差。
同胞をやられた二人の怒りが極限まで昂っていたのは明確なことであった。
少しばかり錆びついた鉄の扉に手をかけて、アイリスは力のままにドアを取り外す。扉は発泡スチロールのように砕けて吹き飛び、奥にいる者たちの醜悪な姿を晒した。
「動くな、皇帝隊だ」
扉の向こうは行き先のないロビーのような作りになっており、場のあちこちで輩がたむろしている。赤黒い髪と瞳を持つ者、顔つきが異質な者など、——外にはいられないような人間が溢れかえっていた。
「この臭い、ドラッグか。舐めた真似しとんなあ」
辺りに散らばる白粉に海月は悪態をついて、右手のメイスを地に叩きつけた。金属がひしゃげる音が辺りに響くとともに、場の空気が桃色の虎に支配される。
「第九隊副隊長、榎本海月。違法地下施設の利用と薬物の使用、それとお前ら赤い髪の奴らは……元〝戦〟やろ。他にも色々やらかしとるんちゃう」
「放っておけ。その辺は第六隊の仕事だろ」
「せやな、桑水流隊長に任せときゃええか。アイリスが言ってたって伝えとくわ」
「本人の前で言うなよ、それ。頼むから」
アイリスと海月は他愛もないやりとりを繰り広げながら、未だ呆然とする輩の方へと歩んでいく。
真っ先に反応したのは戦の残党と思わしきうちの一人、赤い髪の男だった。
「黙れよ王の犬コロが。女二人で何ができるってんだ、ええ?」
男は海月を見下ろして、おもむろに臭い息を吐いてみせた。
「ほれ」
ドラッグで満たされたそれに対して海月が返したのは、目にも止まらぬメイスの殴打。
大柄な男が倒れる音に、場の空気が異様な静寂に包みこまれる。
華奢な少女の手から放たれたとは思えない強烈な打撃。暴強化細胞で強化された頭蓋すら、この榎本海月の振るうメイスを前にしては何の防御にもならなかった。
「コレができるわ。なりたくなかったら親玉出せ」
アイリスは海月のことを人格者と聞いていたため、乗り込む際にも敢えて殺気を全開にしていた。できる限り負担をかけないようにとの配慮だったのだが——それが不要であることは、猛り狂う彼女を見て察したようだった。
あまりの実力差に恐れをなしたのか、赤い髪の男が声を荒げる。
「おい、誰か毒島さん呼んでこい!」
この集まりでは元〝戦〟の方が優勢なのか、赤髪が声を荒げればすぐに他の者が奥へと向かっていく。
もっとも、力の序列など二人にとっては些事に過ぎない。されど二人の顔に驚きがあったのは、奥にいるとされる敵の名前が原因だった。
「あいつは今何を口走った。毒島だと?」
「……なんや、覚えとるんやな」
「忘れるものか。第八隊副隊長、名を
アイリスは苦虫を噛み潰したような顔で己の拳を見つめていた。
この場にいるのは皇帝隊を、ひいてはXを裏切ってYと国の滅亡を目論む者についた悪虐非道の輩のみ。
しかし、かつて自分が想いを込めて育てた部下がそこにいる。
更に、第八隊の副隊長でもあった男が。
恐ろしいくらいの絶望が彼女を襲った。
震える拳を抑えるアイリスの前に毒島が現れたのは、それからすぐのことだった。
「チッ、皇帝隊か。首都を襲撃されて、少しは働く気になりましたよ……って? なぁ、どうなんだアイリス隊長」
二メートルに達するかというくらいに大きな身長を持つその男は、それさえなければ美顔であったことが窺えるほどに彼を変貌させる、濃い隈が特徴的だった。
そして何より、その両手足がどす黒く変色している。
「毒手か。しかも限界がきとる」
「ご名答。もう長くない」
毒手。それは一般的に禁忌とされている技の一つで、文字通り手が猛毒を纏うようになる。もし敵が一度でも毒手に触れようものならば、毒が全身を駆け巡り死に至る。
自らの肉体を犠牲にする凶悪な力だった。
この毒島肇という男は、強化細胞で伸ばされた寿命と強化された肉体を毒手に捧げ、肉体を犠牲にして四肢全てを毒で満たすことに成功していた。
特殊な実力ゆえに、副隊長に抜擢された人物だった。
「裏切ったのか?」
能面のような顔で問うたアイリスに対し、毒島が返したのはかつての上司を憐れむ視線だった。
「隊長、アンタが悪いんですよ。俺はアンタに恩を感じているし、第八隊でのクソみたいな仕事をこなせたのも全部アンタのためになると思ったからだ。だからあのインテリ女に押し付けられた仕事は全部代わりにこなしてやった。気分はずっと第四隊のままでしたけど。ずっとアンタを待ってたんすよ、俺は。
けどな、アンタは副隊長殺しの重罪を背負って出てきたもんだ。おかしいと思わねえですか? なぁ。あの女に何されても、アンタがいれば第四隊にいた頃と変わらない、いや、より近しい立場で仕事ができた。でもアンタは裏切った。じゃ俺が裏切っても文句言えねえよなって話ですよ。ま、アンタがそっちにいるのは驚きですけど」
一度口を出た言葉は止まることなく、湯水のように溢れてアイリスを糾弾する。
全てを言い切った毒島は嗚咽を漏らし、醜悪に歪んでしまった顔で、——濁り切った瞳で死神を見据えた。
対するアイリスが返したのは、何も宿せないガラスの瞳による、冷たく哀しい視線のみだった。
「たとえ否定しても信じてくれないだろうな、お前は。だからいいよ、肇。こっちにも話していられるだけの余裕なんざないんだ。……もう楽にしてやる」
自らの全てを語った男に対して、死神の心は限界を迎えていた。
どこかで折り合いをつけなければ、気が触れてしまいそうなほどに。
アイリスが言葉を続けることはなかった。
彼女の髪も、容赦のない紫色に染まっていた。
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