第38話 絶望と激怒

 先手を取ってアイリスがナイフを突き出した。

「早くなったねぇ。そっちに戦う気があるんだったら、僕も楽しませてもらおうじゃないの」

 ロングコートを着ていないアイリスは普段の何倍も速く、体からナイフを飛ばすのと同じだけの連撃が一瞬のうちに繰り出されていた。

 法条はその顔から笑みを絶やすことなく、慣れた手つきでナイフを回避する。

「でもさ、これだけ狭いと実力も発揮できないんじゃない?」

「私を舐めるなよ、法の犬」

 横に薙いだナイフを躱されると、アイリスの太腿にフォークが突き立てられていた。

(いつカフェから盗み取った……!?)

 自分を凌駕する攻撃の速度に対して、アイリスは全力で距離を取る。

 しかし、対する法条は死神に休ませる暇もなく、凄まじい速度でその間を詰めていった。甲高い金属が火花を散らしながら鳴り響く中、ゼロ距離で二人は睨み合う。

「あ、そうそう。残念だけど和倉五鈴はもう皇帝隊に届いちゃった。神帝裁判もじきに始まる……ま、どうせ君も同じ処刑台の上に立つんだから関係ないか」

 法条の短剣ナイフが踊った。

 腿を刺されて動かない右の脚があっては攻撃を避けきれず、アイリスの胸は深々と切り裂かれてしまった。特殊な素材のそれさえ簡単に切り裂かれ、その亀裂から真っ赤な鮮血が溢れていく。

 しかし、法条の浅慮な言葉がアイリスの逆鱗に触れた。内臓に届きかねない斬撃でもアイリスの動きが止まることはなく、宙を舞った左脚は法条の短剣ナイフを蹴り飛ばす。

「何が〝法皇〟だ……、忠実に裁定すべき法のお前が、こうも不平等に罰を与えるか!」

「そんな顔しないでよ、アイリスちゃん。オジサンだってこんなこと、好きでやっちゃいないんだからサ」

「私の名前を口にするな!」

 得物を失った法条だったが、彼が怯むことはない。異次元の速度で追撃から逃れると、影の街の路地にある、ありふれた看板を掴み取った。

「まあこれくらい、重たくもなんともないよね」

 砲弾の速度で看板が投げられた。

 紫紺化して身体能力が上昇し、極限の集中状態に陥った彼女ならば避けることは容易いはず。

(看板を躱してフォークを引き抜き臓を突く。それですぐに逆転する——っ!?)

 アイリスは逆転の算段を立てていた。攻撃を回避して右腿のナイフを抜き、銃にせよ剣にせよ得物で決着をつける。彼女ならば可能な動きだった。

 しかし、アイリスが背にしていたのは無数の建物。

 この者が投げた看板はビルなど簡単に叩き壊すくらいのエネルギーを蓄えている。

 もしアイリスが避けようものならば、後ろにいる人々は簡単に犠牲になるだろう。

(こいつ、最初から……!)

 アイリスの全身が動きを停止する。

 

 法条司は笑っていた。

 最初からこれをわかっていた。そう言わんばかりの悪辣さを心の内に宿しながら、涼しい笑みを浮かべていた。

「き、さま」

「悪く思わないでね。大丈夫大丈夫、君が死なないようにはコントロールしたつもりさ」

 アイリスの顔面に激痛が走った。

 首が折れるほど、あるいは、通常の人間であれば体が粉々に砕け散るほどの威力。それを防御する手段はアイリスになく、金属の看板や飛び散るガラス片を受けて、どう足掻くこともできず地面に倒れ伏してしまった。

「あ、ああ……ッ」

 言葉にならない断末の呻き声。

 目も当てられないほどに顔を赤黒く染めて、アイリスはコンクリートと衝突、意識を失った。

 アメジストの髪はまだ消えていなかった。


 曇天の空の下に倒れ伏すアイリスを前に、法条司は笑い続けていた。彼が驚き混じりの苦笑をしたのは、まさかこの死神が民のことを考えて攻撃を受けるとは思っていなかったが故だった。

「すごいなぁ彼女。ダークヒーローってヤツ? いやァ、でもちょっと違」

 嘲笑を隠そうともしない法条。

 その頭蓋をAIの蹴りが打ち抜いたのはコンマ一秒の出来事だった。

 攻撃を受けて吹き飛んだものの、法条は受け身を取って体勢を立て直す。視線の先に立つ男を見て、彼はまた苦笑を浮かべた。

「痛いじゃん。常人なら首の骨折れてるよォこれ」

 激しい電流を両脚に纏ったAIは、顔に怒りを抱いて法条を睨みつけていた。

「おい、俺のマスターに何をした。答えても殺す」

「コワイなぁ、勘弁してくれよ」

 法条がルディアとの距離をゼロに縮めるまで、ゼロに等しい時間だった。

 ルディアは当然のように宙を舞い、すぐに地面と衝突する。休む間も無く襲い来る法条の連撃に対し、ルディアが取ったのは回避だった。——辻風との修行で習得した回避はここ数日の連戦で成長しており、アイリスよりも追い込まれ、実力差を感じることの多い彼だからこそ、爆発的な覚醒を見せていた。

 地面に縛られるルディアだったが、法条の攻撃には一度も捕まらない。辻風があらゆる攻撃を見切ったのを模倣して、このAIは男の全てを受け流していた。

「痛いナァ。そんなに怒らないでよ」

 そして、一瞬の隙をついては法条を力のままに殴りつける。金属ナイフがコンクリートに衝突する音が連続して、数回繰り返す間に攻撃が入る。

 この攻防が何度か繰り返された後で、全力の拳が法条の顔面を打ち抜いた。超至近距離で打撃を受けた法条は勢いよく吹き飛ばされて後退する。

「よくもアイリスさんを……お前は許さない」

 冷たい言葉を口にして、ルディアは懐から刀を抜いた。鈍く光る銀の刃と共に、AIの体はあまりに異様な動きを見せた。

 瞬間的な爆発力ならアイリスにも匹敵しうるだけの速さ。拳を受けてよろめく法条に回復の隙を与えることもせず、ルディアは二度刀を振るう。

「チッ!」

 攻撃を避ける術は法条になく、ルディアの斬撃は見事に命中した。

「アイリスさんの痛みはこの程度じゃねえ」

 法条が反撃を放たんとする直前で、ルディアはまた刀を振るう。ペケ字の切り傷を両断する斬撃が敵の胸から腹を深々と切り裂いた。

 法条は額から一粒汗を流すも、それ以上の動揺を見せることはなく、調子を取り戻した。

 二人は再び視線を交差させる。

(不味ったか。正体不明のAIなんざ大したことないと思っていたが、やはりAIはAI。アダムやイブと同じ脅威じゃないの)

「……キミ、死神ちゃんのコト好きなの?」

「何が言いたい」

 二人は睨み合う。互いの間合いを把握しながら、その領域に引き寄せないよう牽制していた。

「随分な想いだと思ってね。人間が人間に恋をするならわかるが、AIが人間に情を持つなんて驚いた」

「何がおかしい」

「キミは戦うために作られた存在だろ。道具が感情を持ってたら可笑しいでしょ」

 法条は機械を嘲笑う。

 元来AIはこの程度の言葉に左右されず、故に感情のない存在として定義される。

 しかし、アイリスを想うという回路がこのAIには出来上がってしまっていた。故に感情は存在し、故に彼はAIの定義から外れる。

 その思考が迷いとなった。

「ほら、バグばかりだ」

 ルディアの臓物が胃液を吐いた。

 内臓の押し潰される衝撃——法条の脚が急所に命中していた。距離を取ろうと必死にも踠くも、法条の追尾からは逃れられない。

「ぽっと出にしては頑張った方じゃないの。でも、揺さぶりに弱いのは難点だね。悲しいことに、隊長を倒すには足りなかった」

 沈んだ体を必死に起こし、ルディアは決死の抵抗を試みる。執念がこのAIを立ち上がらせるも、調子を取り戻した法条の前では反撃の一つさえ行うことができなかった。

「まだ、まだだ……!」

「いや、もう終わりでしょ。頑張りに免じて殺さないでおいてあげたいけど、動かれちゃ加減できない」

 本調子を出した法条は、ルディアにとってあまりに強大すぎた。得物の一つも持たぬ癖、正確な急所への打撃でルディアの防御を崩していく。

 作られた身体が壊れる感覚。この敗北がもたらすあらゆる影響を計算して、AIはその打開策を思考し、行うには力が足りないことを痛感する。

 あまりに格が違いすぎた。

 演算回路がショートする。体を制御する神経回路がシャットアウト、紫吹がその手から離れた。

 彼の視界には不敵に笑う法の皇。

 ルディアの電源が落ちた。



 入れ替わって目を覚ましたのは、顔面から止め処なく血を流すアイリスだった。意識だけが取り戻され、彼女に喋る気力は返ってこない。ルディアが身を挺して守ってくれ、その末に倒れたということだけが、ボロボロの体で漸く理解できた。

「あら、起きれるンダ。流石にレベル高いわ」

 傷こそついているものの、余裕に満ちた法条の姿。それを見たアイリスが抱いた絶望と恐怖は、きっと計り知れないものであったに違いない。

 ……迂闊だった。

 不意に立ち寄ったカフェに敵の遣いがいた。それくらい予測できたはずだった。だのに、それ以外に頭がいっぱいで気が緩んでいた。

 死神と呼ばれ、戦場を舞った存在がなんと無様な。情に左右されて敗北し、そのせいで勝てるわけもない勝負をルディアに挑ませることとなってしまった。

 過去かつてない屈辱に、アイリスは動く気力すら失った。

「まぁいいや。次に動ける頃には、裁判官の前か死刑台の上……や、死刑台じゃ動けないカ」

 これでは、もう。

 アイリスの身体が少しずつ、また眠りにつこうとしている。自分の執念ではどうしようもない——人生初のチェックメイト。

 法条がアイリスに手を伸ばす。




 まさに、その瞬間。

 紅と蒼の閃光が法条を吹き飛ばした。

 ビルが砕ける爆音が轟く。法条の部下が経営するカフェと、その周辺が犠牲になった。

「せ、んぱ」

 アイリスの頬を一筋の水が伝う。

 濃い青のスーツの上に、絶対的な正義を掲げる黄金のローブを纏う人物。

「大丈夫。よく頑張った、本当に頑張ったよ……君の先輩が後は全部やったげる。だから、だからもう、ゆっくり休みな」

 その人物に頬を撫でられて、アイリスは安堵の中で意識を手放した。

 彼女の前に立つ一人の男が言った。

「この男を前によく戦ったものだ。死神アイリスと……AIのルディアと、そう言ったかな」

「本当にすごい子だよ、私の後輩ら。こんな歪んだ正義を相手に、私が若い頃じゃできなかったかもな」

 がらり、と瓦礫が落ちる音。

 目を光らせて法条は笑った。

「不味ったなァ。君ら二人とも、親アイリス派だったっけ?」

「俺にそのつもりはなかったがな。麗奈の言葉を聞いては達観していられなくなった」

「君たち相手じゃ分が悪いけど、逃げられる感じでもないしナァ。桑水流麗奈、スタチウム」

 この瞬間、IとAIの思いに応えたのは。

 皇帝隊第一隊隊長、スタチウム。

 同じく第六隊隊長、桑水流麗奈。

 正義を掲げる究極の存在、皇帝隊最強戦力格の両名であった。

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