第39話 満面朱を濺ぐ

 皇帝隊第一隊隊長、スタチウム。

 第六隊隊長、桑水流麗奈。

 両名がアイリスとルディアの想いに応えた。彼らの行動、その一つが運命を切り拓いた。

「美男美女が寄ってたかってオジサンを虐めないでよ。僕が悪者みたいじゃないの」

 ふざける法条だったが、彼の顔から覇気が消えることはない。

 桑水流が一歩前に出る。それに合わせてスタチウムも刀を抜いた。水神と炎帝——その名に恥じぬ、或いは、その名さえ余るほどの実力を法条は肌で感じ取った。

「逃げようとは思わない事だ。アイリスが受けた苦しみは徹底的に償わせる」

「……冗談だろ?」

「嘘つくわけないじゃん。あんま舐めんなよ、お前」

 桑水流が動くとほぼ同時に法条も動く。

 そこに生じた差異は僅かコンマ一秒のものであったろうか、目に見える誤差はないに等しい。

 法条の左腕が痛々しく悲鳴を上げた。桑水流が彼の腕に触れた瞬間、さも当然であるかのようにひしゃげていく。しかし、段違いの握力がぐしゃぐしゃになった腕をぎゅっと掴んで離さない。

「根本的に遅い。どうせ最低な手使ったんだろ」

「卑怯も絡め手も法律の範疇だからね。喜んで使わせてもらうとも」

 言葉で注意を逸らしながら左手を抜こうとする法条だったが、あらゆる抜き方を熟知する桑水流の技術がそれを許さない。

 万事休すかに思われた法条が取った行動は、自分の腕を。無惨な色に変色して細くなった腕を引き抜くことでなんとか桑水流の追撃を逃れた。

(チキショー、人望厚いなクソ野郎。親アイリス派、強すぎんだろ……!)

 法条は感じたこともない腕の痛みを覚えながら心の内で呟いた。

 相手が桑水流だけならば、法条がここまで焦ることはなかったはず。アイリスを拾い上げて逃げることも彼の身体能力ならば間違いなく可能である——しかし、ここにはもう一人、最強格の戦士がいた。

 炎の帝と呼ばれる男スタチウム。桑水流から逃れた法条を正確に捉えるその男は、辻風に匹敵するだけの速度で剣を振り下ろした。

(ルディアよ、法条相手によく二度も斬った……。お前の怒り、無駄にはしない)

 かつてまみえた男の顔を思い浮かべ、龍のように険しい顔でスタチウムは剣を振り下ろす。

 感情を持つAI、その想いに応えてスタチウムは怒り狂う。一切の容赦がそこにはなく、法条に欠片の抵抗さえさせない完璧な剣技がそこにあった。

 痛みで動きを止める法条に向けて、スタチウムは言葉を絞り出すように告げる。

「法条司。お前も民に認められず、理解されずとも正義を走ってきたのだろう。だがお前の正義は、他人との衝突が起こるものと理解していない訳ではあるまい」

「ああ、承知の上さソレくらい。こちとら君より長く軍人やってんだ」

 スタチウムが突き刺した刀を片手で受け止め、法条は言葉を紡ぐ。

 法皇の瞳には光がなく、炎帝の瞳には生がない。男たちは無機質に睨み合った。

「……俺はお前を」

「はいスタちゃん喋んのオワリ。こんな奴と話す理由なんかないんだよ。後輩がやられた、戦う理由はそれだけでいい」

 桑水流は釈然とした足取りで二人の間に割って入る。法条が握る手を無理やり開かせると共に、腹部を蹴って吹き飛ばした。

 そのままトドメを刺そうとして、桑水流は法条との距離を一歩ずつ詰めていく。

「恐ろしいなァ、桑水流麗奈。一体、何がキミをそうさせるんだい?」

 桑水流麗奈は耳を傾けない。法条の右膝が彼女によって踏み潰されるのと、この男の投げたフォークが桑水流の頬を掠めるのはほぼ同時のことだった。

 虚しい音を立てて転がるフォーク。法条の武器は残り少なく、対する桑水流は四肢の一つをちょうど砕き終えた頃だった。

 桑水流は敵の膝から足を離し、奇妙なくらいゆっくりと距離を取る。

「ここからは私の憂さ晴らしだ。立ちなよ法条……正義なんてもう忘れて、暴力使おうぜ?」

 怒りを原動力としていながら、法条のペースには攫われず、常に自分が場を支配する。

 桑水流は満面朱を濺ぎ、その鍛えられた拳を突きつけた。

「立てるわけナイってのに……、オジサン辛い」

 懐から緑色の粉を取り出した法条は、中身を全て足に振りかける。ぐちゃぐちゃにされた法条の膝は、人間らしからぬ音を立てて再生した。左腕はもう再生不可能なのか、法条はそちらに使う素振りを見せなかった。

「お前、それ」

「んん? だいぶ前に買ったモンだよ」

「……まぁいいや。話す意味がない」

 桑水流の後ろに控えるスタチウムに、桑水流は皇帝隊のローブとジャケットを手渡した。

 ワイシャツ姿になった桑水流は法条を睨みつけた。

「これで個人の勝負だ。逃げさせないよ」

 桑水流の衣裳を抱えて、スタチウムは剣を鞘にしまう。されど手を離すことはなく、あくまで桑水流麗奈の勝負を見届け、決着させるための役割を担おうとする意思が感じられた。


 

 桑水流と法条は静かな路地で睨み合う。

 アイリスとルディアの思いはこの者に託された。二人に殺傷能力の高い武器はない。頼れるは己が五体と発想のみ——ゆえに、決着に至るには刹那の攻防こそが求められる。

「私のを痛ぶった分、全力で償ってもらおうか」

「蛮勇だね。時に卑怯が実力を埋めることもある。その発言には責任を持って来なよ」

 退廃的な影の街。通りを過ぎる者はなく、小さな呼吸音のみが生命の存在を示している。

 

 どちらが先に始めたか?


 それを理解できたのはスタチウムだけ。

 常人が戦闘開始を認識する頃には、戦いの趨勢など九割が確定しているようなものである。

 怒る桑水流は相当に速く、それを相手取る法条も恐ろしく速い。この世界に存在する言語を用いて表現しては、その速度の凄まじさを長々と、それこそ遅々と語らなければならないだろう。

 つまるところ、スタチウムが息を呑んだ時には、シャツを傷だらけにした桑水流が、法条に極大の一撃を放っていた。

 、一対一、実力と実力の応酬。だからこそ、桑水流は人間の理解を超える速度に、ただの一瞬のみ辿り着いた。

 

 それは神の境地に相違ない。

 

 烈しい切り傷を作りながらも、桑水流麗奈は、あらゆる搦め手を乗り越えて、この法条司という、後輩の仇を見事地に堕としたのである。

「クソッタレ……、これじゃ三番手にもなれないな」

 法条は忌々しげに舌打ちして、アスファルトに頭を打つ。

 大きく息をついた桑水流は、いつもと変わりのない顔でスタチウムの方を見た。



 戦いに敗北した法条が意識を手放すことはなかった。スタチウムからローブを受け取る桑水流を目にして、尋問無しに逃げ切る策を考えているところであった。

(内部抗争、厄介だなァ畜生。オジサンだって強いはずなのに手も足も出ないなんて不平等ジャン。ここは時間稼ぎの援軍を……っと、あぁ、カフェの彼が手配してくれていたっけな)

 気配を最小限にして連絡を試みる法条だったが、皇帝隊一の戦闘員が相手ではそれも見つかってしまう。

 スタチウムが法条の眼前に石ころを投げ、それが尋問開始の合図となった。

「法条。お前の目的はアイリスを捕まえることだけだったのか」

「あぁ、その通りだよ。僕が手段を選ばない相手だってコトくらい知ってるだろ?」

「……私からも一つ聞こう。さっき使った回復薬、あれは本当に買ったものか?」

「どうだろう。だいぶ前に買ったモンだって言ったけど曖昧でね。それこそだいぶ前だから覚えてないよ」

 法条は程よく質問に答え、時に回答を曖昧にする。なんとも意地の悪い方法で問答を逃れていた。

 ——その時一つ、スタチウムが言う。

「では問い方を変えるとしよう。……もし次の質問で嘘をつけば、俺は躊躇なくお前の首を刎ねる。?」

 苦笑いで誤魔化そうとした法条だったが、スタチウムの顔が本当に首を切る時のそれだと察して、観念したように答えを告げた。

「アイリスちゃんと会ってから今に至るまで、ついた嘘は五つだ。これは真実だよ」

 薄ら笑いを浮かべる法条に対し、二人の怒りが収まらなかったのは言を俟たない。

 しかし、これ以上の問答は許されなかった。

「麗奈」 

「ああ、言われずとも」

 突如として現れた無数のロボットが、桑水流とスタチウムに襲いかかったのだ。

 最も、この二人を前にしてただの機械人形が勝てる道理はない。法条が二人から逃げる為の時間稼ぎに違いなかった。

 汎用戦闘型のロボットを瞬きの間に押し除けて、桑水流は法条の行方を確認する。

「……逃げ足の速さは一流だ。相変わらず面倒な奴」

 桑水流は忌々しげに舌打ちをする。

 無数の残骸を一瞬で作り上げたものの、法条を捕らえるには至らなかった。

 こうして、猛者たちの戦いには決着がついた。




 アイリスにとって多忙を極めた一日の終わり。夜の帳が降り切って、人が眠りにつく深夜二時頃の出来事である。

 ここまで戦いを俯瞰し続けていた、皇帝隊第二隊隊長、〝機神〟守時冬樹——彼もまた、戦いを起こすべく行動していた。

「血痕はここで途絶えているか。辻風君がここまで追うほどの相手……いい加減、名前をつけなければならないな」

 他の誰にも成し得なかった、辻風と首都襲撃の首謀者の追手捜索。それを、この守時冬樹という男は、いとも簡単に成功させてみせたのだ。人類を破滅に導きかねない兵器を幾度となく作った彼だが、追手捜査は専門外。つまり、今回の達成にはもう一人関わった者がいた。

「協力感謝するよ、ロベリア君。こんな男相手によく信頼して来てくれたものだ」

「いえ。私はまだまだ弱いですから……少しでも隊長のお役に立つことをしたい。それに、貴方が敵側ならもっと早くに人類に牙を向けるでしょう」

「そうだな、そうするかもしれない。兎も角、君の安全は保証するから安心してくれ」

 二人分の足音が首都の下水道を鳴り響いた。薄暗く死角も多い道だったが、守時の眼は暗視が利く。よって、彼らが目的地に着くまでの間、襲い来る敵が二人を傷つけることは一度もなかった。

「推察するに、この階段を降りた先に何かがあると思われます。守時隊長、進まれるのですね」

「ああ、そのつもりだ。今後のことを考えるなら、辻風君には戻って来てもらわなくては困る」

 真っ白な前髪をかき上げた後、守時は新品のようなドアに手をかける。

 瞬間、眩い光が二人を包み込んだ。

 そして向けられるのは無数の銃口。


「侵入者を発見。排除します」


 間違いなく、首都襲撃に使われた機械と同型のものだった。

「ロベリア君、すまない。君の力を借りるとしよう」

「ええ。機械に忍術って通用すると思います?」

「無理じゃないかな」

 次の瞬間鳴り響く銃声——しかし、銃口の先にはもう二人の姿はなかった。

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