第35話 まもるために
アイリスに葛藤させる時間を与えないと言わんばかりに、ジャックは猛烈な殺気を携えて立ちはだかった。
つまり、死神が仲間の家にいるというのは敵襲が起こったのと同義だった。
「何か言えよ。やってることが悪どすぎて弁明の予知もないってか?」
ジャックは吐き捨てるように言う。桑水流に見せた綺麗な所作からは想像もつかないほど、その顔には敵意が宿っていた。
言葉を返す気力もないアイリスと、止めるに止めきれない海月。場に緊張が走る中、真っ先に動いたのはこの男だった。
「アイリスさんは悪じゃない。訂正しろ」
「例のAIか。死神の犬っころは黙ってろよ」
ジャックの鋭い視線を受けようと、ルディアは顔色一つ変えなかった。アイリスとの間に割って入ると、彼女を守るように立ち塞がる。
「……ウチが自分で呼んだんや。悪いんはアイリスやない」
それに続くように海月も声を上げる。ジャックは彼女を見て僅かに行動を停止したが、その後すぐに得物をルディアへ突きつけた。
「うん。でもね海月、ボクはこのAIが気に入らない」
「マスターは悪じゃないと言っている。訂正しろ」
「黙れって聞こえなかったか」
いきなり敵対心を剥き出しにするジャックに対して、ルディアはこれまでにしたこともないような
ルディアは敵から目を背けることなく、アイリスに向かって言う。
「マスター。俺には貴方が何で悩んでいるのかわかりませんが、少し考える時間を取った方がいいように思われます。それでは、また」
アイリスの答えを待つことなく、ルディアはジャックを力強く蹴り飛ばした。金属が叩き割られる衝撃で建物に特大の穴が開き、その先に広がる空へと二人は飛び込んでいった。
余計なお世話、とも言えなかった。自分の中に激しい迷いが生まれる中で、この男を相手している余裕などなかったのだ。
唇の端をぎゅっと噛んで、アイリスはぽっかりと空いた穴を見送った。
突然の攻撃に吹き飛ばされたジャックはルディアよりも先にアスファルトと衝突していた。
「……つくづく意味がわからないな。AI風情のキミがボクとやって勝てるとでも?」
「そのAIに人類は滅ぼされたんだろ。西部戦線を戦い抜いた貴方が忘れた訳でもないだろうに」
「ポッと出のガラクタがよくもまぁぬけぬけと言ってくれる」
ルディアの言葉に対し、ジャックが激昂したのは言うまでもない。
ジャックが指を鳴らすと、彼の怒りに答えるように、顔を鋼鉄の仮面が覆う。
「かかってこい。ボクにはお前を殺す理由ができた」
ルディアが言葉を返すよりも、刀を抜くよりも、遥かに前の出来事だった。ビルすら砕く飛び膝蹴りがそのAIの顔面を強く叩いた。
突然のことに反応しきれないルディアに対し、ジャックは凄まじい速度で猛追する。両手に持った金属がAIの胴体を十字に切り裂いたのは、初撃から秒も経たない間のことだった。
衝撃からすぐに復帰したルディアが抜刀し振るうも、彼が纏う鎧には傷ひとつ付けられない。
「ほらほらどうした。そんななまくらじゃ叩き破れないよ」
真っ赤に染まった彼の腹を強い衝撃が襲う。鋼鉄の蹴りが傷口を更に広げるも、ルディアは仏頂面でジャックを見据える。コンクリートと衝突したのち、テンポのよい復帰と共に刀を薙いだ。
「……黙れ」
しかし、怒りに任せた一撃はジャックの装甲を突き破れない。
無意味な抵抗に対して、何十倍もの謝礼が返ってくる。既に凄まじい出血量の彼をさらなる斬撃が襲った。
「ほらほらどうした? まさかそれで終わりだとは言わないだろうな!?」
大きく体勢を崩すルディアの懐に、既にジャックは潜り込んでいた。
あまりに疾く正確で、威力も高い連撃が続く——たとえ彼が辻風と修行していたとしても、それは仮初めの、人間の師匠としての姿の辻風。首都に現れた獣を前にした彼女とは天地ほどの実力差があり、今のルディアが対峙するジャックは彼の知らない強さの相手だった。
「もらった!」
鳩尾に金属が突き刺さる。何度目かもわからない蹴りをもらったルディアは、強い衝撃と共に地面へ叩きつけられた。
アスファルトに覆い被さって停止する彼に対し、ジャックが見せたのは冷徹な顔。
「……気に入らない野郎だった。あんな煽りさえしなきゃ、まだ生きられてたのに残念な——っ」
そしてすぐ、AIの異様な変化を本能が感じ取った。
AIの体はありとあらゆるところから血が流れている。満身創痍の肉体であるというのに、相対するジャックには一撃も通せていない。
にもかかわらず。
「我が肉体は」
彼の中にはアイリスの姿があった。ルディアは彼女と出会ってから、悩み続ける彼女の姿を何度も目にし、その度に黙って見ていることしかできなかった。不完全なAIである彼に、ヒトの感情というものは理解できない。だのに、ルディアの心の中には、言語化できない胸のどよみが生まれていた。
今のアイリスにこの男を会わせるわけにはいかない。あらゆる苦悩から、ほんの少しでも彼女を守りたい一心で、ボロボロの体など気にも留めず、ルディアは立ち上がった。
「確固……、不抜」
風が吹いた。
同時に、ジャックは二つ先の街まで吹き飛ばされていた。
「かはっ!?」
初めて受けたダメージに動揺する間も無く、ルディアの拳が鋼鉄を穿つ。その顔を覆う兜に対し、隕石がめり込んだのは紛れもない事実だった。
「アンタの装備は硬すぎてダメージが通らない。だから、内側に衝撃を与えるのが攻略法だ」
「二度も同じ手なんざ使わせないよ」
ジャックも負けじとルディアの腹に蹴りを入れ、無理矢理にでも距離を取る。凄まじい衝撃を前に後退するルディアだったが、今度はしっかり防御を入れていた。
互いの攻撃が届かない距離にて、ジャックは目の前のAIの変わりように一驚した。
AIの体を纏う空気は一変し、四肢の一つ一つが熱を帯びている。
「俺は貴方のことを何も知らない。だが、アンタだって俺のことは何も知らないはずだ。それでも止まる気がないのは同じだろ——だったら、意地を張り合えばいい」
ルディアの真っ直ぐな視線に対し、隊長は乾いた笑いを漏らした。
「AI風情なんて言ったこと、訂正させてくれ。……いきなり強くなるし、キミは面白い奴だ」
隊長は兜と鎧を脱ぎ捨てた。中から現れた青いロングヘアの彼は、口の端を吊り上げた。付属の二刀を両手に持ち、右の方を突きつける。
「互いに
「いいのか? 鎧まで脱ぎ捨てて」
「着ていて欲しかったって思うかもな」
纏った最硬金属を全て取り払ったジャックの姿は優美そのものなのに、強い殺気が消えることはない。
ルディアも彼に倣って刀を抜く。深い黒の鞘から、光に照らされて輝く刃が姿を現した。
「……行くぞ」
「あぁ。サムライの戦い方ってやつ? 乗ってやるよ」
静寂がそこにあった。刀の間合いで対峙する二人は、互いの一挙手一投足を観察し、未来を読み合い、長い時間を静寂の中で過ごした。
そしてついに、二人はほぼ同時に動く。
二つの鋼がルディアを切り裂いた。しかし、一筋の銀閃がより深々と男を斬った。
戦いの決着は一瞬、されど時間をかけて行われた。
「……お見事」
大きくダメージを受けたジャックは、ふっと笑んでアスファルトに倒れ込んだ。
ルディアの得意とする条件に乗ったとはいえ、最初はまともな実力さえなかったAIが、たった一ヶ月で皇帝隊の隊長を打ち破った。とてつもない成長だった。
青天白日の空の下。ルディアは己が刀を鞘に仕舞った。
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