第34話 一人をみんなの為に

 それからジャックが訪れたのは、セントラル・アーコロジーの最端、影の街の方角——桑水流麗奈の家がある場所だった。

 黒と藍で彩られた大きな家は、新築かのように外装も綺麗に整えられている。

「さて、いらっしゃるかな」

 ジャックは玄関の前に立ち、古風なインターホンのボタンを押す。ピンポン音が二コール鳴った後で、家主が呼び出しに応じる単音が続いた。

 そして十秒も経たないうちに、家のドアがゆっくりと開かれる。

「へぇ、西の切り裂きジャックとは珍しい来客だ。お茶は出さないけど、何か用?」

「ヤダなぁ、ボクは喧嘩しに来たんじゃないんですよ。X最強のアナタと戦って勝てるわけないじゃないですか」

 二人の青髪が視線を交える。

 たった一枚のドアを介して強烈な気色がぶつかり合うその光景は、もし見るものがいれば震え上がっていたことであろう。互いに一切目を逸らさないそのやり取りは三分間ほど続いたであろうか。

 桑水流が表情を緩めたことによって、そのやり取りは終了する。妖艶な笑みだった。

「話くらいは聞いてあげようか。コーヒー飲める?」

「えぇ、はい。東の死神を育てた貴方とはゆっくり話したいのですけれど、あいにく大した話題になっちゃいそうでして」

 ジャックの持ちかけた話題の七割五分を、この時既に桑水流は理解していた。


 捻くれ者の多い隊長格の中でも、この桐崎・ジャック・ルベライトは良識のある方と評価されていた。桑水流宅に上がる際の丁寧な所作がそれを印象付けると共に、足音の無さが彼の美しさを際立たせていた。

 綺麗な姿勢で腰掛けたジャックに、桑水流は真っ黒なコーヒーを持ってくる。

「さて、改めて話を聞こうか。セントラル・アーコロジーの襲撃によって一時的に落ち着いているとはいえ、私たちは敵対する勢力の中にいるのはわかっているよね。……敵の陣地に入ったってことは、殺されても仕方ないってことだ」

 宥めるような口調であるにもかかわらず、言葉の節々には鋭い棘がついている。

「ええ。貴方の言う通り、ボクと貴方はこの瞬間も敵同士なのでしょう。ですが、今のまま組織内で血を流す意味はないはずですよ」

 実行する気がないことを悟ったのか、或いは、桑水流に対するアピールか。ジャックはブラックコーヒーに口づけをした。

「つまり、アイリスを正規の隊員として迎えると?」

 ジャックは首肯する。

 皇帝隊が内部争いを繰り広げているのは、第三隊殺害容疑のあるアイリスを生かすか殺すかによる論争が火種だった。この戦いを終結させるためには、殺害容疑が全くの濡れ衣――そもそも、第三隊の副隊長はかつて死しており、その行方は秘匿されているため実行は不可能——であることを示す必要がある。

「そのために神帝会議を開かせようと思っていまして」

 へぇ、と桑水流は呟いた。

 神帝会議。かつてアイリスの処分を決めるために集まったのと同様に、皇帝隊の隊長格が揃って会合をする機会がある。通常開催されることは稀有であり、新たな脅威への対策や、大犯罪者の裁定の場合にのみ開かれる。

「新たな脅威はあの獣。……なるほど、あのコの功績をアピールするにはいい機会だと思うな。でも、今の状況で神帝会議を開く余裕があるのかな」

「もう一つきっかけが必要でしょう。ええ、間違いなくね」

 一拍息を整えた後で、ジャックは口を開いた。

「和倉五鈴。サウスエンドに大惨劇を招いた彼女を捕縛し、神帝裁判を起こすのです」

 桑水流の眉が初めて動いた。

 神帝裁判。こちらの概要は同名の会議と大差ないが、特に大罪人を裁く時に開かれる。

 神帝会議との明確な違いは、〝第三隊の隊長と被告が必ず出席すること〟である。

「同胞を牢に閉ざしてX復興の道を取る。政治家の方が向いてるんじゃない?」

 つまり、このジャックという男が言いたいのは、和倉五鈴の裁判を執り行うための会議を開かせ、判決が決定したのち、新たな議題としてアイリスの罪を提示する、ということだ。

 これは和倉五鈴を切り捨てることに等しい。殺人事件を起こした和倉五鈴のに残された法廷上の道は、死罪以外にまず考えられないのだから。

「……決して赦されることではないでしょうね。それでもボクは、この国が滅びるよりかは良いと思ってしまう。これは、貴方の正義が許さないことでしょうか?」

 眼鏡の奥にある金の瞳には、暗い色をした汚れが滲んでいた。

「灰皿、いい?」

 ジャックの哀愁漂う雰囲気が何かを動かしたのか、桑水流は顔で煙草に火をつけた。

 品質の落ちた旧式の煙草から灰色の煙が上がっていく。非喫煙者には重いような煙草の臭いを前にしても、ジャックは顔色ひとつ変えなかった。

「思うところがないと言えば嘘になる。国のために同胞を捨てるのは紛れもない悪なんだろう。でも、犠牲者のために和倉副隊長を裁くのは彼らからしたら正義だ。当然、逆の立場に立てば正義と悪が逆転する。悪の殲滅が私の正義で、そんな価値観じゃこの問題は判断できない。……きっとあのコには嫌われるだろうけど、アイリスのためならば私は悪にだってなってやる」

 桑水流は煙草を灰皿に押し付けた。

 煙の晴れた先に二人の視線が交差して、その結論が投げかけられる。

「協力しよう。達観ってわけには、いかないからね」




 桑水流とジャックの行動など露知らず、アイリスと海月は思いもよらぬ出会いを果たしていたということになる。

 一連の復興支援を終えた後、アイリスとルディアは榎本海月の家に招かれていた。

「ちょっとした拠点やけど、最低限のものは揃ぉとる。汚うてすまんな。ゆっくりして待っとってくれ」

 それだけ言って去っていく海月を見送った後、アイリスとルディアの二人は、手入れのされた来客用のソファに腰掛けた。

「ゴーストタウンの一角にある地下駐車場とビルを改造した拠点のようですね。こんなに大規模だとは思いませんでした」

「土地だけは大量にあるからな。土地に関しても、オダマキが暇な時に整備させているくらいだ」

 なるほど、とルディアは頷き、改めて周囲を見回した。廃ビルや地下駐車場の転用とは思えないくらいに部屋は綺麗に手入れがされていて、榎本海月の性格がよく表れていた。

「悪い、待たせたな。話ってのは、ある人物を預かっとるってことやねん」

 向かいのソファに腰掛けた海月は、アイリスとルディアの二人をじっと見る。

「誰だ?」

「イレギュラーな事態やから、直接会わせるわけにはいかないが……守時ラーヴァを預かっとる」

 海月の台詞に対し、アイリスが少なからず動揺を見せたのは言うまでもない。

 彼女が何かを言うよりも前、副隊長は続ける。

「そして、ウチの仲間は二人。ウチの隊長と、亀卦川や」

「亀卦川だと?」

 アイリスの纏う空気が険悪なものになる。

 亀卦川貴博——アイリスを追い続ける暗殺者にして、彼女を除くターゲット処分成功率は十割。人格者と思わしき榎本海月とは真反対にいるような人物が手を組んでいることに、複雑な心境を抱いていた。

「ウチらの目的は今の内部争いを終わらせることや。そのために、…………五鈴を裁判にかけることにした」

 それが意味することをアイリスはすぐに悟り、怒りと共に立ち上がった。

「貴様、本当に言っているのか」

 仲間を捨てる。

 アイリスの信念に絶対的に反する行為を、人徳者の彼女が平然と行っていたことに激昂した。

 海月は苦しさに目を細めて呟く。

「ウチだって許されへん。けどな、このまま争いが続ったら国はほんまに滅んでしまう。そうなれば救える者も救えへんのやぞ」

 アイリスの心臓がキュッと締め付けられた。

 その行為は自分を火種とした争いを止めるため。自分の命を捨てさえすれば、顔すら曖昧な同胞を助けることができるのだ。結果として変わるのは、一人の死に悲しむ面々の姿だけ。

「一人を皆の為に、だと? 冗談じゃない。それなら私が犠牲になってやる!」


 三度アイリスが激怒したその瞬間。

 ルディアの耳が遠くから迫るただ一つの足音を聞き分けた。

「マスター」

「ッ!」

 アイリスが注意した、まさしくその刹那。

 金属が弾ける甲高い音が響くと共に、ルディアの顎を凄まじい衝撃が襲った。

「さて、ただいま。海月」

 体を衝撃に合わせていなし受け身を取ったところで、ルディアは現れた者の特徴的な姿に驚くことになる。

 青いロングヘアを携えた美形の彼が纏うのはただの服ではない。全身を纏うのは黒金の装甲。顔の雰囲気等から算出されたデータよりも大きなその体は、間違いなく鎧によるもので、内側にはスレンダーな体型が保持されている。

 他の者とは大きく異なるその人物に対し、海月は気の抜けた声で言葉を返した。

「……おう、おかえり」

「色々と聞きたいことがあるなァ、死神さんたちよ」

 爽やかな笑みを顔に貼り付けたまま、強烈な殺気と共にジャックは問う。

「お前ら、敵の家で何してんの?」

 アイリスの葛藤は、突如として現れた来訪者によって打ち切られることとなる。

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