第33話 それぞれの
誰も通らぬ高架下。長年整備がされておらず、そこここに誰かの血痕がこびりついていた。
「かかってこいや、死神アイリス。ジブンがほんまの悪魔かどうか、この目と腕で感じ取るわ」
「早急に理解してくれると助かる」
アイリスはボランティアのコードを脱ぎ捨てた。中から現れたのは黒い光沢のあるメカニカルなスーツ——冬場に使用していたロングコートとは異なる戦闘向きの服装である。
「やる気で助かるわ。ほな、手抜きはなしやで」
海月はメイスを肩から降ろした。どすり、と金属とコンクリートが衝突した一刹那、海月とアイリスの距離がゼロになった。
一撃が命を奪い得るだけの強さを持つ——それを軽く躱したアイリスは、次に襲ってくる銃弾も涼しい顔でいなしてみせた。
両撃の間に生まれた隙をついて、アイリスは海月の腹に蹴りを入れる。
「ぐっ……やってくれる!」
ノーガードで攻撃を受けた海月だったが、すぐに体勢を立て直すと凄まじい速度で引き鉄を引いた。
アイリスは弾丸を皮一枚で躱すと、流れるように距離を詰める。三発目の銃弾が放たれるよりも僅かに速く、アイリスの手が海月の銃を弾き飛ばした。代わりに襲ってくるメイスの横薙ぎを異常な柔軟性で回避すると、海月の足を払い除けた。
「蛇紋岩流」
海月の体勢が崩れたところに、アイリスの肉体が滑り込んでいく。彼女は一切の無駄なく懐を取ると、目にも止まらぬ速度で連撃を放った。
ロングコートを使った際とは異なって、余計なものを纏わない彼女は閃光のように速い。防御と反撃も同時に行えるその姿は近距離戦に特化していた。
(遅い。彼奴、本当に、欠片も食事を摂っていないのか)
半ば一方的な蹂躙の中で、アイリスはふと思った。
——ラーヴァは榎本と遭遇して以来、連絡が取れなくなっている。無関心な守時から告げられた事実に基づいて想定する榎本海月の実力に対して、今の榎本はあまりに弱かった。そもそも、近接戦において異常な強さを誇るとさえ守時が評価した人物なのだ——欠食の影響はあまりに大きいだろう。
思考の間に何度か攻撃を交わしあったところで、アイリスの右脚が地を蹴り宙を舞った。
刹那、ナイフのように鋭い脚が海月の顎を打ち付ける。
「がっ!」
海月は大きく吹き飛び、口から多量の血を流しつつも冷静に引き下がる。
アイリスは冷静に海月のダメージ量を見切ると、その距離を詰めようと突っ込んでいく。海月の放った銃弾を腹に受けても動きを変えず、彼女はついに懐を取った。
(やられた……この距離じゃメイスは振れん!)
拳銃を素手で弾き飛ばせば、至近距離で海月が取れる行動は消失する。
対するアイリスが得意とするのは格闘術。この距離において、彼女が敗北する道理はなかった。
「蛇紋岩流——水切り」
繊細な一撃が海月の体を凪いだ。
「な、ああ」
彼女の腹を打ったそれは、最小限の衝撃で海月を戦闘不能にする。
もはや立つことすらままならなくなった榎本海月を、アイリスはすぐに抱きとめた。そして、最小限の声量で囁く。
「あれだけの疲労を抱えながら、お前はよく戦っている。その強さ、敵に回すには惜しい」
「はっ……、上に逆らえへんのが悔しいとか、久しぶりに思うたわ」
アイリスは海月を座らせた後、フード付きのコートを被り直し、再び彼女を抱えた。
「戻るぞ。お前はもう休め」
そういうわけにはいかない。そう言おうとした海月だったが、不思議とアイリスの提案を受け入れていた。
「あぁ。お言葉に甘えさせてもらうわ」
海月は口角をゆっくりと上げ、暫くの間アイリスに身を任せることにした。
ラーヴァが目を覚ましたのは、アイリスと海月が出会い、戦闘を繰り広げる数刻前だった。
体に取り付けられた無数の機械を一瞥したあと、ラーヴァは近くの机に置かれたハーデンベルギアに目を飛ばす。
榎本海月に運ばれてここまで来たことを彼女は思い出した。
「やあ、お目覚めのようだね」
ラーヴァの眼前に蒼い長髪の男が現れたのは、昏睡してからどれくらいが経過したのかを思い出そうとした時であった。
蒼い男。その人物の名をラーヴァは知っていた。
「桐崎隊長」
「ジャックでいい。もしお気に召さないようなら、ルベライトと呼んでくれても構わないよ」
桐崎・ジャック・ルベライト。皇帝隊第九隊の隊長、すなわちXにおける最強戦力のひとり。
「なぜ貴方がここに?」
問おうとして体の痛みに襲われたラーヴァは、苦い顔で言った。
ジャックは治療用器具が置かれた場の前に腰掛けると、右腕のバンドから浮かび上がったキーボードを操作する。電子音が鳴ったあと、奥のドアが静かに開いた。金属の向こうから現れた亀卦川は、ロックバンドのような服装でハルバードを背負っていた。
「一日に何度も呼び出すんじゃねーよ、十一番」
「今度はトランプ? わかりにくいから却下な、それ」
ラーヴァは微睡む意識の中で、二人のやり取りを見ていた。痛みに対する辛さも当然あるのだが、それ以前に、彼女の肉体は大半が機能していない状態だった。
「守時副隊長、無理はダメだ。君の胃、半分くらい裂かれてたんだから……医療設備が十分だったから助かったけど、それでも到着が遅れていれば胃が半分のままだったかもしれない」
ガラス越しに言うジャックの言葉を、ラーヴァは半分ほど聞き取った。
先の大量殺人事件で、ラーヴァは人斬り和倉五鈴と衝突。激闘の末に被害の拡大を止めることができたが、その後現れた反アイリス派の副隊長、榎本海月と戦闘。その際に肉体の損壊により意識がなくなったところを、榎本副隊長がジャックのもとまで運んできたのだ。
「なぁ豆、海月は?」
「ジャック。海月は都市の復興と難民たちの手当てに奔走してるから、当分戻ってこられないよ」
ラーヴァのことはどうでもいいと言わんばかりに、亀卦川は眠そうな顔で地べたに座った。それと入れ替わり、ジャックが機械のガラスに手を当てる。
「状況が状況だ。守時副隊長、僕たちは君の味方だから安心していい。いずれ他の面々とも合流することになるだろうが、君の回復の邪魔はさせないよ」
金色の瞳と赤色の瞳が交差する。
文字を口にするだけでも相当な負荷がかかるというのに、ラーヴァは頭の中に思い浮かんだ二人の人物の名を口にした。
「あい、りすさん。い……すず、さんは」
ジャックの「状況が状況」という言葉を聞いて、動かぬ頭でもラーヴァは異常事態を察したようだった。そして、己が命の恩人、自分が命をかけて救おうとした人物の名を口にした。
彼女を宥めるための言葉を発したのは、意外にも亀卦川の方だった。
亀卦川はどす黒い瞳をラーヴァの方に向けると、彼女のもとまで歩み寄った。
「生きてるよ、どうせな」
ぶっきらぼうにただ一言だけ言うと、飽きたように身を翻す。
「怪我人の前であの話ができっかよ。ジャック、向こうで待ってるわ」
「……あんなだけど、あいつの言う通りだ。しっかり休んでくれ」
申し訳なさそうな苦笑と共に、ジャックも亀卦川を追って行った。
戦いが先へと進むことを、ラーヴァはジャックの
救護室を出てすぐに並び立ったジャックと亀卦川は早足でどこかへ向かっていた。
「聞いたかい貴博。この前君が戦った迅雷隊長だけど、相当な重傷だそうだ。Xの医療技術を総動員しているけど、それでも生き返れるかは本人の根性次第。まずいことになったよね」
ジャックの投げかけに対し、亀卦川はつまらなそうに、彼とは目を合わせずに言った。
「興味ねえ。あいつは強かったけどよ、負けちまったならそれまでだ」
冷淡で残酷な厳しい言葉だった。アイリス以外の誰にも興味を示していないような、今を生きる強い者を求めるような姿勢だった。ジャックの方も特段気にする様子はなく、小さなため息と共に言葉を返す。
「君らしくていいんじゃないか、それも。……そんなことより、わかっているよな」
メガネの奥にある月色の双眸が亀卦川を見据える。夜闇の瞳がジャックを捉えるのも同じ瞬間であった。
「ああ、雇われた以上その務めは果たさせてもらう。和倉五鈴の捕縛、だろ?」
ジャックは満足そうに首肯した。
「その通りだ。ボクにもやることがある。手伝えはしないが、万全の君なら大した仕事でもないだろ?」
「剣さえ折らにゃ文句はねえな?」
再びジャックが肯定したのを確認すると、亀卦川は豹のような速度で駆けていく。彼が拠点の端に辿り着くと、その速度に対応した機械がドアを開け、遮るもののなくなった亀卦川は青空の下に身を投げ出した。
一人残されたジャックは、亀卦川の退場から数秒経過したのち、ドアの前に立った。
「ボクらで神帝会議を開き、Xの内部闘争を終わらせる。邪魔をする者がいれば黙らせるだけだ……裏切り者の始末は、その後だっていい」
己の体を纏う頑強な金属を撫でた後、ジャックは亀卦川よりも更に速く空へと舞い上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます