第32話 ハーデンベルギア

 首都セントラル・アーコロジー爆撃事件から一週間が経過した。

 被害は全域、建物の爆撃による死者十数名、負傷者は大多数。親アイリス派の素早い増援によって死者数を最小限に抑えることができたのは紛れもない事実の一つであった。

 

 しかし、この被害を一週間で復旧するだけの資源も人手も今のXには存在しない。皇帝隊と生き残った市民は総出で復興活動に臨んでいた。

 当のアイリスも、指名手配中とはいえ人の子で、曲がりなりにも皇帝隊の隊長。最低限の力添えはしようと、ルディアを連れてセントラル・アーコロジーにいた。

「マスター、手伝いましょうか」

「いや、構わない。向こうを頼む」

 午前十時の首都は曇天。明かりは一つもない。

 辺りを軽く見渡せば、ローブを纏った者たちがいる。皇帝隊員の顔つきは様々で、中には初めて皇帝隊らしい仕事をする者もいるのだろう。ただ、職務を怠慢する者の姿は誰一人として見られなかった。

 首都襲撃に対する隊長格の立場を気にしない迅速な対応に、大衆の心は動かされつつあった。

 ルディアを市民の補助に回したアイリスは、右肩に乗せた大量の段ボールを所定地に置き、その封を開けて機械を組み立て始めた。一箱ごとに自立したロボットが十秒足らずで出来上がり、市民を救うために動いていく。

 アイリスはロボットを数分で組み立て終え、彼らが荷物運びへ向かう姿を見送った。


 つくづく嫌な世だ。段ボールの残骸を所定位置に運ぶ最中、アイリスは思った。

 AI戦争の復興がまだ終わっていない中、訪れたのは都市襲撃。隣接する国のないXは、同じ独立国家でありながら市民の幸福度を保ち続けるマジリティ王国、自己完結するだけの資源を持つYと比べても圧倒的な被害を受けていた。

 敵国に対する抑止力となっていた〝戦〟も、なるべくして壊滅。それに伴う襲撃の頻発も、Xの壊滅危機を裏付ける一つの要因となっていた。

 湿っぽさと寒気がアイリスに染み付く。身元を隠すためのフード、援助ボランティアであることを示すための簡素な服装。春に向かいつつあるXも、この日ばかりは異様な寒さを放っていた。

 ルディアの様子を一瞥して、アイリスは再利用予定の段ボールを所定位置に運ぶ。

「おつかれさんやな、姉ちゃん。ほなこれ弁当」

 アイリスが段ボールを置いたところで、背後から声をかける者がいた。当然、その者はフードを被った彼女がアイリスであることに気づいてはいない。

 彼女自身も、それが誰なのか知らなかった。戦場で何度か目見えたことはあるのだろうが、それが思い出されることはない。

 ローブに刺繍されたハーデンベルギアの花がアイリスの印象に残った。

「どうも。連れも向こうで作業中なんだが、その分も貰えるか」

「ああ、持ってくとええ」

 ピンク色の髪の毛に、この時代においては珍しいかつての言語を使う人物。第九隊副隊長、榎本海月えのもとみづきであった。

「姉ちゃん見ない顔やな。ボランティアは初か?」

「そんなところだ」

「来てくれてありがとうな。——あぁ、わかっとるで! 悪いな姉ちゃん、また後で」

 海月はアイリスから段ボールを受け取ると、駆け足で別の方へと向かって行ってしまった。


 時計の針が十二を示す頃。

 絶えず仕事を続けていたルディアのもとに、アイリスが弁当を持ってきた。

「ほら、食っておけ。その体が人間の複製である以上、食事は必要なんだろう?」

 二人はフードを深く被ったまま、その場に腰掛ける。人の多い場で余計なことを話すのは悪手と思ったのか、アイリスは何も言わなかった。

 一時の静寂で、二人は誰に顔を見せることもなく、寒さに身を置いていた。

「マスター、食べないのですか」

 数分経ってもアイリスが弁当に手をつけてないことを心配して問うルディアだったが、彼女の視線は別のところにあった。

 先ほど会話した見知らぬピンクの皇帝隊隊員が、子供と話している様子を見ていた。距離はそこまで遠くなく、アイリスは会話の流れを聞き取れた。

「お姉ちゃん、お弁当いいの? お腹減っちゃうよ?」

「ウチはええ。腹減っとるんやろ? 遠慮せず食べや」

 海月は子供の頭をわしゃわしゃと撫でていた。屈託のない笑みには特有の輝きがあって、一切の遠慮を受け付けない強さを兼ね備えている。

 しかし、アイリスは海月の無理を見抜いていた。

 視線を一点に集中させたまま、アイリスは未開封の弁当を持って立ち上がる。

「マスター。必要以上の接触は事故に繋がりますが」

 ルディアの静止を無視して、子供と別れた海月のもとに早足で歩む。ふぅっ、と深い息をつく海月に対して、アイリスは弁当を徐に押し付けた。

 突然のことに戸惑う海月だったが、フードと背丈で先ほど会話した人物であることを察したようだった。

「なんや、さっきの。どないした、具合でも悪いん——」

「七日間」

 なお心配する海月に対して、アイリスは語勢を強めて言った。

「七日間。お前、何も食べてないだろ」

「はっ?」

 と胸を衝かれた海月は動きを止めた。同時、小さな腹がぎゅるりと音を立てる。

 海月は気まずそうに目を逸らし、弁当を受け取ることを拒否した。

「ジブンが食えや。人に上げたのにもろてちゃしゃあないわ」

「私は腹が一杯なんだ。お前が今食べようと、誰も文句は言わないと思うぞ」

 海月は驚きを顔に貼り付けて、ぎこちない動作で弁当を受け取った。

 弁当はとても冷めていたことだろう。しかし、海月にとってその食事はとても有難いものだった。蓋についた割り箸を口で割り、三度アイリスの方を見る。

「おおきに。カッコ悪いとこ見せてしもたな」

「いいんじゃないか、別に。完璧である必要なんてないだろう」

「変わり者やな、あんた」

 海月は感心したような顔で、陰ったフードの奥をじっと見つめる。

 嫌な予感。外からその様子を見ていたルディアは、急ぎ足でアイリスのもとへ駆けていく。

 ルディアがアイリスの背後に着く頃。

 ——ふわり、と。

 彼の眼前に、金色の髪の毛が晒し出された。

「……は?」

 榎本海月の手から箸が落ちる。死神の持つマリンブルーの瞳と、海月の爛々と輝く桃色の目が重なった。

 予想外だっただろう。「義」を持たない者と通達されていたのだから、まさかこんなに気遣いのできる人物だとは思いもしないはずだ。

 アイリス自身も何が起こったのか分からなかった。海月はアイリスのフードに手をかけようとしたが、実際に外されたわけではない。

「マスター、強風とは運がないですね」

「言ってる場合か……っ!」

 秒にも満たない時間で、アイリスの首元にメイスが突きつけられていた。

 榎本海月から放たれるのは、突き刺さるような視線と刺々しい殺気。

「なあ、どういうことや。その顔、見間違えるはずがあれへん。〝死神〟アイリスやろ?」

 アイリスは咄嗟にフードを被った。海月の小さな一言に反応したものは周囲に何名かいたが、一致する人物がいないとわかるや否や弁当の方に戻っていく。

「話し合いは不可能か。殺しに来るなら構わんが、ここじゃ民間に被害が出るぞ」

「はあ? 隊員殺しの隊長が何を言うとんねん」

 そこまで言って、海月は違和感を覚えた。

 第一、反アイリス派の上層部と、親アイリス派の言葉に違いがありすぎる。

 

 ——大義があるのは果たしてどちらか、事実を知ればわかるでしょう。


 海月が第二隊副隊長のラーヴァと対峙した際に受けた言葉だった。

 裏切り者の言葉を鵜呑みにするわけにもいかないが、本当に全てが嘘なのか? 上層部の言葉と、海月が自分自身で見た親アイリス派の面々の様子には違いがありすぎた。

(まだあいつは眠っとるし、ウチはこいつに恩ができてもうた。すぐに殴りかかるのもちゃうか)

 僅かな躊躇いと逡巡の後、海月は親指で真後ろを指した。復興予定地からは程遠い、今は使われていない高架下である。

「皇帝の正義の下にウチは戦っとる。裏切り者を許さへんのはそれが理由や。やけどな、上の言いなりになるほど機械的でもあらへん。

 ウチは皇帝隊第九隊副隊長、榎本海月。ジブンがほんまの悪魔かどうか、この目と腕で感じ取るわ」

 アイリスはルディアに視線を飛ばした。彼女からルディアに何度も繰り出された彼女の視線の意図は「待機」。そして、彼がその命に逆らう理由は欠片も存在しなかった。

「いいだろう。殺し合う気は毛頭ないが、手を抜くつもりも全くない」

 フードの奥に潜むガラスの死神が榎本海月を捕捉する。

「応。死神アイリス、覚悟せぇ」

 海月は不敵な笑みを浮かべてメイスを突きつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る