第31話 春へ

 燃え盛るセントラル・アーコロジーに、ビルを飲み込む溢れんばかりの機械兵たち。

 物がぱちぱちと焼ける音以外、生命の駆動はそこにない。アイリスとルディアは、しばらく黙ってその光景を眺めていた。

「情報が多すぎて数ヶ月くらい寝てやりたいところだが。まずはをどうにかしてやらんとな」

 沈黙の中、アイリスが呟いた。

 その透き通った声を認識して、ロボットたちはけたたましい警告音と共に二人に照準を合わせた。

『敵性反応を確認。排除します』

『敵性反応を確認。排除します』

『敵性反応を確認。排除します』

 音が機械へと広がって、それが無限に繰り返されていく。

 ルディアは柄の感触を確かめて言った。

「黒い卵……あれさえ破壊できれば勝機が見えます」

「わかった。雑兵は私が止めてやるから、さっさと潰せよ」

 ルディアの首が金属音を立てる。青い眼が屋上の卵を捉えると、彼の全身は激しく唸り声を上げて突っ込んでいった。

 AIの動きを確認したアイリスも、両手に糸を巻き付けて臨戦体制に入る。

「科学の力というのは素晴らしくてな。オダマキが作った点を除けばこの武器は最高だ」

 アイリスが両手を広げた途端、彼女の背中から大天使のごとく大きな翼が現れた。

 挑発的な笑みを浮かべてみると、ロボットたちはルディアを無視してアイリスの方へと直進する。

 しかしロボットは触れることさえできず、アイリスの腕を閉じる動きに合わせて木っ端微塵に刻まれた。

「空気に張り付く有刺鉄線だ」

 敵を排除する機能しか備わっていないロボットたちは、罠に嵌って次々と消滅していく。


 

 アイリスが空を見上げると、青い炎を纏った一つの流星が煌々と輝きながら目標に向かって落ちていくところだった。

 隕石と比べても遜色ない輝きは勢いを増し、屋上の悪を喰らおうと突き進んでいく。

 ルディアは上空へと飛び上がると、刀を突き出す刺突の形で降下を始めた。

 刀の切先が卵に触れると、太陽の如き光がルディアを包み込む。

 たった一撃。

 それだけで要塞が簡単に崩れ落ちた。



「……へぇ、やるじゃないか」

 戻ってきたルディアに対し、アイリスは明後日の方向に目をやって言った。

 その一言に満足したようで、肝心のAIが見返りやそれ以上の言葉を求めることはなかった。




 そのまま他の地点もいくつか制圧を終えた頃。

 最低限の通信網がようやく回復したようで、ルディアの腕に巻き付けられたバンドが着信音を上げた。

「もしもし、こちらルディア。了解、直ぐに向かいます」

 淡白な電話応答を終えたところで、ルディアはアイリスの方を向いて言った。

「アイリスさん、敵の親玉と思わしき人物の反応が検知されたそうです。桑水流隊長と辻風隊長にしか連絡が取れておらず、二人も戦闘中につき向かうまで少しかかるとのこと」

「あぁ、さっさと行くぞ!」

 ルディアの報告を受けて汗が伝う感覚を覚えたアイリスは、全速力で中心部へ向かい出した。


 ここに来るまで走ること十数分、それを経ての全力疾走だとしてもアイリスの肉体が悲鳴をあげることはない。

 後ろから黙ってついてくるルディアに反して、アイリスの全身を纏う悪寒は未だ離れていなかった。首都がただ襲撃されるだけでは終わらない。それだけでなく、本当の最悪が降りかかるのではないか……?

 自分が全力で行けば、嫌な予感の正体となる出来事を防げるかもしれない。守れなかったかつての記憶を払拭して、何かを救う、誰かの英雄になれるかもしれない。

 心のどこかに悪夢と僅かな希望を抱きながら、アイリスは中心部へと飛び込んだ。

 ——そしてすぐ、目の前の光景に絶句することとなる。

「……な、に」

 後を追って現れたルディアも、目の前にある光景を見て言葉を失わざるをえなかった。



 

 敵の親玉と思わしき人物は、一人の人間の首を強く掴んでいた。

 激しく痛ぶられ、表情が解らないほど血まみれになったその人物。つけるずり落ちた眼鏡は粉々になっていた。

 ひゅー、ひゅー、と微かな呼気が漏れる音が聞こえる。強化細胞による生命力の上昇を以ってしても留めきれぬほどのダメージが体を襲っていることは明らかだった。

 しかし、アイリスとルディアが絶句したのは、その惨たらしさ故ではない。

 あれだけ強い彼女がなぜ——?

 二人の疑問は、彼女を苦しめた当人が言葉で示した。

 

「俺は復讐者であり真の王。人類を遥かに超越した俺の前に、いかなる攻撃を加えようとも意味はない」

 人物の首を締め上げる者は男に見えた。片方が欠けた角に二メートルはあろうかという身長、生命とは思えない程に真っ白く染まった肌で、アイリスもルディアも知る人物を徹底的にいたぶり、意識のない肉体を締め上げていた。

 首が千切れんばかりに強く締められ、全身は死を目前にして深く痙攣を示している。

「……迅雷」

 また間に合わなかった。

 絶望と怒りを同時に抱くアイリスは、何も言わずに髪飾りを解くのだった。




 激しい感情の揺らぎによって発言したアメジストの髪。血走った目で敵を睨むアイリスの瞳から、巨大な死神が飛び出した。

「その手を退けろ!」

 アイリスが右手を勢いよく振ると、髑髏面の死神は男らしきそれに向かって鎌を振り薙いだ。

 定国の一刀とまともに渡り合うだけの強い力は、最大限に達した怒りのボルテージが相乗し最高クラスの火力を見せた。

「断ル」

 しかし、男らしきそれには傷一つとして与えられなかった。アイリスの攻撃は最初から存在しなかったかのようだった。

 男らしきそれは、憎悪に溢れた眼でただ二人を見つめていた。

 間髪を容れずルディアが殴りかかる。それが避けるよりも速くルディアは拳を叩き込み、肉を消し飛ばした感覚を得た。

 それでもなお、それに傷はついていない。

「返してやル」

「させるか」

 動揺するルディアを襲った男らしき其奴の攻撃をアイリスが入れ替わって受ける。完全防御を確認したアイリスは後退し、お互いに攻撃の届かない距離を保つことに成功した。

 男らしきそれが二人の動きから目を逸らすことは一度たりともなかった。強化細胞を搭載する人間すら遥かに凌駕する動体視力を有していることは明らかだった。

「お前、何者だ」

 アイリスは語気を強めて問うた。

 しかし、男らしきそれが言葉を返す前、目にも止まらぬ速さで二人の猛者がやってきた。

 遠目から見るだけで震え上がるほどに練り上げられた闘気と、ここに来るために全力を尽くしてきたとわかる必死な表情。

 桑水流と辻風は呼吸を乱すほどの全速力で二人の元へと向かってきた。

「まだ戦闘前みたいね、間に合っ——」

 顔を上げた桑水流は、男の近くに横たわる人影を見て同様に絶句した。

 また、もう片方の彼女は桑水流よりも遠くまで制圧に向かっていた。そのため、桑水流よりも一秒ほど顔を上げるまでにかかった時間が長かったのだが、その微差の間に雰囲気を察知し、顔を上げてしまってすぐ最悪を目の当たりにすることとなった。

「——そうですか。迅雷」

 しかし、戦い慣れした彼女が動揺を見せたのはその一瞬だけであった。

 鬼さえ怯む強い表情かおをした辻風は男らしき者の前まで、顔を上げたときよりも素早い時間で接近した。その場にいる全員が刀をいつ抜いたのか見切ることができなかったのは、男らしきそれの腕が切り落とされたその瞬間の表情からして明白であった。

 アイリスやルディアが力を使っても一切の傷をつけられなかった強靭な表皮を、辻風の剣は瞬きの間に切り裂いていた。剣術における居合だが、人智を超越した速度であるのは言うまでもない。

「その痛み、今すぐ取り払って差し上げますからね」

 二撃、もう片方の腕が飛んだ。

 三、四は数える間もない速度であった。獣の胴を二度、辻風の真っ直ぐな刃が切り裂いていた。

 アイリスやルディアは当然のこと、桑水流でさえ辻風がここまで激昂する姿を見たことはなかった。誰をも凌駕する技術を以ってして、妹を凄惨な目に遭わせた獣を排斥しようと動いている。それでいて、感情には欠片も左右されていなかった。


 

 五度めの剣で獣の両足を切り裂いた辻風は、男らしきそれが倒れる様子を瞬きひとつせずに眺めていた。

 ——獣がそれで死してはいないことを、斬りながら理解したためである。

 瞬間、刀と同じくらいの速度で背後から獣の拳が飛んでくる。

 辻風はすんでのところで拳を受け止め、腕を斬り落とした。

 

「絶大なまでに硬い肉は断ち切っても秒速で再生する。迅雷がいくら電圧をかけようとも、どれだけ素早く肉を断ち切れたとしてもかなわない……納得がいきました」

 男らしきそれは口元に悍ましい笑みを浮かべると、ぐちゃぐちゃになった肉片をかき集めて元の形に戻った。

 黒と白が入り混じった長い髪に、再形成しても治らない片方だけが欠けた角。白目は黒く黒目は紫紺、それでいて人間らしい装束に身を包んでいた。今度の口元は黒い布で覆われていて表情が読めない。

、今の一瞬でよく理解した。そして、何者かと問うたな」

 の声はどこまでも整っており、言葉の節々に不気味な感覚があった。

 獣は続ける。

「俺はお前たちである。そして、お前たちを殺すために現れた。

 ……この冬が明け、更に一年後の春。春和景明の日、お前たち皇帝隊を破ってこの国の全人類に報復する」

 獣は辻風と桑水流を強い視線で睨みつけた。

 まともに会話ができそうもない辻風の代わりに、桑水流が問う。

「全くもって意味がわからないんだけど。教えてくれるって感じじゃないよね」

 獣は一息ついた後、口元を覆う布をわざわざ外して言った。

「使われなくなった街を見てみるといい、さすれば意味もわかろうよ。

 それと、返しておこう」

 奇妙な体の一体何処にしまっておいたのか、獣は徐に皇帝隊のローブを放り投げた。大地に汚れ炎で焼けてボロボロになったそれは迅雷の物であった。

 辻風の体を纏う殺気がついに限界を超えた。文字通り、大気が震えていた。

 獣はどこまでも人類を嘲笑うように、全員から半歩引き下がって最後の言葉を告げる。

よ。一年間かけて全てを立て直せ。

 積み上げた全てを壊すことに、我の復讐の真意は成る」

 それだけ言って、獣は大気に溶けるようにして姿を消した。

——寸前。

「逃すものですか」

 大気に消える獣の体を、銀色の刃が貫いた。

 誰一人として止めることができず、誰よりも早く、辻風は獣と刀を触れさせた。

 一歩踏み出した桑水流は、喉の奥から声を振り絞って言う。

「ダメだ戻れ!」

「いいえ。ごめんなさい、麗奈。この者の首を刈り取って、必ずや戻りましょう」

 

 言葉がフェードアウトして、辻風と獣は消え去った。

 しばらく残った重圧の中、迅雷を救護部隊に届けようと動くことができたのはルディアが最初であった。



 

 首都襲撃による破壊被害と人々の死。

 そして、皇帝隊第八隊隊長、迅雷の昏睡。

 あまりに大きすぎる犠牲を払って、この世界は春を迎える。

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