第27話 惑乱
時間は少し前に遡る。
割り当てられた迅雷の部屋には、ラーヴァが呼び出されていた。
「座って。悪いね、いきなり呼び出して」
器具が乱雑に配置された部屋の中心には電子モニターがある。そこには明滅と高速移動を繰り返す一つの座標が浮かんでいた。守時が部下に後を追わせ、和倉五鈴を追うように設置した居場所探知機だった。
「いーえ、お気になさらず。ご用件というのは?」
一人用のソファに腰掛けたラーヴァは目的を問うた。
「知っての通り和倉五鈴の動向はここで監視中だ。けれど、不規則すぎて動向が追えない——流石に元殺人鬼の人格を所持しているだけある」
「実質的に捕まえるのは不可能ということですね」
回転式の椅子がキィ、と悲鳴を上げて動く。くまの濃い目にかかった大きめの眼鏡を上げ直すと、迅雷は頷いた。
アイリス一行の課題として、内部戦争の真実を導くため、王や周辺人物につながる情報をもつ人間を捕まえることがあった。顕著に動いていた和倉五鈴を捕まえるのが最善の手段と思われていたが、現在その道は断たれた状態だった。
「ただでさえYの襲撃が活発化している現在、内部抗争に使える時間はない。別の手段を取る方が楽だと思っているよ」
「えぇ、確かに。裏切り者の炙り出しとかですかねぇ」
ロボットが運んできたコーラのペットボトルを受け取って、ラーヴァは言葉を返す。
同様に受け取ったサイダーを迅雷は口にし、モニターに表示される情報をある地点の地図へと変更した。そこには基本的な地理情報に加え、他国や貿易船の出港状況が記されていた。
「そう、私もそのつもりで調査を進めた。他の沿岸部から出る船は漁船くらいだし、皇帝隊の目もそれなりにあるから別の場所からはかえって目立つ。裏切り者が敵国と繋がるなら、わざと公式の場——サウスエンドを利用すると思う」
ラーヴァは納得の意を示した。
Xの領土はそれなりに広いが、その多くが化け物の生息地となっており敵国との繋がりを作るのには向いていない。その上に迅雷が述べた状況が加われば、裏切り者の活動域は極端に狭くなる。よって、やるべきことは既に絞られていた。
「桑水流麗奈も
「えぇ、問題なく。となれば隠しカメラで?」
コーラを一気に飲みながら、自若とした顔でラーヴァは迅雷の反応を待つ。
迅雷はガラス製のケースから一つの木箱を取り出すと、ロボットに乗せてラーヴァへと渡した。
「そこに探知耐性の高いカメラが入ってる。設置は今日中に任せたよ」
「了解。すぐに向かいます」
佩刀する十束の剣の感触を確かめて、そのままラーヴァは表へと飛び出した。
そして時は現在。
監視カメラの設置を受けたラーヴァは、サウスエンドで暴れる和倉五鈴の姿を発見した。
二人は数メートルの距離をとって対峙していた。隠しカメラを設置することを最優先すれば、なんの心配もなく目的を達成できる。しかし任務の範囲外であるにもかかわらず、彼女は五鈴の前へと飛び出した。
(アイリスさんに救われたこの命、使うなら彼女の正義のため。目的がどうとか関係ありませんよねぇ)
ラーヴァは襲われていた子を逃すことに成功した。後ろ目で駆けていく子を確認した後、ラーヴァは十束の剣を収めたまま五鈴へと向き直る。
「これまで全く動かなかったのに、いきなり暴れ回るなんてらしくない。何か目的が?」
ラーヴァの問いに、五鈴は静かな笑みを纏って言葉を返す。
「生憎、私は話が通じないただの五鈴ですから。話を聞きたくば、和倉の方を叩き出してくださいな」
話をする気は毛頭ないといった様子で、五鈴は狂ったように口角を吊り上げる。
瞬間、凄まじい袈裟斬りがラーヴァの眼前を掠めた。隙をついて蹴りを叩き込むも、吹き飛んですぐに跳ね返った五鈴から刺突が放たれる。
一呼吸で二撃、ラーヴァを剣撃が襲った。
それらを軽くいなして反撃を穿つラーヴァだったが、五鈴も簡単にはやられない。
先に攻撃を通したのは五鈴だった。剣を躱すと同時懐に潜り込み、流れるように一太刀を浴びせる。ラーヴァの方も咄嗟に後退、懐から拳銃を抜き撃ち抜いた。
銃撃を撃つと同時、ラーヴァは港のコンテナへと滑り込む。
「二人分の努力を持つあなたに剣技で勝てるなど、最初から思ってはいません。ですから、少し本気を出しましょう」
どくどくと血が流れる己の体を見て、右手に握った十束の剣をゆっくりと下ろす。赤いジャケットのボタンを外し、ラーヴァは服を脱ぎ始めた。
内ポケットに潜むのは黒い箱。蓋には達筆な字で「
ガラス玉を扱うように機械を取り出すと、剣の刃にそれを添える。瞬間機械は動き出し、甲高い音を上げた。
「十束の剣——三、童子切」
そう宣言したと同時。
ラーヴァは右腕に剣を突き出した。溢れ出す血は刃にべったりと張り付き、銀色を赤に染めていた。
刀を振り上げる。流れてくる独特の怖気に、彼女は口角を吊り上げた。
「鬼ごっこはもう終わり?」
「えぇ。代わりに鬼斬りを嗜もうと思いまして」
コンテナから飛び出してすぐのところに五鈴はいた。
「かかってきなさい。捕まえたと思ったら斬れてるなんて、よくあることですものね?」
「どこの地域の鬼ごっこですか、それ」
ラーヴァの攻撃を躱した五鈴は流れるように背後を取って切りつけた。
深々と切り裂かれた背中を前にしてもラーヴァは眉一つ動かさない。両脚を捻って飛び上がり、意識外からの攻撃で五鈴を切りつけた。
金属音の代わりに、肉が切れる音が微かに響く。
体勢を崩した五鈴の隙をついてラーヴァは刺突を放つ。
「……ここ!」
しかし、刺突が体を突くことはない。
五鈴は間に刀を挟むことで軌道を逸らしていた——タイミングが僅かでも遅れていれば意味を成さない。
間違いなく達人の域だった。
剣を振れぬ距離で二人は接近・停止する。至近距離の中、聞こえることを憚るようにラーヴァは言葉を発する。
「貴方について、過去の情報を調べさせてもらいました」
五鈴の眉が動いた。
「何が言いたいのです。何も成し遂げられずに狂った私を笑うのなら、お好きになさい」
「貴方のどこに笑うところが?」
ラーヴァの声は落ち着いており、その口角はいつも通り少しだけ上がっている。しかし、彼女が発する言葉にも視線にも、軽蔑や嘲笑の意は一切含まれていなかった。五鈴はどこか複雑そうな表情をしながら歯を力強く食いしばった。己の内を絶対に出さないと言わんばかり、その頬を一筋の汗が伝う。
ラーヴァは続けた。
「師匠を奪われた苦しみから暴走して生まれた二面。人を殺さなければ自分が死んでしまうほどに強い殺人衝動。
……私には貴方の痛みも苦しみも分かりません。けれど放って置けないんですよ」
五鈴の手が震えた。白い肌を伝って冷たい汗が顎へと落ちていく。静寂の中にハイテンポな鼓動が響いていた。
「なぜ……っ、私と貴方は初対面でしょう。侮蔑の念がなくとも、同情は不要です。私には力がないけれど、それでも師匠から受け継いだこの誇りを捨てるつもりはない。憐れみは非礼と知りなさい!」
五鈴は声を張り上げて糾弾する。しかし、二人のどちらともその場を離れようとしなかった。離れられなかった。
そのまま暴れ出しそうな彼女を嗜めるように、ラーヴァはゆっくりと口にする。
「苦しみ、生きる意味を見失う人がいるのなら救う。私を助けてくれた人が掲げる、そんな正義が故です」
五鈴は目を見開いたまま停止した。しかし刃を抑えることはなく、怒りを抱いたような視線をラーヴァに向け言葉を続ける。
「巫山戯るのもいい加減になさい! 私の矜持は刀を振るうこと。他人に唆されて止まるなどあり得ません!」
ラーヴァが攻撃しないことを悟ったのか、五鈴は隙をついて後退する。そこで攻撃しなかったのは、彼女の中にある剣士として、或いは僅かな淑女としての矜持故か——ラーヴァの言葉によるものかは本人にさえもわからない。
ゆっくりと刀が降ろされる。
五鈴の体から熱が逃げていく。冷めていく。冷かかな視線と共に、五鈴は三度刀を構えた。
「貴方を斬って私は進む。これ以上、話し合う必要はない」
彼女の言葉がラーヴァに届いたようには見えない。だが、それはさほど重要なことではないと示すように、当人は五鈴に目をやったまま口角を下げ、応えるように十束の剣を構えた。
「えぇ、和倉五鈴。全身全霊を以って、貴方の剣を受け止めましょう」
二人の呼吸音だけが辺りに響いていた。
異様なほどの静寂と激しい殺気が周囲に満ち溢れている。
「ラーヴァ。惜しみない全ての力を出して、貴方の盾を切り裂きましょう」
決着はとても静かだった。
目に止まることを許さない二本の閃光は、それぞれの色を宿して激しく交差した。
スピードでは緑の光に分があったように見えた。しかし、全てを決めるのは衝突したその瞬間。禍々しい赤を纏う人造の光が緑を丸々切り裂き、己にそれを食い込ませながらも衝突を制した。
コンテナ街は真っ二つになったどこまで進んでも静かな金属の往来に、血を流して静止する二人の姿があった。
「……お見事」
途端に力を伸ばしたラーヴァが制した。
十束の剣三番目、童子切——異称を血吸切。
それは名を騙り変えることで持ち主に変化をもたらす。作り手が見た別世界の歴史になぞって打たれたその一振りは、剣技では遥かな格上である和倉五鈴さえも打ち破ってみせるほどの強化を時に与えた。
静寂の中。ふらり、と音を立てて和倉五鈴は倒れ込む。
腹に大きな傷を作って、ラーヴァは口角を吊り上げた。
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