第25話 戦闘続行

 解けた髪飾りの先から現れたのは、アメジストの輝きを誇る紫色——ではなく、枯れた茶の色だった。

枯化こかねぇ。舐めてんの?」

 アイリスの頬を嫌な汗が伝う。言葉の節々に籠ったプレッシャーは、彼女のトラウマを甦らせようとしていた。

 対する桑水流の表情はいつも通り。体を纏う空気さえまともなら、ただの陽気な先輩だろうに——。

「ま、殴れば嫌でも出てくるか」

「くっ」

 巧く動かない体を奮起させ、アイリスは閃光のような速度で突進した。コンクリートに囲われた景色が目にも止まらぬ速さで流れ、アイリスは制空圏へと突入した。そのまま右の手を握り締め拳を放った。

「おそい。何を学んだんだキミは」

 しかし拳は絡め取られ、気がつくより先に体は宙を待っていた。

 後方に一回転して受け身を取ると、アイリスは懐からナイフを投げる。桑水流はほぼノールックで投げナイフを躱し、懐を取ると同時に拳を叩き込んだ。

(そうだ、体が思い出してきた……っ。この人が足をつくところを見たことなど、一度でもあったか?)

 苦い顔でアイリスは地面と衝突する。

 休む間も無く、桑水流の両手から激しい水圧で水の槍が飛ばされてきた。アイリスは両方を軽く躱すが、次々に同じクオリティで追撃がやってくる。抵抗できずに動きを制限され、瞬く間に追い込まれていった。

「うっ!」

「足がガラ空き、次は腹」

 気がついた時にはすぐ、アイリスの目の前に桑水流がいる。

 彼女の戦い方はワンパターンだが、それに対処させない身体能力があった。戦闘能力が上昇している枯化状態にもかかわらず、アイリスは手も足も出ず追い込まれていく。

 何とか繰り出した糸での回避も、逃げた先に水槍が飛んできて防がれてしまう。

 衝撃にアイリスの動きが固定されたと同時、凄まじい速度で桑水流は距離を詰めてきた。

「〝蛇紋岩流〟——琉金焦土」

「がっ……あ!」

 アイリスよりも大きな威力で技が放たれる。桑水流の攻撃に悶絶すると同時、勢いよく場を転がっていく。

 冷たい金属に叩きつけられ、アイリスは力なく項垂れた。

 対する桑水流は異常なほどに冷徹。落ち着いた足取りで彼女のもとまで歩むと、更に冷たい言葉を投げかけた。

「生きる意味を探すんでしょう? だったら、たかが一つのことに悩んでいる暇がどこにある?

 死神アイリス、立ち上がれ。死神の名を、自己矛盾の業を背負う君が、今更そんなことで悩むんじゃない」

 降りかかるそれに容赦はない。己に立ち向かうことだけを強要して、諦めることを許さない厳しさが滲み出ていた。

 しかし、アイリスにはそれで十分だった。

 記憶の多くが失われている中、桑水流に鍛えられた幼少期がアイリスを再び呼び覚ました。

「そう、ですね。自己矛盾でも何でも受け入れます。生きる意味が、その先にあると言うのなら」

 枯れた髪が正気を取り戻す。体を縛る自己矛盾を切り裂いて、徐々に力が湧き上がってくる。

 ふらふらと立ち上がったアイリスは、真正面の桑水流と目を合わせた。

「業から目を背けても仕方がないのならば、まだ戦ってみせましょう」

 アイリスの髪は紫に染まっていた。

 あの時よりも、力強い意志を纏って。



 

 一方、辻風とルディアの戦闘は未だ休むことなく続いていた。

 いくつもの森を駆け抜け、時には川に沈み、命からがらの戦闘続行。

(あの追尾力のせいで撒くことすら難しい。正面から打ち合ってどうにかなる確率はゼロに等しいが、同等にそれ以外の手段もない)

 高所から飛び降り姿を隠す。草に身を沈める中、それが一時的な回避でしかないと悟った。辻風はルディアの目に入るところを、平然とした様子で歩いていたのだ。

「隠れてばかりいるのでしたら、仕方ありませんねぇ。出てこないのが悪いんですよ?」

 言葉と同時、辻風は殺気を全開にして構えた。

 ルディアを脅すための虚偽ブラフだと分かっていても、喉元に刃を突きつけられているような錯覚が襲う。

「〝 〟流——大嵐」

 言葉を聞くと同時、ルディアは勢いよく宙を舞った。木々や草花、地面までも、ありとあらゆる全てが竜巻に乗って空を飛んでいた。焦る暇もなく辻風が距離を詰めてくる。

 ルディアの視界を銀閃が突き抜けた。

「速いっ⁉︎」

「相手が強化細胞持ち、ひいては皇帝隊隊長格であればこの程度どうと言うことはない。日常会話を覚えるくらいの、そんなノリで習得してくださいね」

 空中では身動きを取ることもかなわず、かつて対峙した和倉のように入り込める隙も見つからない。落ちるまでの数秒間、ルディアは何度も何度も斬られてしまった。

「クソ、こうなったら」

「相手に読める手を構築してはなりません」

 地面への衝突と同時、後方に飛び退いて攻撃を逃れようとする。しかし、ルディアの読みすら肉体で凌駕し、辻風はルディアの右足を強く踏みつけていた。メイドブーツに戦闘用シューズが押し潰され、逃げ場を失ったところで強烈な袈裟斬りが命中する。

「おや、その判断は悪くありませんね」

 辻風が足を離さぬことを読み、ルディアは左足を振り上げる。横から回し蹴りを放とうとしたところで、辻風はルディアから離れてしまった。

「……何故そこまでお強いのですか?」

「あぁ、そうですねぇ。ある人——私の師匠、或いは父に認められるため、誰よりも熱心に剣技を磨き続けたからでしょう。私が幼い頃に父は亡くなってしまったのですが」

 辻風は鈍い光を宿した瞳でルディアを一瞥する。途端に凄まじい殺気が充満し、爆発する——そう思った矢先、辻風は落ち着いた笑みを浮かべた。

「詳しい話を聞きたくば、私の弟子に相応しい力を身につけなさい。ここまで学んだ数時間のことを活かして、私の防御を弾いてみせなさい。よろしいですか?」

 虎のように鋭く、鷹の如き奥深さを秘めた眼光。

 一瞬の落ち着きすらどこかへ霧散し、そこにいるのは獲物の襲来を待つ肉食獣だった。

「わかりました。でも俺はAIだ——成長速度は伊達じゃない」

 重圧に充てられ、これまでにない力強さを顔に宿したルディアが言う。

 仏頂面のAIと、不敵な笑みを浮かべる鎌鼬。

「さぁ、かかってきなさい」



 

 同日同時刻。

 どこかの方言を話す人斬りの和倉。その内側から現れた第二人格——ここでは、前述の方と区別するため五鈴と表記する——は、上からの命を意に介さず、首都セントラル・アーコロジーを離れ、少し前にアイリスと戦が戦闘を繰り広げた港がある町、サウスエンドにいた。

 辺りはまだ明るく、化け物や他国の襲来を気に留めない物好きが大通りを往来している。

 それ故に、着物姿で佩刀した女性がいたとしても、誰も気に留める者はいなかった。

「私はコウコツよりも狂気。昔はまともだったのでしょうけど、彼女が演じるだけでは放出できない悪意や激情が貯蓄されてしまった。

 私と彼女は表裏一体の協力関係。それでありながら、私と彼女は敵同士。故に、彼女が望まぬことに臨むのが私という存在」

 ぶつぶつと呟きながら、五鈴は腰に携えた刀をすっと引き抜く。ゆっくりと、しかし確かな足取りで、潜む路地裏から人の行き交う通りへと飛び出した。


 そして、深呼吸をするように人を斬った。

 途端に悲鳴が駆け抜ける。大衆は五秒足らずで起こったことを理解した。

「うあっ……殺人だ、逃げろ!」

 目的を持って歩く皆々の様子はどこへやら、その多くが訳もわからないまま逃げていく。

「逃しませんわ」

 しかし、強化細胞の一つも持たない一般人が逃げられるはずもはい。

 五鈴が刀を振り下ろすたび、男も女も関係なく命が奪われていく。数秒前まで平穏に包まれていた町は、悲鳴に包まれ恐ろしさを増していく。

「うふふっ、精々抗ってくださいな」

「誰か第六隊に通報しっあぁ」

 五鈴は立った一人で何人もの命を切り裂いた。

 今の彼女にいくら問うても理由が出てくることはなく、単純な解欲衝動の一環に過ぎない。よって誰も止められない。

「駄目だ、どの隊からも遠すぎる!」

「その通り。残念でしたね」

 三日月のようにくねった斬撃が市民の命をゼロにする。返り血を浴びてどんどん赤くなる身体を見て、五鈴は嬉々としてほくそ笑む。

「目に映る人は誰も逃しませんわ。あぁ、何故でしょうね——これでも抑えようとしたのですけれど」

 まるで紙でも切るように、五鈴は作業感覚で人を斬っていた。

 狂気の人斬りが、真っ青な空の下でわらう。

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