第24話 追うAIと惑うI

 傾斜を利用して降ってくる辻風に対し、ルディアは紫吹で受け止めようとした。

 ——しかし。

(退かなくば斬られる!)

 まるで人間のよう、言葉が降ってきた。

 咄嗟に飛び退いたルディアの肩を刀が掠め、鮮血が舞う。

「待井蒼介、黒金定国、和倉五鈴にこの私。

 剣豪と相対するのはもう四人目ですか。なら、これくらい出来て当然ですね」

 傾斜はルディアの想定よりも急で、奥へ奥へと凄まじい速度で吸い込まれていく。

 後方が見えない状態で辻風の斬撃をいなすのは絶対に不可能——瞬時に計算・判断したルディアは、刀を突き出して受けた。

 甲高い金属音と共に二つの刃が唸る。

「えぇ、AIの判断力は素晴らしい。ですが、このまま押し切れるとお思いで?」

「うっ⁉︎」

 途端に辻風は恐ろしいまでの筋力を見せ、ルディアの防御を一気に破壊した。落下と変わりない勢いで、その視界を緑が次から次へと流れていく。

 空間把握が困難な複雑な山々はAIの思考を鈍らせ、斬撃への対処を困難にさせる。

(落下の衝撃をいなす間に、きっと彼女は刃を振り下ろしてくる。そうなれば一髪で終わりだ——考えろ!)

 苦虫を噛んだような顔でルディアは思考する。

 結論に至るとほぼ同時、辻風は更なる追撃を繰り出してきた。

「空を舞う鳥さえ、我が刀の前には首を垂れる。お一つプレゼントを差し上げましょう——飛翔閃」

「電光雷轟!」

 二つの声が重なると、森の中を眩い光と暴風が駆け抜けた。斬撃が空中で交わる姿はまさに異様の体現、隠れていた鳥や小動物は次々に逃げ出していく。

「ふむ、あの時よりは扱えるようですね」

「見せていただいたばかりですから……ふっ!」

 先に地面へ到達したルディアは、技の勢いを利用して平面を一気に後退する。それを追ってやってくる辻風に対して、縦に大ぶりな一刀を振り下ろした。

「動きに無駄が多い。剣技は風の如く流暢に」

 敢えて攻撃を受け止めると、辻風はすぐにルディアの背後を取った。

 認識よりも先、凶刃は風を纏って暴れ出す。

「〝 〟流——春二番」

 至近距離で使われた技は避けきれない。

 しかし、背中を確実に捉えたはずのそれはシャツが滲む程度の軽傷で終わった。辻風が手を抜いたと悟るのには時間がかからず、遥かに格下として扱われていることに悔しさを覚え始めていた。

「戦いづらいでしょう? こんな不安定な場で戦うことなどないと、そう思っているかもしれません」

 微風のように脱力する時もあれば、台風のように鋭い時もある。読めないタイミングで切り替わるその動きは、間違いなくルディアを翻弄していた。

「ですが戦場は違う。Y国やマジリティ、X辺境での防衛戦など、状況は様々ですがこの程度よく起こりうる事態」

「しまった⁉︎」

 講義の如く喋り出す辻風に、ルディアは防御の粗さからどんどん崩されていく。経験の差は歴然だったが、戦いは何事もなく進んでいる。辻風はここでも手を抜いた。

「相手は運良く外してくれません。そもそも一対一、小規模の白兵戦であることなど稀です。一人に気を取られ、背後から絞め殺された部下や同期は数知れず、先輩でさえ」

 辻風にとってルディアは取るに足りぬ相手。いつでも殺せるのだと——そこにある力の差をわざと示していた。

 時に、辻風の亡くなった先輩。軍事組織皇帝隊の隊長を務める彼女の先達ということは、AI戦争中に亡くなった者のこと。つまり、AI戦争以前はもっと戦える人間が多かったことがわかる。その中に男性がいたとすれば、軍事組織でありながら女性の隊長率が高いことにも納得がいく。

 戦いの最中でありながら、ルディアは脳容量の僅かをそちらの思考へと移してしまった。AIにとっては、人間が晩御飯を考えるのと同じくらいの思考容量。だが相手が悪かった。

「ダメですよ、せっかく人よりたくさん使える頭があるのに」

 まるで一瞬、ルディアは辻風に懐を取られた。全容量を防御にシフト、刀を受け方向に持ち替えて対処する。

 何とか受けきった——そんな慢心が脳裏を過ると同時、その体は軽々と宙を舞っていた。

「よくできました。しかしハズレ」

 ルディアの腹を強烈な蹴りが襲ったのだ。

 体に汚泥を塗りつけて大地を飛んでいくが、すぐに受身をとって体制を立て直す。

 顔を上げてすぐ、辻風の皮ブーツがルディアを蹴り飛ばした。

「山を削る力も持たぬうちに、別の思考を始めるとは何事ですか? 本気で殺さないとわからないみたいですね」

 辻風の殺気がより強くなる。ルディアの頬を冷たい汗が流れた。

「——すみません。気を入れ直します」

 深呼吸の後、ルディアは力強く叫ぶ。

 遥か遠くのIに追いつくため、AIは刀を振り始めた。




 黒い車体を飛ばして、アイリスと迅雷は拠点へと続く道を辿っていた。

 冷たい景色が流れていく。窓は濡れて曇り、その奥側を白い礫が落ちてきた。

「今年は冬が長いね」

「もう慣れた。寒い方が紅茶は美味い」

「ふーん。上から降ってくる真っ白にも、紅茶をかけて温めてあげたら?」

 途端に意味のわからない言い回しをする迅雷だったが、僅かな言葉だけでアイリスは何が起こったのか察したようだった。気の抜けた声で答える迅雷とは打って変わって、青ざめた顔でハンドルを切る。

 間髪容れず、アスファルトを貫通して男が現れた。

「よぉ死神。殺しに来たぜ」

「……亀卦川きけがわのやつ、よりによって今か」

 長身白髪、その右手にはハルバード。氷点下のコンクリートを打ち砕いて現れた亀卦川は車の進行方向を確実に遮っている。

 気乗りしない顔で車のドアを開けようとしたアイリスだったが、それを呼び止める声が一つ。

「待ちなって、調子悪い時に倒せる相手じゃないでしょ、アレ。今日は変わってあげる」

 アイリスが何か言うよりも先、迅雷は車の助手席から飛び出した。

 亀卦川は迅雷を見てため息をつく。

「おいおい、戦の幹部がなんでこんなとこにいるんだぁ? いや、解散したのかあれ。どっちにしても力不足じゃねーの」

「こいつを見ても同じことが言える?」

 数刻前にジャンキーへ見せたように、迅雷は皇帝隊のジャケットを靡かせる。

 亀卦川は途端に不敵な笑みを浮かべた。

「なんだぁお前、皇帝隊隊長だったのか。ってまぁ知ってたけどよう」

「アンタやばそうだね。常人より遥かに人を殺してる」

「お、わかるの? ……じゃあ今日はお前でもいーや、仲良くヤろうぜ」

 常軌を逸した会話が繰り広げられる。

 亀卦川はハルバードを振り上げた。それと同時、迅雷はアイリスへアイコンタクトを行った。

 ——先帰ってな。

「あぁ、言われなくても」

 厄介事を任せたまま、アイリスは車を急発進させた。




 流れるように車を滑り込ませ、拠点の駐車場へ到着する。

 黙りこくったままドアを開けすぐに閉め、充てられた自室にてロングコートをハンガーにかける。

 用意された椅子を引いて腰掛け、机に身を預けた。

「……こんなもの」

 生に傾斜する。言われなくてもやっているつもりだが、イレギュラーな相手を受けてアイリスの心には霧が立ち込めた。

 どう足掻いても生きられないなど、恐ろしく酷い現実だとまでも思った。いかに今が苦しかろうとも、心に欲があれば立ち上がれる可能性がある。しかし、先刻アイリスが対峙した相手は、どう足掻いても訪れる絶望を黙って待っているだけ。とても考えられない人生であった。

 割り切れない自分に苛まれていた。

「私は何も守れない。だがそれ以前に、自分の拠り所さえ見えておらず、それにも気づけないとは」

 悩む姿はただの少女。

 強化細胞を搭載したその日その瞬間から、肉体の成長はほぼゼロに等しい速度で進むようになる。自分の記憶は酷く曖昧で、刃を上手く振るえすらしない。

 自己矛盾どころの話ではなかった。考えれば考えるほど、悍ましく醜い恐怖がアイリスを支配する——。

 その苦労などいざ知らず、アイリスの部屋を蹴破る者がいた。



「くわずる、先輩」

 ドアの向こうから気配を察していたのか、言葉を受けた桑水流は冷たい仏頂面だった。

 桑水流麗奈は何も言わない。

 アイリスを椅子から引き摺り下ろし、軽々と持ち上げた。

「先輩、何をっ」

 疑問に対する答えもなく連れていかれる。

 長く冷たい銀色の廊下を、甲高い靴の音だけが響いていた。



 そして。

 地下に着いたところで、桑水流はアイリスを軽く投げた。

「先輩」

 桑水流はアイリスに紺色のジャケットを押し付けた。

「遠い他人の生に震えようと、明日もお腹は空いて眠くなる。いずれ君には最後の瞬間が訪れるだろう。それまでを誰がどう生きるのも勝手。だがもし自分の生き方に疑問を持ったのなら、その何一つも他人のせいにしてはいけない。

 ——リフレッシュしよう。頭の重さ、私が取り払ってやる」

 恐ろしいほどに冷たい水撃がアイリスを襲う。咄嗟に反応し飛び退いた彼女を見て、桑水流は真剣な顔つきになった。

 桑水流の視線は敵を見る時と同様の本気を秘めていた。体の節々から内在する闘気が漏れ出しているとアイリスは悟った。

「どっかで彼も頑張っているんだ。雇い主の君がそんな顔しちゃ、せっかくの強さが台無しだよ」

 ガラスの瞳に映る桑水流の姿は美しく、それでいてどこか哀愁を秘めていた。

 何を言うでもなく、アイリスは髪飾りを解いて答えるのだった。

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