第23話 オーバードーズ——紫紺化
ビルを喰らい尽くしたエネルギーは、行き場を失って暴れ出す。
「割り切ればいい。ヒューマノイドAだって元々人間で、それこそ彼らにも未来はあった。同じ話なんだよ——命は一つしかない。救えるのは一つだけだ」
迅雷は目の前の現実を直視していた。
暫しの沈黙を吹っ切って、アイリスは手を大きく横に振る。
「言われてすぐ割り切れるほど、人間は完璧にできていない。だが私は死神だ。彼奴から奪い取ったこの名のため、時にはどこまでも残酷になってみせよう。
……そう決めた」
目を瞑り、深く息を吸い込む。肺を満たす酸素は全身に行き渡り、奥底に眠る者のドアを叩いた。
「一つの命で救える命がひとつしかないなら、私は何度でも蘇ってみせる」
その時アイリスの体に変化が起こった。
アメジストの輝きを伴って、その後ろ髪は紫に伸びていく。体を纏う気配は濃くなり、ロングコートは強風に靡いて飛び去った。
哀愁漂う表情で立っていたのは紫紺と黄金を纏う異質なアイリス——黒金定国との戦闘で垣間見た形態と同じだった。
「実物はやっぱり違うね。いいモノ見せてもらったお礼、返さなきゃか」
口にすると同時、迅雷はアイリスの横に並び立つ。
そして、赤い髪飾りを解いた。
「何?」
「見ての通り、君と同じ紫だ。と言っても、髪の毛が伸びたり強い変色が起こったりはしないけど」
少し前、迅雷は和倉五鈴との戦闘でこの姿を使用していた。
まるでアイリスと同じ姿。それでありながら、どこか決定的に違う。
「この力が使えるのは、強化細胞に選ばれし者だけ。この現象を、我々は『
——その紫紺化……お前。
激昂したアイリスと対峙した黒金定国は、確かにそう口にしていた。
「強化細胞には細胞転換という看過できないバグが存在する。だけどそれだけじゃない。紫紺化、すなわち最強にして最高の変化も持っているんだから」
迅雷が装甲に纏う電流は紫色。
殺気は融け合い染まり、ビルを巣食う巨大な化け物と対峙するに十分すぎる実力を誇っていた。
「エネルギー消費は激しいし、肉体への負担も大きくなる。結局、力の過剰摂取であることに変わりはないけど」
「関係ないな。今を生きる以上、後のことは起きてから考えればいい」
二人はようやく目を合わせた。
それを合図に、紫電と死神はビルの中へと突っ込んでいく——。
先陣を切ってアイリスが攻撃を仕掛ける。
通常時とは比にならない速度でエネルギー弾を放った。
(あんな技まで使えるとはね。あの人と似てるって、噂通り)
黄金色の砲丸を迅雷は追尾する。それの衝突と同時、強烈な蹴りを叩き込んだ。
「旭日昇天」
高電圧を流し込んだ一撃は、ビルサイズの巨大を揺らす。
反撃の隙も与えずに、アイリスは右手を振り上げた。すると、瞳から紫の死神が飛び上がってくる。
「ちょ、私まで巻き添えにする気⁉︎」
「
大鎌は巨躯を半分に削ぎ落とす。
アイリスの宣言を合図に、迅雷は敵の中へと入り込んでいく。間髪容れず、猛々しい電流が辺りを流れ出した。
「
寡黙な巨大はビルを手放した。支えのなくなった鉄筋コンクリートが崩れ去ると同時、それは人の形を中心に変貌していく。
「ゴーストタウンにいる化け物の比じゃないサイズだ。一応、名前を聞いておこうか」
「意外。興味ないモノだと思ってたよ、そういうの」
「……せめてもの手向けだよ」
「あぁ、そう。確かに名もないまま消滅させるのも寝覚めが悪い。
奴はNo.5——skullとしよう」
迅雷がそう宣言すると同時、skullは無数に伸びた触手を街へと伸ばしていく。
ただの触手であれば兎も角。ビルサイズの体躯から放たれるそれはあまりに大きすぎた。
「さっさと終わらせる。周辺の街に被害が出るぞ」
右手を軽く引っ込めてすぐ、飛んできた触手に向かって伸ばした。
アイリスの傍に控える死神は同じくらいのサイズに巨大化し、流れるように鎌で切断する。
「うん、君が一番やり易い」
迅雷は飛翔の直後に急降下を始める。闇を呑む白の稲妻は巨躯を地面ごと喰らい尽くした。
常人が立っていられないほどの衝撃はまるで大地震。太く分厚い鉄の触手すら切り裂いて、迅雷は強烈な一撃を叩き込む。
「巫山戯たことを」
死神を従えアイリスも続く。左でエネルギー、右で死神を操る——周辺への取りこぼしを許さない攻撃はあまりに派手だが無駄がない。
「さっさと終わらせるよ。さぁ吹っ飛ばせ!」
迅雷がskullを抑え込む。鉄を吸収した触手は力なく崩れ去り、それでも何一つとして悲鳴は上がらない。
「吹き飛ばせ——死神の
心の中に映るのは惨めな男の姿。
たとえ他人であろうとも、アイリス《自分》の信念に沿わないことをするのは気持ちが悪い。一体何が正解なのかもわからなくなってくる。
だが『アイリス』という死神はそんな思考を許さない。
「…………!」
決着はすぐだった。
無限に等しい時間が一瞬で流れていく。
「何、そんな顔して。この一件はもう終わったんだよ」
アイリスの心など露知らず、何にも無頓着な顔で迅雷が戻ってくる。
男が何を望んでいたのか。生きる意味がないことは尸と同義。これまで命を奪った相手は、守るべきものがいる者、或いは、同じように生きることに精を出し、終わりなど気にも留めぬ者。
「在ることも終わることも意味がない、か」
アイリスは呟いた。
どう生きても自分の正解に辿り着けない。
虚無が次々に体を蝕んでいく。それは生に執着する人間とは違う形の苦しさ。
目的がない。
「あぁ、確かに。それは人間を何よりも苦しめる
アイリスの横を通り過ぎてすぐ、迅雷は立ち止まる。
寒さに曇ったレンズは、青い瞳に灰色の空を見せようとしていた。
「生に傾斜し続ければいい。迷っている時ほど、何も上手く行かないタイミングというのはないんだから」
空はどこか遠く、それに近づけるはずの彼女らでさえ距離を感じていた。
多くの迷いを抱えたままで、アイリスは車を回し始めた。
同日同時刻。
ルディアがいたのは山奥だった。
「こんなところで一体何を?」
辺りは緑が鬱蒼と生い茂っており、足場は非常に悪い。
辻風が纏う黒いメイド服はフリルのない一品だった。
「言いませんでしたっけ。私は教えるのがとっても下手でして——」
激しい斜面の上と下。ルディアを見下ろす辻風は、勢いよく刀を引き抜いた。
思わず身構えるルディアに対し「よろしい」と笑むと、その切っ先を向ける。
「腐っても貴方は最新鋭のAI。これからもアイリスさんの傍で戦いたいのであれば、三日間で剣術の大部分を身につけていただきます」
辻風が持つ刀は銀色に煌めき、朝の光を反射する。ルディアは頬に汗を垂らして辻風を見ていた。
「三日間。この山を使って実戦経験を積んでもらいます。まぁ、そうですね……最初の三日は防戦どころか逃げてばかりになるでしょうけど、頑張ってください」
ルディアの頭の中をかつての記憶が蘇る。
自身のマスターであり、不屈の強さを見せてきたアイリス。彼女相手に物怖じせず、対等な相手として斬りかかり互角の勝負を繰り広げた辻風。
この人に物怖じして立ち向かわなければ、いつまでもAIとして完成することはできない——ルディアは紫吹を強く握った。
「三日間中三日間、防戦すら許されないんですね」
「ふふ、AIなら涼しい顔で来てくれるんでしょう? それとも、計算結果に頼って投げ出してしまうのかしら」
おっとりとした表情でありながら、その視線は虎のように鋭い。
ルディアは丁寧な動作で紫吹を抜刀すると、確実に捉えんとする瞳で辻風を睨み返した。
「——いいえ。強くなるために、俺はあなたに教えを請うんだ」
その目には有機質な炎が宿っていた。
太陽が覗き込んでくる深い森の中。
今度こそ、辻風は不敵に笑って斬り掛かった。
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