第21話 オーバードーズ——1
#21 オーバードーズ
翌日の拠点にて。
辻風による応急処置を受けた後、ロベリアは拠点のベッドに座っていた。
お見舞いのような形で丸椅子に腰掛けるのはアイリス。昼間の拠点にいるのはラーヴァと守時だけ——静かで落ち着いた世界に太陽が差し込んでいた。
「紅茶を買ってきた。飲めるか?」
「ありがとうございます。隊長、眠そうですね」
「ん? ああ、生活リズムが不規則なんだ。昼夜逆転を高頻度で繰り返しているとスッキリしない」
小さく欠伸をすると、アイリスはペットボトルの紅茶を啜った。
ガラスの瞳でロベリアを一瞥し、言葉を投げる。
「やられたのは和倉五鈴、だったか」
「はい。通常状態の和倉の実力は特筆すべき点に欠けます。ただの副隊長と言ったところでしょうか」
奢られたレモンティーを飲み、ロベリアは続ける。
「ですが、頭に攻撃を二度受けてから変わった。完全に別次元……あのまま見逃されなければ、死んでいました」
「へぇ。お前にそこまで言わせるとはな」
強さには興味を示さず、窓の外の景色を見つめる。
乾いた都市と寂れたビルしか映らない。もはや閑古鳥も鳴かないだろう。
「そして、二度打たれた後の和倉五鈴は——強化細胞持ちでありながら、目が赤くなっていました」
「! ……細胞転換か」
細胞転換。
通常、強化細胞を持つ人間は体のどこかが青くなる。しかし、強化細胞の肉体が何らかの形で異常をきたした時は真っ赤に染まる——その現象を細胞転換と呼ぶのだ。
当事者は身体能力が格段に跳ね上がるが、エネルギーの燃費が悪く体に負荷がかかる。
原理が解明されていない強化細胞のバグだった。
「恐らく。転換してしまえば余程の精神力がない限り、肉体の暴走に飲み込まれてしまう」
「あぁ。これまで制御できたのは一人だけらしいな」
「和倉五鈴は要注意人物に数えて問題ないかと。マークが必要ですね」
戦況をまとめていくうちに、ロベリアの中には危機感が生まれていた。
こんなところで戦線を離脱してはアイリスの敵が増える。一刻も早く彼女の傍に戻らなければ。
焦心を読み取ったのか、アイリスはロベリアの頭を撫でた。
「……アイリス隊長」
「そう案ずるな。皇帝隊は確かに私の敵だが、少し前にも言っただろう? 皇帝隊なんぞに私の首は取れないよ」
少しだけ不器用な気遣いに、ロベリアは思わず笑みをこぼす。優しくアイリスの手を取ると、彼女は手の甲にキスをした。
「すぐに治して戻ります。私の魂は貴方の傍に」
「あぁ、待っている」
それから三日後。
拠点での情報共有と日常を繰り返すアイリスは、夜に守時へと呼び出されていた。
「やぁ、よく来たね」
「……で、あいつは?」
「辻風君と修行中だ。当分帰らないんじゃないかな」
一人用のチェアに腰掛け、守時はコーヒーを啜る。
離れた共用のソファに座るアイリスは紅茶を口にする。想像以上の熱さに眉を顰めると、ちびちびと飲み始めた。
「チッ。で、要件は?」
「戦の残党が違法薬物をばら撒いていると情報が入った。明日の朝イチで始末に出てほしい」
残りのコーヒーを一気に飲むと、守時は右手のパネルを操作した。
メカニカルな音と共にやってきたロボットにマグカップを置くと、同じように動かして帰らせる。
「まぁまぁ、そんな顔をするな。例の如く報酬は弾むから」
「茶菓子を寄越せ」
アイリスは守時に目をやった。色素の薄い男の瞳と、紫巣食うガラスが交差する。
二人の間を割ってロボットが入ってくる。その上にはチョコ&バニラクッキーにドーナツ、タルトなど、女性好みのお菓子が並んでいた。
アイリスは苺のタルトを手に取ると、封を開けて小さく齧った。甘い感触に頬が緩み、紅茶を口に入れる速度が増す。
その時、奥の自動扉が滑らかに開いた。
奥から出てくるのは、アイリスよりも背の低いメガネ——ワゴン型ロボットからドーナツを勝手に取り、ひょいと口にする。
「おい、誰が食べていいと言った」
「別にあんたのじゃないでしょ、これ。勝手に食べるよ」
それを頬張ったのは迅雷だった。
珍しく上機嫌なのか、口元は緩み声は明るかった。
「なんだ気持ち悪い。何か用でも?」
「そのお出かけ、私も行くよ」
アイリスは露骨に嫌な顔をする。
戦との戦いで邂逅した際、迅雷は部下に薬物を投与して化け物を作り出していた。今はアイリスの味方だが、仲間や部下を大切にするアイリスと彼女は馬が合わないのだ。
「どういう風の吹き回しだ。お前に刺されるなんて御免だが」
「刺したかったら正面から刺すよ。そんなことより、新薬の開発が上手くいったんだ。テストしたくてね」
「また化け物でも生むつもりか? なら今度こそ殺してやる」
針のように尖った空気が張り付いた。
守時は黙ってコーヒーを飲んでいる。もはや気にも留めていないのか、右腕の端末で本を読み始めた。
「そう怖い顔しないでよ。私が興味あるのは生物学であって化け物の量産じゃない。上手くやるさ」
嫌がるアイリスの横に座ると、迅雷はタルトを口に放り込んだ。
二人がゼロ距離になる。アイリスの耳元で迅雷は囁いた。
「細胞転換。和倉五鈴の事象は、君にとって無関係な話じゃない」
舌打ちと同時、アイリスは勢いのままソファに寄りかかる。動きの割に小さな声で呟いた。
「手短に済ませろ」
曇天が空を支配し、太陽は灰に呑み込まれる。
暗い街を駆ける黒い車体の中には、アイリスと迅雷がいた。
「アイリス。和倉五鈴について、どこまで知っている? 或いは、どこまで覚えている」
「和倉五鈴なんて名前は聞いたことがないが、複雑な事情なのは聞いた」
ハンドルを握るアイリスは、倦怠感を伴った声で口にした。窓が締め切られた車内に響く声は二つ、口を挟む者も盗み聞く者もいない。
「和倉五鈴の第二人格——つまり〝殺人鬼〟の方。あっちは
第一次人格の和倉五鈴——義姉さん曰く、あちらは誰にも救われていない。頭を割られた衝撃で第二人格が気絶し、回復しきれていない第一次人格が目を覚ました。けど、いきなり襲ってきた現実を人格が受け入れるのには時間がかかるよね。その間意識を保とうと一時的に出たのが、どれとも違う和倉五鈴。
二度目の衝撃でそれは気絶し、第一次人格だけが残った。目まぐるしく体の主導者が切り替わった結果、バグが起きたのが第一次人格の和倉五鈴と言えるだろうね」
長々とした迅雷の説明にアイリスは顔を顰める。車はだんだん速く、景色を見る間も無く進んでいく。
「ふむ。それが何だと?」
「第一次人格の和倉が出てきたとき、体の中の細胞は暴走状態にあった。理由はわかる?」
「……そうだな。まず、第二次人格の和倉が強化細胞の肉体を使い、言うなれば〝適応〟していたんじゃないか」
ハンドルを勢いのままに切る。車体が激しく揺れる中、平然と迅雷は言った。
「うん。青い強化細胞の持ち手は第二次人格の和倉五鈴——彼女の心の平穏、『静』を司る方」
「…………静で使われている体を、より活発な『動』が同じように使うことはできないということか。で、それが何の関係につながる?」
「記憶を失ったから、今の君は昔の経験を知らない。それはある種の別人格と言える。新たな君は過去の体験を頭に残せていないから、前と全く同じように体を使うことは難しい。つまり、大きな出来事がフラッシュバックした際、過去のことを知る体と初見の脳の間でバグが起こる可能性もある。他人事じゃないって話さ」
迅雷の告げた憶測に対し、アイリスはため息をついて言葉を返す。
「制御してみせるさ、それくらい」
話に一区切りがついたところで、車体は勢いを立てて急停止する。
古臭いカーナビは目的地への到着を知らせていた。懐から取り出した黒い手袋をつけ、ロングコートを深く着直す。
しんしんと、深い雪が降ってきた。それはアスファルトを冷やすのか、冷えているからアスファルトに引き寄せられるのか。活気のかけらもない街だ。
「ここから歩くよ」
「それに何の意味がある?」
「言ったでしょ、実験だって。車壊れてもいいの?」
そんなことを飄々と口走る迅雷にため息をつくと、アイリスは目的の廃ビルへ歩き出した。
ビルの前まで着くと、途端に変わった臭いが鼻をついた。
「ドクロとか言う売人が誰彼構わず売りつけているらしい。無政府状態のXを巧く利用しようって魂胆だろうけど、守時のヤツのネットワークに引っかかったのが運の尽きだね」
「目的はそいつの拘束か?」
「あぁ。過剰な殺害はアウトだってさ」
迅雷は錆びた鉄の門扉を蹴破った。途端に何かが混ざり合った強い臭気が鼻をつく。
出迎えるのは、胡乱な目をした無数の中毒者。皇帝隊専用のコートを靡かせ、迅雷は両手の装甲を向ける。
「——さぁ、始めよう。狂いも繰るうオーバードーズ、衆生皆々踊り明かせ」
「……随分変態な趣味を持つんだな、おまえ」
「人がカッコつけてるんだからノリなって。ここはそういう場所だ」
笑顔を少女の顔に宿して、迅雷は超高圧の電流を放った。
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