第20話 恍惚の和倉

 舞台は現代へと戻る。

 尾行に気がついたロベリアは一人で拠点を離れ、アイリスの命を狙う派閥のひとり——和倉五鈴の相手をしていた。

戦いの中で頭を強打した和倉は、記憶が混濁し暴走状態へと陥る——。



 

 真っ黒な夜は明ける気配を見せない。

 深い闇の中、和倉とロベリアは対峙していた。意識は相手に向けたまま、右手に巻かれたリストバンドにある言葉を入力する。

『「人斬り事件」被害激増 今月で五人目か』

『連続殺人鬼X捕まらず。人斬り事件との関わりは』

(AI戦争前と戦争中、Xの殺人鬼騒動はこの二件のみ。詳細を眺めるに恐らく前者……なるほど、同じ副隊長でも実力が桁違い。気を抜いたら首が飛ぶわ)

 ロベリアは苦無を懐に仕舞い、代わりに十手を取り出す。刀に対してある程度のリーチを誇れるのはこの武器だけ——初手からの劣勢に、ロベリアは冷や汗を垂らした。

「もう調べ物は終わりなん?」

 ロベリアの手が震える。

 意識を向けさせぬよう動いたつもりだったが、簡単に見抜かれていた。皇帝隊という軍隊で、神や皇帝の副官を務める以上ロベリアも実力者だ。だが、継続的に人を殺し、近接戦のために力を伸ばし続けた和倉は一点特化。敵が得意なフィールドにおいての不利は覆せない。

「ええで、すぐ終わりにしたるさかい」

 次の瞬間、和倉が異常な跳躍を見せた。

 ロベリアも背後に飛び退け、和倉との距離をキープする。

「そないな速度で忍者を名乗るちゅうの」

「言ってくれるじゃない。速度が全てじゃないって、教えてあげなきゃわからないかしら」

 刀と十手がぶつかり合う。先手を取った和倉の太刀筋を見切り、ロベリアは素早く十手での防御にシフトしていた。

 和倉はすぐに諦めて離れ、着地と同時に再び跳躍。更に加速した一撃は忍者の肩を掠め、カウンターを許さず突進していった。

 振り返ると同時に手裏剣を投げると、ロベリアは後方に三回宙返り。

「アクロバティックなのね。そやけど、わしより速い相手に無駄な動きは悪手ちゃうくて?」

 瞬く間に距離を詰めた和倉は、ロベリアの左肩を狙って鋭い刺突を放った。

「無駄な動きをするようじゃ、アイリス《あの人》に忍者なんて認められないわ」

 ロベリアの瞳が蒼く輝いた。そしてすぐ——コンクリートを穿って、鉄の柱が大地から出現した。

「がっ⁉︎」

 虚をつかれたような顔で、和倉は鉄柱に吹き飛ばされる。暗闇に溶け込んでわからなくなった和倉をよそに、ロベリアは明かりのないビルへと駆け込んでいった。




 ガラスの扉を蹴破って、入った先は役所だった。

 辺りには古びた机や椅子が並んでいる。日焼けした書類や判子、動かなくなった旧式プリンタがロベリアを出迎えた。

「正面からやったって私じゃ勝てない。となれば、活かせるものは使わないとね」

 机を飛び越え手すりを駆け抜け、アスレチックを楽しむようにロベリアは市役所を進んでいく。三階まで駆け上がったところで、勢いよく受付に飛び込んだ。

 カウンターの中を漁ると、ロベリアの手に引っかかるものがあった。

 カチッ。

「やっぱり、首都近辺の都市ならある」

 スイッチが作動すると、中から電子パネルが現れた。慣れた手つきでボードを操作すると、認証を告げる音とともに隠された抽斗ひきだしが登場する。

 勢いよくそれを開けると、禍々しく黒光りした銃があった。

「AI戦争時に荒れた世の中を防衛するため、密かに備え付けられた銃セット。ここならすぐに出迎えられそうね」

 銃は暗闇に溶け込み、注意深く見ていてもわからないほど。静寂が反響する室内で耳を研ぎ澄ませ、ロベリアは獲物の到来をじっくりと待ち続ける。



 時計も止まった建物は、異常なまでの静寂に包まれていた。

 この時の和倉は、なぜか隠れるロベリアに気が付かなかった。

「っ、まだ出すわけにはいかへん。落ち着け、まだやちゅうのに……!」

 ぶつぶつと呟きながら和倉は階段を上がる。

 受付は階段を上がってすぐ。和倉の頭が見えた瞬間、ロベリアは銃撃を放つ狙いだった。

 いくら強化細胞持ちでも、超至近距離から頭に銃撃を喰らえば堪えるものがある——全神経を一点に集中し、階段の先へ照準を合わせた。

(おそらくあと五秒程度。どう出てくるか)

 気配はない。時間はあまりに緩やかだった。

 心臓がゆっくりと脈を打つ。ロベリアを駆け巡る血液は、緊張さえ意に介さない。

「——今だ」

 砲声が鳴り響いた。

 穏やかな時の流れの中で、静寂は激しく切り裂かれる。ロベリアの銃撃は和倉のこめかみを確実に捉えていた。

「…………!」

 銃弾を受けた和倉は吹き飛び、反対の壁に叩きつけられた。大きな音と共に華奢な体がずるりと落ちる。

「やってくれたわ……頭割られたら、もう抑えられへんわ」

 どくん。

 和倉の体が魚のように跳ね上がる。壁についた和倉の血は、傷ついたこめかみへと戻っていく。

 ロベリアの頬を冷や汗が伝う。生物的本能が警鐘を鳴らしていた。

(気配が変わった)

 その場を逃れようとするロベリアだったが、激しい力に体が動かない。

 どくん。

 大きな拍動が和倉を呼び覚ました。押し出されたポンプのように、何度も跳ね上がる。

 和倉は弱々しく立ち上がる。そしてすぐ、辺りを赤い陽炎が包む。

「ッ……⁉︎」

 ロベリアは片膝をついた。乱れた呼吸を整えると同時、煙が晴れる。

 綺麗な姿で佇んでいたのは、半ば狂乱に囚われる和倉五鈴だった。



 現れた和倉五鈴は、黒と薄緑のオッドアイ。茶髪はところどころ黒くなり、染めが抜け落ちているようだった。

「アナタ、何者?」

「わからない。これはナニ?」

 和倉の呼吸はロベリアより荒い。

 ロベリアは十手を拾い上げる。二人の呼吸音が小さく響き、異質な空気を作っていた。

「わからないなら家に帰りなさ——」

 カウンターの先から横薙ぎの一撃がロベリアを襲う。咄嗟に屈んで回避すると、剣先をブーツで蹴り上げた。

「なんで斬らせてくれないの」

 和倉の得物が不可動域に達した瞬間、ロベリアは受付を抜け出した。

「結局、話は通じないのね」

 追尾を苦無で牽制するが止まらない。意を決して、ロベリアは後方に飛び上がった。

「そっちは階段よ」

「知ってるわ!」

 ノールックで手すりを掴み取り、童のように滑り降りる。子供のそれとは比にならない速度だが、正面からやってくる和倉には簡単に追いつかれてしまう。

「ぐっ⁉︎」

 負傷したばかりの右肩に刀が突き刺さり、血飛沫が壁を染めた。

 三階から二階、二階から一階。滑るたびロベリアの体に創傷が生まれる。

(なんて精度……避けられないっ)

 忍者らしい身軽さで刺突に対応するが、攻撃の芯を外すので手一杯。

 本能で戦う相手に、反撃の一手を投じる隙もない。ロベリアの視界は鮮赤に変貌する。

「終わりにしましょう」

「ふざけないで……っ」

「刀にばかり集中していると、お腹がガラ空きよ」

 反応する間も無く蹴飛ばされる。急所を的確に突いた一撃が、ロベリアの体力を一気に奪った。

 市役所のガラスを叩き割り、重力のままにコンクリートを転がっていく。

「うふふっ。これで終わり?」

「撃たれておいて……よく言うわ」

 その脚力は異次元だった。同じ強化細胞でありながら、異常なほどの大打撃を受けていた。

 鳩尾を見事に打ち抜かれ、ロベリアは立ち上がれずにいた。

「でも、もういいの」

 草履の音がロベリアへと近づいてくる。そして、和倉は勢いよく刀を振り上げた——。



 

 一瞬にも満たない時間のうち、ロベリアは思考する。

 遠くに離れすぎた以上、応援は望めない。体の一部を犠牲にする特攻も狙えるが、この内部抗争は長期戦——ここでの戦線離脱は望ましくない。

 十手で受け止めるか? 重い体に鞭打とうと攻撃が届くとは思えない。

 お得意の技も通じない。圧倒的な対面不利状況下——ロベリアは賭けに出た。




「——ふっ!」

 刀が空中で静止する。

 パン、と乾いた音が金属を打ちつけた。

「真剣白刃取り。なんとか、成功したみたいね」

 持ち前の身体能力を活かした手段。もし少しでもタイミングがずれていれば、今頃体は真っ二つになっていただろう——予想外の行動に、和倉は一瞬反応が遅れた。

 間髪容れず、背後から十手が振り下ろされる。

 鈍い金属音。もう一人のロベリアが立っていた。 

「ぐ……あ……あ?」

 酔い潰れた酒飲みのように、和倉はふらふらと前に進む。

 バランスを崩して倒れたかと思うと、何事もなかったかのように立ち上がった。

 安渡したのも束の間、ロベリアは顔色を変える。

「赤い、目ですって?」

 茶髪の和倉を乗っ取って、黒髪ロングの誰かが現れた。恍惚の面影は残っていない——暴強化細胞と同じ赤の瞳をしていた。

「えぇ、どうやらそのようです。こんなに早く目醒めようとは、完全に想定外でしたが」

 深く息をつくと、その「誰か」は口にした。

「恍惚の和倉と区別するため、五鈴とでもお呼びください」

 口にすると同時、五鈴は刀を振り上げる。

「くっ!」

 間髪容れず、一閃が雷霆の如く落ちてくる——。




 しかし、それは空中で静止した。

「……いえ、考えてみれば道義がない」

 五鈴は刀を仕舞う。ロベリアを一瞥し背を向けると、気がついた時には消え去っていた。

 抱いた疑問も危機感も、虚しく霧散する。

 張り付いた夜が剥がれ落ち始めた。

 アイリスが救助に来たのは、それからすぐのことである。

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