第17話 変動の夜
突如として語られた真相。
アダムは今なお、人類の滅亡を目論んでいる――そこまで守時は語った。
「一般にも、アダムの消滅が確認されていないことは公表されているが――誰一人眼中にない。見えないものは人間にとって存在しないからな」
全て語り終えると、守時は深いため息をついた。
「守時冬樹。なぜその事実を隠してきたのです?」
「恐らく、この事実が伝播した時がアダムの再起動だからだ。今の我々がアダムと対峙したとしても、人類の滅亡を防ぐことは難しいだろう」
「……アイリスの記憶障害は、アダムの攻撃を受けたことによるコンクリートとの衝突か、或いはイブに乗っ取られたことによる脳のバグかってことね?」
守時は頷いた。
その戦いで決着がついたAI戦争。どちらかは判断できないが、戦いによる衝撃であることは間違いないだろう。
「何が真実かわかりませんね。答えを聞ける相手は、この世界中から失くしたイヤホンを見つけるようなもの」
「
「間違いじゃないね。三国の天才が集まれば実現に一歩近づく程度だ。イブは頼れない」
――現在アイリス一行に求められることは二つ。
アイリスの真実を暴く、或いは無罪を証明し、皇帝隊内部の争いを最小限に抑えること。
いつ襲ってくるかわからないアダムの脅威に、いつでも対抗できる力をつけること。
「長い戦いですね、アイリスさん」
「いつかは終わる。そのいつかを早くするため努力し続けるんだろう」
ルディアとアイリスが口々に言う。面々の表情は大して変わらず、頭と意識は既に次の段階を受け入れる準備にあった。
「じゃ、日中は戦闘の準備。夕方から夜にかけて情報の共有ってことで。確保できそうな戦力は遠慮なく引き込んでいこう」
桑水流は手を叩く。室内によく反響するその音は、すぐに話を切り上げた。
「今日はもう解散でいいよね。私はもう寝る」
ふああ、と気の抜けた声を上げて、迅雷は会議用の部屋を出て行った。サイバーチックなドアに溶け込むと、そのまますぐにいなくなる。
話が終わり面々が去ると、ルディアは真っ直ぐ立ち上がった。辻風は、壁の電子ボードに情報をまとめているところだった。彼女を一瞥すると、ルディアは確かな足取りで歩み寄る。
「辻風さん。初対面で無礼は承知です……俺に剣術を教えていただけませんか」
ルディアは頭を下げた。
AIとは思えない真剣な表情。アイリスは時々その顔を見ていたが、個人的な関わりを持ったのはこれが初めて。辻風は面を食らったような顔を見せたが、ルディアが腰に刺す紫の刀を見てすぐ元の表情へと戻る。
(待井さんの名刀〝紫吹〟……きっと受け取ったのでしょうけど、まさかあんなに硬派な彼が誰かに力を託すなんて。いいえ、私はまだこのAIを知らない。夢のある、そんな人なんでしょうね)
情報をまとめた電子ボードをスリープ状態に入らせると、無機質な目を見て言った。
「私はまだまだ修行の身。そんな未熟者でよければ、できる限りのお力添えは致しますよ」
ルディアの意思に応えるような力強い笑みと共に、優しく手を握った。突然のことにルディアは困惑するが、きっと人間の交流表現の一つなのだろう――そう思考し、弱い力で辻風の手を握る。
「ですが私は人に教えるのが苦手です。これまで同じように志望してきた部下はたくさんいましたが、全員途中でギブアップしてしまいました。ですから、文句は許しませんよ?」
「乗り越えてみせます。AIに苦しみなんて感情、インプットする必要はないですから」
この苦しみを、遅かれ早かれルディアは知ることになる。
衝撃の事実が告げられた解散後。
ロベリアは拠点を離れ、活動中の街々とは逆の方向へと走っていた。
先まで行けば、並び立つのは化け物の群れ。ロベリアは人間離れした跳躍でビルの屋上に着地する。目のない化け物がこちら《ロベリア》を見た。
「十――」
カウントダウンを
ロベリアを喰らおうと、化け物は同類を潰しながら迫り来る。放っておけば消滅など簡単に狙えるだろうが、それはロベリアの意図に反する。
「九」
静かに頭が吹き飛んだ。化け物の一人に突っ込み、斬れそうな場所を狙って裂く。肉塊を踏み台にして再び跳躍、僅か一秒の間に周囲のそれらを絶命させた。
「八」
返り血を浴びて汚れたスーツを脱ぎ捨てる。夜空に舞い上がったその忍者は、急降下——化け物を掻っ切りながら、流れるようにゴーストタウンの奥へと進んでいく。
「七――もう飽きた」
誰にでもなくロベリアは呟いた。七を数え始めた辺りで、周囲の化け物の数が途端に減り出したのだ。この辺り全てが支配区で、個体数も測定不能である以上、当然そこには人的要因がある。
瞬時にそれを判断し、ロベリアは化け物が消え去るまで進み続けた。
「やっぱりね。本来貴方の任務は哨戒の筈――つけられているのは知っていたけど、そこで何をしているの?」
何の気配もないゴーストタウンが完成していた。
その中心に佇むのは、茶髪が似合う着物姿の女。その顔には、動かない狐面が張り付いていた。
「あらぁ。こんな早う来てくださるなんて嬉しいわ」
面で遮断されるくぐもった声。右手に握る刀は粘り気のある赤に染まっており、不規則に赤が滴り落ちる音が聴こえてくる。
「貴方はどちら側の人間?」
強い警戒心を孕んだ視線で、ロベリアはその狐面を睨みつける。どれだけ圧をかけようと、固定されたその顔は動かない。
「ロベリアはん、タイミング悪いなぁ」
そう告げる狐面の声には、どこか色気が混じっていた。まるで己の行動や力に陶酔しているような、或いは、獲物を見つけて喜んでいるような――。
「とっても恍惚どすから、酔わされても文句は抜き」
「吐かない戦いを所望するわ」
二人の気配は零に等しい。暗闇の中に溶け込むそれは、目を逸らせばすぐに消え入りそうな儚さと共に得物を交え出した。
狐面――和倉が先手を取って斬りかかる。
ロベリアは剣気を感知と同時、無駄のない跳躍で回避する。反動で生じた隙を突くように、ロベリアは脚のホルダから苦無を投擲する。
三本の鉄塊を腰に刺した幻影は消滅し、蜃気楼の合間から本物の和倉が現れる。
「斬らせてや」
速度を増した一閃だったが、それがロベリアを捕らえることはない。横から現れたもう一人のロベリアが十手を突いて刀の軌道を逸らす。
「「さぁ、どっちが本物に見える?」」
「どっちも本物」
横に飛び跳ねた和倉は、流れるように着地する。からんとなる空虚な下駄の音は静かな夜によく響く。
「今日は五十だけしか斬ってへんから、まだ体が鈍ってます」
そう呟くと、和倉はゆっくりと刀を振り上げた。
しゃらん、しゃらん。
十分すぎる音量で、耳に訴えてくる鈴の音。
「……へぇ」
次の瞬間。
和倉は凄まじい速度でロベリアの懐を取った。
「同じ手を!」
十手を持つロベリアが横槍を入れるが、今度は意味をなさなかった。
和倉の体は横からの攻撃に対して蜃気楼となって消え去り、正面のロベリアへと斬りかかる。
「シッ!」
「くっ――まずい!」
顔に焦りの色を見せるロベリア。大袈裟に後ろへ跳んだと同時、口角を吊り上げる。
「なんて、私は二人だけじゃないけど」
次の瞬間。
和倉を無数のロベリアが囲んでいた。何百体もの忍者が武器を手にする姿は、月明かりに煌々と輝く。
「あら、眩しいわぁ。でもそれ、ぜーんぶ幻影ちゃう?」
そう口にすると同時、和倉は目にも止まらぬ速度で一体目のロベリア目掛けて突っ込んでいく。ロベリアの軍隊が放つ金属の隙間を掻い潜り、和倉は本体へと急接近。
「ゼロ距離からの飛翔閃。すぐに切り捨てて差し上げます」
雷霆の如き一刀をロベリアは皮一枚で回避する。流れるように背後を取ると、苦無でその背中を突き上げた。
しかし、再び蜃気楼。ぼやけた空間から現れた狐面が、ロベリアを今度こそ斬りつけた。
体から赤い三日月を放出し、ロベリアは体制を崩す。
「ほな、さいなら」
和倉がトドメとばかりに刀を振り上げた。そして、赤く染まった刃が雷ほどに疾く落ちてくる。
大きなダメージを受けて動けないロベリアは、斬撃を受けるしかない——。
「終わりか。もし私が一人ならね」
しかし。
それよりも速く、和倉の頭に十手が振り下ろされた。
「なっ⁉︎」
「原理? 教えないわ、忍者だもの。わからないからこそ、決めつけはダメじゃない?」
体に傷口を塞ぐ医薬品を塗ると、苦無を持ったロベリアは笑う。一気に距離を取った和倉は、血が噴き出る頭を抑え、狐面を付け直す。
「……仕方ないわぁ。ロベリアはんここで殺すんはやめとこ思いましたけど、放っておくと厄介になるわ」
深いため息と共に、和倉は不思議な構えを見せた。
ロベリアの視界には何重にもぼやけた和倉がいる。その刃は固定されて動かないが、和倉本体にはピントが合っていないようにも見えた。
「皇帝隊が弱体化したってよく言いますね。あれ、隊員だけの話ちゃいます」
その空間は奇妙。
恐ろしいくらいの静けさを持っていた。
「うちは人を斬れば斬るほど強くなる。もうしばらく、誰も斬ってまへん」
和倉の綺麗な髪を、白い狐面を、真っ赤な血が塗り替えていく。十手で叩かれたとは思えないほど、その出血量は凄まじかった。
「けど、斬りたくなる相手を見ると強くなるんどす」
ぞくり、と。
ロベリアは目の前から猟奇殺人鬼のそれと同じ気配を察知した。
「好みの相手を見て興奮? 随分淫乱な雌狐なのね」
「……その女狐に化かされんよう、ご注意を」
和倉の体は宙を切り裂き、知覚認識の域を越えて暴れ出した。
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