第18話 和倉の悪夢——前編

 ロベリアの体に創傷が現れる。暴れる和倉は、まるで制御しきれていないように見えた。

 斬撃、斬撃、回避した先に来るのは強烈な蹴り。勢いよく押し出されたロベリアは、不思議な技を使う間もなく後退する。

(異常な戦い方ね。意識につけ込む技の類は通用しない――この場面からの不意打ちも不可能。あぁ、これは無理か)

 和倉が放つ斬撃の芯を何とか外すと、ロベリアは右腕に巻いたバンドを起動させる。

「もしもし、どうした?」

、このままだと死にます。応援を要請します」

 そう告げる間にも、半ば暴走状態に入った和倉にロベリアは斬られる。

 ダメージは大きいはずだが、その表情は崩れない。顔についた血に眉を顰めるだけだった。

「……で、いい加減に!」

 厚底のブーツと刀が衝突する。力で押し切ったロベリアは、真っ赤に染まった和倉の目を見て訊く。

「貴方のその目、私のことは眼中にないように見える。さっきまでの女狐さんはどこに行ったの?」

「あっははははは! その時点で化かされとる!」

 そう口にした瞬間、和倉は身の毛もよだつほどの笑い声を上げた。耳をつん裂く甲高いそれは、静寂のゴーストスラムにがんがんと鳴り響く。

 頬に一粒汗を垂らし、ロベリアは身構える。一方の和倉は棒立ち——狐面が、壊れた首振り人形のようにガクガクと震えていた。

「うちは人を定期的に人を斬らんとダメでなぁ。ルディアはん襲ったんも、今ロベリアはん待ってたんも……全部戦いたかったからなんや」

 笑いがようやくおさまったのか、和倉はふらつきながら重心を整える。右手に携えた刀がロベリアに向く。

「そうせなならへん理由があるんどす。強なきゃまたああなるさかい、もっともっと鍛えなあかん」






 自分を制御できなくなる。恍惚の消失が更なる恍惚を生み出す。

 それは、私にとっての終わりを意味する。




 私——和倉五鈴はかつて活発だったXの都に生まれた。

 母親は容姿端麗、父親も博学多才な人物。両家の先祖は何かしらの功績を残す人物だった。

「貴方は自分の思うように生きなさい。でも、誰かを傷つけるような真似はしちゃダメよ。自分が正しいと思うことを信じて、道義のために戦うの」

 母親は私にそう語った。心に穢れなどないような人物だった。

「女の子だからと甘えてはならん。強くなれ」

 父親は生真面目で、武術の極地を目指し研鑽を繰り返していた。体が小さかった私が舐められないよう、幼少期は剣を教え込まれた。



 その生活は窮屈そのものだった。

 学業を疎かにしようものなら待っていたのは苛烈な罵倒。言葉も礼儀も徹底的に教育され、少しでも粗相を見せようものなら一から指導をやり直し。

 成績を残せば肯定の言葉が返ってきた分、他に比べれば易しかっただろう——だが、精神的に過敏な思春期を全て監視下に置かれ、私は歪み始めた。

「和倉はんすごいなぁ。いつも満点」

「和倉家の家訓である故、当然のことです」

 親以外の人物と会話をしたことは殆どない。優しい言葉の使い方は教わってこなかった。

 そんな性格のせいで友達もできない。心を許せる相手もいない。家に帰れば成績や能力の話、外に出れば孤独で絶えず前を向かされ続ける。

 一方で、武術に対する情熱は凄まじかった。父親に鍛えられて実力は伸びており、相手を蹂躙することで日頃のストレスを発散できていた。もはやそれだけが生きがいだった。

 何度も家から逃げようと思ったが、聡明な両親はきっと私を捕まえてしまう。もしそんな事態が起これば、私は二度と外を味わえなくなるだろう。

 だから、私は忠犬を演じ続けた。親の言うことには全て笑って従った。

 物心つく頃から中学生までずっと。逃げるため純粋な両親に媚びを売り続けた。

「……お父様。相談がございます」




 街並みは最先端で美しい。見るもの全てが真新しく、何も知らない私を次々に引き寄せてくれる。

 私は首都セントラル・アーコロジーにある名門お嬢様学校に入学した。

 親からの逃亡に成功したのだ——。

 祝いとして真剣を譲り受けた。人を傷つけるつもりはなかったが、それは間違いなく私を魅了した。


 

 一ヶ月ほど経過した。天才と持て囃された私は調子に乗り、皇帝隊管轄の戦闘訓練組織へと入団した。

「和倉五鈴。今から貴殿の実力テストを行う」

 この時の私は——自分こそ選ばれし者で、間違いなく誰よりも強いと思っていた。才能に努力を重ねた強さは打ち破られないと確信していた。

 試験官を名乗る女性は、ベリー色の髪をかき上げて言う。

「えぇ。怪我をさせぬよう努めます」

「はっ、威勢がいいな。天才を履き違える典型的なタイプだ」

 煽られて腹を立てる辺り、本当に小さな人間だったと思う。刀を力強く握り、私は試験官目掛けて突進する。

 しかし、試験官は無茶苦茶だった。

「ほらほらどうした! お前の言う天才は軽く転んだら寝ちまうのか⁉︎」

 私の知覚認識を遥かに超えた領域から、猛烈な速度で蹴りを入れられた。足は痛まない――威力を完全に調整された一撃で、地面へと這いつくばらされた。

「ぐぅ……⁉︎」

 全ての意識を脚に集中させて立ち上がるも、すぐに痛烈な暴力が私を襲う。反撃の隙もない一方的なラッシュに全身が悲鳴を上げ始め、刀を奪われぬよう死守するので精一杯だった。

「青いな。得物を守ってどうする」

「けほっ、けほっ……」

 肺が悲鳴を上げ、激しく咳き込んでしまう。

 こんな相手がいるなんて。年齢や経験を差し引いても全く勝てる気がしなかった。深く被った帽子の唾を上げると、試験官は人の悪そうな笑みを浮かべた。

「気絶していないだけ見込みはあるがな。ま、中の下ってとこだろ」

 ボロボロで情けない顔をする私を、試験官は抱き上げる。ゆさゆさと揺られどこかへ運ばれていく。目に映るのは試験官の姿だけだが、きっと救護室にでも連れて行かれるのだろう。

「ま、面倒見てやるよ」

 手荒さとは裏腹の落ち着いた感覚に、私は意識を奪われた。

 これが私とお師匠様の出会いであった。

 


 時は流れて……。

 武闘組織の中で弱さを見に染みて実感し、強い同期たちに揉まれながら毎日を過ごしていたある日のこと。私はもう大学生にまで成長していた。

 お師匠様は古風な団子屋に連れてきてくれた。

 日差しが綺麗な空の下、みたらし団子を口に私は訊いてみた。

「お師匠様。どうすれば貴方のように強くなれるのですか」

「それを教えちゃ学問ってのはおしまいだよ。強いて言うなら、伸ばし方が下手くそ。それさえ改善できりゃ強くなるよ」

 下手くそと言われては傷がつく。複雑な視線を向けると、彼女はまた帽子の唾をあげて笑う。

 冬の風が少し肌寒い日曜日。お天道様は熱をくれず、小さな白粉が代わりに落ちてくる。

 途端に彼女は立ち上がった。口元のタレを舐め取ると、天井の空を見つめる。

「お前の故郷、こないな喋り方やろ」

 聞き慣れない言葉のイントネーションだが、すんなりと耳に入ってくる。昔の同級生が喋っていた言葉そのものだった。

「え、えぇ。お師匠様は何故その言葉を?」

「おんなじ故郷の出やさかいに決まってるやろ。あんた、妖術に興味はあらへんか?」

 彼女は帽子を外し、空に向かって放り投げる。

 妖術の話は聞いたことがあった。原理は初代にしか解らず、その技法を感覚・精神的に代々継承してきたと言われる術。その継承者は途絶えたとまで言われているらしいが、彼女の口ぶりから察するに、噂は嘘なのだろう。

「興味……あります。教えてください」

「考えとくわ。努力しとけ」

 そう呟くと、彼女は鼻歌を唄いながら去っていった。

 後に彼女から教わる妖術が、私の運命を大きく変えることになる。




 昼夜は普通の大学生として過ごし、深夜は組織で己の実力を磨く。そんな生活を繰り返すうちに、己の非力さを認められるようになってきた。その分、毎日泥臭く努力する力も身についた。

「この論は当時の学者が……」

「五鈴。もう授業抜けね?」

「ダメですよ。聞くことに意味があるんです」

 お高く止まることがなくなった影響か、

 横にいる彼もその一人。

「また勉強教えてくれヨ、首席さん」

「仕方ありませんね」

 小声で繰り広げる他愛もない会話。中身のない大切な日常を初めて持っていた。

 教授が終了を宣言したところで、筆記用具をペンケースにしまう。友人が気だるそうに伸びをする声を聞いて、思わず笑みがこぼれた。

「飯食いに行こうぜ」

「えぇ、そうですね。近くで済ませてしまいましょ――」

 私は彼を見たはずだった。それなのに、映るのは真っ白な天井。

 体が紅炎と共に宙を舞っていた。お師匠様に投げ飛ばされた時でさえ、こんな衝撃はなかった。浮遊感なんて生易しいものでなく、人が投げ飛ばされる時と全く同じそれ。

「ぐっ、あぁっ!」

 机へと叩きつけられ、受動的に椅子から落ちる。カーペットの不慥かな感覚で意識が覚醒すると、次に襲ってきたのは猛烈な痛みだった。あまりのショックに声が出ない。私が生きられたのは奇跡だったと、鼻をつく異臭で察知した。

「……そんな」

 何から起こったのか理解できなかった。

 烈火の颯。目の前に立っていた先生も、横で笑っていた同級生も真っ赤に染まった。一体どこの誰がそれなのか見当もつかない。錯綜する感情のせいで涙は出ず、口から同じ色をした液体が溢れてくる。

「ここを……離れないと」

 抉れた天井の隙間から見えた景色では、仮面をつけた白いマントが笑顔を貼り付けていた。辺りに並んでいるはずの建物は何も無くなっていた。何故だろう?

 逃げなければ。戦わねば。

 誰かが困っている今この時こそ、私が組織で力を鍛えた目的だったのではないか。

「武器——」

 刀があれば絶対に負けない。もうどれだか判らない彼の仇を絶対に取らなければ。

 本能が私を突き動かした。



 仮面マントから身を隠して逃げ続け、私は組織の中枢に辿り着く。

 鉄扉を開けた先には、今にも戦いへ向かおうとするお師匠様の姿があった。

「お師匠様!」

「五鈴。お前なんで戻ってきた」

 最後に会ったのは数刻前。彼女は複雑な表情で私を見下ろしていた。

 無力で小さな拳を、血が滲む程に強く握る。

「親友が死にました。仇を打ちます」

「馬鹿野郎! お前みたいな若いのが戻ってきてどうするってんだ!」

 部屋中に響く力強い怒声。こんな怒られ方をするのは初めてだったろうか。

 そうしている間にも、外では爆音と銃声が鳴り響き続ける。人の悲鳴はあまりに小さく聞こえなかった。彼女はホルダから拳銃を取り出すと、私に突きつけた。

「これは遊びじゃない。全人類の存亡を賭けた戦いだ」

「遊びでないことくらい承知の上です。ここで私が戦うのは、奪われた彼の命を弔うため」

 沈黙が襲った。

 外の激戦とは打って変わって、落ち着いた室内には何の音もない。

 彼女は私を見つめ続ける。私も彼女を見つめ続ける。そんな時間が続いたところで、彼女は口を開く。

「約束しろ。生命の危機が襲うよりも前に逃げると」

 私はただ一言だけ口にする。

 お師匠様は帽子を深く被り、鉄の扉を蹴破って出ていった。

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