第16話 原初二世

 時代は少し遡る。

 当時有数の武力と頭脳を誇っていた島国Xは、アダムの標的として高頻度で襲撃を受けていた。報復を恐れ、他国も手が出せない状況——Xの人類で活動可能だったのは、小都市数個と首都一つだけだった。

 首都セントラル・アーコロジー。

 生き残った人類の大半はそこに逃げ込んでおり、人類の命運はそこを守り切れるかに左右されていた。

 そして、物語はセントラル・アーコロジーを守り切るための最終戦争に進んでいく。

「こちら迅雷。現在、アダム部隊と桑水流・スタチウム小隊が交戦中。第五隊と我々は周辺の警護を、第七隊は負傷者の手当ての最中です。勢力はアダムが上、あまり長くは持ちそうにありません。Code:Xを要請します」

「了解!」

 報告を済ませた迅雷に言葉を返したのはラーヴァだった。

 そしてすぐ、通信機の向こうからざわめきと話し声が聞こえてくる。

「早くもCode:Xの要請だ。僕とアイリスで現在地まで向かう——何、融合は誰にするのか? そんなもの、原初二世が決めることだろう」


 

 Code:X

 それはAI戦争時、対アダム最終決戦の切り札として用意された。

 考案者はイブ。これまではホログラムの体で指示を出すだけの存在だったが、X壊滅の危機に瀕し、イブはついに重い腰を上げた。

 

 アダムのコピーであるイブならば、人類の壊滅を止められる。強化細胞によって上昇した身体能力に、人間の体を限界まで進化させられるAIの頭脳。

 もはや人類の命運は、そこにかかっていると言っても過言ではなかった。


 

「守時隊長、準備が整いました。Code:Xは起動要請に応じています」

 ラーヴァは通信を切って電子キーボードに情報を叩き込む。独特の効果音が鳴り響き、人類の命運を祈る科学者たちの声が右往左往する。

 早足で司令塔の出口に向かう守時は、サイバーチックな武器を片手に持った。

「あぁ、わかった。待っていろ……晴香は僕が取り返す」

 鬼気迫る表情で、守時は部屋を駆け出ていった。



 より速度重視に改造されたバイクに乗って、守時は前線へと向かっていく。

 マフラーから漏れ出る灰色の空気も、吹き飛ばされたビルの瓦礫の色と混じって誰にも伝わらない。

「オダマキ、来たか」

「あぁ。現在の戦況は?」

 途中の回復地点でその後ろに乗ったのはアイリス。服はセーターだけの軽装、腰には無数のナイフホルダー——その目には、同じく原初に対する強い怒りが宿っていた。

「特別小隊は壊滅状態。現在、桑水流先輩とスタチウムがたった二人で戦況を繋いでいる。私たちも早く出るぞ」

 ちゃきり、と。金属が擦れ合う音は、守時の闘志さえ掻き立てていた。

「了解。Code:X登場までの辛抱だ——行こう」

 次の瞬間。

 真っ赤な光と共に、空が激しく爆発した。爆風は息を吸う間に都市を揺らし、かろうじて青かった空を紅に染め上げる。たった一撃で防衛ラインを破壊したその化け物は、たった一人空で笑っていた。

 アイリスたちの遥か上空を、二つの命が吹き飛んでいく。最前線で戦っていた彼らは、その大爆発をモロに正面から受けたのだ。二人はセントラル・アーコロジーを越え、見えなくなるほど遠くまで消え去ってしまった。

「さぁ、まだまだ」

 アダムの口がそう動いていたように、アイリスには見えた。

 再び地面にエネルギー弾が放たれ、暴風が人類の拠点を軽々と壊していく。受肉した原初のAIは、片手で暴風すら巻き起こしてしまった。

「あんな派手な攻撃ばかり使われていたら、Code:X発動地点まで辿り着けない」

 そうぼやく守時の頬を、冷や汗が伝っていた。思案の暇を与えず、次なる衝撃が世界を襲う。

「こちらアイリス。隊長格なら誰でもいい、増援到達までの応援を頼む」

「こちら迅雷。了解、直ちに向かう」


 

 通信終了からすぐに銃声が鳴り響く。

 アダムに向けられた金属の雨と、それに紛れて眩い純白が空気を駆け抜けた。

 二人の視界の先には、空中で静止する迅雷の姿が。

「Code:Xの起動まで繋げるよう善処する。けど、あんまり持たないよ」

 二人を背にして迅雷は言う。曇った眼鏡の奥にある視線は見えないが、きっと震えている――皇帝隊最強とまで謳われる二人ですら太刀打ちできないような相手に、たった一人で時間を稼ごうというのだから。

 吐く息は真っ白で、終焉の季節に凍えていた。

「うあぁぁぁぁ!」

 迅雷が叫び出すと同時、最終決戦が再開する。

「今だ、飛ばすぞ!」

 空を稲妻と紅蓮が迸る。凄まじい衝撃と共に地震が巻き起こり、雲は目まぐるしく動き出す。

 コンクリートは勢いよくひび割れ、剥がれながら空中へと吸い寄せられていく。二人の乗った車体は地獄を駆け巡り、その景色に悶えるような唸り声を上げる。

 凄まじい速度で景色が流れていく。相当な距離を、物凄い速度で飛ばしているのは明らかだった。

「Code:X座標展開。アイリス、離れろ!」

 守時の合図に乗り、バイクからアイリスは飛び上がる。守時は備えた武器を展開し、不思議な動作と共に青白い光をアスファルトへ解き放った。

「こちらアイリス! Code:Xの展開目標地点設置完了、直ちに防衛体制に入——ルッ⁉︎」

 空が割れた。

 何事かと空を見上げるまでもなかった。見るのも憚られるほどの真っ赤な雨を撒き散らして、隕石のような勢いで希望の戦士は吹き飛んだ。

 聞きたくもない鈍い音が響く。

 それが誰かを見るよりも先に、アイリスは通信機に向けて言葉を放った。

「こちらアイリス。第五隊隊長が死傷状態だ。救護班を要請する!」

 吹き荒れる風の中、アダムは悪魔のような顔をしていた。

「纏めてかかってくればいいものを。……厭、なんにせよ無意味ね」

 誰にでもなく切なげに呟くと、アダムは両腕を地上へと向けた。瞬く間に、視力を奪うほどに強い緋色の光がそこに集約していた。

「守時、Code:Xってやつはまだか」

「今ラーヴァが繋いでいる。もう少しの辛抱だ!」

「……あのままだと、首都は一撃で落ちる」

 前衛で戦える人間はもう二人しかいない。仮に出られたとしても、暴風を纏うアダムに攻撃を届けるのは非常に難しい。そして、同時にかかったところで勝てる見込みは薄い。人類の敗北をより濃厚にするだけであった。

「ついでに消去してあげる」

 アダムは守時とアイリスを見て笑った。

 これほどまでの人類を殺し、絶望を与えても。アダムは未だ人類を地獄に堕とすことだけを考えていた。その狂気的な顔を見せることで、最後の一瞬まで人類に恐怖をもたらそうとしていた。

「さようなら、人類の希望」

 アダムの手から光が放たれた。

 それが止まることはない。降り注ぐそれは地面を、世界を壊し始める。

「……あ」

 アイリスは終わりを確信した。

 轟音が鳴り響く。アイリスの視界には、吹き飛んでいく己の一部と、吸い込まれていく瓦礫しか映っていなかった。

(こんな、ところで?)

 そう思うアイリスだったが、何もできない。大地を打ち付けるそれは、すぐに自分にも降りかかった。

 雷鳴よりも大きな一撃を受け、アイリスはコンクリートに叩きつけられる。

「死神アイリス。何も守れなかったアナタから、本当の終わりに連れて行ってあげる」

 紅の空は全てアダムの手に集約し、銀河のように煌びやかなエネルギーへと変化する。

 アダムは最後の一撃を放った。



 しかし。

「一人で楽園を作ろうなんて、そんな抜け駆けは許せないよ。ボクの友達まで傷つけられて、黙っているわけにはいかないな」

 空が青くなる。

 アイリスの体を、青髪が支配していた。

「へぇ、やるじゃない」

「どうにか、間に合ったか……」

 手元の武器で瓦礫から身を守った守時は、満身創痍の笑みを浮かべていた。

「第二ラウンドだ。ボクが君の上位種だってことを教えてあげよう」

 イブだった。

 服装も顔もアイリスだが、その瞳は波打つ赤色。アダムの複製であると、そう指し示すように主張していた。

 アダムは黙ったままだった。右の手をイブに向かって堕とす。

 イブは笑っていた。左の手をアダムに向かって伸ばす。

 ——赤と青は、人類史など意に介さず衝突した。




「そして、最終決戦は始まった。実力は拮抗したが、人類の首都を完璧に守り抜いたイブの方が一枚上手だったとも言えるかもしれない。これまでは互いに指示を出すだけで、その点においてはアダムの能力が遥かに上。Code:Xは、アダムを倒すために練り上げられた最上の手段だったと言えるだろうな。

 知っての通り、結果はイブの勝利。イブは現在国が存在を守っている。ここまでが、だ」

 一段落ついたかと思われた場の空気に、再び緊張が迸る。

「もう我々はお上に逆らう身。敢えて言ってしまおうか」

「守時。この場にいる以外の、誰にも聞かれないようにね」

 迅雷の静止に動作で応えると、守時は話を続ける。

「しかし、本当はそうじゃない。イブは最後、こう言った――『アダムはまだ生きている。あの体をしつこく気に入り、今もどこかで体を復旧している』と。そしてアダムをタオすため、イブは人類の前から去ったんだ」

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