第10話 黒金定国という男

 これは過去を生きた死神の話。

 その男は、Xの前国に生まれた。

 

 

 人いきれと騒音の中に、その手を鎖で繋がれた男がいた。男は看守に引っ張られ、歩みの選択権を握られていた。

「一人の部下に裏切られて生涯を終えるか。大うつけらしいな」

「黙ってろ……」

 枯れた声で、その男——黒金定国は言葉を返す。

 わずかばかりの斜陽を受けた石敷きの床が、古臭い靴とぶつかって鬱蒼としたリズムを奏でる。

 無言のまま壁に衝突。間髪容れずに鉄格子が世界を遮った。

 陽の光は当たらず、最低限の設備しか用意されていない。部屋はほぼ一色で、どれもくすんでいた。

「このクソ野郎……」

「何か言ったか?」

 看守の冷たい声が愚痴を制する。

 定国は、虚空を見つめていた。

 

 

 それから、一年以上が経過したある日。

「キミが黒金定国?」

 音も気配もなく、二人の人間が侵入してきた。

 どちらもフードを深く被っており、顔は見えない。仄暗い牢獄の中で、明るい存在感を放っていた。

「貴様ら、一体なんのつも」

「話の邪魔だぜ」

 男女の二人組だろうか。どちらも抜きん出た何かがあると、その瞬間に定国は悟った。

 特に、小さい方のフードが持つ力——それが、定国の心に語りかけてくる。

「……何が目的だ」

「うーん、革命かな?」

 小さいフードの方は、定国に背を向ける。静かな廊下だというのに、呼吸音ひとつ聞こえてこない。

 男の方が鉄格子を叩き割る——その頃には、小さいフードはもうそこにいなかった。

「俺たちはこの国を変えたいと思っている。協力してもらえるか?」

「……拒否権なんざねえ癖に、よく言う野郎だ」

 そう口にしたのも束の間——大監獄が、倒壊した。

「はい、君の武器でしょ?」

 突然悲鳴を上げて崩れ出す建物。当惑する定国に刀と銃を渡すと、二つのフードは並び立つ。

「おいおい、やり過ぎじゃねーの」

「いいのよ。どうせ後で派手にやるんだから——それじゃ、始めましょうか」

 定国も立ち上がる。

 手錠を無理やり引きちぎり、刀を握りしめた。

「……ようやく面白くなってきた」

 黒金定国は世に放たれ——世界の歯車を変えるべく、動き出した。

 

 

 それから。

 Xが形を成す頃——新たな軍組織が誕生。立ち上げであった定国は、そこで隊長をしていた。

 その人生の道中、ある国を訪れた時の出来事。

 度重なる戦闘の疲労を案じた友が、定国をある国へ旅行させた。

「守時の野郎……いきなりすぎんだよ」

 文句を言いながら、定国は和の道を歩む。

 華やかさと静謐さ。街並みは落ち着きで統一されていた。

「折られた刀の代わりでも……」

 見慣れぬ景色を楽しむこと数十分、定国はある建物に目をつけた。

 茶褐色の建物に、古びていて読めない看板。ガラス越しに飾られた鮮やかな装飾の刀が、その店の本質を明確にしていた。

「……どれ」

 定国は店の中に入る。しかし、店内に人の姿は見当たらず——色のせいか薄暗い。町外れならこんなものかと、店を出ようとしたその時。

「来客とは珍しい。茶でも飲んでいくか?」

 唐紅の着物に身を包んだ男が現れた。

「刀を売ってくれるか。暫し前に折れちまってな」

「何故じゃ」

「ちょっとした戦だ」

 言葉を返した定国は、男の視線に気がついた。

 無表情で黙ったまま——男は定国を見定めている。

「人斬りか。荒々しいが、その敬意は伝わる……座って待て」

 そう告げ、男は奥へと戻っていった。

「なんなんだ、あの野郎」

 定国は改めて周囲を見渡す。

 店内は刀が綺麗に並べられており、塵一つ付いていない。内装は暗いが清潔で、隅々まで手入れが施されている。

「興味があるのか」

「まあな。刀は嫌いじゃねえ」

 定国が返すと、着物の男は刀を置いた。一目瞭然の逸品——その鞘には、太陽の刻印が押されていた。

「儂の名はヒノモト。しがない刀工じゃ」

 ヒノモトが着物を捲ると、猛々しい筋肉が現れた。

「刀を作ってやる。……代わりに、お前さんの武芸を見せてみよ」

 暗い店に、窓から斜陽が差し込んだ。

 手頃な刀を渡されると、定国はゆっくりと立ち上がる。

「やめとけ。俺が殺しちまう」

「……いつ儂が戦うと言った」

(この男、なんという重圧)

 ヒノモトは定国から視線を外す。そのまま、奥に向かって声をかけた。

「おい、かなで。いるんじゃろ?」

「あぁ。団子はどこだい」

 そう言いながら現れたのは、茶色い髪の男。着物に身を包み、懐に静かな雰囲気の刀を帯びている。

「俺は小春凪奏こはるなぎかなで。こう見えて剣士をやっている」

 奏は定国に握手を求める。その瞳や腕は真っ直ぐで、ひたむきな剣士の姿が感じられた。

 言葉を返すよりも先に、定国はその手を握った。

「黒金定国だ。死神をやってる」

 

 

 それからすぐ、山の丘陵にて。

「儂が納得すれば終了。よいな?」

 無言で二人は同意する。

 研ぎ澄まされた集中力で、先に仕掛けたのは定国だった。

「テメェの断面見せてみろ」

 定国は縦に一撃を放つ——しかし、奏は軽く構えているだけ。

「ほんっとうに速いな……びっくりだ」

 斬撃の軌道に沿うように、奏はステップを踏んで回避する。無駄のない動きに驚いたのも束の間、定国は背後を取られていた。

「そいつはこっちのセリフじゃねえか」

 体を拗らせ斬撃をいなす。バックステップで距離を取るも、すぐに奏が追尾——颯の如き踏み込みで、落雷のような斬撃が放たれた。

 頬に汗を伝わせ、定国はその刀を受け止める。金属と金属が弾ける甲高い音に、周囲の空気が熱く震えていた。

「だがよ、俺もお遊びで戦ってるんじゃねえ。受けてみろ」

 刀を押し返すと同時に、定国の猛追が迫り来る。

 奏は笑みを浮かべながら刀を操り、殺人武芸の連撃を弾き返していく——。

 定国は雄叫びを上げ、再び大ぶりの斬撃を振り下ろす。

「いや本当にすごい……っ! どうだ、うちで修行しないか⁉︎」

 奏は斬撃を躱すと、大きく離れ距離を取った。

 素早く流れる剣術。同じように刀を使う者として、定国は肌で強さを実感していた。

「そいつはお断りだ。お前こそ、うちの隊で戦わねえか」

 二人は再び構え直す。間にあるのは闘気——葉が生い茂る森の中にある、ひとときの静寂。

 刀が交わろうとした、その時だった。

「もうよい。十分に戦い方は伝わった」

 ヒノモトが、静止をかけた。

「おい爺さん。作るための条件だって言ってなかったか?」

 刀を鞘におさめ、定国は問う。

 小気味よく笑うと、ヒノモトは言った。

「最初から作るつもりじゃったよ。二週間後、受け取りに来い」

 何とも言えない心地良さ。

 明るい笑いが、丘陵に響いていた。

 

 

 それから二週間、定国は国に滞在した。

「おう、来たか」

 奏と定国は、友と呼べる関係を築いていた。ヒノモトのいる鍛冶場で団子を頬張り、お茶を啜り、奏はくつろぐ。

「相変わらずだな」

 定国はその正面に腰掛ける。

「今日だったけ」

「その予定だ。稽古場の方は?」

「や、まだ開けてない」

 定国ジブンよりも長生きであろうに、奏の声や見た目には老いが感じられない。定国が、その秘訣でも問おうとした時だった。

「人の団子を食うでない」

 奥からヒノモトが現れた。体には仕事後の疲労が宿っている。

「今できたところじゃ……」

 そうしてヒノモトが二人に見せたのは、並んでいるどれにも劣らない——或いは、それ以上の一級品だった。

 禍々しい漆黒を宿した柄に、しろがねの鍔。より黒く、薄れを知らない黒漆を宿した鞘が覆うのは——紅と黒が混じった刃。

「お前さんの力にこれ以上応える刀があれば、儂は知りたいのう」

 その衝撃に、定国は言葉を出せなかった。刀を見慣れている奏でさえも、視線が釘づけになっている。

「筆舌に尽くし難いものを感じるよ。なるほど、君でなければ扱いきれないな」

 定国の意識が現実に帰ってくるまでに、それなりの時間を要した。

 それほどに凄まじい衝撃だった。

「この刀の名を叫ぶ時こそ、お前の始まりじゃ——」

 死神が、鎌以外の武器を手に入れたのだ。

 

 

 このまま何も起こらなければ、定国は誰かに過去を語ることなどなかったはずである。

 それから滞在を終え、Xに帰ろうとしたある日のことだった。

「寂しいな、友との別れは」

「また遊びに来るさ。少しの別れだ」

 他愛もない、寂しげな会話をしていた時だった。

 建物を凄まじい衝撃が駆け抜け、警報が鳴り響いたのは。

『緊急事態発生! 緊急事態発生! Y国の全家がマジリティ王国に戦争を仕掛けました! Xがマジリティ側で参戦し、戦火が広がっています! 未曾有の大戦争が始まります! 直ちに避難してください! 繰り返します』

 強い語勢で繰り返される警告音。

 定国の嫌な予感が、的中してしまった。

「……まずいことになった」

 曇った顔で、奏は外を見据える。被害が及ぶのは時間の問題だと悟っていた。

「あぁ。死ぬなよ」

 落ち着いた顔で、定国は外に出る。

 広がっていたのは暗雲が立ち込める真っ赤な空——外に出た瞬間、定国を異様な殺気が襲った。

「……一体何が」

 その時、定国の携帯型端末がけたたましく鳴り響いた。

『定国、いるの⁉︎』

 電話だった。向こうから聞こえてくるのは、かつて定国を救った人物——その顔に、少しの焦りを見せて。

「あぁ。だがまだ戻れねえ……」

 定国は携帯型端末を耳に当てる。奏が奥からやってくると同時に、無言のまま視線を交差させた。

『……なんで?』

「友の国にいるんだ」

 目を少しだけ開き、奏と視線を交わす。

 定国は刀に背を添える。

「すぐに帰る。……レオ家は任せろ」

 

 

 そして、壮絶な戦争が幕を開けた。

 定国は件の町まで戻ってきていた。だが、走りでは限度がある——着く頃には既に、街を炎が包んでいた。

『気をつけてくれ。Y国最強格・レオ家の新兵器だ』

 守時からの連絡。空が赤いのもそのためだろう。

 その直後だった。燃え盛る鍛冶場を、定国が目にした。

「……おい」

 熱気が襲う。目の前の雰囲気に圧倒される中、定国は鍛冶屋へと駆け出していった。

「ヒノモト!」

「忘れ物か…………団子、もう食べてしまったぞ」

「んなことぁいいんだよ! なんでまだここに!」

 そう訊く定国だったが、もう分かりきっていた。

「作品を護るので手一杯じゃったわ。後はお前さんが好きにせい」

 燃える炎を受けても、刀には傷一つ付かない。ヒノモトの最後の信念を、輝く太陽が物語っていた。

「茶を飲んで待つ。団子は、……よく噛んで来いよ」

 人が倒れる音は、喧騒の中でも明確に聞こえてくる。

 相当な沈黙の後——定国は呟いた。

「爺さん」

 間に合わなかった。その絶望が、定国を糾弾していた。

「……やっぱり俺は、護るよりも斬る方か」

 佩刀はいとうした得物が、定国に殺気を向けていた。

 

 

 どれだけ死に物狂いで駆けたのだろうか。

 まさか前線にいるとは予想外——戦場が騒然とする中、定国は仏頂面で敵を睨みつけていた。

 定国は己の存在を認めない。

「斬って斬って、その先にあるモノを俺は信じる」

 敵が立ち並ぶ戦場目掛けて走り出し、刀の柄を強く握りしめた。

 軍隊の目の前まで躍り出ると、力強くその名を叫んだ。

「————羅刹」

 赤黒い刃が、激しく唸り出す。

 

 

 

 レオ家との戦いを終えた直後、定国は自国でヤスケを拾った。

 周辺国も各国に従って戦った——後にYMX大戦と呼ばれる大戦争。これは、結果的に何十年も続く戦いとなった。

 定国はその国で奮闘し、被害を最小限に抑えた。讃えられるほどの功績のはずだった。

 しかし。

「なぁ、奏……そんなに焦って食うなよ」

 五月晴れの空の下。奏とヒノモトのいた国は、結果的に消滅した。

 離れた国に戦力は割けない。守りきれなかったのだ——。

 

 

 ——定国。俺、娘がいるんだ。

 最後まで最前線で戦い、凶弾の雨を受けて奏は倒れた。

 医療班の治療も、決死の想いも届かなかった。

 ——逃すので手一杯だった。だから、もし見つけたらその時は……。

 奏は静かに目を閉じ、二度と起き上がることはなかった。

 定国は、初めてその手から何かを取りこぼした。

 

 

 それから。

 力で制しきれず、定国は心に深い傷を負った。

 己のせいではないと言われても、自責の念が苦しめる。

「なあ、お前ら」

「……はい」

 のどかな空。定国の隣には、ヤスケと待井がいた。

「皇帝隊を辞めようと思う。お前らは、一体どうする?」

 浮き雲が風に流される。草木が揺れても、墓石は動いてくれやしない。

 定国に命を救われた身。二人は無言で肯定した。

 YMX大戦からちょうど八年、世間をアダムが賑わせていた頃——定国は、皇帝隊を静かに去った。

 

 

 

 定国がXに帰還したのは、AI戦争の終結直後だった。

「……それで、私を呼び出して何のつもりです?」

「おう、一端のガキがでかくなったな」

「貴方との記憶はたかが数年ですが」

 緑髪のメイド服——辻風は不服を唱える。温和な表情はどこへやら、倦怠感を露わにしていた。

 暫しの間を挟み、定国は語り出した。

「妙だと思ってな。安定の時代なはずが、こんなに戦争ばかりだ」

 電子タバコを口に咥え、定国はある確信を口にした。

 瞬間、辻風の表情に驚きが垣間見える。

「組織を作ろうと思う。同期の桑水流麗奈……あいつに俺を殺させ、英雄にする。お前が全て話し、国を動かさせろ」

 天井に備え付けられた警報器は、刀で突かれて割れている。薄煙がそこに届いても何も答えない。

 定国の提案に、辻風は悩んだような表情を見せた。

「貴方が国を裏切ることで悪になり、麗奈さんに殺される。正義感の強い彼女は英雄の名で国を改革————と」

 無言の肯定。辻風は、ため息と共にヤスケを一瞥した。

 黙って聞くヤスケの拳は、血が滲むほど強く握られている。

「貴方の従者は納得していらっしゃるのですか?」

 ヤスケは顔を上げる。真っ黒な瞳の奥には、苦渋の色で炎が揺られていました。

「それが殿にとって最後の仕事だと言うのなら、付き従うまで。新たに殿が救われた新戦力もある……どうか、協力してはいただけないでしょうか」

 言葉の後、ヤスケは深々と頭を下げた。

 辻風のほうじ茶色の瞳が、綺麗な色をして輝き出す。

「……わかりました。貴方の決意を受け止めてみせましょう」

 三本の刃が柱となり、その組織——戦は設立した。

 独自の調査で得た確信に全てを賭け、定国は最後の行動に出る。

 ——しかし、この時の誰も予想しない出来事が起こった。

 守時が作ったAIと、新たな死神の登場。

 予想外の相手を前にし、定国は何を思うのか。

 黒金定国の心中にある〝本当の確信〟とは——。

 

 

 

 幕間は、ここまで。

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