第7話 壊す者とコワスモノ
赤と黒の閃光が、猛スピードで駆け抜け、衝突する。空気が焼け付くような衝撃だった。
二人の表情は常に一定——まったく読めないラーヴァと、仏頂面を崩さない黒金ヤスケ。
「へぇ……アナタの刀、しっかりしてますねぇ」
「貴殿は剣がわかるのか」
「いーえ、剣の重みの話ですよ」
見た目からは想像もつかないほどのパワーで、ラーヴァはヤスケの剣を押し切る。
砂塵と共に引き下がると、ヤスケは真っ黒な瞳でラーヴァを見た。
「楽しませてくれそうだ」
「さ、どうでしょう。楽しんでる余裕なんて、ないかもしれませんよ?」
言葉と共に、ラーヴァは一気に目の前まで躍り出る。
刃と刃がぶつかり、甲高い音が鳴り響く。
斬撃を受け流し、ヤスケはすぐさま後退——そのまま、振り向きざまに一言。
「刃衝閃」
全てを飲み込むほどに真っ黒な斬撃が大地を包む。周囲の全てを飲み込むほどに大きな闇が、ラーヴァとその全てを喰らわんと迫り来る。
「呑まれたら消滅ですか。うひゃー、恐ろしいですねぇ」
闇を軽く薙ぎ払うと、そのままラーヴァは剣を振り下ろす。瞬時の斬撃を見切り、ヤスケは無駄のない動きで避けてみせた。
無言のまま、二度目の刃衝閃。縦に大ぶりの一撃が、至近距離から大地を削って突き進む。暗闇を、ラーヴァは再び切り裂いた。
「同じ手二回ねぇ。少々安直すぎやしませんか?」
たった一度の刃衝閃で、ラーヴァは攻撃の軌道、見かけと本来の破壊規模を全て見極め、そこから第二撃を予測し切って見せたのだ。
ヤスケを見つめる蒼い瞳の奥に、数式の羅列が並んでいる。
草履は土を掻き切り、後退する肉体を強制的に静止させた。
刀を構え直すと、ヤスケはかっと目を見開いた。刹那、秘められた殺気が爆発し、人類を超越した速度の黒い刃が飛んでくる。
着物に草履とは思えないほどに疾い一撃に、ラーヴァの肉体は唸りを上げた。
(おっと——疾い疾い)
剣同士のぶつかり合いでは不利と判断したのか、ラーヴァは剣の向きを変えて刺突を受け止める。金属が裂けるような鈍い音と共に、その体は一瞬で後方へと吹き飛ばされた。
勢いよく吹き飛んだラーヴァの体は、遠くの廃ビルへと突っ込んでいく。
休む間も無く、ヤスケの猛追。
ラーヴァはすぐ傍にあったソファを蹴り飛ばす。だが無意味——急降下する漆黒がそれを切り裂いてしまった。
「あ、やば」
鬼気迫る表情で繰り出される刺突。
剣の向きを咄嗟に変え、ラーヴァはその閃光を受け止める。甲高い音と共に、二人の間を火花が散った。
ラーヴァが攻撃を弾き返すと、ヤスケはその間に距離を取って剣を薙いでいた。
「刃衝閃」
刹那、連続的に放たれる無数の真っ黒な鎌。
闇より颯、こちらを消さんとばかりに攻撃が迫り来る。
「——ふっ」
妖しい笑み。
それを最後に、廃ビルは大爆発を起こして消滅した。
「あっはは、とんでもない威力ですねぇ」
柵の隙間から綺麗に着地し、ラーヴァは隣のビルの駐車場まで飛び移っていた。
攻撃の余韻に浸る暇もなく、駐車場を崩して闇が落ちてきた。
風が吹き抜ける暗闇の中、ヤスケは口を開いた。
「貴殿のその強さ……想像を遥かに超える。何者だ」
「いーえ、別に何者でもありませんよ。……時代が生んだ、只の破壊者です」
——生まれた時は、普通の女の子。だけど、名前は覚えていない。
「今すぐに改造実験を行え。この器なら、確実に成功する」
親は倫理観のない天才。強さや探究心のためなら、実の娘すら実験台にする。
愛情なんてもの、受けたことはない。たった一人だった。だけど、いつも笑っていることで、その分まで優しくあれたような気がした。
昔の私は髪が黒く、長かった。
戦いのために邪魔だと切り落とされ、赤色に染められた。全てを壊し、全てを護るための力を得るために。
AI戦争に駆り出されたのは、戦争がピークを迎えていた頃だった。
ルビーカラーの髪は、父親が奪ったアダム作製の強化細胞。サファイアの瞳は、イブが作った強化細胞。
アダムとイブの強化細胞を同時に備え、制御した世界初の存在。それが私だった。
「こちら第二隊特別攻撃部隊……9071以外全員死亡。アダムの軍勢は大多数、どうやらここが終点のようです」
全身から血を垂れ流し、
アダムの軍勢は、一つの力だけで何とかするには多すぎた。それが別次元、一騎当千の力なら兎も角——ちょっとした力なんぞでは話にならない。
「そうか、ご苦労だったな。せめて、どうか楽に死んでくれ」
返ってくるのは無機質な声。
あの時、わかっていながらも絶望したのを覚えている。
——そうか、私はただの実験道具なんだと。
愛情。それが、楽に死ぬこと?
「あはは……もう、どうでもよくなっちゃいました」
先ほどまで仲間だったモノの心配などもどうでもよく、ただただ涙が溢れるだけ。
初めて、人生で涙を流したかもしれない。
悲しかった。
悔しかった。
そんな時だった。
私にとって、希望となった人が現れたのは。
「…………こちら〝死神〟——生存者一名確認、救助にあたる。『デュアルブレーダー』で構わん。早めに応援を要請する」
光のように美しく、短く切り揃えられた金髪。聞き心地のよい声に、ガラスのような瞳。
死神アイリス。
「皇帝隊の隊員……あぁ、例の。少し待っていろ、お前は運がいい」
そう言い残し、アイリスは手袋をはめ直して戦場へと向かっていった。
戻ってくるまでに、そう時間はかからなかった。
地獄を見ていたから、そう感じただけかもしれないが——とにかく、圧倒的だったのだ。目にも止まらぬ速さで銃を撃ち、人を斬る。無駄が排除された、的確な戦闘の運び方——一騎当千とは、この人のことを言うのかもしれない。そう思ったほどだ。
「気に病むことはない。あいつらは第二隊のデータを収集していた。洗脳人類にインプットする、アダムの策略だろうな」
スーツを赤黒く汚して、アイリスはラーヴァのもとへと戻ってくる。
手袋を捨てると、その涙を拭き取った。
「ようやく、仲間以外の誰かを救えたよ……お前、名前は?」
「残念ながら、覚えていなくて」
「そうか。……なら、お前はラーヴァ。ラーヴァだ——」
——あの人に出会って、私は初めて名前を持った。私はいい。だけど、あの人は利用させない。
「…………ま、破壊者らしくぶち壊すだけですよ。内側以外の外側を、全部無に返す。それが私のおしごと」
「いいや、違うな。貴殿の強さは、そんなに小さな話ではない」
その言葉を皮切りに、ヤスケの中の何かが爆発した。全身から真っ黒な闇が爆発し、ラーヴァの肌をピリつかせる。
数式で彩られた目を見、ただ一言。
「貴殿相手に手加減は無礼——全力で戦うことを約束しよう」
ヤスケは瞬間に加速し、ゼロ距離から斬撃を放つ。突然のことに笑顔のまま驚きつつも、身を翻してそれを躱し一蹴り。
轟音を上げ、ヤスケは勢いよく吹っ飛んでいく。駐車場の壁を破って落ちていった先は、廃れたショッピングセンターだった。
「やだなぁ、レディには手加減しなきゃダメですってば」
冗談混じりの斬撃が放たれ、ショッピングセンターの床を一気に切り裂く。
そのまま降ってくる赤い隕石を受け、ヤスケは下へ下へと落ちていった。コンクリートが砕ける轟音の中、二人の視線が交差する。殺気全開の険しい表情をするヤスケと、対して終始余裕を持った表情のラーヴァ。
形成逆転、ラーヴァのペースを作っていたのだが——そこで、ヤスケの強烈な蹴りが飛んできた。不意打ちに勢いよく吹っ飛び、そのままスーパーの食品売り場へと墜落する。
「容赦ないですねぇ——ッ!」
後頭部を抑えて笑うラーヴァ目掛けて、黒の閃光が突っ込んでくる。
その顔に動揺を見せながら、かつて食材が並んでいた棚を吹き飛ばして刺突を受ける。その全てを退けて壁に衝突すると、二人の殺気がぶつかり合う。
「まだまだですよ……っと」
窮地に陥ったように見えたラーヴァだったが、この程度で終わるようではあの時に死んでいる——右脚でヤスケの体を押し込み距離を取ると、勢いよく左脚で蹴り上げた。
高火力の打撃を受け、ヤスケの体は天井を破って上昇する。
「いーんですよ、もっと喋っていただいて」
追尾と同時に斬撃を放ち、ラーヴァは攻撃のタイミングをずらす——だがそれと同時に、ヤスケの斬撃が攻撃を相殺していた。意味を成さなくなった牽制を掻い潜ると、昇ってきたラーヴァをヤスケは蹴り飛ばす。
辿り着いた先はゲームセンター。勢いのついた体はクレーンゲームの台へと直進する——が、ラーヴァは剣で勢いを相殺し、そのまま台に脚を引っ掛けて着地。台を蹴って裏側まで回り込み、瞬時に台を投げ飛ばす。
「甘い」
だが、瞬く間に台は真っ二つ。
少しだけ驚いたような顔を見せるが、ラーヴァは向きを変えて奥へと退避していった。そして、予測不可能なタイミングで牽制の斬撃を穿つ。その度に微笑む——遊んでいるようにしか見えない。
だが、ヤスケの目にはそう写っていなかった。
(此奴、化け物だ)
訪れたこともないはずのゲームセンターで、すぐに状況を把握し最善の策を実行している。それも、汗一つかかずに涼しい顔で。
「ふふっ、顔に出ていることが全てとは限りませんけどね」
こちら《ヤスケ》の思考すら見通し、ラーヴァは強烈な斬撃を放つ。
牽制とは違う、無色な大規模の一撃——ヤスケは、腕に力を込めて黒い斬撃で対処した。それは互いの頬を掠め、建物を大きく破壊する。
その攻撃が終わると、二人は攻撃を静止した。蒼と黒の視線が交差する。
「……貴殿は、本当に恐ろしい。我の思考を遥かに上回る者が定国殿以外にいるとは、信じられなかった」
「いーえ、貴方も十分お強いですよ。これに気づく相手なんて、中々いませんから」
体の奥から、蒼紅の炎が燃え上がる。
それはラーヴァの剣を呑み込み、銀の鉄塊に色をつけた。
「十束の
笑みを浮かべながら、ラーヴァはその一言を口にする。
『一、
宣言と同時に、十束の剣は禍々しいオーラを放ち始めた。
本能が警告を発すような悍ましさと、大地が震えるほどのパワーを秘めていた。
「ある神が化け物を対峙した刀……まるでその名を騙ったようですが、それだけじゃありませんよ」
十束の剣の力が解き放たれた時、ラーヴァの笑みにもどこか狂気が宿り始めた。そのオーラは異様なほどに大きく、八つに分かれている。
「もう、嘘はない。我も全力を出そう」
言葉と共に、風が唸り出す。闇が暴れ、建物の全てを呑み込んでいく。
真っ黒の中から、赤いエネルギーが徐々に漏れ始めた。暴強化細胞の色と同じ——その者も、異質な何かを秘めていた。
「殿のため、この身散らしてもお前を止める」
XやYから遠く遠く離れた国。そこに、一人の孤児がいた。
貧困格差が激しい国で、親も頼れる人間もいない。
訪れた富裕層の人間を脅し、挙句の果てには殺して金品を奪う。相手を見極めて挑んでいたからか、返り討ちに遭うことは一度もなかった。
殺せそうな人間が減り、更なる飢餓に苦しんでいた頃。
ある教会の神父が、ヤスケを拾った。
決して裕福とは言えないが、食が提供される生活。ヤスケの心は、少しずつ癒されていった。
だが、神は決して優しくない。
AI戦争以前——YとX・マジリティ連合の戦争で、ヤスケの国は飢餓が更に深刻化した。
同じ教会の仲間も、神父も亡くなった。
「あなたは、自分が正しいと思うものを信じて生きなさい…………それが蛇の道でも、貫き続けなさい」
——
正しさなど、わかるものか。
命からがら、Xの外れへと辿り着いた。やはり、ヤスケを苦しめたのは飢え。何も得られない生活が続いた。
「もう少しでいい。もう少し、足掻かせてくれ」
誰も味方のいないヤスケの前に、その男は現れた。
凄まじい威圧感を持っていた。それと同時に、果てしない焦燥感も。まるで、死神のようだった。
「お前、もっと遠い国の出じゃねぇのか。すまねぇな、守りきれなくてよ」
「……生きられぬ。このままでは」
どうせ死ぬなら、もう何をしようと同じ。目の前の死神に、命を求めたのだ。
「見りゃわかるよ。俺が食わせてやる。お前、名前は?」
「名前はもう、忘れてしまった」
「そうか。なら、お前は——ヤスケ。黒金ヤスケだ——」
——名前を与えてくれた。それだけで、信じることができる。
それが、親というものだろうか。
奇跡的に少し延びた命、もう十分だ。殿のため、全てを
光の速さで、ヤスケはラーヴァの目の前まで躍り出る。放たれる落雷のような斬撃——それは、何処からともなく現れた魍魎によって止められた。無防備な肉体を穿つ強烈な打撃を受け、ヤスケは反射的に身を引いた。
(一体、何が起こって——まさか)
先ほどまでよりも遥かに速い後退。それにもかかわらず、二人の距離は変わらなかった。
ラーヴァは、後退とまったく同じ速度で動いていたのだ。
心の中に僅かな動揺はあれど、表情は変えぬままヤスケは剣を振り下ろす。今度は剣に命中——しかし、魍魎は押し切ることを許さない。八つ首のうちの一つが、ヤスケの胴に噛み付いた。
剣から左手を離し、力のままに八つ首を叩き落とす。更に速度を上げて、ヤスケは瞬時に身を引いた。
腰の辺りまで血を垂れ流し、ヤスケは刀を構え直す。
「貴殿の腕、もっと見せてもらおう」
深く息をつくと、ヤスケは白目を剥いた。全身から、囂々と赤いエネルギーが溢れ出した。肉体の中に隠された、闘争本能が目を覚ます。
生命を削って戦う、暴強化細胞の極地——ラーヴァの笑顔に、狂神が宿る。
「——!」
大気が震えるほどの咆哮。他で戦っている者の耳にも届くほどの声量を、真っ暗闇が空ごと切り裂いて突っ込んでくる。
ラーヴァはそれを見切り、受け止めた。だが——
(重っ⁉︎)
防御を貫かれ、ラーヴァは派手に吹き飛んだ。
瞬く間に間合いを詰められ、ヤスケの連撃が炸裂する。左右から交互に繰り出される回避不能の斬撃を、ラーヴァはステップを踏みながら避けてみせた。蝶と蜂が舞う舞台——そのバックミュージックは、甲高い金属音と土の抉れる音のみ。
(攻撃のたび、速度と火力が何倍にも上昇している。もはやこの
——あれ、もしかしてかなり厳しい?
心の中でぼやくと、ラーヴァはステップを止めた。瞬く間に一回転、太刀を受ける。
ギリギリと鳴る金属の音に、ヤスケのとてつもない握力。ラーヴァの体は刹那のうち、徐々に沈んでいった。
「止まりましたね……!」
言葉という指示を受け、魍魎が唸る。すぐさまヤスケの体を抉り、無理矢理退避させた。
全身から血を流そうと、その男が倒れる気配はない。強大な殺気のまま、獲物を見つめている。
「光の速さを超える闇を、聞いたことがあるか?」
(何かやばい)
認知の域を超えた超速。人間の肉体が出せる最高速度、人間の肉体強度を打ち破り、ヤスケは猛烈な速さでラーヴァに刺突を放っていた。
「もう、痛いですってばぁ!」
ほぼ勘だった。身を引いて逃れようとしたものの、当然間に合わない。ラーヴァの体を、鮮血が舞っていた。
その顔に、初めて嬉々以外の表情が映る。
だが、ヤスケがそんなことを気にする様子はない。更に加速し、更に重くなる——己の肉体が悲鳴を上げていることを無視し、全力で攻撃を放ち続けていた。
もはや防御は不可、勘で急所を外すので手一杯——その時、止めの大業が放たれた。
巨大な金属音。
「流石に、腕じゃ持ってかれますからねぇ」
連撃を受けて疲弊しきっているはずなのに、ラーヴァは十束の剣で受け止めた。
その顔に、またあの笑みが戻ってくる。
「……ようやく、起きてくれましたか。さ、今度はこっちの番ですよ」
燃えるように熱かった空気が、目を覚ました妖気に一瞬で支配される。
「この武器、ちょっと特殊で。滅んだ国の天才が打ったんですよ。その重みからか、異様な変化を——なんて、蛇足でしたかね」
ぼやく言葉の一つ一つに邪気が混じったような感覚。全身の感覚を研ぎ澄まし、集中したヤスケの芯まで響くほどだ。
再び、大地を震わせるほどの雄叫び。超速で突っ込んでくるヤスケに、ラーヴァはただ剣を振り下ろした。
「もし生きることができたならば、またいつか楽園の果てでお会いしましょう」
言葉のひと単語を言う間も無く、超規模・超火力の一撃が放たれる。
時が止まった刹那、ラーヴァの背後に八つの首と尾を持つ大蛇が現れた。大地を喰らう一撃に、ヤスケの肉体は衝撃波となって飲み込まれる——。
光芒が、暗黒を喰らった。
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