第6話 死神
夢。
目を開けた先に広がるのは、真っ赤な世界。
すぐ前に立って見えるのは、鏡で見る誰かに似た女性。煌びやかな金髪のロングヘアに、透き通った青い瞳。
「私を倒そうなんざ、四百年早いのよ」
その女性が見据える先に、また一人。
真っ赤なショートヘアに、何の特徴もない白い服。
アイリスは、その人物を何度も見ていた。
「人間風情が私に勝てると思わないこと」
赤髪の女は、そう言って右手を振りかざす。すると、その後ろから不気味な仮面をつけた集団がその者目掛けて襲い掛かった。
一瞬。
アイリスが目で追えないほどに、刹那の出来事だった。仮面をつけた集団は、真っ白な笑顔を貼り付けたまま動かなくなる。
「AI風情が、人間に勝てると思わないこと。それと……」
軽快な声とは裏腹に、金髪の女性の後ろ髪は紫色に染まっていた。
同じくどんよりと染まった紫色の瞳には、真っ直ぐに輝いた護る者の決意が込められている。
「最重要抹殺人類……○○。間違いなく、私が見てきたどの人間よりも強い」
「当然。私、最強だから」
凄まじいオーラを纏う金髪の女性は、赤い破壊者を一つも二つも上回っていた。
眩い光と共に、視界が反転する。
「……、私と共に来なさい。人間を滅ぼすのよ」
「これに興味はないけど、君の下につくよりはマシかな」
赤髪の女が、こちらに手を差し伸べる。だが、右から発せられる一言によって、それが自分に向けられたものではないことを悟った。
「お前たちは」
「へぇ、見えるんだ」
右側に目をやると、青髪の女が立っていた。海のようなショートヘアに、赤と青で彩られたオーロラのような瞳。海の中に一つだけ存在する、真っ赤な虹。赤髪の女とどこか似通う部分があるようなその人物を、同じくアイリスは見たことがあった。
「さ、少し手伝ってよ。君にはまだまだ戦ってもらわないと」
青髪の者が言うのと同時に、体から紫色のオーラが現れる。後ろ髪が長くなり、同じく紫へと染まっていく。
言葉を返すよりも先に、紫と青の光は赤髪へと突っ込んでいった。
力と力がぶつかり合い、凄まじい衝撃が世界を揺らす。太陽のように降り注ぐ光が、肉体を包む——。
アイリスが目を覚ましたのは、その時だった。
窓から僅かに差し込む光が、あの眩い光と重なって鬱陶しさを覚える。
「……桑水流先輩」
疲れ切った体を起こし、食事用の机へと向かう。そこには、これまた古風な桑水流の置き書きがあった。
『ルディアは第二隊のところに行ったそう。これからも忙しいだろうし、これ食べて元気出して』
そう言って残されていたのは、厚めのパンでできたサンドイッチだった。鬼のような一面もありつつ、なんだかんだ言って優しい桑水流——家の食材を勝手に使われたことは忘れ、アイリスはコーヒーを淹れる。
「……もしもし、ラーヴァ。ルディアをこちらに寄越してくれるか?」
「はいはい、わかりました〜。昨日の夜に何があったのか知りませんけど、若いっていいですねぇ」
「戦う前に、この国の続きを見せてやろうと思ってな」
ラーヴァの冗談(?)を無視し、アイリスは続けた。サンドイッチを軽く口に放り込み、ラーヴァの質問に耳を傾ける。
「おや、ルディアさんに興味を?」
パンの香ばしい風味と、よく味付けされたハムの風味が、眠気に包まれたアイリスを起こし出す。
「いいや違う。あいつを育てれば、破格の報酬が待っているからな」
言葉通り、守時がアイリスに渡したのは常軌を逸した額だった。ゼロが幾つも並び、贅沢が十分にできる量だ。
「金に左程興味はないが、ちょっと命をかければあいつの言うことを聞かなくて済む。こんなに楽な話があるか」
「あはは、相変わらず変わったお方ですねぇ」
じゃあなと一言残し、アイリスは電話を切った。スマートフォンを置き、コーヒーに口をつける。サンドイッチの塩味と、コーヒーの苦味が、アイリスの意識をより確固たるものにしていった。
ぐっと伸びをし、椅子から立ち上がる。光の如き速さで着替えを済ませると、コーヒーの残りを全て飲んだ。
「さっさと済ませてしまおう。……こんなこと」
そう言って、アイリスはロングコートを整備した。
ルディアが第二隊によって送り届けられた後。アイリスは、ルディアと共に影の街を離れていた。
「マスター、一体どちらへ」
「この国の首都見学だ。知っての通り、人類はAI戦争によって大半が消滅した。Xも同様、現在生き残っている人間はほとんどが首都に住んでいる。一部の物好きが影の街や地方に住んでいるが、場所によっては実験失敗による化け物が溢れているところもある」
数年前、国の実験機関では非人道的な実験が行われていた。
AI戦争を一刻も早く終結に持ち込むために、暴強化細胞を超える技術を作り出そうと躍起になった上の人間は、イブの作った技術の残骸から研究をした。その結果生まれたのは、完全なる暴走細胞。搭載した人間は、もはや人としての形すら残らないような化け物として半永久的に生き続けている。
「そして、皇帝隊は各地に拠点を持っている」
北端に第九隊。首都郊外に位置する影の街近辺に、第七隊と第八隊。そこからやや西に離れたところにあるのが第六隊で、西端には第五隊、東の海沿いには第四隊がある。第五隊と第四隊の間に第三隊、影の街の近くにあるのが第二隊。そして、首都の警護を担うのが第一隊だ。
西端から南端は件の化け物が蠢いており、人類が行動することは多くない。迅雷が作った化け物ほどの実力はないので、皇帝隊の者にしてみれば大した脅威ではないが。
そして、各隊の拠点付近には、高速な移動手段——スピード・ラインが備えられている。特殊な装置をつけていれば、各隊や街の間を難なく移動できるのだ。
「念の為私はフードを被る。迷うなよ」
腕に巻かれた特殊なバンドを装置にかざすと、透明なラインの扉が開く。中に備えられているのは、超高速で移動できる特殊な機器。
『人間二人の乗車を確認。セントラル・アーコロジーへと転送します』
「ここは機械音声なんですね」
「あぁ。こういうところで人間の声がするのは気持ち悪いらしい」
他愛もない会話をし、二人は首都へと向かっていった。
セントラル・アーコロジー。
AI戦争後に改名されたXの首都で、国民の大半はそこにいる。衣食住全ての機能が備わっており、皇帝隊の護衛もつく——普通に生活ができる資金があれば、ここに住まうことで何とか生きていける。だが——。
「最低限を稼ぐにも、今のXじゃ相当な労力が必要だ。その確保に失敗した人間が生きる方法は三つ。鍛えて強化細胞適性試験を受け、厳しい倍率を乗り越えて皇帝隊に属するか、そのまま影の街に流れるか。或いは、カラプスや戦などの構成員になるか」
AI戦争の功績から圧倒的な権力を与えられているが、皇帝隊はその大半が仕事を与えられていない。王からの支給で生き、最低限以上の生活が営める。堕落し切った生活の中で、年々隊員の実力は低下しつつあった。
「上は今更兵力を増やそうとも思わないから、年に数名しか採用しない。そのせいで、Y国との実力差は開く一方なんだよ」
「……なるほど、戦は抑止力にもなっていると。ところで、核兵器などはないのですか?」
「アダムが登場と同時に、この世界から一切の技術を消した。今作ろうとしても、アダムに葬られるとの噂だ」
現在の皇帝隊よりも平均実力の高い件の組織は、Y国にとっても脅威になる。黒金定国——その人物の名を聞くだけで、周辺国は侵略を停止する。
無論、それよりも大きな脅威がアダムなのだが。
「あぁ。街は見ての通り、一般的な首都と変わらない。人々が内に秘めている物が何色かは除いてな」
フードの奥から、アイリスの青い瞳がチラリと見える。
影の街とは違う落ち着いた雰囲気に、ルディアはどこか居心地の良さを覚えていた。
「マスター、何故でしょう。この街、どこか不思議な感覚がします」
「どこかで来たことがあるのかもしれないな」
会話を挟みつつ、二人は街を進んでいく。すると、青いスーツに白いワイシャツを着た、見慣れた顔の人物がいた。
「桑水流さんですね。声をかけますか?」
「いいや、向こうから来る。ほら」
桑水流はルディアの顔を見つけると、隣にアイリスがいることも見抜き、いつも通りの表情で歩いてきた。
「昨日ぶりだね、二人とも。……ああ、昨日のことは気にしないで」
人間らしいセリフを吐き出すと、桑水流は右手に持った缶コーヒーを口に含んだ。
アイリス同様、桑水流も古来の文化を好む。缶コーヒーくらいなら、割と簡単に手に入るが。
「二人とも、傷は癒えた?」
「はい。今朝はサンドイッチ、ありがとうございました」
珍しく、アイリスは先輩に敬意を示していた。それが何故なのかルディアは思考し、普段の桑水流の行動が無茶苦茶なだけであったと結論付けた。
「いいよいいよ。ちょっと話したいし、今日の夜とかご飯どう?」
「えぇ。ぜひ」
本当は先輩のことを嫌っていないのではないかとも思ったが、ルディアは何も口にしなかった。
「魚と肉、どっちがい——」
その時。
けたたましいサイレン音が鳴り響く。
『伝令、伝令。ウエストエンドにY国が、X南部に戦が侵略を開始! 第一隊、第六隊はY国の迎撃を、第七隊、対
耳をつんざくようなアナウンスの声に、アイリスと桑水流は目を合わせる。共に戦ってきた先輩後輩の間に、言葉は不要だった。
——また、ご飯の時ね。
——えぇ、ご武運を。
心の奥で交わされた言葉と共に、二人は反対方向へと駆け出していった。
第二隊。
金属をハイテンポで駆ける足音に、ラーヴァの耳が動く。
その整った顔が、ついに訪れた戦闘の予感にピクリと歪んだ。
「報告! 現在戦がXに帰還し、南部を徐々に支配している模様! 南部在住の国民たちも応戦していますが、構成員による被害が甚大になると予想されます、直ちに応援を!」
大声で情報を全て伝え切ると、報告を終えた研究員はその場にへたり込んだ。すると、ラーヴァは歩み寄り、ペットボトルに入った水を手渡した。
「ご苦労様です。戦闘部隊にはこちらから連絡を取っておきますから、休んでいてくださいね」
戸惑う研究員の顔に水を押しつけると、ラーヴァは守時のいる隊長室へと向かう。
隊長室の金属扉を脚で蹴り破ると、ラーヴァは守時へと声をかけた。
「隊長、出番ですよー。さくっと殺しちゃいましょう」
「ラーヴァ、それを言うのは敵と会ってからにするんだ」
守時は立ち上がると、そのままアイリスへと連絡を取る。電子液晶の向こうに、ロングコートに身を包んだアイリスが現れた。
「オダマキか。今そちらに向かっている、ルディアの武器を用意しておけ!」
「あぁ、出撃準備は万全だ。今回の作戦は、我々四人のみで実行する。これ以上被害を出さないよう、迅速な判断を頼むよ」
そう言ってすぐに、守時は電子液晶の電源を落とす。そのままラーヴァへと問うた。
「ルディアの段階的制御装置はどこまで解放されている?」
「第一段階突破までです。暴走制御のための装置とはいえ、段階ごとのリミッターが重すぎるのでは?」
「いや、それでいい。今後の戦いは長くなると踏んでいるからな」
言葉と共に液晶が操作され、隊舎の外へとルディアの得物が運ばれる。それを確認した守時は、ラーヴァへと指示を出した。
「アイリスとルディアを迎え入れる準備をしてくれ。合流次第早速向かい、戦闘を開始する」
「了解。時に、隊長。……アナタ、何が目的です?」
指示を承諾すると、ラーヴァは意味深な笑顔を貼り付けて問うた。
「何の話だ?」
「死神についてですよ。あんな利用の仕方、それに旧友を何とも思わずに……一体、何を考えておられると?」
守時はラーヴァの方を見ない。眼鏡のレンズが、冷たく白銀に輝いた。
「それを君が知る必要はない。おっと、二人が来たようだ……向かおうか」
その問いを有耶無耶なままにして、守時は先に部屋を出ていってしまった。残されたラーヴァは、その表情のまま呟いた。
「まったく、なんて親なんだか」
Xにおけるスピード・ラインの使用ルールの一つとして、戦争中でないことがある。外から筒抜けになっており、外部から集中砲火を受ければ崩れてしまう危険性を伴っているためだ。
それにより、四人は自動運転技術を備えた最新鋭の車両を使用していた。スピード・ラインの速度には劣るものの、セントラル・アーコロジーから西端までなら十五分程度で辿り着く。
「戦が攻めてくると同時に、Y国まで……一体どの家だ」
「ジェミニ家とラブライ家だそうです。特に対立関係にはない二家同士……あの二人なら大丈夫でしょうけど」
重圧を放つ得物を磨きながら、ラーヴァが答えた。
ジェミニ家とラブライ家。Y国の中でも特出した武力を持つ。対応が遅れようものなら、瞬く間に殲滅されてしまうだろう。
「Y国には見向きもせず、戦は力のままに暴れ続けている。国を変えるために、その民を殺すのか」
仮眠をとっていた守時が、誰にでもなく淡々と呟いた。
「自分の陣営が大事なんだよ。死人に口なし——殺してしまえば誰も文句は言わないし、生きた奴が言うなら脅せばいい。勝った奴らが、残った奴らを従えて変えていく。そうしてこの国は出来上がったんだ」
事実を告げ、それ以上興味を示さない姿勢。この世界によって歪んでしまった、機械のような男——それが、守時だった。
「戦えばいいんですよ。止められるのは、強い奴だけですから」
ラーヴァがその重圧を押し込めると、得物は漆黒に輝いた。この世界に希望はある——そんな前向きな目をしているような。
「……行きましょう」
「……行くぞ」
二人の声が重なり、鋼鉄の扉が開かれる。
風塵舞う戦場に、その四人は現れた。
「来たか」
それを迎え撃つは、四本の刃。その奥に鎮座するのは、紅蓮の魔王。
幹部達の奥では、隊員と構成員が戦い合っていた。幹部の足元にも、何人かが転がっている。果敢にも幹部へと挑み、反撃を受けた結果であろう。
「迎え撃つぞ」
返り血に濡れた刀が、妖しく光る。
刹那の静寂を突き破って、幾千の〝正義〟がぶつかり合う。
「第四隊死神アイリス——その首をいただこう」
先陣を切って切り掛かっていったのは、戦の幹部だった。
アイリスを狙って目の前まで躍り出たのは、待井蒼介。真っ黒な長髪を後ろで結んでおり、その頬には切り傷が一つある。
待井の一撃は、間に現れたAIに止められていた。鋼の刃で斬撃を受け流すと、そのまま棍棒による一撃が放たれる。肉体に重い一撃がめり込み、待井の体は吹き飛んだ。すぐさま受け身を取ると同時に、待井は笑う。
「残念だが、貴様ら二人の相手は我だ。逃げて通るような臆病者は、殿の前に出ようと敵わん」
「行きましょう、マスター……いえ、アイリスさん」
「あぁ」
アイリスはルディアの横に並ぶ。二人の闘気が最大限に達した時、待井の肉体からも爆発的な闘気が溢れ出る。
雷雨にも近い荒れ狂った旋風が、守時目掛けて襲い来る。二本の刃を両腕で受け止めると、その男は笑った。
「久々の戦場——さぁ、実験の幕開けといこう!」
「まだ戦わせやしないけどね」
そう言って迅雷が右手を上げると、化け物の群れが現れた。おぞましい風貌に、返り血を浴びて汚れた肉体。二メートルほどの化け物達が、守時の周りを囲む。漂う不気味さにも、守時は一切眉を顰めなかった。
「わざわざ準備運動の時間をくれるなんて、随分と優しい敵もいたもんだね」
狂った科学者が、猟奇的な笑みを浮かべる。刹那、化け物たちはその場へと崩れ落ちた。
他の者たちが戦い始めたのに便乗し、ラーヴァも戦火の中へと飛び込んでいく。
バネのように勢いよく跳躍すると、残る幹部目掛けて刀を振り下ろした。
「貴殿、十神皇ではないな。名をなんと申す」
「生まれた時の名前は忘れました。ラーヴァ……それが、恩人の付けてくれた、本当の名前ですよ」
赤い瞳が、蒼色に変化した。それと同時に、彼女を纏うオーラも蒼紅に煌めき出す。
ラーヴァがそのまま刀を押し切ると、その男はすぐさま刀を構え直した。Xではほとんど見ない、黒い肌。
赤い着物を違和感なく着こなす姿に、相当な威圧感——只者ではないと、ラーヴァの細胞が示していた。
「我の名は黒金ヤスケ。殿のため、皇帝隊には消えてもらおう——!」
誰のものとも違う真っ黒なエナジーが、地面を轟かせる。
舞台は改めてルディアとアイリスに戻る。
戦いの構図は、二人が並んでいる先に、顔の前で刀をスッと構える待井がいる状況だった。
「ここは戦場、多対一に今更文句など言わん。だが、それを挑むということは、己の肉体がどうなっても構わんと言うことと同義だ」
辻風とは違い、待井は全身から爆発的な殺気と闘気を放つ。
ルディアの首元で、アイリスは呟いた。
「これから先、誰かと共に戦う場面はそう少なくない。私が援護してやるから、うまく利用して戦ってみせろ」
二人の目が合う。ペースや動きを合わせ、完璧に戦うことが重視される共闘——二人が出会ってから、初の試みだった。
「舐められたものだな。圧倒的な才を持つ者は、常に敵を完封できると思っている」
「俺に完封できる力はない。攻撃を受け続けて、無理矢理にでも成長していくだけだ」
戦闘準備完了——二つの鋼が唸る。それに合わせ、アイリスも銃を取り出した。太陽の光を受け、ボディが真っ黒に輝いた。
その時、覚悟を決めた男の咆哮が響く——。
待井は地を跳躍し、瞬く間にルディアの目の前まで現れた。閃光のように疾い一撃を、鋼の刃で受け止める。だが、その防御は力の前に打ち砕かれた。
「忽然と姿を消した死神を連れて現れた、青い瞳の男よ! その実力を見せてみろ!」
セリフと同時に、金属がぶつかる甲高い音が響く。休む間も与えず、待井は第二撃を放っていた。重機のように重い一撃が、ルディアの防御を壊していく。
「その程度か——チッ!」
だが、ルディアの防御が限界を迎える前に、黒い礫が待井の頬を掠めた。単なる弾丸とは思えないほどの威力に、待井の頬からどくどくと血が流れる。
「強化細胞だからと言って油断すればすぐに死ぬ。守時印の、対強化細胞特注品だ」
「我が肉体は修練の果てに作り上げた技術の集大成。斬られ撃たれ、何度も死地を潜り抜けた。強化細胞など搭載しておらん」
待井が和服の袖を捲ると、そこにあったのは異常なほどに鍛え上げられ、傷ついた腕。
己の〝正義〟の為の力。
他の構成員とは一味も二味も違う、完全な信念と実力。その時、待井の雰囲気が格段に変化した。
その時、アイリスがルディアの方を見た。
一時の静寂が切り裂かれ、咆哮が轟く。
「待井——お前を打ち破って、俺は更に成長する」
ルディアは先手を取り、待井の前へと一気に加速して躍り出る。落雷のような斬撃が放たれた。
「甘い!」
だが、待井は稲妻をすぐさま回避してみせた。その瞬間をついて飛んでくる礫も、一切見逃さずに切り裂く。
「だが人間の体じゃ、この連撃は効くだろう?」
待井の攻撃のインターバルが終了するよりも先に、アイリスは二人の間に入り込む。そのまま、瞬く間に短刀を突き出した。
「ぐぅっ⁉︎」
咄嗟にそれを左手で受け止めると、待井の双眸がぎゅっと細くなった。灼熱感を伴う痛みと共に、傷口から真っ赤な闘志が暴発する。
その一瞬の動揺を見逃さずに、ルディアとアイリスは位置を変えた。
「まだまだ!」
攻撃を受けるより先に、待井はルディアを蹴り飛ばした。草履とは思えないほどに重たい一撃が、二人の距離を戻す。
「相当鍛え上げられた、執念の一撃——だが、この場においては、信念や過去だけじゃ何の役にも立たないんだよ」
再びルディアと入れ替わり、アイリスが先頭に立つ。強化細胞込みにしろ、その立ち回りは共闘に慣れた者の動きだった。
ただの人間とは思えないほどの速度で、待井から横薙ぎの斬撃が放たれる。足元を刈らんとする一撃を、アイリスは跳躍と共に回避する。そのまま、ゼロ距離で銃弾が顔面目掛けて放たれた。
だが、銃撃すらも待井は躱してみせた。死線を潜り抜けたというその言葉に嘘はない。反撃に縦の一閃が放たれる。紙一重のところでその斬撃を受け流し、アイリスはルディアに視線を送った。
——今だ。
ガラスの死神が、AIに言葉を届ける。
ぼろぼろになった大地と血の山を、ルディアは一瞬で駆け抜ける。微かに残った草が、その勢いに宙を舞う。
「この程度で終われるかあああ!」
待井が白目を向くと、発せられる闘気が巨大なものになった。放たれる無数の斬撃が、アイリスを強制的に引き離し、風の斬撃となってルディアを襲う。
——あの化け物と同じ、無数の連撃。
一度見た手に、最新型のAIは引っかからない。
斬撃の合間を縫って、瞬く間にルディアは距離を縮めていく。一切の容赦なく、ルディアは斬撃を放った。
「ぬおおお……!」
ただ一色に輝く鋼が、待井の右肩へと食い込んでいく。切断された断層からは、どろどろと溶岩が漏れ出てきた。
重い攻撃に、待井の体は地へと沈んでいく。
だが、その時。
「我が肉体は確固不抜……! 一度守ると忠義を誓った以上、命尽きるその時まで我は倒れんぞ!」
ルディアの攻撃を弾くと、驚異的な力で待井は立ち上がった。
全身から血を吹き出し、目の前にいるのはほぼ無傷の戦士二人。しかも一人は、一国における最強クラスの実力者。
——敵わないことくらい、わかっている。我には才能も、適性もないことも。だが、その程度で諦められはしない。泥水を啜るように生き続けた我に、光を見せてくれた殿のためならば。
「我は死なない。何度斬られようが、殿がいる限り我は倒れぬ……!」
その体は、もはや限界を迎えていた。それでも、その目から光が消えることはなかった。
「待井、これ以上は止めろ。どう足掻いても勝てない戦いに、命を捨てることは何も強いことじゃない」
ルディアの中にある人間としての経験からか、ルディアは自然に言葉を生み出していた。
「いいや駄目だ」
だが、待井が何か言うよりも先に、アイリスがルディアを制した。
「一度口にした以上、死ぬまで攻撃し続ける。信念を捨てれば、この戦いには何の意味もない。互いのエゴをぶつけ合う以上、私は私の心を選ぶ」
——目の前で、何度も何度も人が死ぬ様を見てきた。守りきれなかった者も当然いる。だが、私の横で死んだ奴は、自ら民を守ると正義を掲げて死んだ。私がここでこいつを見逃せば、その正義を裏切ることになる。
表情は一切崩れていなかった。だが、その只ならぬ雰囲気に、真横にいたルディアまで圧倒されてしまっていた。
「そうだ、それでいい……さぁ、意地の張り合いとい」
深い斬撃。肉体を烈弾してしまいそうなほどに深く、一瞬で。待井はその場に倒れ込んだ。腹から噴水のように血を流し、虚な目で死神を迎え始める。
「なんだ、遅れたけどラッキー」
水平線の先から、百九十はあろう長身の男が現れる。真っ白な髪にどす黒い瞳を持つその男は、ハルバードを持っていた。
ハルバード。
斧と槍がセットになった武器で、総重量は二〜三キロ。
「へぇ、誰からの依頼だ?」
口ぶりから察するに、アイリスはその男を知っているようだった。仏頂面に戻り、アイリスは不快感を露わにする。
「マスター、あの男は?」
「
ロベリア以外にその居場所を特定できていなかったにもかかわらず、この亀卦川という男はアイリスの場所を突き止め、何度も暗殺を仕掛けたのだ。
「戦の奴ら全員を殺すつもりだったんだが……まさか、他にも追いかけていた相手がいるたぁな。それと、俺に守秘義務はねぇ。狙った相手は必ず殺す」
猟奇的な笑みを浮かべる亀卦川。それを見て、アイリスの空気が一変した。嫌いな相手に向けるそれに、少しばかりの殺気を込めて。
「悪いが、戦の殲滅は私の仕事だ。邪魔をするな——おい、何をしている?」
アイリスがふと目をやると、ルディアは待井に応急処置を施していた。命を確実に取ろうとしていたアイリスと、その信念を理解できずに手当てを行うルディア。二人の間を、相違の視線が交差した。
「俺にできるのは、目の前の命を救うことです。そのために作られたAIだと、ラーヴァさんが教えてくださりました。マスターの意向に反することは分かっています。ですが、俺は俺の存在意義を全うしたい」
止めようとしたアイリスだったが、頭の中に優しいラーヴァの表情が重なり、その言葉を口にはしなかった。
複雑な表情を隠すように、背を向け、ただ一言。
——好きにしろ。
再び自己矛盾を覚えながら、アイリスは亀卦川へと突っ込んでいった。
「……ピウス家が何を狙っている?」
アイリスが駆けていくのと同時に、亀卦川はハルバードを構えて臨戦体制に入る。
先制攻撃として、ナイフが放たれた。
だが、その一撃はハルバードによって弾かれる。相当な重量の武器を、亀卦川は軽々しく振り回していた。
「馬鹿かお前、教えるわけねぇだろ⁉︎」
「守秘義務はないんだろう?」
「お前は殺せねぇんだよ化け物野郎!」
冷たい視線のまま、慣れた手つきで追撃の銃弾を放つ。一瞬のうちに勝負がついたかと思われたが——。
「残念」
銃弾を斧の部分で弾き、凄まじい速度で先端の槍を突き出す。半歩引き下がってそれを躱し、アイリスは流れのままにナイフを放つ。
同じく後退し、ナイフを回避する亀卦川。その間に、アイリスは相当な距離を取っていた。
冷徹な表情と共に、アイリスは銃を構える。だが、それに一切怯むことなく、亀卦川は一気に加速した。
「ついでに死神も獲ってやるよ——!」
「死神が人間如きに獲れるか!」
ルディアは、目の前で行われる戦闘に未来を託し、目の前の命を救おうと必死だった。とてもAIとは思えない瞳で、ラーヴァから学んだように。だが、傷が深すぎた。何度も斬られたこともあり、様々な傷口が開いてしまう。待井は、これまで最新鋭の回復技術を一切使っていなかったのだ。
「アイリスさん……!」
変なところにこだわりを持つAIは、それでも処置の手を止めない。
死神は無情にもこちらに近づいてくる。
目の前の死神を信じ、何かを託すように。
AIは、その戦いを感じていた。
「死神アイリス、そろそろ終わりにしようや!」
黒い閃光を切り裂き、亀卦川は叫ぶ。それと同時に、ハルバードを力のままに投げた。
相当な重量のハルバードが、一切速度を落とすことなく接近してくる。すぐ後ろを、同時に亀卦川が追尾していた。
アイリスがその攻撃を右に躱す。すると、その動きを狙っていたと言わんばかりの表情で、亀卦川はハルバードを手に取った。
「さぁ終わりだ」
強烈な横薙ぎの一振りが放たれる。喰らえば間違いなく上下分離するであろう、群を抜いた火力。
「チッ——!」
アイリスはその攻撃にしゃがんで対応する。だが、それすらも読みの範囲だったのか、亀卦川は強烈な蹴りを放つ。もはや不可避の攻撃を、アイリスは両腕をクロスさせて受け止めた。大地が削れ、一気に後ずさる。
「……髪飾り」
アイリスの左手に、青色の髪飾りがあった。戦争後に守時から、力の暴発を防ぐためとして渡されていた、一度も外していなかったもの。それが、アイリスの手にあった。
刹那、燃え上がるようなエネルギーが全身を駆け巡る。ガラスの死神が、アイリスの中から飛び出すような感覚。
「おいおい、何だよこりゃ——っあ?」
アイリスの変化を見た亀卦川にも、違和感が生じる。ありえんばかりの目眩と頭痛に、猛烈な吐き気。そして、亀卦川の真横には、髑髏の仮面をつけた死神が立っていた。震えるほどの悪寒に、亀卦川は正体を理解した。常に相手に与えてきた、確実な〝死〟の感覚。
「やべぇな、こりゃぁ」
亀卦川はその場に倒れ込んだ。瞬く間にアイリスは目の前まで現れ、懐から物を奪い取る。
「お前はまた利用する。命は取らないでおいてやるよ」
取ったのは回復薬。それをルディアに投げ渡すと、アイリスは髪飾りをした。
「それで、どうなった?」
早歩きで戻ってくると、アイリスは倒れる待井を見た。どこか満足しているような表情で、待井は眠っている。
「マスターが動いてくださったお陰で、何とか間に合いました。これなら放っておいても問題ないかと」
報告を聞き、再度身を翻すアイリス。そのまま去ってしまう前に、ルディアは問うた。
「マスター……いいえ、アイリスさん。貴方は何のために戦い、何故〝生きる意味〟を探すのですか?」
一時の静寂が訪れる。
「それをお前が知る必要はない」
「いいえ。今後も私の制御者はマスターですから、知る義務があります。それに待井という男……彼は何かに憑かれているようにも見えました。人をそこまで動かす意味を、俺は知りたい」
横目でルディアの瞳を見る。記憶のどこかにあるような、純粋で真っ直ぐな瞳。
「幹部一人片付ける労力は使わずに済んだ——賃金代わりに教えてやる。私が〝生きる意味〟を探す理由を」
ルディアは唾を飲んだ。己のことは滅多に語らない、と言われていただけあり、これがいかに貴重な機会かを理解していたのだ。
小雨でも降ったかのように、アイリスはぽつぽつと語り出す。
「私の母が影響している。私の母は、アダムの襲撃から私を守り、Xまで届けてくれた。その時、最後に残した言葉——それは〝ごめんね〟だった。そして、生きる意味を探せと。こんな腐った世界でも、母が私を残してくれた意味は必ず存在する。それを見つけ出すことが、私にとっての生きる意味と同義。母のために、私は戦う」
威圧感を一切見せず、アイリスはただただ空を見つめる。
遠くからこだまする母の声を、死神と呼ばれた少女は追い続けていた。
「腐った人間にも、腐ったなりの理由がある。見るのと見ないのとじゃ、価値が違うんだ」
どこか含みのあるアイリスの発言。ルディアは言及を続けようとするが——。
「ここまでだ。これ以上知りたければ、もっと有益に働いてみせろ」
「……貴様ら」
その時、眠っていた待井が目を覚ました。
また戦いを挑んでくるのかと思いきや、届けられたのは予想外の言葉だった。
「ルディア……夢があるいい名前だ。そして〝死神〟アイリス。直接聞いてみてわかった。貴様らには信念がある。人類の存亡という大義名分のために、目の前の命を奪うような外道ではないと。きっと、何か理由があったのだろう?」
だが、アイリスはそれを否定した。
「いいや、私は所詮死神だよ。目の前の希望を救える実力すらない。……だが、その心遣いには感謝しておく」
アイリスがそれ以上何かを言うことはなかった。沈黙を切り裂いて、待井はルディアに声を掛ける。
「夢の男よ。もし、また生きて戻ってくることがあれば——この刀を託す。どう転んでも、この国は変わるだろう……誰かに託して見るのも手だ」
磨き上げられた剣を掲げると、待井は少し目を瞑った。
降り頻る雨の中。Y国を超えた先にある国からXへと逃亡してきた待井は、AI戦争による飢餓に苦しんでいた。
今しがた命を救われた勇敢な戦士の姿が目の奥に映る。だが、過酷な環境を乗り越えてきた中で、待井の体力は限界に達していた。
もうすぐにでも意識が途切れてしまいそうだったその時。
傘を差して、その男は現れた。百九十はあろうかというほどの大柄な身長に、灰色の瞳。その男が持つ刀は、真っ赤だった。
「何者だ……?」
潰れそうになる声を捻り上げ、男に問う。ぼやけた瞳に映るのは、返り血で真っ赤になる男だった。
「黒金定国。皇帝隊第四隊隊長……」
ざあざあと雨が打ち付ける。だが、そんな雨音の中でも、その男の声ははっきりと聞こえた。
——〝死神〟だ。
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