〝戦〟編

第5話 貴方の正義は

 日が沈みかけ、徐々に闇が空を支配していく頃。

 サウスエンド港——国の最南端に位置し、Xとマジリティを繋いでいる港。国交関係において不可欠となる港を先んじて奪還に向かったアイリスを追いかけて、ラーヴァの送迎を使ったルディアが到着した。

 しかし、二人が着く頃にはもう片がついていた。

「……はは、相変わらずお仕事が早い」

 停泊する無数の船に、港の端から端まで無数の構成員——その全てが苦悶の表情を浮かべ、その場に倒れ伏していた。

「とんでもないタイミングで来ちゃいましたねぇ、頭痛い。私はこれで」

 こめかみを抑えながら、ラーヴァはルディアを送り届けて去っていった。一定以上の実力を持つ相手には通用しないアイリスの強化細胞だが、構造は精神に作用するもの。ラーヴァを頭痛が襲っていた。

 

「……あいつは」

 戦いを終えたアイリスは、海に続く路に視線を飛ばす。無数の船の最奥に、緑に染まった前下がりのボブヘアの女が座っていた。他の構成員が倒れている中、顔色一つ変えずにアイリスを見つめ、不敵な笑みを浮かべている。

「あぁ、あれがアネモネちゃんが言ってた女の子ね。……なんてフリ、誰も聞いてないし意味ないか」

「赤い髪飾り? それに、どこかで見た顔だ」

 その時、アイリスの背を、精神を毒蜘蛛に支配された構成員のナイフが襲った。

 だが、その攻撃が彼女に届くよりも前、銀色の閃光が駆け抜けた。

「人……AI遣いが荒いですよ、マスター」

「その呼び方を辞めれば考えてやる」

 鋭く光る鋼の刀と、簡素な鉄の棍棒。それらを両手に携えて、ルディアは現れた。

「AIが肉体を持てば、その成長も早くなるのか。雰囲気も人間味が出てきた」

 アイリスの視線の先には、鍛え上げられた腕を携えたルディアがいた。ラーヴァとのラーニングをきっかけに、肉体に課せられていたリミッターの第一段階が解放されたのである。

「光栄です。ですが、もう相手は残り一人では?」

「油断大敵。死神を見ても臆さないような相手だ。レベルは段違いだぞ」

 紫色に輝くガラスの瞳の奥。蝶々を纏った死神が、地獄からこちらルディアを覗いているように見えた。

「……雑兵は通用しない、ってね。流石、あの人の娘なだけあるよ」

 船の奥にいる女は呟くと、足元に倒れる構成員の男に注射器を差し込んだ。男の内臓は体を打ち破り、男をドス黒い何かに変貌させる。言葉にならない叫び声と共に、化け物となった男は辺りを飲み込み、圧縮していく。

「あいつ……、まさか!」

 ——人間の姿を失い、今も生き続けている者。

 偽装品や粗悪品以外で、その化け物を生み出す方法がこの世界には存在する。

 イブが開発の過程で生み出した残骸液。それを打ち込むことで、人間の細胞に特異な変化をもたらすことができるのだ。

「こんな化け物を仲間から生み出して、何が正義だ……!」

「No4:Variant。

 私の〝正義〟は、たったひとりでいい」

 距離がかなり離れているが、女の言葉は囁きのように鮮明だった。

 アイリスは化け物に目をやる。形を失った頭から、無数に伸びる真っ黒な手。その異形を支える肉体からも、無数の手が生えていた。

「自己紹介が遅れたね。私は迅雷——戦の幹部さ」

 その時、アイリスの眉が僅かに動いた。

「ア……アア……」

 迅雷と名乗る女は、化け物の肩に乗ってアイリスらを見下ろす。化け物にも一切怯まず、悪魔のように笑うその姿には気味の悪さが滲み出ていた。

「あいつ相手にはこの力も通用しないか。お前、化け物は任せたぞ」

「仰せのままに」

 アイリスはセーターの袖から細い何かを取り出した。肉眼では視認できない細さのそれは、そよ風に靡き、太陽の光を反射する。

 銀色にも白色にも見えるそれを、淡々と指に巻き付ける。彼女の白い肌と重なることで、その武器は完全に見えなくなった。

「マスター、来ます」

「ガアアアア!」

 奇声を上げ、化け物はルディア目掛けて突進する。最初の獲物を定めると、化け物は胴体から繋がる両腕を放った。

 銃弾よりも遅い攻撃は、ルディアを捕らえることなく地面を抉る。だが、それと同時に化け物の肩から飛び上がる雷までをルディアは追いきれなかった。

「こんなの皇帝隊にいたんだ。ま、実力は大したことないみたいだけど」

 高電圧の一撃がルディアの後頭部を穿つ。落ちた先には化け物の腕——しかし、アイリスの武器が彼を追撃から防御した。

「敵は見えている相手だけじゃないと思え」

「あんたも気をつけな」

 台詞の途中でアイリスの目の前に現れた迅雷は、狂気的な笑みと共に右脚を上げた。

「電光雷轟!」

 しかし、空を裂く雷を纏った一撃は、見えない何かに捕らえられて不発に終わった。

「蜘蛛の糸。お前のような輩にはこれがお似合いだ」

「……さっすが、その場で見てるのと受けるのじゃ全然違うね」

もさっさと終わらせてこい」

 アイリスはしゅるしゅると〝蜘蛛の糸〟を巻き戻す。拘束から解き放たれ、ルディアは命令通りに化け物へと突っ込んでいった。

「さ、遊んであげな」

「…………」

 命令通り、化け物はルディアを狙って無数の手を飛ばす。彼は銀色に輝く鋼の刃を振り翳し、一つ一つを着実に切り裂いた。痛覚がないのか細胞が腐っているのか、化け物はなんの反応もせず攻撃を続けた。

「この程度なら数人がかりで襲う方が速い。母体となった相手の戦闘能力に比例するのか? ——いや、まずは上」

 ふんわりと宙を舞うと同時、ルディアの瞳に蒼い炎が灯された。

 

「蜘蛛の糸ってったって、飛び道具までは止められないでしょ?」

 アイリスの頬を電気エネルギーを纏った球体が掠める。赤い液が垂れた。

 二人の間を風が吹き抜け、視線が交差する。

「どこかで見たことがあると思っていたが……確信した。何を狙っている?」

「そう簡単に教えると思う?」

「いいや。無理矢理にでも吐かせるだけ——」

 アイリスの双眸がナイフのように鋭くなったその時、蜘蛛の糸が迅雷の体を強く締め上げた。

「っ……! 私には私の正義がある。あんたも同じでしょ」

「心外だな。仲間を化け物に改造してこき使う辺り、事実から目を背けて生きる者たちの集まりなんだろう?」

 アイリスが蜘蛛の糸を握り締めると、迅雷の肌に鋭い刃が食い込んだ。スーツがプチプチと千切れ、真っ赤な血が滲み出る。先ほどよりも大きな力で拘束され、反撃のエネルギー弾も放てない——そんな状況下でも、迅雷は一切の動揺を見せなかった。

「足元に咲く花を潰して〝ナカマ〟ってやつを守ったような死神さんに説教される筋合いはないよ。ところで、私のこと思い出したんなら、忘れ物してんじゃない?」

「何?」

「この電撃は効くよ」

 刹那、迅雷の肉体を雷が打ち付けた。

 電流が蜘蛛の糸を伝い、アイリスの体へ流れ込む——はずだったのだが、僅かに先、蜘蛛の糸を切り裂いて電撃を受けたAIがいた。

 ルディアは間一髪で主人を守ると、元の戦闘へ戻っていく。

「へぇ、上司を守って死ぬなんて大した根性だ」

「次に死ぬのはお前かもな」

 瞬時に蜘蛛の糸を振り払い、アイリスは迅雷の目の前まで一気に躍り出る。

 迅雷の脇腹に小さなナイフが刺さった。

「痛いって言ってんだろ、ゴラ」

 半歩後ろに下がることで迅雷は急所をズラした。素人とは思えない洗練された動きからは、彼女が只者でないことが伝わってきた。

「ところで、君が捕らえた中にアネモネって女がいなかった?」

「いたら何だ」

 自分でナイフを抜き、迅雷は脇腹に怪しいスプレーをかける。患部に緑色の鱗粉のようなものがかかると、瞬く間に傷が癒え出血が止まった。

「いや、残念だったナって思ってさ。親と友達を奪った仇に捕まって塀の中。何のために自分の人生捨てたんだか、これじゃまるで馬鹿みたいだ」

 嘲笑を浮かべ、ナイフをくるくると回す。

 それを皮切りに、アイリスの纏う空気が一変した。目の奥に巣食う死神が、ガラスの牢獄を叩き続ける。

「……私には親がいないから、奪われる苦しみはわからない。だが、少なくとも、お前が笑っていいことじゃない」

「馬鹿なことを言うんだな。お前があの女の人生を奪ったんだろ?」

 アイリスの言葉に、雷神は反吐を吐いた。

「仲間を簡単に化け物にするお前が、それを言うか。……同じことだよ、私もお前も。結局、自分のことは全部棚に上げて、憂さ晴らしのために何かを訴え続ける。届かなくても、意味がなくてもな」

「どうれであれ、私は私のために目的を成すだけだよ」

「この状況をどう打開する?」

 そう言われ迅雷が辺りを見回すと、うっすらと蜘蛛の糸が張り詰めているのがわかった。どの方向に動こうとも、アイリスの追撃と蜘蛛の糸が確実に仕留めにくる——話している間にも、徹底して追い詰める。それが死神アイリスのやり方だった。

「なるほどっ、蜘蛛の糸は毒入りだったか。私一人じゃ、とてもじゃないけど相手にできないね……参った参った」

 絶望的な状況にもかかわらず、迅雷は笑っていた。

 二人の間に吹く風が、穏やかに殺気立っている——そんな不思議な感覚が漂っている。

「あらあら、お困りのようですね」

 どこから入ってきたのか、二人の間に抹茶のような緑色の髪をした女が現れた。ほうじ茶のように茶色い瞳に、山のようにゆったりとした双眸。そして、鼻に真一文字の傷跡。瞳と同じ色のメイド服に身を包むその者は、己の名を告げた。

「〝戦〟の三番手、辻風と申します。妹がお世話になりました」

 刹那、恐ろしいほどの殺気と共に刀が抜かれる。

 鍛えられた鋼が姿を現すと、肌がピリつくような殺気がアイリスを襲った。

「お前までこの国を裏切るとはな。他とは違うと思っていたんだが、私の勘違いだったようだ。

 ——風神、雷神」

「ふふ、信じるのは自分だけにしておくことをお勧めします。今この瞬間に頼れるのも、自分の腕だけなんですから——」

 茶色の瞳が煌めいた。



 ルディアは薙ぎ払っていた。

 化け物の核を突いて破壊するため、無数の攻撃をただ受け流しながら好機を狙っていた。

 だが、斬っても打ち返しても再生してくる化け物の手が減ることはない。

(速度は相変わらず緩慢だが、筋力と手数が異常だ。必ず隙はある)

「ボロを出すまで何度でも打ち返してやるよ」

 挑発にも近いルディアの発言を皮切りに、化け物の手数が増した。

 一度に多量の手を失うことも省みず連撃が繰り出される。

 一方を棍棒で打払い、もう一方を鋼の剣で切り裂く。何度も何度も攻撃を受け流すうちに、化け物の動作の規則性をAIは見抜いた。

 次の瞬間にはもう、ルディアの脳は全てを導き出していた。

「見えた」

 無数の腕。その最後を振り下ろしたその一瞬に、化け物の核に続く道を守る手がなくなる。道が開けるのはほんの一瞬であるが、そこを取ればルディアに軍配が上がる。

「であれば、後は耐えるだけ……ぐぅっ⁉︎」

「ヴアアアアア!」

 しかし、化け物は生物的本能で何かを察したのか、奇声を上げると手数を増やした。

 火力も桁違いに増し、防ぎきれないほどの連撃がルディアを襲う。鋼の隙をついて、無数の腕がルディアの肉体に打ち付ける。重い一撃が体を掠める度、肉が吹き飛び、赤いエナジーが溢れた。

 

 度重なる連撃に、ルディアの肉体が限界を迎えそうになったその時。

「…………これ、は」

 時が止まった。

 戸惑うルディアの脳天を電撃が打ち付けると同時に、自分の生写しのような人間が目の前に現れる。

 こちらに明るい笑みを向ける人間。その者は、瞬く間に化け物の間を縫い、勝利までの道を駆け出した。

「いや、これが」

 何者かはわからない。しかし、僅かな時間でルディアが追いつくためには、自分の限界を超える必要があった。

 判断と共に、ルディアの体を電流が纏った。

「電光、雷轟」

 ルディアに憑く、雷神の如き猛々しい電流。限界を超えた肉体の跳躍と共に、激しい閃光が化け物を貫いた。

 眩い電撃が、一瞬のうちに化け物を瓦解させる。悲鳴を上げる間もなく、化け物だったものは白い粉となって消え去っていった。

「これが、俺のやり方だ」

 肉体が限界を迎えたのか、ルディアはその場に倒れ込んだ。人間の肉体を、睡眠という時間が癒していく。

 

 

 辻風が刀を構えるとほぼ同時に、アイリスは防御の姿勢をとった。だが、無数の斬撃は硬い防御すらも超えてアイリスの肉体を切り付ける。鎌鼬のように微細な斬撃。アイリスは顔を顰め、ナイフを振って攻撃を打ち払った。

「チッ……!」

 苛立ちをあらわにするアイリスに対し、辻風は口角を上げたまま後退し、紙一重のところで避けてみせた。近接戦闘における無駄のない動きに、圧倒的な実力が滲み出ていた。そのままの流れで、剣が振り下ろされる。

「私もあの子と同じで、成し遂げなければならない目的があるんですよ。邪魔なわけではありませんが、いられると厄介なので」

「結局邪魔ってことじゃないか、それ」

 半歩後退して鋼を躱すが、ほぼ同時に放たれる風の斬撃がアイリスを大きく斬りつけた。体に亀裂が生まれ、傷口から溶岩が飛び出していく。

「随分と腕を落としたんじゃありません? 昔の貴方なら、今の一瞬で反撃を決めていたでしょう」

「ほざけ!」

 声を荒げ、アイリスはナイフ一本で突っ込んでいく。命を捨てて特攻する時のそれと近い体勢に、辻風は嘲笑を浮かべ、メイド服を靡かせた。

「そんなに短い武器じゃ、この刀は止められませんよ。準備不足でしたね」

 辻風は真一文字に刀を振り薙いだ。

「リサーチ不足はどっちだったかな」

 だが、刀がアイリスに触れると同時に、その肉体が糸となって消え去る。〝蜘蛛の糸〟を使った蜃気楼——アイリスは瞬く間に辻風の背後をとった。

「得物のリーチは違えど、手数じゃ別次元だ!」

 アイリスは無数のナイフを放つ。金属の雨が、振り返るような状態で宙に浮く辻風を襲った。

 だが、相変わらずその表情に動揺は見られなかった。

「閃風〝凪〟」

 辻風が刀を振るうと、刀身から暴風が飛び出した。雨はその場で静止し、攻撃の時が止まる。

 疾い。

 そう思った時にはもう既に、アイリスの懐は取られていた。

「いただきましたよ、貴方の命」

 風よりも疾い一撃が、死神の肉体を激しく抉った。意識をも奪い去るほどの衝撃と痛みが全身を駆け巡る。火山が噴火したような勢いで血が吹き出す。


 しかし、アイリスは笑った。

「腕が落ちたと、そう言ったな。悪あがきを受けてみろ」

 大技の後の反動で辻風の肉体は動かない。

 アイリスは一本のナイフを放つ。

 風より遅いナイフでも、静止状態の相手には十分だった。的確に放たれた一撃が、ほうじ茶色のメイド服を赤く滲ませる。

「かはっ……!」

 止めを刺せず、悪あがきカウンターを受けて辻風は後退した。保ち続けられていた笑みが初めて消え去った。

「みくびっていましたよ、貴方のことを。死神と呼ばれる力は健在のようですね、心臓をギリギリ躱すのがやっとでした」

 ナイフを抜き、辻風はアイリスを見据えた。

 紅の刀を握りしめる辻風の肉体から、禍々しいオーラが放たれた。メイド服の袖からちらっと見えた腕には、無数の切り傷が残っている。

「全身全霊。次は逃がしません。絶対に殺す」

 その表情かおに穏健は一切含まれていなかった。

 幾千も人を斬ってきた殺戮者の顔つき。それはまるで、本当の風神が憑依したようだった。

 強化された肉体が軋み、瞬時にエネルギーを充填する。目に神が宿ったその瞬間、何よりも疾い風の一撃が放たれた。

「あーあー、うちのかわいい後輩いじめちゃってさあ」

 だがその一閃は、水龍の手刀によって止められた。次の瞬間、爆炎が辺りを焼き尽くす。もはや限界を迎えていたアイリスの前に二人の人間が立った。

「あら、随分とお早いお帰りですね」

 〝水神〟桑水流麗奈。

 辻風がその名をなぞった時、炎が道を作り出した。黄金の客船から現れたのは、朱色の髪をした男だった。

「向こうの王は話がわかるって、あんたも知ってんでしょ。あとスタちゃん、先帰るなよ?」

「俺は冬樹の言っていたAIを回収してくる。それと、その呼び方はやめろ」

 〝炎帝〟スタチウム。

 風神雷神の前に立ちはだかったのは、炎と水の名を冠する者が現れた。

「まさか、私も馬鹿じゃありません。勝てない戦はしない主義ですから、あなた方二人を相手には戦いませんよ」

「あ? 私のアイリスが倒せるって思ってかかったの?」

 相変わらずの調子で、スタチウムが放つ火を消し去る桑水流。やれやれという顔で、スタチウムは化け物の残骸へと向かっていった。

「いいえ。アイリスさんが身につける○○は件の道具。何とか外していただけないか試してみたのですが、そう簡単にはいかないものですねえ。知らないのでしょう」

 刹那、風神は雷を抱えて消え去った。特に焦る様子も追いかける様子も見せず、桑水流は鼻を掻く。

「戦わないならいい。しばらく放っておいてやる……さて、帰るよアイリス」

 桑水流はアイリスをお姫様抱っこした。出血量的に意識を失ってもおかしくない頃なのだが、アイリスは意識を保って抗議した。

「貴方のものじゃないです」

 いつも通りの様子を見て、桑水流は優しい笑みを浮かべた。

 月明かりの下に、二人の顔が照らされる。




 夜も更け、〝戦〟の軍勢が撤退した頃。

「はい、これでよしと。あんまり暴れると傷が開くよ」

「ありがとうございます、先輩。そろそろ夜も遅いですが、帰られますか?」

「なーに、いてほしいの? ま、〝戦〟の報復がきたらまずいから、今日は泊まってくよ」

 単純に絡みたいだけではないか? 疑問を心の奥にしまいつつ、アイリスは手元のお茶を口に含む。傷の手当ての合間に桑水流が入れた、普段はあまり飲まない緑茶。以外にも、アイリスの疲れた肉体はそれを喜んだ。

 

「もしもーし。アイリスさん、よろしいですか?」

 だが、至福のひとときもその声で一気に現実へと引き戻される。

 先ほどまで命を削って戦っていた相手が、ドアを挟んだすぐ向こうにいる。家の持ち主アイリスからすれば、気が気じゃない状況だろう。だが、例の先輩は顔色一つ変えていなかった。

「あぁおかえりー。いいよ入って」

 殺気を全開にして睨み合ったいたにも関わらず、まるで友のような会話。そんな疑問を感じ取ったのか、桑水流が笑いながら言った。

「一応同期なのよ。それと、辻風はあっちじゃなくてこっち。逆の逆ってこと」

「貴方の味方かどうかは知りませんけれど。麗奈の味方です」

 この世の狂気を見せられたような気がして、傷口が開きそうな感覚に陥ったアイリスだった。辻風はアイリスに歩み寄り、彼女の着るシャツを捲った。

「先ほどは派手に斬ってしまいましたからね、多少の詫びです」

 鱗粉のような緑色の液体を辻風はアイリスの切り傷に塗り込んだ。

「痛っ」

 液体が染み込んだところから、みるみる傷が癒えていく。そのままルディアの方へ向かうと、同じように処置を施していく。あの殺気はどこへやら、その素振りは救護班さながらであった。

 一連の作業を終えた辻風はふと立ち上がり、桑水流の方に視線を飛ばす。

「さて。麗奈さん、少しアイリス彼女と話がしたいのですが」

「ん、わかった。なんかしたら殺すからね」

「うふふ、殺し返して差し上げます」

 洒落にならない殺伐とした会話の後、桑水流は眠るルディアを拾い上げて表へと出ていった。

 部屋の外まで出ていったのを確認し、辻風は話し出す。

「信じられない部分も多いでしょう。信じていただかずとも、都合よく動く一振りの刀だと思っていただければ構いません。

 少なくとも、この国を裏切るつもりはありませんよ。創設者には御恩があるので」

 辻風はお茶を淹れながらゆっくりと語った。

 何を考えているのか読み取れず、アイリスは疲れが取れる気など微塵もしなかった。

「生きる意味を探している。あの戦争からずっと変わらないその信念が、……そのために全てを知ろうとする執念こそが、貴方の正義だと私は思っています。ですから、私も貴方に〝正義〟というか〝生きる意味〟というものをお伝えしておきましょう」

「それが私にとって何のメリットになる?」

「一度は背中を預けて戦った者同士、嘘の有無は何となくわかるはずです。聞いてみて、それが真実だと思ったら、私を利用できる理由になるのではありませんか?」

 辻風はぽつぽつと語り出した。

「私は元々、この国の出ではありません。Y国の厳しい世界を乗り越えた先にあった、失われた故郷。そこに父の墓があります。私に生き抜く術を教え込んだ最強の剣豪、それが父でした。

 もう一度。もう一度だけ、父の墓に行く。Y国が攻め込んできたせいで、私は最後の別れをまともに終えることができませんでした。私の時は、そこで止まっているんです。強くなった私を、父の教えを体得した私を、あの人の前に見せる。それが私の生きる意味です。

 それと、私が剣を振るうのは、父のため、迅雷のため——そして、誰かのため。私の正義は、誰かのための〝正義〟」

 苦い記憶を想起しても顔色を変えず、そよ風のように辻風は語る。嘘の気配など微塵も感じられなかった。

 己の剣を形成した父に会い、成長した姿を見せる。誰かのために剣を振るう自分自身を、土に還るその直前に居た場所にて。

「Y国が攻め込んできて、私はある国へと逃げました。同じ状況の人間ばかりで、食うには力が必要でした。人斬りとして生きていたその時、あの人と出会った。そんな恩人、裏切れませんよ」

 その全てを吐き出したように、辻風は言った。程よいタイミングでお茶が沸く。

「もういい……、悪いことをした。お前が嘘をついていないことはわかったよ」

「いいえ、こちらこそ聞いてくださりありがとうございました。……沸きましたよ」

 人を斬る者の顔をせず、辻風は湯呑みにお茶を注いだ。

 

 

 夜風が冷たく頬に当たる。

 二人は、外で物思いに耽っていた。

「君のことは守時から聞いたよ。新たなAIって聞いたけど、今のところ心配はなさそうだ」

 もはや使われていないガードレールにもたれかかり、乾いた笑いを浮かべる桑水流。

 初めて〝水神〟としてルディアの前に姿を現してから、どうも今ひとつ元気がない。ルディアは、己の中の疑問を解消しようと問うた。

「桑水流さん。マスターと貴方は、一体どんな」

「っはは、それを聞くのは野暮ってもんじゃない? ……ま、あの子は絶対教えてくれないだろうね」

 仕方ない、といった表情で桑水流は言った。

「簡単に言うと、この国に捨てられたアイリスを拾ったのが私だったんだ」

「では、貴方が今も戦い続ける理由は?」

 その質問をした時、桑水流の雰囲気が変わった。これまでの対応からして、威圧でもされるのかと思ったのだが——。

「あぁ、恋人を戦争で殺されてんの。だから、そういう〝悪〟を残さず殺す。殲滅が私の〝正義〟」

 まるで水道の蛇口を捻ったかのように、桑水流は一瞬にしてどす黒いものを流しきってしまった。

 人間の体は、ルディアの意志に反して複雑な表情かおをする。

「なんでそんな……簡単に?」

「もう死ぬほど泣いてきたから。それに、AIに話すくらいどうってことないでしょ。悪いけど、興味のないものにまで優しくできるほどできた人間じゃないんだ。昔と違ってさ」

 ルディアの中に住まう人間が、彼女なりの〝正義〟を慮ったのか——それ以上、言葉が出てこなかった。

 二人の間を、夜の静寂が包む。その時、ぽつぽつと雨が降り出した。

「これ、結構降るね。風も強くなるだろうし、そろそろ戻ろうか」

 そう言って、桑水流はアイリスの家へと駆け出した。

 その背中を、ルディアは何故か追えなかった。

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