第4話 忍者と死神
隊長室を出てエントランスに戻り、エレベーターの「B1」を押す。その先に開ける世界が、ルディアの学習場となる場所だった。入口から見て右側には武器が並べられており、左側には何もない。
「一体、どのような方法で?」
「左側に立っていてください。大丈夫、死にはしませんよ」
そう言いながら、ラーヴァは武器を構え出す。次の瞬間——。
「ささ、理想のAI目指して頑張りましょー」
気の抜けた声と共に、爆音が鳴り響く。同時に続くのは、横殴りの金属の雨。
「ッ——⁉︎」
ルディアの体を、無数の金属が打ち付ける。
「避けれるようになるまで帰れません。ま、それが第一段階大前提なんですけどねぇ」
ラーヴァの声が、弾丸の雨の中に響く。いまいち緊張感に欠けるが、射撃の腕は間違いなく正確だった。
何度も体を打たれていく中で、ルディアは銃弾を避けるようになっていった。回避率はさほど高くないものの、回数を重ねるごとに、少しずつ、着実に。
「アダムやイブに負けずとも劣らない学習速度——そして、何よりも強いのが肉体のスペック……流石、皇帝の器。……これは、しっかり学習させないとサボりがバレちゃいますねぇ」
そんなことを心の中で呟きながら、ラーヴァは銃を乱射する。
カーテンの隙間から入り込む日差しに目を細め、アイリスは伸びをした。
「……流石に空気が悪いか」
心の中で一人呟き、窓を開け放つ。治安がかなり悪い影の街の中で窓を開ければ、何が起こるかわからないが——ここ数日の出来事で、アイリスはストレスが溜まっていた。
ロングコートを着、スマートフォンをポケットに入れて外へと歩き出した。
茶色のロングコートが、冷たい風を受け止める。何かを誘うかのように早足で歩き、件のバーの向かいにあるカフェへと向かっていった。
「…………」
カフェの中に入るのかと思いきや、すぐさま方向転換をし、路地裏の中へと入っていく。
人通りのない、静寂に包まれた暗闇の中で、アイリスは呟いた。
「いるんだろう、ロベリア?」
刹那、目にも止まらぬ速さで苦無が投げ飛ばされた。瞬時にそれを避け、アイリスは後退する。
「————!」
それを逃さんとばかりに来る、苦無と手裏剣の猛追。それを全て弾くと、金属の雨を切り裂き、女がアイリスの腕に短刀を突き立てていた。漆黒に靡くポニーテールに、特徴的な切り方の前髪。その隙間から、こちらを見据える蒼い瞳。
「相変わらず狡いやり方を使う……変わらないな」
「そちらは動きが鈍くなったように見えますが……アイリス隊長」
「ほざけ——!」
磨き上げられた強化細胞で短刀を跳ね返し、体勢を立て直す。
それと同時にロベリアは消え去り、無数の手裏剣を投げ飛ばした。何度も何度も吹き抜ける金属の風車を、アイリスは舞うように躱す。
「狭い道の有効利用、か。教えた相手に実戦で使うとは、私も随分と舐められたものだな」
手裏剣の間を縫うように、五本の苦無が飛んでくる。一瞬のうちに目の前までやってきたそれを、アイリスは上半身を反らすことで対処した。その隙にも、ロベリアはアイリスとの間合いを詰める。
「甘いですよ」
「…………」
言葉を返さず、防御に徹しながら後退していく。路地裏の端まで追いやられたその時、ロベリアの殺気が一点に集中する。
「さようなら、死神アイリス!」
「……勝ちを確信すると、可能性を模索せずに止めを狙う。お前の悪い癖だ」
辺りに落ちていた鉄パイプを掴み、ロベリアの頭に振り下ろす。予想外の一撃に、ロベリアの意識は刹那の闇を見た。
「かはっ⁉︎」
その好機を逃さんとばかりに、腹目掛けて拳を繰り出す。壁に叩きつけられ、ロベリアは苦痛に顔を歪めた。
「甘いのはどっちだったかな」
「まだ終わりじゃありませんよ」
その台詞と共に、アイリスの背後に三人のロベリアが現れた。同時に放たれる苦無、十手、短刀の三撃——その全てをアイリスは受け止め、反撃を放った。
「もう一人」
壁に叩きつけられたロベリアが、アイリス目掛けて蹴りを放つ。防御を超えた勢いに後退し、二人の距離が遠くなる。
「へぇ、その分身も少しはマシになったんじゃないか」
「どうも」
斜めに切られた前髪を揺らして、ロベリアは武器を捨てた。上着を脱ぎ捨てると、細身ながらも肉付きのいい腕が露わになった。
「随分と物好きなことを」
それに合わせ、アイリスもロングコートとセーターを脱ぐ。ロベリアに負けず劣らずの仕上がった肉体が見える。
「手加減はしませんよ」
言葉と共に跳躍し、ロベリアは前進する。アスファルトがめりめりと悲鳴を上げ、風は唸る。アイリスの目の前で消え去ったかと思うと、次に現れたのは背後。そちらに軽く目をやると、その隙に目の前に現れ、また消え去る。閉所を利用したトリッキーな戦法で攻めるロベリアを、アイリスは空気の完璧に聴き分けていた。
「前、右、後、左、左斜めから後——ランダムで仕掛けているつもりかもしれないが、攻撃できる角度にいるのはこの順番の時だけ。まだまだ甘いな」
心の中で呟きながら、ロベリアが仕掛けるのを待つ。目を瞑り、音だけの極地に達したその時。
「ふっ——!」
左斜めから繰り出された蹴りを左腕で受け止めると、右手で脚を掴む。バランスを崩したロベリアを、アイリスは勢いよく投げ飛ばした。
「平面的すぎる。ワンパターンだとあれほど言ったはずだ」
「しまっ……!」
アイリスの拳が、ロベリアの顔面をはっきりと捉えた。体が重力に従い、アスファルトに叩きつけられる。地面が割れる轟音と共に、ロベリアは墜落した。
「流石にお強いですね……。舐めてました」
「それで、こんな茶番までやらせて何のつもりだ? この程度で私を殺せると本気で思っていたわけではないだろう」
「貴方の腕が本当に劣っているようでしたら、狙っていたかもしれませんけど。実際、私に行方を知られてしまっているんですから」
「そうだな」
次の瞬間、アイリスはロベリアの頭を掴んだ。片腕で難なく肉体を持ち上げると、そのまま家の方まで投げ飛ばす。
「きゃあああっ⁉︎」
想定外の出来事に対応できず、素っ頓狂な声を上げながらアイリス宅に突っ込んでいくロベリア。家具や道具を吹き飛ばし、キッチンに衝突するまで転がり続けた。
「他にも言うことがあるんだろう? ついでにゆっくりしていけ」
「隊長、あの人と爺の破天荒っぷりが移っています」
開け放たれた窓から、アイリスはふわりと入ってくる。その足でキッチンに向かい、紅茶を淹れ出した。
「それで、何が言いたい?」
部屋中に仄かな香りが響く。その匂いを感じ、ロベリアはソファに腰掛けた。先ほどまでの殺気はすっかり消え去っていた。
「黒金定国……一騎当千の実力を持ち、この国にとって最大の脅威となっている人物。そんな者を殺しでもすれば、貴方の名は間違いなく王に届く。そうなれば、皇帝隊は貴方の命を奪いにかかるでしょう。王がそれを免除したとしても、皇帝隊の奴らは止まらない」
思わず早口になるロベリア。それを宥めるように、アイリスは紅茶の入ったティーカップを置いた。かちゃり、という音と共に、オレンジの風味が鼻腔を掠める。
「つまり、あの眼鏡に私を匿う気はないと?」
「えぇ。そもそも、何を考えているかわからない男です。注意するに越したことはないかと」
「……私を一番近くで見てきたのはお前だと思っていたが、そうでもなかったみたいだな」
アイリスはロベリアの襟を掴み、「皇帝隊なんぞに私の首が取れるか」
青と紫に染められた瞳が歪み、死神が見える。その気迫に圧倒され、ロベリアは暫く言葉を出せなかった。
「も、申し訳ありません、出過ぎた真似を」
ロベリアの頬を汗が伝う。その様子を見、アイリスは手を離し、紅茶を飲んだ。
「そう焦るな、冗談だ」
明らかに冗談じゃない雰囲気を醸し出していたが、気づかないフリをしてティーカップに口をつける。
「一つ、お前に頼みたいことがある。やってくれるな?」
オレンジと紅茶の香りが漂う中で、アイリスの口が開いた。
けたたましく鳴り響く銃声。長身の肉体からは想像もできない身軽さを手にし、ルディアは銃撃に順応しつつあった。
「んー、そろそろ次のステップですか」
「……次の、ですか?」
「タメでお願いします。嫌なので」
答えになっていない言葉を返すと、ラーヴァは銃を撃つ向きを変え出した。ルディアが片寄って左に移動するように、足元を狙って弾丸が放たれる。
「一体、何のつもりで……!」
「そうそう、そんな感じで喋ると自然な青年感が出ます」
連続する銃撃に肉体が追いつかず、ルディアの体が傾いたその時。
「覚えておきましょう。これが斬られる痛みです」
ラーヴァの持つ細長い金属が、ルディアの胸を切り裂いた。避け方を知らないルディアは、もろに斬撃を受けてしまう。ルビーのように紅い鮮血が、ルディアの中から飛び出した。
「っ!」
血が舞う視界の中で、ルディアは体勢を立て直した。そして——。
「今度はこっちの番だ……!」
「⁉︎」
重い拳が、ラーヴァ目掛けて振り下ろされる。咄嗟に剣で拳を受け止めるが、拳は鋼すらも貫き、その先へと進んできた。
「…………惜しいですねぇ」
だが、ラーヴァの顔面に拳が達するより速く、拳は受け止められた。それとほぼ同時に襲い来る、猛烈な反撃。
「貴方のマスターも、こうやって強くなっていったそうですから。その感覚を理解してみてください」
左、右、左、右、と、休む間もなく連続で拳が繰り出される。ルディアはその度に体を揺らし、為す術なく打撃を受け続けた。
「ほらほらその程度——」
何十発、何百発も受けたかと思われたその時。ルディアは、ラーヴァの拳を顔面で受け止めていた。
「ここからだ」
顔面で無理やり拳を押し切り、反撃の一撃を放つ。初とは思えないほどに重い拳は、二人の距離を再び遠ざける。
金属の床を、戦闘用靴が擦れる音が上がった。その間にもルディアは跳躍し、次なる一撃を放つ。
「……貴方と同じです。一度受けた手を二度も受けるほど、私は弱くありませんよ〜」
ルディアの拳は難なく受け止められ、反撃に膝蹴りを受けてしまった。肺から空気を吐き出し、勢いよく吹き飛んでいく。
「いっ……! ラーヴァさん、その目は」
ルディアが顔を上げると、ラーヴァの瞳は赤色から蒼色へと変化していた。言葉を返すよりも先に、ラーヴァはルディアに刀を投げる。
「ちょろっとだけ本気で教えます。それはプレゼントですよ」
銀一色に輝く刀を、ルディアはなんとなくで構える。あまりにも適当なそれに、ラーヴァは眉を顰めた。
「……まぁ、やって慣れていけばいいんです。私は木刀で結構」
ラーヴァの蒼い瞳に、初めて闘気が宿る。
「もし、あの力のリミッターが一段階外れたのだとしたら、相当な成長速度。まぁ、学習対象者がアイリスさんに桑水流麗奈。そりゃ強くなるか」
瞬時に分析を終えると、ラーヴァは一気に駆け出した。そこらの車や銃弾をゆうに超えるほどの速度でルディアの目の前まで現れ、同じように木刀を薙いだ。
「同じやり方で、今度は木刀……だが、さっきよりも重い⁉︎」
受け止めきれず、勢いよく吹き飛ぶルディア。金属の床を転げ、金属の壁に叩きつけられ——肉体を傷つけながらも、なんとか立ち上がる。
「まだまだ、強くなれますよ」
それから一時間、二時間ほど経って。
息を切らしたかと思いきや、ラーヴァに負けず劣らずの速度でルディアは突進する。先ほどよりも速く重くなった一閃も、ラーヴァに傷をつけることはできなかった。
「へぇ、さっきよりも腕を上げましたね」
瞳に宿る蒼い炎が燃え上がる。刹那、何が起きたのかもわからないまま、ルディアの体は中を舞っていた。
「まだいけますね?」
「まだまだ……!」
挑んでは返り討ちにされ、また立ち上がっては吹き飛ばされ——旭日昇天の勢いで、ルディアは挑み続けていた。
「この諦めの悪さと根性……なるほど、聞いたあの人の話にそっくりだ」
ラーヴァが呟くと同時に、鋼の刀がラーヴァの頬を掠める。全てを知るラーヴァにとって、過去のある人、あるいは歴史を見ているような感覚は、油断を生むのに十分だった。
「これが……到達、成功?」
「やっぱり、似るんですねぇ。そっくりだ」
「え?」
嬉々とした表情のルディアに向かって、ラーヴァは木刀を振り翳した。重い一撃が脳天を貫いたような衝撃を与え、ルディアをその場に沈み込ませる。
「ま、悪くない成長です。それだけの力があれば、幹部くらいなら戦えるかもしれませんね」
気絶するルディアをよそに、ラーヴァは頬をハンカチで拭う。その時、目の前に電子液晶が現れた。
「急遽ルディアのメンテナンスを行い、再起動してくれ」
「隊長。また何か?」
モニターの向こうから、守時の無機質な声が響く。
「あぁ。Xとマジリティを繋ぐ港が、〝戦〟によって完全占拠された」
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