第3話 自己矛盾と黄色いアイリス
雨が降り注ぐ街の中。
アイリスは四方を構成員に囲まれ、明らかに不利な状況だった。
しかし。
「……すまない」
アイリスが告げると同時に、構成員たちは白目を剥いてその場に倒れ伏す。
横にいたルディアは問うた。
「マスター、今のは一体?」
「アイリスさんでいい。それと、私も元皇帝隊隊員だ。言わなかったか?」
「初耳です。ちゃんと言ってください」
「細かいことは勝手に学習してくれ」
彼女の強化細胞には、精神に強く作用する力が備わっていた。
皇帝隊に籍を置いている者は、何をせずとも高額の給与が与えられる。前線でアダムの兵士たちと戦い、命をかけて人類を守ったその実績は当然大きい。
また、同時にX王の保身のためでもあった。強化細胞を持つ人間が大量に牙を向けば命は持たない——己の命を守るため、やむを得ず国民の反感を買ったのだ。
Xの窮状は、王が皇帝隊第一に政治をしているためであった。
「本当に矛盾だらけの組織だよ」
嘯くアイリスの瞳は、紫色に濁っていた。
「それは一体」
その時、ルディア目掛けて短刀が飛んでくる。一瞬のうちにそれを受け止め、アイリスは投げ返す。
「その話をお前にする義理はない。また今度だ」
「マスター、どこへ?」
「戦ってみろ。死にそうになったら助けてやる」
そう言って、アイリスはその場を去った。
ルディアが正面に視線を戻すと、目の前に赤髪の女が現れた。反応するよりも速く、重い拳が叩き込まれる。
「…………」
ルディアは無表情で吹き飛んだ。アスファルトを転がり、そのまま横たわる。
「どこ見てんだ馬鹿野郎!」
罵声を気にも留めず、埃を払ってルディアは立ち上がる。動作こそ少しずつ学んでいるものの、まだ〝感情〟は理解も
「必要以上の争いは避けるべきです。何かを訴えたいならば、暴力以外の手段だって——」
「あたしらみてぇなのはさ、頭弱いわけ。今じゃそんな場ほとんどないけど、馬鹿には訴える力なんてあってないようなものなんだわ。……その様子、ほんっとに何も知らねぇんだな。話してっとムカつくからさ、消えてくれよ」
赤髪の女はルディアの首を掴み上げた。鈍い衝撃に肉体が悲鳴を上げようと、ルディアは眉一つ動かさない。
「なんで抵抗しねぇのさ。このままだと死ぬの、わかってんだろ」
「…………えぇ、はい。そう仰るなら」
ルディアは女の腕を強く掴み振り解く。
地面に降り立ったルディアは懐から銃を取り出した。
「殺す!」
突進してくる赤髪の女に向けて銃を放つが、何もわからない状態では当たらない。
女の拳がルディアの顔面を捉える。体に染み込む追撃に再び吹き飛ばされた。
しかし顔は変わらない。いかなる攻撃を受けようとも、視線は赤髪の女から離れないままだ。
「その顔が気に入らねぇって言ってんだ!」
全体重をかけた拳が放たれた、その時——。
「もうやめてやれ。そいつはいくら殴っても変わらないぞ」
アイリスが拳を受け止めた。その後ろには拘束された構成員の山がある。
「マスター、完全学習にはもう少し欲しいのですが」
「もういい。私の判断ミスだ」
ルディアの前に立ち、赤髪の女を見る。
「……あんた、第四隊隊長の〝死神〟アイリスだろ?」
「そうだとしたら?」
赤髪の女は、歯軋りと共に頭を掻き毟る。次に放たれたのは、大地を震わすほどの慟哭だった。
「あんたがアダムの兵士と戦ったところが、私の住んでた場所からすぐだった。あたしの家、それで燃えてんだよ。家族も友達も、みんな逃げる間も無く死んだ。私の仲間は誰一人いなくなった。あたしの仲間を殺した奴が、溢れんばかりの金でのうのうと暮らしてるのが許せない! だからあたしは暴強化細胞を入れた。死んでもいい。あんたとこの世界に復讐するためなら」
アイリスの肌に殺気がひしひしと伝わってくる。そしてすぐ、アイリスは赤髪の女に殴られた。
「…………!」
頬に衝撃が走り、ちりちりと焼けるような感覚に襲われる。その瞳には侮蔑の光があった。
「気は満足か?」
目線を赤髪の女に直して、アイリスは言った。
「お前は私に何をして欲しい。何かを奪いたいか?」
赤髪の女は、苛立ちを露わにする。
「なんなんだよその態度。アンタ、人として何か欠けてるよ……!」
アイリスは眉を顰める。頭の中で蠢く記憶が、女の言葉と重なった。
「確かにまともじゃないだろうな。まともだったら、お前の前に立てないよ」
目にも止まらぬ速さでアイリスは女を無力化する。コンクリートに叩きつけられた女は抵抗の意思を見せるも、敵わないと悟るとすぐに大人しくなった。
「私を殺したければ何度でもかかってこい。だが、そこに他人を巻き込めば同じ憎しみを生み出す。このままいけば、殺したい相手が自分自身になるぞ」
アイリスの言葉に、女は黙り込んだ。目から垂れるのは、鈍く光る熱い雫。
「殺したい相手と同類に成り下がる……そう。そうなんだけど、こうでもしないとやってらんないの。忘れられないんだよ、みんなが炎に飲まれていくあの記憶が。こうしてるのが、一番楽なんだ」
女はアイリスから目を逸らした。思考を放棄し、真っ黒に染まった瞳を見、
「あと二年。あと二年、何とか生きてみろ。その間に、何か変わる。……必ずな」
無力化された女を一瞥すると、何も言わずにアイリスはその場を去っていった。その後ろに、何も解らないAIを連れて。
一時間ほど、雨は降り続いた。
「……桑水流先輩」
桑水流の表情を見、それ以上言葉が出なくなるアイリス。
「また今度ご飯行こう。それじゃ」
それだけ言い残し、桑水流は帰ってしまった。背中に哀愁を漂わせながら帰っていくその姿には、神の気配など感じられなかった。
「アイリスさん。桑水流先輩は、一体?」
「人間には面倒な感覚が幾つか存在する。そして、それは突発的だ」
小雨が、コンクリートに打ち付ける。
「もしもし、オダマキ。二年かけていい。頼みたい技術開発がある」
どんよりとした雲が、太陽を覆い隠していた。
帰宅後。
二人の間にあるのは重い空気だった。ルディアもなぜか言葉を発さない。
「Xは腐りすぎた。郊外はどこもああだ」
「そのよう、ですね」
また訪れた沈黙を捨て去るように、ルディアは言った。
「俺に感情を教えてください」
「……あまり私にも解らない。自分のまで失くしたつもりはないが、人の感情を察することができなくてな。色々と、忘れてしまった」
雨はまだ降り止まない。
終わりなどないと笑うように。
「マスターも、俺と同じなのですね」
「さあな。お前にはまだまだ力を付けてもらう。私の代わりに戦えるくらいに」
「それがマスターの命ならば、喜んで」
空気は相変わらず。
その時、スマートフォンが鳴り響いた。
「夕方ぶりだね」
「仕事か?」
「あぁ、それも国王直々の。少し手伝って欲しいんだよ」
「お前が言うなら、相当面倒な仕事か」
アイリスはため息をつく。電話から伝わる〝オダマキ〟の声からも、面倒さが伝わってきた。
「次の仕事は、戦闘専門組織——〝戦〟の殲滅だ」
影の街から北に二十キロメートル、そこに守時の研究所はある。
山の中腹辺りに位置する、銀色に輝くその建物の中では、守時率いる皇帝隊第二隊が研究をしていた。
コツ、コツ、と——真っ黒な革靴と金属製の床がぶつかる音が響く。
「おや、もしかしてアイリスさんですか? お久しぶりですねぇ、お元気してました?」
エントランスにて、赤髪の女が話しかけてきた。日焼けした肌に似合う、ワインレッドのスーツに黒いワイシャツ——その姿は、知っていなければ研究員だと判らない。
「あぁ、お前の方こそ元気そうで何よりだ。オダマ……いや、守時から呼び出されている、案内してくれ」
普段よりも緩んだ表情で話すアイリス。
「えぇ、わかりました。でも、その前に……」
赤髪の研究員は、ルディアをまじまじと見つめる。ルディアの青い瞳に、赤い瞳が重なった。顎に手を当て、少し背中を曲げる研究員からは、殺気や研ぎ澄まされた感情の類は感じられず、ルディアの学習領域の中に〝美しい〟という表現を刻んでいた。人間の体を奪い、力を手にしたことで理解した〝感情〟——アダムとイブに劣るルディアが、どの域に達しているのかは不明である。
「初めまして、ルディアさん。どうぞよろしく」
左側に偏って分けられた前髪が、視界の中でしゃらんと揺れる。
「よろしく、お願いします。……何か?」
「……あぁ、ごめんなさいね。今案内しますよ」
踵を返し、赤髪の研究員は奥へと歩んでいった。
赤髪の研究員が扉をノックする。
「隊長、アイリスさんとルディアさんをお連れしました」
「ご苦労だったね、ラーヴァ。入ってくれて構わないよ」
ラーヴァと呼ばれる研究員は、扉を開いた。ギギギィ、と金属が擦れる音が響く。
「いつ事故が起きてもいいように壁の耐久度を高めているんだ。全員が扉を破壊する力を持っているから、有事の際の脱出に心配はいらな……っと、そんな話はどうでもいい。よく来てくれた」
奥の椅子に座っているのは
「会話のために来たんじゃない。さっさとしてくれ」
「生き急ぐのも感心しないな。生きる意味を探すなら、一つ一つに目を向けることが重要なんじゃないか?」
「人より長い人生でも、自堕落に過ごせばつまらないまま終わりを迎える。いいから本題に入れ」
「……悪い癖だな、気をつけるとしよう。それで、本題だが——〝戦〟が、マジリティ王国に戦争を仕掛けた」
アイリスの眉が動いた。目を細め、舌打ちをする。
「〝炎帝〟及び〝水神〟が今、マジリティ王国との交渉に向かっている。僕達に任された仕事は、〝戦〟の相手というわけだ」
「また戦い、か……」
ため息をつくアイリス。妖しい色をした瞳が曇った。
「本部は構成員の中でも特にハイレベルな集団だ。おまけに数も段違い。今回は、僕とその優秀なアシスタントも協力しよう」
守時が指した先には、ラーヴァがいた。
「ご同行させていただきますね」
「ラーヴァ、お前までついてくる必要は」
「いいや、ルディアの補助に必要だ。ラーヴァ、説明を」
「ルディアさん、あなたにはもっと力をつけてもらいます。作戦決行日までの期間に、ですね」
頭を下げるラーヴァ。想定外の出来事に
「その間ルディアは返却してもらうことになるかな。アイリス、君にはまだ話がある。ついてきてくれ」
我慢の限界が来たのか、アイリスは鋭い視線で守時を睨みつけた。
「いい加減にしろ。私はお前の道具じゃない」
「……だが、君が皇帝隊の中でも物議を醸す存在だというのは解っているだろう。基本的に、君は行方不明という扱いを受けているんだ。こちらもそれ相応のリスクを覚悟して上と掛け合っているんだから、働いてもらうのは当然だよ」
再び舌打ちが響く。だが、それ以上セリフが続くことはなかった。
「全てが片付けばこの国は変わる。それまでの辛抱だよ」
二人は重苦しい雰囲気のまま隊長室を出ていった。
残された者の沈黙をかき消すように、ラーヴァが陽気な声を出す。
「それじゃ、今日から早速ということで。始めちゃいましょうか」
「よろしくお願いします」
「現在性格はやや控えめ、言語学習面もそこそこ……今回調整必須……と」
「何か?」
「いーえ、何も。ちょっとしたお仕事です」
守時の後をついていくと、アイリスは第二隊棟三階の研究室に辿り着いた。
まるで水族館のような作りに、部屋の中心にはガラスの柱。その中に、黒い箱が閉じ込められていた。外部に漏らせない禁忌がここにある——そんなメッセージが伝わるような重さが、そこにはあった。
「それで?」
「あぁ、そのことだが……まず君に、プレゼントだ」
守時はガラスの前まで歩み寄り、タッチパネルを操作した。すると、ガラスが開き黒い箱が現れる。アイリスはそれを受け取った。
「開けてみてくれ」
「これは……」
黒い箱の中にあったのは、黄色いアイリス四輪と同じく黒い布のポーチ。さっと中身が取り出せるようなものだ。
「黄色いアイリスをモチーフにした武器だ。イエローアイリス——使用方法としてはまず、それ自体を相手に刺す必要がある。よく見ると、小さな針がついているのがわかるだろう?」
視線をイエローアイリスの茎に落とすと、まじまじと観察しなければ気づかないほど小さな針がついていた。それを知ってしまえば、花本来の美しさは消え去ってしまう。
「刺した相手が半径十メートル以内にいる時、効力が発動する。君の意思で、効果対象の相手は死に至る。それがどれだけ強い相手でも、化け物だったとしても……だ」
「そんなものを何故渡す? 今ここで命が奪われるリスクだってあるんだぞ」
「大丈夫だよ。その道具は君にしか使えないし、君はその重さをわかってくれる人間だと信じているからね」
静寂。
「私は冷静だ。だから、使い方を間違えることもない。だが……ラーヴァの事も、私は忘れていない。実の娘を改造し、戦闘のための傀儡にしたことを」
「死んだ神を名乗って人を殺し、その上で生きる意味を探す自己矛盾がよく言うよ。そいつは限りがあるし、それ以上の生産はできない。よく考えて使うことだ。それじゃ、本題に入ろう」
守時はアイリスに背を向けたまま、話を始める。
「君も知っての通り〝戦〟の幹部は四人。風神雷神と呼ばれ、高い戦闘能力を誇る二人——幹部の中では劣るものの、その人望から討伐が厄介な待井という男。そして、黒金定国の側近にして二番手——黒金ヤスケ。我々が幹部と戦っている間に、君には定国の討伐に向かってもらいたい」
ガラス張りの壁に目をやったまま、守時は淡々と告げた。
イエローアイリスの入った黒い箱を眺め、アイリスは言葉を返す。
「……自己矛盾だとしても、私は生きる。仕事なら殺してやるよ、定国も」
アイリスは身を翻し、足早に研究所を後にした。
山道を車で駆け降り、影の街まで戻ってきた。
冷たい夜風が頬に当たる。アイリスは、夜に輝く月を見つめていた。服のポケットからスマートフォンを取り出し、慣れた手つきで番号を入力する。
「もしもし、どうしたの。君からかけてくるなんて珍しいじゃない」
古いスマートフォンの先から鳴り響く、優しい声。
「桑水流先輩。また、面倒な事が始まりそうです」
街の外れに響くのは、抑揚のない声。
「そう、だね。でも、きっと何かが変わるよ。何かが……動く」
「そう、ですね。何か……変わってしまう」
それだけのやり取りを終えると、すぐに電話は切れてしまった。
何かが変わる——その言葉が、頭の中に残り続けるアイリスだった。
けたたましく打ち付ける銃弾の雨。暗がりの中に汚い煙が立ち込める。
「殿、奇襲は成功です。Xの部隊も囮に寄せられ、行動に気づいていません」
少し違和感のある発音で男の声が響く。
「
「そうは言いましても、魔国は数万の軍隊を用意しています。全員で出ればすぐに終わるでしょうけど」
煙草の汚い空気を、そよかぜがかき消した。崩れかけの建物には似つかわしくない、メイド服を着た女に着物を着た男二人、スーツ姿の男一人。
「いいや、構わねぇ。俺が出る」
スーツを着た男が立ち上がると、周囲を肌寒い気配が支配する。男は落とした煙草を革靴で踏み躙った。
「魔法ってのがあったとしても、その程度じゃ世の中は変わらねぇ。だが、その幻想は人を扱いやすくする」
男の瞳が、赤く燃え上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます