第2話 雨が降る

 翌日。

 守時に頼まれた通り、アイリスはルディアの進化学習を手伝っていた。その仕事は至って簡単——書物を与えるだけ。



「書物代は向こうオダマキ持ちでも、いちいち効率が悪いな。何か改善策があればいいんだが」

「書物を読む速度に関してはご心配なく。もし面倒臭いようでしたら、本の場所さえ教えてくだされば勝手に学習します」

「へぇ、面倒という感覚がわかるのか?」

「俺の肉体はヒトの複製コピーなので、なんとなく」

 アイリスは気づかれない程度に眉を顰める。人間の複製という行為を平然と行う守時に対する軽蔑だった。

「今そこに積んであるのは、この国や諸外国についての書物だ。どのくらいかかる?」

 ルディアの横には書物が積み上がっていた。人間が読み切るには一ヶ月以上かかるであろう冊数だ。

「三十分かからないかと。暫くお待ちください」



「…………」

 Xの敵対国としてY国、友好国としてマジリティ王国が存在する。

 Y国は、十二種の力を持つ家が国を分断・それぞれで統一しており、国内でも地域ごとに環境が大きく変わる。

 マジリティ王国は、その名の通りマジリティ王が国を統べ、現在も政府が機能している数少ない国家である。また、他のどの国にもない特殊な力を所持している。

「アイリスさん、終わりました」

「上出来。なら……見にいくぞ、この国の現状を」

 

 

 

 ぽつぽつと降る小雨を、黒い車体が切り裂いて進んでいく。二人は影の街を抜け、ある街へと向かっていった。

「お前がどこまで戦えるのかは知らないが、この先はかなり治安が悪い。銃くらいはあった方がマシかもしれないな」

 そう言って、アイリスは銃を手渡した。現在のXにおいて、民の悪行を捌き切れる機関は存在していなかった。

「使い方を教えていただけますか?」

「弾を詰めて引き金を引く。最悪撃って試せばいい」

「……AIの親としては、随分ざっくりした説明の仕方ですね」

「うるさい。AIならなんとかしろ」

 会話を黒い車体のブレーキが止める。二人は目的地付近の駐車場にいた。

 運転席の扉を開けると、アイリスは呟いた。

「目を逸らさずよく見ておけ。これがXの現状だ」

 そこは、地獄とも呼べる治安の悪さだった。

 二人の目線の先には、赤髪の男が通行人の首を絞めている姿があった。更に、見えないところで老人を痛ぶる者。チンピラに対して、一方的に拳を振るっている者も。ただ暴力だけが広がっていた。

(地獄を見てどう出るか。これで敵に回るようなら話にならないが——)

 心の中で呟きながら、アイリスはルディアの様子を見る。

「Y国の一部地域に匹敵……いえ、それ以上の酷さですね。暴れているのは?」

「反社会組織——いくさだ」

『戦』と呼ばれるこの組織は、打倒十神皇、打倒X王を掲げ、Xの各地域でテロに近い活動を行っている。

「定国と呼ばれる男を頭領とした大規模組織だが、明確な目的を持っているのはほんの一握りだと聞く」

「戦はY国やマジリティ王国にも侵略を進めていると記述がありました。このままいけば、世界のどこよりも力をつけてしまうのではないでしょうか」

「そうなって支配されたとしても、国民の生活状況は変わらない。いや、任せてしまった方が楽かもしれないな」

 打ち付ける雨の中、二人に向かって足音が近づいてきた。

「でも、そんな世界に〝生きる意味〟を求めている。違う?」

 そこに立っていたのは、青髪のボーイッシュな女性。

 アイリスと大して変わらない身長で、その口元は爽やかに緩んでいる。

「……桑水流先輩。昨日ぶりですね」

 昨日よりも細い目をして現れた桑水流は、アイリスの背中を思いっきり叩いた。

「はいはい。ご飯でも行きたいところではあるけど、今日は仕事なんだ」

 桑水流が親指で示した先には何台かのパトカーが止まっていた。第六隊は元々警察的役割を担っているため、正義感の強い人間が多い。

 AI戦争時の功績によって皇帝隊は働かずとも金が支給されるのだが、その中でも働こうとする人間が多く集まっていた。

「ところで、そちらの方は? お友達?」

「友人の知り合いです。暫く外国にいたらしく、この国を案内しているところでした」

 アイリスは咄嗟に嘘をつく。

 桑水流が何か言おうとした次の瞬間だった。

「ッ⁉︎」

 耳をつん裂くような爆音と、大きな地響きが発生した。三人が目を向けた先には、暴言を吐き合う男たち。

「喧嘩で爆発物——阿呆ですね」

「他人を巻き込むようなら制圧するけど、少し様子見。一応部下たちも連れてきたけど、暴強化細胞持ちが十割……まともにやり合っても勝てないだろうけど、参ったな」

 暴強化細胞。

 アダム製の強化細胞を人間が取り込んだ際に高確率で発生する変異細胞である。暴強化細胞を使用した人間は、強化細胞を持つ人間を凌駕する力を手にできるが、一部を除き数年の間に必ず死亡してしまう。

「てめぇら」

 そんなことを話していると、背後から男が現れた。真っ赤に血走った瞳に、おぞましく膨れ上がった筋肉。背中に刻まれた、刀を模した刺青。〝戦〟の構成員にして、暴強化細胞を持った人間であることは明らかだった。

「おう兄ちゃん、女を連れていい御身分だなぁ。だが、来る場所を間違えちまったみてぇだ。悪いが死んでもら——」

 刹那。男の体は凄まじい勢いで宙を舞い、瞬く間に地面へと叩きつけられた。

「そっちこそ、声をかける相手を間違えたね」

 反撃を許さず、瞬く間に拘束する。男を制圧したのは、桑水流だった。事務的に男を気絶させると、アイリスに向かって呟いた。

「あら、派手に投げすぎたかな」

 桑水流の言葉を皮切りに、辺りにいた赤髪の人間がぞろぞろと現れ、三人を取り囲んだ。

「なんだ、あいつはこの女にやられたってのか?」

「油断してただけだろ、どうせ大したことねぇよ」

 先の男と同じ格好をするそれは、戦の構成員だろう。醜悪な笑みと共に、桑水流に暴行を加えようと近寄ってくる。その右手がゆっくりと伸ばされた時には、もう全て終わっていた。

「悪いね、隙だらけだったから」

 男二人の腹には、拳の跡がついていた。うめき声と共に倒れると、そのまま動かなくなる。

「あの女やっちまうぞ!」

 構成員たちが、次々に桑水流目掛けて突っ込んでいく。

「第六隊対〝戦〟部隊に告ぐ! 今この場にいる構成員を制圧せよ! 自身の命を奪われるくらいならば、奪ってやれ!」

 声を張り、部下に命ずる桑水流。パトカーから、第六隊の面々が現れた。

 面倒事の気配を察知して、その場を去ろうとしたアイリスだったが——。

「せっかくだから、ちょっと手伝ってよ。またいつ会えるかわかんないでしょ?」

 首元に手を回され、アイリスは抱き寄せられる。顔を覆われる直前、ルディアに向かって「戦え」とアイコンタクトを飛ばしながら。

「今度、ごはん奢ってくれるなら」

 アイリスを掴んだまま、桑水流は殴りかかってくる構成員を蹴り飛ばす。まるで踊っているかのような戦い方だった。

「おっし、さっさと片付けちゃおうか」

 湿っぽい雨が、街を濡らし始めた。

 

 

 血走った目の男たちが銃を乱射した。けたたましい金属の音が響き、桑水流の体を打ち付ける。

「痛いなぁ、もう。女の子に暴力はモテないよ?」

 桑水流麗奈も、強化細胞を取り込んだ人間である。両手に搭載されているのは、辺りの気体を変化させ、水を作り出せる特殊な装置だった。

「力なら割と上の方なんだけど、知らないか」

 桑水流は、AI戦争を生き抜いた人間の一人である。

「どれだけ時代が進んでも、一番シンプルな表現方法は暴力だよね」

 桑水流が両手を突き出すと、水の柱が乱れ咲き、風が吹き荒れた。男たちは近づくこともできず次々と制圧されていく。その中心に立つ桑水流は——神そのものだった。

「詳しい話は署で聞きますから……ってやつ」

 桑水流が手をかざすと、立ちはだかる男たちにレーザーが放たれた。滝が打ち付けるのと同じ音と共に、男たちの意識は闇へと沈んでいく。溺れるような呻き声をあげて、その場に倒れ込んだ。

「こんな世界だから、生き抜くためには力が必要でさ」

 刀を持った構成員の懐に潜り込み、右手の水圧で吹き飛ばす。舞うような戦い方には一切の無駄がなかった。

「力のための副作用で、髪も瞳も青く染まっちゃってさ。これ染料も弾いちゃうし。戦争が終わっても何も解決してなくて、誰も彼もぼろぼろで。気持ちがわかるなんて言えないけど、お互い大変だよね」

 構成員を次々に薙ぎ倒す桑水流。敵の攻撃をいなし、反撃する度に、水の弾ける音が響く。

「でも、私は私のために生きる。その邪魔はさせない」

 体を濡らして攻撃を放つ桑水流からは、独特の哀愁と冷たさが感じられた。



 第六隊の状況は最悪だった。

 暴強化細胞の前に蹂躙され、あちこちで悲鳴が上がる。

「こんなことが許されていいはずない!」

 若い男の青い瞳が、屈強な男の赤い瞳と重なった。

 人間を超越した速度で牽制し、若い男は力の込められた拳を放つ。だが、握り締められた拳が届くことはなかった。屈強な男は、若い男の頭を掴むと——。

「皇帝隊の野郎は弱いなぁ。こんな雑魚の癖に戦争してたのかぁ?」

 そのまま地面に叩きつけた。

 アスファルトが歪み、人の頭が砕け中身が飛び散っていく。屈強な男が手を離すと、若い男の原型は残っていなかった。

「所詮このてい」

 その時、桑水流が間に入ってくる。一秒にも見たない速度で屈強な男を弾き飛ばした。

「弱体化した皇帝隊は確かに弱い。この程度じゃ、何かを訴えても誰一人納得させられない」

 ぽつぽつと呟く桑水流を、また別の大男が襲う。

「そうだろ? ならこいつも無駄死にだったってこ」

 若い男が沈んだ時よりも鈍い音が響き、生臭さが充満する。大男は地面に叩きつけられた。

「代わりに私が訴える。無駄死にだったとしても、その正義を私が継ぐ。この世界は力があれば皆が従う」

「お前らはよぉ、働かなくても金が貰えて楽だろ? 貴族サマの言葉は響かねえなぁ!」

 男は怒りのままに声を荒げ、爆弾を投げた。桑水流の方ではなく、街の片隅にある寂れたカフェの方へ。

「——!」

 超速で投擲されたそれを、瞬時に受け止める影が一つ。異常なまでの反射神経で、桑水流は爆弾を抱え込んでいた——そして、すぐに火薬が唸りを上げる。

 体の中で大爆発が起こった。

 静寂と共に桑水流はコンクリートと衝突する。

「…………流石に堪えたよ。お前何考えてんの?」

 周りの空気が凍りついた。

 コンクリートは冷え固まり、周囲は極寒の如く凍りつく。

 降ってきた雨は桑水流のフィールド内で礫へと変わって落ちてきた。

「お前らが被害者なのはよく解った。だけど、被害者を増やそうとする思想は理解できない。お前らが求める何もかも、被害者が増えれば増えるほど成立しなくなるの。人の痛みどころか、こんなことも解らないワケ?」

 怒気を孕んだ冷徹な声色。桑水流の髪は青白く凍っていた。

「ひっ! お、お前らだって、俺らのこと何も解っちゃいねぇよ! 結局暴力で蹂躙するだけじゃ」

 それ以上の言葉はない。

 男は全身から血を吹き出し氷像となった。像の顔は、何が起こったかなど露知らず。

「一方的な正義……確かにそうだ。それじゃ何も変わらないって、わかってるんだけどね。……わかってる、つもりなんだけどさ」

 雨はどんどん強くなっていく。

 桑水流の言葉はとけてなくなった。

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