第11話


 彼女の意識は完全に覚醒していた。

 さっきまでのような虚ろなものではなく、瞳に生気が宿っている。

 寝ぼけていた感じも抜けて、今は完全に状況を把握している。


 つまり。


 ほぼ全裸の自分を信頼していた男子生徒が押し倒している、という最悪のシチュエーションを目撃されてしまったのだ。


 もし氷室がこのことを誰かに言えば俺の学校生活は間違いなく終わる。


 どうする。

 言い訳するか?

 どうやって?

 何を言っても聞き入れてもらえる気がしない。


 だって、事実はどうあれ意識がない状態を利用して衣類を脱がせてこんなことをしているわけだ。


「あの、加藤くん」


「は、はい?」


「……できれば、服が着たいんだけど」


 氷室は頬を赤く染めながら視線を逸らして言う。

 俺は咄嗟に氷室の上から移動して必要以上に距離を取り、彼女に背中を向ける。


「……」


 何も言ってこないな。

 俺はどうしていいのか分からず、黙って天井を眺めていた。


 すると、


「もういいわ」


 と、氷室が声をかけてくれる。

 このタイミングを逃すわけにもいかず俺は彼女を振り返る。氷室は制服を全て着用していたが、まだ頬は僅かに赤い。


「あの、さっきのは」


 とりあえず悪あがきでもいいから言えることは言っておこう。


 そう思ったのだが、


「いいの。分かってるから」


 氷室は俯きながらそう言った。

 分かってるからと言われても、そのセリフは大きな間違いをしている人間が吐くセリフなのでは?


「いや、あれは本当に故意じゃなくてたまたまというか、俺は」


「大丈夫よ。加藤くんが悪くないことは分かってる。全部、思い出したから」


「思い出した?」


 俺がオウム返しをすると、氷室はこくりと頷いた。


「催眠状態のときの記憶。何となく、ふんわりとしていたものが、全部鮮明に蘇ってきた。初めて催眠をかけられた日のことも、その次の日のことも」


 これまで、催眠状態の記憶は極力残らないようにしていた。そうなるように覚醒させる際に促していたのだ。


 なのに、どうして。

 そう思ったけど、心当たりは一つだけだ。

 押し倒して無理やり覚醒させてしまったから、その衝撃で蘇ってしまったんだ。


「そう、なのか」


 まあ。

 それならよかった。変に誤解をされると厄介だったからな。


 俺はそれを聞いて一安心していたのだが、氷室は一向に顔を上げようとしない。


 まあ、一瞬とはいえほぼ全裸状態を晒した相手の顔は見れないか。

 俺も目を合わせるのはできそうにない。普通に照れるだろうし。


「あの、あのね……」


 氷室は意を決したように声を出す。まだ完全に顔を上げてはいないが、視線だけをこちらに向ける。


「その、えっと」


 声は出すがその先が出せずに、ずっとそんな言葉を漏らすだけだった。

 でも俺は彼女の思考を汲み取ることができず、話すフォローさえしてあげることができない。


「催眠状態のときにね、私が言った……その」


 ようやく一歩進んだ氷室。

 わなわなと唇を震わせる彼女は、きゅっとその唇を噛み、顔を上げて、


「お、オナニーのことは誰にも言わないでください!!!!!!!!!」


 そう言った。


 まさかそんなことを言われると思っていなかったので驚きのあまり声も出なかった。


 あれは嘘、とかの誤魔化しをするわけではないのか。

 まあ、催眠状態の回答だし、もうそれは無理だと悟ったのかも。


 いずれにしても。

 もちろんそんなこと誰にも言うつもりはなかった。


「もちろん。誰にも言わないよ」


「本当に?」


「ああ。さすがに言えない」


 言うと、氷室はガックリと肩を落とす。


「それはやっぱりあれかしら、私がそんなことをしているから引いたってこと?」


 ちらと上目遣いをこちらに向ける氷室。


「いや、催眠状態の氷室にも言ったけど軽蔑とかそういうのはないよ。それは人として当たり前の欲求だし、驚きはするけど引いたりはしない」


「絶対?」


「ああ。現に俺は今、引いたりしてない」


 俺が言ったそのあと、氷室が顔を上げる。えらく真剣な顔をして、じっとこちらを見てくる。


 さすがに照れるので視線を逸らすと、それを許さないとでも言うように俺の視線の先へ移動してくる。


 それを何度か繰り返す。


「なんだよ」


「ほんとのほんとに引いてないか確認してるの」


「してないって。信じてくれよ。別に何言われても引いたりしない」


「……もし、私が言ったことなんか全部のうちの極僅かな部分でしかないとしたら?」


「どういう意味?」


「……」


 訊くと、氷室はまた顔を赤くする。肌が白いから赤くなるとすごく目立つ。

 そこが可愛かったりするのだが。


「私、本当はえっちなこと大好きなの!」


 真面目な顔で、

 思い切ったような声色で、

 まるで愛の告白でもするように、


 氷室はそんなカミングアウトをしてきた。


「……えっと」


 これ何て返すのが正解なんだ?


 ていうかそもそも、どうしてそれをわざわざ俺に言った?


 俺はそれをどう受け入れればいいんだ?


 いろんな疑問がつぎつぎと思い浮かんでくる。思考が追いつかない。でも何か言わなければ。


 ぐるぐると考えながら、俺は何とか言葉を絞り出す。


「いいと、思うよ?」


 もう少し気の利いたこと言えなかったのかよ、と思ったのは後々のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る