第9話


 どう思った、か。


 俺は少し考える。この問題はデリケートだ。答えを誤ると良くない方向に話が進むことは間違いない。


 適当に聞こえのいい言葉を並べれば氷室は満足するのかもしれないが、俺は彼女に対して誠実でいようと決めた。


 嘘はつきたくない。


 だから、言葉を選びつつ本音をそのまま吐き出そうと決めた。


「正直に言うと、驚いた」


「驚く?」


「うん。こういう言い方をすると、氷室はよく思わないのかもしれないけど、そういうことをしているようには見えなかったから」


 いわゆる、清楚系というか。

 エロとかの類に関してはあまり興味がないような印象があった。


「……軽蔑した?」


 氷室は恐る恐るといった調子で訊いてくるが、俺はそれにかぶりを振る。


「軽蔑なんてしないよ。性的欲求は誰にだってあるものだし、そもそもそういうことをしないって方がおかしいんだから。アイドルだって芸能人だって、先生やクラスの連中もみんな漏れなくやることやってるんだよ」


 中にはそういう行為に対して嫌悪感を抱く人間もいる。過去に乱暴に扱われたなど、理由は様々あるだろうが。


 でも、そうでない限りは誰もが胸のうちに秘めているものなのだ。そんなの興味ないような顔をしていても、家では自分を慰めている。


 恋人がいれば欲求をぶつけ合っていることだろう。


「……加藤くんもしてるの?」


「そりゃまあ、人並みに」


「そう……そうなのね」


 ぶつぶつと何かを呟いている。

 時折、こちらの様子をちらと伺ってくるが何も言ってはこない。


 どうしていいのか分からないので暫く眺めていると、納得できたようで口元に笑みを浮かべた。


「変なことを訊いてごめんなさい。そろそろ始めましょうか?」


「あ、うん。じゃあ」


 正直、帰ってしまう可能性も考えていた。


 無意識のうちに自分の中の秘密の部分を話していたわけだ。この先も赤裸々に喋らされると思うと、躊躇ってしまうだろうから。


「床だとなんだし、ベッドに座って」


「うん」


 氷室はすんなりと受け入れた。

 まあ、彼女の中では何かしらの葛藤があったのだろうけど。俺には知る由もない。


 少なくとも警戒はされていない、と思う。

 これから何をされるのか分からないのに、ベッドに移動することに躊躇いはなかった。


 少なからず信頼はあるということだと信じよう。


「それじゃあ、始めるね」


 前に二度、経験しているとはいえ催眠状態に陥ることを彼女が無意識にでも拒めばこの先には進まない。


 口ではなんと言おうと心が拒絶している可能性は十分にある。だから、俺はできるだけ丁寧に、ゆっくりと催眠状態へ誘導した。


 すると。


「…………」


 驚くほどすんなりと彼女はトランス状態に入った。

 何なら前二回よりも簡単だったかもしれない。


 俺はそのことが嬉しくてたまらなかった。

 俺に対して微塵も警戒心を抱いていないことを意味しているから。


 込み上げてくる喜びをぐっと堪えて、俺は淡々とした声色を維持する。


「これから二三、質問をしますので、正直に答えてください」


 俺の言葉に、虚ろな目をする氷室はこくりと頷いた。


 まず確認するべきことはストレスの度合いかな。疲れていると言っていたし。


「最近疲れている様子だけど、何かあったんですか?」


「……」


 少しの時間をおいて、氷室は口をぱかりと開く。


「ここ数日、家にいとこが泊まりにきていて、遊び相手をしていて」


 ゆっくりと話し始める。


「学校では周りの目を気にして、家ではママが厳しくて」


 氷室、お母さんのことママって呼んでるんだ。と、ちょっとどうでもいいことを考えてしまった。


「その上、家に帰ればいとこと四六時中一緒で、寝るのも一緒……」


 そう口にしたとき、氷室の顔が僅かに動いた。一瞬だけ言うのを躊躇ったような、そんな感じ。


「だから、ストレスが溜まるばかりで。加藤くんは冷たいし、自慰行為はできないし」


 ぽつり、ぽつりと氷室は話す。

 彼女にとって最も頼れるべきストレス発散法はオナニーだ。これまでもずっとそれに頼ってきたのだから、それは当然のこととも言える。


 そこに、俺の名前が並んでいることが嬉しかった。

 あんまり言葉にはしないけど、この時間を大切に思ってくれてるんだなあ。


「ありがとうございます。ちなみに、最後に自慰行為をしたのはいつですか?」


「火曜日の夜……」


 火曜日というと、俺と一緒にいた日のことか。あの翌日からタイミングが会わなくて話せなかったんだよな。

 俺は俺で本を読み進めることに熱中してしまっていた。


「加藤くんの持ってた本を読んでから、すごく変な気分になってて、家に帰ってからすぐにした」


 え。


「寝る前に、もう一度したわ。すごく、気持ちよかった」


 なんかあんまり聞かない方がいい話なのでは? そこまで訊いていないんだけど、氷室の口から漏れ出る言葉がもう止まらない。


「催眠術で、えっちなことをされる漫画を読んで、自分も、あんなことをされたらって妄想をすると、止まらなかったわ」


「あ、あの、もういいですよ」


 なんかこれ以上は聞かない方がいい気がする。いや、もう十分に聞いてしまったけど。


 どういう気持ちで向き合えばいいのか分からなくなる。


 さて。

 今日はどうしようか。


 最初に食べ物を想像させて、次に場所を想像させた。これだけできれば何でもできてしまうような気もするが。


「目を瞑って」


「……」


 氷室は俺の言うことに従う。


「ここは広い海の見える浜辺です。けれど、あなた以外誰もいません。聞こえてくるのはこの声だけ。でも声だけで、姿はどこにもないのです。その浜辺にはあなた一人、なんでも好きなことができますよ」


 実際にその場所に行ったような気分になれる催眠でも試してみよう。

 具体的に場所やシチュエーションを指定することで、さらなるストレス発散に繋がるはずだ。


 そう。

 これは新しい試みである。


 これまでは座った状態でしか催眠術を行わなかったが、今日は次のステップに進んでみる。


「さあ、ゆっくり立ち上がって。もっと遠くの方まで眺めてみましょう」


 彼女に動いてもらう。

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