第7話



 帰り支度をしていると、今日出された宿題のプリントがないことに気づいた。


「あれ、教室に忘れたかな」


「見に行く?」


「いや、俺行ってくるから先に帰っててくれても」


「いいわよ。じゃあここで荷物を見ていてあげるわ」


「ああ、悪い。それじゃあひとっ走りしてくる」


「別に急がなくてもいいわよ」


 そうは言われたが、待たせている以上急がないわけにはいかない。

 とはいえ、氷室は常に本を持ち歩いているだろうし暇を潰す手段はいくらでもありそうだけれど。


 教室に行くとすでにカギがかかっていたので一度職員室に向かい、再び教室に戻る。自分の机の中を確認するとそこからプリントは出てきた。職員室にカギを返しに行って氷室のもとに戻るまで、かかった時間はおよそ十五分といったところだろうか。


 ガラガラとドアを開けて中に入ると氷室はガタガタと動揺したように慌ててこちらを見る。


「は、速かったわね?」


「宣言通り走ったからね。それより、どうかしたの? なにか様子が変だけれど」


「何でもないわ」


 そうは言うが何でもない様子ではない。

 そう思いながら彼女の周りを見て合点がいった。近くにあったのがエロ本が入っている封筒。そしてそこから出ているエロ本。確か教室を出る前には一度戻したはずだ。


 それなのに出ているということは、つまりそういうことだろう。

 しかし、それをバレることを恐れているに違いない。なので気づかないふりをすることにした。


「そっか。それならいいけど。じゃあ帰ろうか。待たせたお詫びに甘いものでもご馳走しようか?」


「いいの?」


「ああ」


 というわけで、俺たちは帰りにコンビニに寄って帰ることにした。

 それにしても、今日一日で氷室真冬という人間の印象はガラリと変わったな。もちろんいい意味でだ。これまではどこか完璧超人で雲の上のような存在だと思っていたけど、彼女も普通の人間なんだと思わされた。


 それと。

 案外むっつりなんだな。



 * * *



 家に帰ってからも催眠術の本を読み進めた。

 なんとか全てを読み終えたが、まだしっくりきていない部分が多々あったので別の本を探すことにした。


 翌日、図書室で探してみたが催眠術に関する本はその一冊しかなかった。なので仕方なく帰りに本屋に寄る。内容的にはマニアックなのか、家の近くの書店にはあんまり種類はなく、俺は少し離れたところにある大きめの本屋まで自転車を走らせた。


 しかし、その甲斐あって興味深い本を買うことができた。

 図書室で見つけたものよりも分かりやすく、詳しく書かれており、内容の幅も広い。これを読み進めればもっといろんなことができるかもしれない。


 そんなことがあって、やってきた金曜日。


 その日もいつもと変わらず授業を受けていた。

 つまらない歴史の授業、俺はあくびをかみ殺すことに必死だった。そんな眠気を何とか覚まそうと、ちらと隣にいる氷室に視線を向ける。


「……」


 真面目に授業を受けていた。


 が。


 何だろう。

 つまらなさそう、というよりはどこか疲れているような顔をしている、ような気がする。俺の気のせいならばいいけれど、そうは思えないくらいに分かりやすく顔に出ていた。


 じっと見ていたせいか、氷室が俺の視線に気づいた。

 こちらを見た氷室と目が合う。


「どうかした?」


 小声で話しかけてくる。

 なので俺はかぶりを振った。


「なんでも」


「何でもないのに私の横顔を見つめていたの?」


 そう言われると確かにそうなってしまう。

 とはいえ、事実がそうなので弁明のしようがない。


「なんか、疲れてる?」


 誤魔化すことにした。


「……どうして?」


「なんとなく。そんな気がしただけ」


 俺が言うと、氷室は少しうんざりしたような顔をする。


「まあ、疲れているのは事実よ。いろいろあってね」


「氷室さえよければだけど、あれ試す?」


 さすがに教室で、それも授業中に小声であっても催眠術と言うのは抵抗があったので俺は言葉を濁した。果たして、それで伝わるだろうか、と不安はあったけれどしっかり伝わったらしい。


「その言葉、待っていたわ」


「待ってたの?」


「最近、なんだか加藤くん冷たかったから。教室でも話しかけてくれなかったし」


「いや、氷室の周りは常に誰かで賑わっていたから。俺が話しかける隙なんてなかったよ」


 ああ、もしかして疲れているのはそれが原因か?

 別に今に始まったわけではないけど、相変わらず代わる代わる誰かしらが氷室を訪れる。それを断ることができない氷室は笑顔で対応する。


 彼女の言うところの、理想像を演じている。


 ストレスの解消が追いつかないくらいに、ストレスを溜めているのかも。


「いじわるなことを言うのね」


「あはは」


 そんなつもりはないのだけれど。

 ともあれ、そんな彼女を助けることができるのであれば俺は喜んで力を貸そうと思う。数日前に比べれば催眠術に関する理解も深まった。


 今ならば以前よりももっといろんなことができるようになっているはずだ。


「けれど、場所がないわね」


 相変わらず一つの問題がある。

 前回は氷室によって解決したが、いつもそう上手くいくはずもない。図書室には他の委員がいるし、そもそも人が来る可能性がある場所ではあまりしたくない。


「候補がないわけじゃないんだけど」


 今日の俺には一つ案がある。

 でも、氷室がそれを受け入れるかどうかが問題だ。


「どこ?」


 これを言い出すと下心が浮き出てしまうような気がして口にするのを躊躇ってしまうが、俺はあくまでも氷室を助けたいという気持ちで提案するのだ。


 そう自分に言い聞かせて、俺は口を開く。


「俺の家。両親は仕事で夜まで帰ってこないんだ」


 まるで彼女を家に導き入れるような常套句。

 これを言うということは暗に「セックスしようぜ」と言っているようなもの。

 もちろん、それはカップルにおける話なので、俺と氷室の間では成立しない。これはあくまでも、ただ催眠術を行うための場所提供の提案でしかないのだ。


「……」


 氷室は少し考えていた。


 そりゃそうだ。

 クラスメイトの家に、しかも誰もいないという状況に飛び込むのは普通に躊躇うだろう。それが氷室のような人間ならば尚の事かもしれない。


 しかし。


「いいわ。お邪魔してもいいかしら?」


 と、笑顔を浮かべて言った。

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