第3話


 パン!

 と、手を叩くと氷室がぴくっと小さく体を揺らして顔を上げた。


「……」


 目は覚めたはずだけど、呆然としているのかまだぼーっと前を見ている。


「氷室?」


「加藤君……」


「どうだった?」


「……なんだか不思議な感じだったわ。けど、体は軽くなったような気がする」


 それはもしかしたらプラシーボ効果というやつかもしれないが、それでも体に何かしらの影響が出たのであれば催眠術は成功ということになる。


「さっきまでのことをあまりよく覚えていないんだけど、私どうなってた?」


「どうって言われても……なんか眠たそうだったかな」


 そうとも言えるし、そうでないとも言える。どうだったと訊かれるなんて思っていなかったので返事に困った。


「まあ、体が軽くなったっていうなら成功かな」


「何をしたの?」


「疲れが取れるような催眠、かな」


「へえ」


 感心したように氷室は声を漏らす。


「他になにかできないの?」


 実際に効果を実感したからか、氷室は催眠術に対してもっと興味を示してきた。


「この本を読み進めればできるかもしれんけど、今のところはさっきので精一杯だよ」


「そう。それは残念だわ」


「……残念なの?」


「ええ。なんだか不思議な感じがして、でもそれは嫌じゃなくて、他にもあるなら試してみたくなった」


 それだけ良かったということかな。だとしたら俺としても嬉しいことだ。


「新しいことを覚えたら、また試してみようか?」


「お願いするわ。早く読んでね」


 こんな可愛い女の子にそんなこと言われたら家でも読んじゃいそう。

 ていうか、同じ図書委員という接点だけでも嬉しいことなのに、その上こんな形で氷室と関われるとは思わなかった。


 気まぐれでこんな本読んでよかったー。



 * * *



 その日の夜。

 図書室で借りたその催眠術の本を読み進めた。なかなか興味深く、面白い内容もあり、一気に読んでしまった。


 ただ知識として知っておこうくらいの好奇心から読み始めた本だったけど、今はこれを試せるかもしれないと思えるわけだ。


 そう思うと、なお興味が湧いた。


 夢にまで見そうなくらい楽しみにしたまま眠りにつき、夢に見ることはないまま朝になり起床する。


 学校は家から遠くない距離なので基本的には自転車で登校している。

 だからというわけではないが、到着する時間はわりとギリギリだ。急げば間に合うという気持ちが俺の出発を遅らせている。


 なので教室に入るとだいたいの生徒は既に登校してきている。すれ違う奴らに挨拶をしながら俺は自分の席へ向かう。


 俺の席は窓側一番後ろの倍率最大級の好立地シートだ。くじ引きの結果なので偶然たまたまとしか言いようがない。


 偶然たまたまという話で言うなら、隣が氷室真冬だということもそうだろう。


 図書委員といい、何かと縁があるのだ。だからクラスメイトには時折睨まれる。


 別に何かあるわけでもないのに。


「ふう」


 席に座り、カバンの中から荷物を出しながら隣を見る。

 氷室を囲むのは男子三人。陽キャの属性を持つクラスメイトの中では比較的チャラめな奴らだ。


 別に悪い奴らではないので嫌いということはないが、ただ友達というわけでもないので互いに干渉はしない。


「氷室は休みの日とか何してんの?」


 氷室は人気者だから休憩時間とかには代わる代わる生徒がやって来る。

 ローテションでも組んでんのかなとたまに思うけど、そうではないようでそれぞれタイミングを見計らっているだけのようだ。


 男子から人気があるのはもちろんだが、女子の友達も普通に多いので本当に人集りは絶えない。


「何見てんだ? 女子の部活の朝練はもう終わってるだろ?」


 ぼーっと窓の方を見ていたところ、テンション高めの男子生徒が声をかけてきた。


「そんなんじゃねえよ。特に何か見てたわけでもない。ぼーっとしてただけだ」


 本当は窓に映った氷室を見ていた。我ながらキモいと思うけど、実害はないのだから許してほしい。


 普段はそこまでやることはないけど、昨日のことを思い出すとどうしても視線がいってしまう。


「失恋でもしたのかと思ったぜ」

 

 この男は白木屋大悟。

 クラスの中では特に仲良くしている男子だ。

 髪を茶色に染めるちょっとチャラい感じの男。どうしてこんな男と俺が友達なのかというとこれには深い理由がある――わけでもない。


 入学直後。

 同じ中学の友達がいなくて焦っていたところ、同じような理由で焦っている白木屋がいた。

 お互いの利害が一致したのでとりあえず話すようになった。そして、なんだかんだ今に至るわけだ。


「俺が誰かに恋をしたって話をしたことあったか?」


「聞いてはいないけど、だいたい想像はつく」


「はあ」


「氷室に恋しているんだろ? ベイビーちゃん」


「はあ!?」


 突然のことに俺は動揺してガタガタと机とイスを揺らしてしまう。そんな音を立てれば、隣にいる氷室達も一瞬こっちを見てくる。


「何言ってんだよ」


 隣には聞こえないよう小声で話す。


「見てれば分かるって」


「氷室のことを好きなのは他の男子も一緒だろ。何ならお前だってそうじゃないのか?」


 言うと、白木屋はフンと鼻息を漏らしながら肩をすくめた。腹立たしいリアクションである。


「ラブとライクの差だよ」


「……俺だってライクだよ」


 俺がそう吐き捨てると、白木屋はくくっと楽しそうに笑った。


「ま、そういうことならそういうことでいいけどさ。失恋でもないなら、何をぼーっと考えてたんだ?」


「まあ、大したことじゃないよ。お前には関係ないことだ」


「冷たいねえ。俺はせっかく、良いものをお届けに来たってのに」


「良いもの?」


「ほら。ここで開けるなよ。家でゆっくり楽しむことをおすすめするぜ。少なくとも、こんな公共の場所で出すようなことは控えることだな」


 そんなことを言いながら、白木屋は袋を渡してきた。中には大きめの小説くらいのサイズの本が入っている。

 漫画かな。


「はあ」


 白木屋は上機嫌に自分の席に戻っていった。

 一体何を寄越したのか、気になったので中身を確認することにした。こんなとこで出すなとは言っていたので、一応袋の中で見る。


「……これは」


 一瞬だけ見て、俺はそれをカバンの中にそっと直した。俺の見間違いでなければ肌色がやけに多い表紙だった。


 もしかして、これエロ本なのでは?

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