12

 優真が目覚めたのは自室のベッドの上だった。身体を起こすと掛け布団の上に横たわっていたのかと気づく。


「あれ?」


 なんだか妙に頭がすっきりしている。今何時だろう。どれぐらい寝ていた?というか、いつ眠りについた?

 なにか重要なことを忘れている気がする……と頭を掻こうとして、優真は自分がダッフルコートを着ていることに驚いた。自分は外出用のコートを着たまま掛け布団の上で眠ってしまった?なんだ。一体全体どういうことなんだ。


 勉強机に置いてある時計が午前九時三十七分を表示していた。――とっくに登校時間を過ぎている!

 いやまて、そもそも今日は平日なのか?日付を確認するためにスマホを探したが、机の上もベッドの下もコートのポケットもどこからも見つからない。


「リビングに置きっぱなしかなあ?」


 優真は物の管理はしっかりしている人間だと自負していたのに、最後に置いた場所も思い出せないとは。

 普段の自分からは考えられないことばかりで頭が混乱していた優真は、自分がまだコートを着ているのを忘れていた。とにかく脱いでいつものハンガーに掛けようとして、すでにそこには全く同じ黒いダッフルコートが掛かっていることに驚いた。2着目?もうわけがわからない。

 着ていたコートは畳んでベッドの上に置いた。


 そういえば母はどうしているだろう。こんな時間まで眠っている自分を起こさないまま仕事に行ってしまったのだろうか?いや、母が夜勤明けで眠っている可能性も……もし早番だったのなら朝食を用意できなくて申し訳ないことをした。ちゃんと何か食べただろうか。


 とりあえずスマホか新聞で日付を確認しようと自分の部屋からリビングに出ると、写真立てに入れられた自分の顔写真と目が合った。その周りに置かれた花やお菓子、そして部屋の雰囲気にそぐわない見慣れない包みを目にして全てを思い出した。


「……ああそうか」


 そうだ。そうだった。自分はあのとき死んだんだった。




 祭壇に近寄りしげしげと眺める。このような祭壇をドラマや映画以外で目にするのは初めてで物珍しさもあったが、なにより自分のための祭壇を自分で見るのはまずないことだろうという好奇心があった。

 この写真は入学式のときのものだろう。母が知る最新の写真はそれ以外なかったはずだ。


 優真はひとしきり観察し、ぽつりと呟いた。


「死んじゃったかー」


 現実感がない。その一言に尽きる。

 優真が事故に遭った記憶は車がぶつかってくる瞬間までしか覚えていなかった。傷を負った痛みの記憶がないのはありがたいが、ブツッと記憶が途切れた次は自宅で目を覚ました場面なのだ。事故は夢だったんじゃないかとすら思える。


 しかしこうして自宅に祭壇が組まれ、遺影もあり、おそらく自分の骨が納められているであろう骨壺が目の前にあるのならば、自分がこの世の者ではなくなったことを受け入れるしかないだろう。


 自分が死んでしまったことは悲しいし無念だ。だが優真は自分のことよりも、母を遺してしまったことが何よりも心配だった。生活面での心配はもちろんだが、一人息子を亡くした母の心情を心配していた。


 あの日母はさぞ驚いたことだろう。自宅で仕事をしていたところ知らぬ間に息子が外出し、さらに事故に遭っただなんて混乱しない訳がない。警察か病院からの電話を受けて初めて息子がいないことに気づき、また事故の説明に驚く様子を想像し胸が締め付けられた。


 悲しませたかったわけではない。元を正せばただコーヒーの補充を忘れていた自分のせいだ。または素直に補充を忘れたことを話して次の日買いに行けば事故には遭わなかったかもしれない。その判断を誤った自分のせいだ。

 快適な生活を提供するどころかいなくなってしまっただなんて、行動が裏目に出るどころではない。


 優真と明子の関係は悪くはなかった。どちらかと言えば仲の良い親子だったと優真は思っていた。日常生活ではボタンの掛け違いもまま起こっていたが、何かあればその都度仲直りしてきた。


 明子は仕事の忙しさから以前に比べて息子に割く時間は減っていたのは確かだが、優真も仕事の重要性は十分に理解していたし、多少のことは仕方のないことだと受け入れていた。それが今の母にとって精一杯の現状なのだろうと。

 時にすれ違いが起こっても、素直に自分の否を認め謝る母に嫌悪感は持たなかったし、子供の自分にまっすぐ向き合おうとしてくれる姿勢を尊敬していた。たとえその心がけに現実が則していなくても。


 優真は母にとって自分はどうでも良い存在などではなく、大切な存在であることを理解していたのだ。


 息子を亡くした母は当然落ち込んでいるだろう。ご飯は食べているだろうか。ちゃんと毎日眠っているだろうか。

 もし、もし「自分のコーヒーのせいで優真が亡くなった」などと思い込んでいたらどうしよう。……泣きはらしている母の姿がありありと目に浮かび思わず頭を抱えてしまった。なんて迷惑な置き土産だ。

 母のせいではなく、紛れもなく自分の判断ミスのせいなのだ。というかあの突っ込んできた車が一番悪いと思うのだが。



 ため息をついてもう一度祭壇に目をやると、あのとき持っていたスマホと財布も置かれていた。事故の衝撃かどちらも少し傷が付いている。スマホの画面が無事なのは幸いだ。


「そういえばこの身体って物触れるのかな」


 一度死んでまた現れた優真はいわゆる幽霊と呼ばれる存在だろう。創作で見るような幽霊といえば身体が透けて見えたり物体を透過したり、現実の存在に干渉できないのが常である。今の優真は足は床についていて身体は半透明でもない。


 これはもしかして可能性があるのでは?

 期待で早まる鼓動と震える指先を押さえつつ、恐る恐るスマホに触れてみると問題なく手にすることが出来た。質感や冷たさも感じることが出来る。


「持てる!」


 優真はうわあうわあとスマホをためつすがめつ眺め、気が済んだところで自室の充電器にさして起動させた。電池が切れていたのだ。


 画面の日付は十月十八日。事故に遭った日から一週間経過している。

 家の中で他の人の気配を感じなかった。母は仕事に行っているのかもしれない。


 充電している間に隅々まで各部屋を見て回った。自分が不在の間の家が気になるのは主夫のさがだ。

 一週間経過したにしてはきちんと整理整頓されており、部屋の空気も埃っぽくなく綺麗に保たれている。

(お母さんが自分で片付けてるのかな。それとも誰か来てる?)


 母がつつがなく過ごせているのならそれはそれで安心できるが……と考えながら洗面所をのぞいたとき、優真は面白いことに気づいた。洗面台の鏡に自分の姿が映らないのだ。

 身体の向きを変えても手を振ってみても映らない。歯ブラシを持ってみると鏡の中では空中に歯ブラシが浮いていた。これがいわゆる


「ポルターガイスト現象だ!」


 声を弾ませて手当たり次第に歯ブラシや歯磨き粉を鏡に映してみる優真は、良くも悪くも状況の変化を柔軟に受け入れる子供だった。

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