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思わず優真と顔を見合わせる。優真も「こんな先生もいるんだねえ」と目をぱちくりさせていた。
「そちらに優真君がいるんですか?」
と明子の視線を追った内山医師が診察台を見て、頭を下げた。
「こんにちは。今日から君のお母さんを担当する内山です。よろしくね」
「よろしくお願いします」
声は聞こえていないはずだが、つられて優真もお辞儀している。
担当医が見えない幽霊と挨拶を交わす不思議な光景に明子があっけにとられていると、さらに内山医師は見えない相手に向かって話しかけた。
「優真君はどういうことができるのかな?例えばこのペンを持つことはできる?」
ずいと優真の目の前に持っていたボールペンを差し出す。優真がそれを摘まんで持ち上げると、内山医師は感嘆の声を上げた。
「すごい。宙に浮いてます!」
明子と優真には優真がボールペンを持っているようにしか見えないが、内山医師からすれば何もない空間にボールペンが漂っているように見えるだろう。内山医師は興味津々といった様子で正面からだけでなく上下左右と角度を変えて注視するので、姿は見えていないとはいえ優真もさすがに居心地が悪そうだ。
「私にそのペン返してくれるかな?」
と内山医師が手を差し出したので優真がその手のひらの上にペンを置くと、今度はひとしきりボールペンをくるくる回転させて観察した。明子には心なしか内山医師の瞳が輝いているように見えた。
ボールペン観察の気が済んだ内山医師に他にはどんなことが?と聞かれたので、明子が待合室で待っている間に壁抜けしたことを話すと、「任意で透過する物体を選択できるんですね。それはとても便利ですねえ」などと真剣に分析している。もしかすると内山医師は元々超常現象の類いが好きなのかもしれないな、と明子は思った。
しばらく自分の世界に入っていた内山医師だが、はっと我に返り「これからのことをお話ししましょう」と医者の顔に戻った。
「久保田さんはとりあえず一ヶ月間休養してください。優真君が亡くなったことによりうつ状態にあることは確かなので、診断書を書きます。明日からの職場復帰は延期で。今久保田さんが復帰してもうつ状態が悪化するだけです。それは医者の立場から許可できません」
一段と厳しい表情だった。これまで根を詰めて仕事をしていた明子だ。何が何でも復帰すると言い出すと思っているのかもしれない。
だが今の明子にとってその提案はありがたいものだ。一ヶ月の間に優真について、仕事について考える時間が得られるのは本望だ。
職場の同僚や上司たちに何と思われるだろうと一瞬考えたが、すぐにその考えは押しやる。今優先すべきは職場より息子だ。
「わかりました」と明子が素直に頷いてみせると、内山医師は安心したのか表情を緩めた。
「看護師長の立場からいろいろと心配や思うところがあるかと思いますが、久保田さんが抜けた穴をどうにかするのは職場の責任です。ゆっくり休みましょう」
続いて今後の治療方針についての説明。不眠改善のために軽い睡眠薬を出すことと、それと同時に食生活と生活リズムの改善を命じられた。規則正しい生活が原則。優真のことはさておき、うつ症状の改善が必要なのは間違いない。
内山医師から「~生活改善のすすめ~」という用紙を渡された。規則正しい生活を送る上での注意事項が記載されている。
さらさらと診断書を手書きしながら内山医師の説明が続く。
「これを守ってくださいね。ひとまず一ヶ月休養してみて、どれぐらい久保田さんが回復するかを見ます。一ヶ月というのは絶対に回復しなければならない期間ではありません。私の方でまだ職場復帰は難しいかな、と判断すれば期間を延長します。とにかく身体と心を休めることに専念しましょう」
休養中は通院は週一回。これは通常の患者より回数が多いようだが、明子には第三者に思いを吐き出す場所が必要だという判断と、幽霊となった優真との生活について聞かせてほしいという内山医師の希望だそうだ。
「優真君がいつまでいてくれるのかわかりませんが、折角来てくれたんです。なるべくこの期間は親子水入らずで過ごしてください。きっとそれが久保田さんにとっても優真君にとっても必要なことです」
また明子の母にはあくまでも「幻覚は栄養失調と睡眠不足による精神の混濁だった。生活を立て直すために休養する」という説明で口裏を合わせることにした。電子カルテにも既にその通り入力しているらしい。
栄養失調も睡眠不足も本当のことですからね、と内山医師はいたずらっぽい表情を見せた。
診察室に再び明子の母が呼ばれ、優真の存在については伏せられたまま「どうも心身共にお疲れのようですねえ」と穏やかに微笑む内山医師が上手く説き伏せてくれた。
「休養期間中は明子さんもゆっくり考えたいこともあるようですから、お母様はご自宅にいらっしゃる回数を減らしてあげてください。お母様も明子さんが心配で気が休まらなかったことでしょう」
「でも一人暮らしさせるとなると食事をちゃんと食べるかどうか……」
「心配ですよねえ」
うんうんと大きくうなずく内山医師。
「しかし明子さんとお話しした限りそこまで深刻な状態ではありませんので、食事の用意やそのほかの家事などは本人にさせてみましょう。今日も買い物に出られたそうですから、全くできないことはないはずです」
「あら明子、買い物に行ったの?」
驚きの表情で明子を見る母。そういえば言ってなかったかもしれない。
「うん。お母さんがうちに来る前に。いい加減自分でもやらなきゃと思って」
「そう……それなら大丈夫かしら」
まだ不安そうな母に内山医師は少し前のめりになって笑みを向ける。
「適度な作業は症状の改善にとても有効なんです。お母様が訪問しない分私とのカウンセリングの回数を通常より多めにして様子を見ますから、一緒に見守ってあげましょう」
担当医の「一緒に」という言葉に安堵したのか、明子の母は「そういうことでしたら明子をよろしくお願いします」と頭を下げた。
「また来週お話を聞かせてくださいね」とおっとり笑う内山医師に見送られて、三人は心療内科を後にした。
こうして明子は一ヶ月間の休養をすることになったのだった。
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