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葬儀の手配は主に明子の母が取り仕切ってくれた。明子には重要な意思決定部分と喪主の挨拶だけ任され、あとは優真の隣で座り込んでいた。
学校へ連絡するときに優真の担任の名前がわからない。遺影に使う写真を探すも、入学式の日に撮った記念写真以来スナップ写真などを撮っていないことに気づくなど、いかに自分が優真を疎かに扱っていたのかをまざまざと思い知らされてしまい、さらに己を責めるようになる出来事もあった。
優真が自宅に帰ってくるとその隣に座り込み、食事も摂らず眠ることもせず「ごめんなさい」と謝り続ける明子を見て、両親は明子が孫の後を追うのではないかと常に見張り続けることとなった。
また喪主の挨拶についても一悶着あった。不眠不休でやつれてやや錯乱した明子が当日、「自分は母親なんかじゃない。自分が挨拶する立場ではない」などと言いだし、両親が「今からでも優真に何かしてあげたいと思うのなら、せめて明子が挨拶をするべきだ」と説き伏せる場面もあったのだ。
なんとか通夜と葬儀を終えると、骨壺を抱えて帰宅した明子はそのままリビングに崩れ落ち再び呆然と座り込んでしまったため、明子の母はしばらく毎日マンションに通うことにした。
十月十七日。優真が亡くなって六日が経っていた。
「明子、おにぎり握ってあるから食べられそうなら食べなさい」
「……うん」
「明日また来るね」
「……うん」
必要最低限の食事以外摂らず、いつもリビングのソファに座り身じろぎもしない。何を話しかけても生返事を返す明子に、これ以上なんと声をかければよいのか母はわからなくなっていた。
息子の担任の名前がわからなかったり、アルバムやスマホをどんなに調べても最新の写真が入学式以降のものが見つからなかったことから考えると、明子本人が言うとおり優真のことを後回しにしていたのは確かなのかもしれない。
だが明子の両親が優真といつ顔を合わせても、にこにことした笑顔が変わることはなかった。明子について不満を言っていた覚えもない。むしろ「仕事が大変そうで体が心配だ」と母を気遣っていた。
家事についても「楽しい」や「この前テレビでやっていたんだけどね」など家事にまつわるエピソードを嬉々として自分から話してくれていた。それが全て嘘とも思えない。
明子に何度もそう伝えたが、「自分が常に寂しい思いをさせてしまっていたが故に祖母にも本当のことは話していない。きっとそうだ」と取り付く島もない。
優真本人と話せば明子も納得してくれるだろうが、肝心の優真がすでにこの世からいなくなってしまった今となっては、その真偽を確かめる術はないのだ。
母が家を出る音を聞き、明子はダイニングテーブルの上に置かれているラップをかけられたおにぎりを見た。時刻はすでに夕方となり部屋の中は暗くなり始めていたが、明子は朝から何も口にしていなかった。
せっかく作ってくれたのだから食べなければ。そう思うが食欲は全くない。栄養失調のため身体を思うように動かせない。母が自分を生かそうとしてくれている気持ちは理解しているが、生きる気力が全く湧いてこない。
優真が死んでしまったのになぜ自分が生きているんだろう。私が死ねばよかったのに。
明子は優真が死んでから毎日自問自答していた。
あんなにも優しくて気遣いの出来る素晴らしい息子が亡くなったというのに、生きているのは息子をないがしろにし、寂しい思いをさせ続けたなんの価値もない母親である自分だ。優真は中学生にして毎日家庭を支え、無条件で愛情を示してくれていた。だが自分はどうだ。それに見合う行動を、愛情を返せていなかったではないか。
こんなのはおかしい。
しかし明子は死ぬことも選べずにいた。ひとえに毎日自宅に通ってくれる両親のことがあるからだ。
孫を亡くしたばかりの両親に、こんな娘でもいなくなってはさらに悲しい思いをさせるかもしれないと思うと決断できなかった。
母は「優真が明子の不満を言ったことはなかった」と言っていた。優しい子だから言えなかっただけだろう。きっと全てを飲み込んでいたのだ。
母親について不満があったかどうかなんて、優真本人に聞くしか確かめようがない。
ふと壁にかけてあるカレンダーを見る。今日は十七日と母が言っていたはずだ。あさってには職場に復帰しなければならない。忌引き休暇と有給を併せて一週間の休みを取ったが、とても復帰できる精神状態ではないのは自覚していた。
しかしギリギリの人数で回している職場にこれ以上休むとは言えない。なにせ明子は管理職の看護師長だ。抜けた穴や溜まっている仕事は大変なことになっていると誰よりもわかっていた。
現実は非情だ。何よりも大切な息子が亡くなったときでも仕事のことを考えなければならないとは。
明子はのろのろとダイニングテーブルの席につき、ゆっくりとおにぎりを口に運んだ。
殊更ゆっくりと米を咀嚼しながら、引き戸を開けたままにしている優真の部屋を見る。葬儀の前に一度優真が帰宅して以降、その部屋には足を踏み入れていなかった。
なんとか一つのおにぎりを飲み込んだところで、明子は古くなったタオルを取り出し濡らして固く絞った。優真は綺麗好きだった。そんな優真の部屋を何日も掃除していないことに気づき、明子申し訳ない気持ちになった。
濡らしたタオルを手に優真の部屋に入り、二度と使われることは無いであろう学習机を丁寧に拭き始めた。拭いていくうちにタオルにうっすらと埃がつくことに気づいた。明子の母もこの部屋を触らずにいるのかもしれない。
優真の机周りをまじまじと見たのはいつ以来だろう。掃除を任せるようになってからは自室の掃除も優真自身が行っており、また明子も子供のプライバシーを尊重して無断で部屋に入ることはしなかったため、どんな本が置いてあるのか見るのは初めてだった。
学校の教科書の他に小説や、所属している部活の関係か囲碁の本も多い。小説は同じ作家の作品がいくつもある。この作家が好きなのだろう。そんな話をしてくれていただろうか。
そういえば毎月のお小遣いは足りていたんだろうか。部活で必要な書籍があっても言い出せなくて我慢をさせていたのではないだろうか。
(私はまた何も知らないんだ)
明子はまた自分が知らない息子の一面を知り落ち込んだ。
それでも本の背表紙をつぶさに見ていくと、囲碁関係の本の横にホッチキスで製本された、A5サイズの冊子があることに気がついた。なんだろうと手に取ってみると、どこかの写真屋で配られた紙製の簡易アルバムだった。重みと厚みからすると写真がファイリングされているようだ。
息子のプライバシーを暴くようで少しの罪悪感があったが、優真のことをもっと知りたいという気持ちの方が勝った。
中を開くとそこには満面の笑みを浮かべた優真の写真が何枚も収められていた。一枚一枚にタイトルはつけられていないが、写真の背景に碁盤と碁石が映っていたり、大会の立て看板前で撮られた写真もあったりと部活関係で撮られた写真だとわかる。
真剣な表情で盤面に臨む優真。同じ学ランを着た男子生徒と二人でふざけている優真。その一緒にふざけていた生徒も含め、別の一人を加えた三人で大会の立て看板前でピースサインをしている姿。
ページをめくると体育祭のときのものなのか、はちまきを巻いた体操服姿の優真や、誰か友人の家らしき場所で私服の優真が例の二人と碁盤を囲んでいる姿の写真もあった。
どれも明子が知らない優真の姿ばかりだった。
自然と涙が溢れてきた明子はアルバムを持って、机の横にある優真のベッドに腰掛けた。そして涙を拭うことも忘れて、じっくりとアルバムを眺めていた。
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