第35話 命令違反


弟のアルフレッドの指示で、ジュリアンとモランシー志願部隊は、ロタリンギアの王都ローレンへ向かっていた。

本当はジュリアンは、王都へなど行きたくなかった。弟の部隊で戦いたかった。

だが、弟は、軍の総司令官だ。そして、上官の命令は絶対だ。

軍の規律を乱さぬために、彼は、アルフレッドの命令通り、モランシー志願兵たちと共に前衛基地を後にした。


ジュリアンは、不吉な予感がしてならない。

軍事帝国の精鋭、スパルタノス侵略軍が、配下の兵の逃走を許すだろうか。進軍を諦め、途中で撤退するなんてことがあるだろうか。


遠くで大きな音が聞こえた。


「あれは?」

軍の先頭にいたジュリアンは、馬を止めた。


「遠雷じゃないでしょうか」

隣を並走していたモランシー義勇部隊の指揮官が答えた。彼は、自分の部下が、ロタリンギアの王太子だったと知って、驚愕した。さらに、自分の軍が、彼の護衛部隊になったことに、困惑していた。いっそ指揮権をジュリアンに献上しようとしたが断られてしまい、途方に暮れていた。


「遠雷……」

ジュリアンが繰り返す。彼は全く納得していないようだった。馬を下り、全く何のためらいもなく、うつ伏せになった。大地に耳をくっつける。


「殿下!」

思わず自分も馬から転げ落ちそうになった指揮官を、ジュリアンが制した。

「地鳴りが聞こえる。雷なんかじゃない。これは、大砲の音だ。ロタリンギアの前衛基地を、大規模な軍団が襲っている!」


「大規模な軍団?」

「スパルタノス軍は、撤退などしていなかったのだ。規模も、小さくなってなんかいない。依然として強大なままで、彼らは今、アルフレッドの軍を襲撃している!」

「!」

指揮官は絶句した。


幸い、というか、義勇軍は、牛で移動していた。

ロタリンギアの王族の威儀を正す為、アルフレッドは、兄には是非とも、騎馬隊を引き連れて、華々しく首都に入ってもらいたがった。一方、ジュリアンは、どうしても戦友たちと一緒にいると言って譲らなかった。

戦友たちというのは、モランシーの義勇兵たちだ。歩兵の民兵である。服装も、軍服が行き渡らず、野良着や工場の作業服の者が大半だった。


ついでながら、軍馬と農耕馬は、気性が全く違う。馬だけ与えられても、歩兵隊がいきなり騎馬隊になれるわけもない。

せめてものこととして、アルフレッドは、馬の代わりに、彼らに牛をあてがった。徒歩で王都入りするよりマシ、といったところだろうか。


だが、それが幸いした。

牛はのろのろと進み、まる一日たっても、依然として、アルフレッドの軍のすぐそばにいた。



「戻ろう!」

力強くジュリアンは言った。

「いいですか、指揮官」


モランシー義勇軍指揮官は、大きく頷いた。


名もなき兵士達への信頼と愛情。

格下の身分の、しかも外国の上官である自分に対する献身と服従。

的確な判断力。勇気。

何より彼は、モランシー公女の想い人である。

今では彼は、この、高貴な部下に心酔していた。その気持ちは、麾下の兵士達も同じだと、司令官には伝わっていた。


「もちろんですとも。我々は、戦う為に、軍に志願したのですから。な、みんな」

指揮官が振り返ると、兵士たちは、剣や銃を振り上げ、賛同した。


牛を降り、軍は、元来た道を戻り始めた。







「こんなはずでは……」

ロタリンギア前衛基地司令官、アルフレッドは、声を失った。


霧が晴れ、目の前には、大軍が整列していた。

スパルタノス軍だ。

きらきらと馬具を輝かせ、頭上に軍規をはためかせて、スパルタノスの大隊が、ロタリンギア軍の前に立ちはだかっていた。


補給を絶たれ、さらに、焦土作戦により、スパルタノス兵はその大部分が逃亡したはずだった。

1/10ほどになった侵略軍は、進軍を諦め、撤退に入ったはずだった。


「どうやらやつら、師団ごとに散開して、各々、別ルートで進軍を続けていたようです」

偵察から戻ってきた斥候が報告した。

「だから、数が減ったように見えたのです。実際は、逃げた兵士はいません。そして今、ばらばらに進んでいたのが再集結したのです」


「規模は?」

「我々の軽く3倍はいます」


「……」

アルフレッドは絶句した。



その日の朝。

霧の中、突如、敵が姿を現わした。


数を見極める暇もなく、戦闘が始まった。


敵の大多数は騎兵だった。そいつらが、ロタリンギア自慢の竜騎兵達を、次々となぎ倒していく。

午前中の戦闘で、ロタリンギア軍は、多大な損失を蒙った。今、襲撃の合間の僅かな時間を縫って軍を再編しているのだが、数の劣勢は、補うべくもない。


絶望の縁で、アルフレッドの頭に浮かんだのは、援軍に駆け付けたモランシー義勇軍のことだった。


……あれがいたら。


少なくとも数の上の劣勢は、幾分かは挽回できたろう。

だが、彼らは今、ここにはいない。ジュリアンとともに、ローレンへ向かっている。アルフレッド自身が命じたからだ。


……くそう。しくじった。


まさか敵が、散開して進軍しているとは、思いもよらなかった。完全な、アルフレッドの見込み違いだった。


「どうしますか、総司令官」

副官が尋ねる。


「どうしますかって、……」

降伏しかないと、アルフレッドは思った。


戦況は逆転する。

スパルタノスは奇跡的な勝利をあげ、一路、王都を目指すだろう。王都守備隊は、どこまでもちこたえられるか。軍事帝国スパルタノスの厳しい統率の取れた兵士たちと違い、金で雇われただけの外国人の傭兵たちは逃げ出すかもしれない……。



「ええい。とりあえず、あいつらに突っ込んで……」

玉砕。


殺人が趣味の自分にふさわしい最期ではないか。このような趣味を持っていたら、どうせろくな死に方はしないのだ。


皮肉な思いに、口端を捻り上げた時、遠くから、どよめきが伝わってきた。


「モランシー義勇軍が帰ってきました!」

「なんだと!」


思わずアルフレッドは立ち上がった。

手近な岩によじ登り、副官から双眼鏡を受け取る。

砂埃が見えた。

ぼろぼろの服装に身を包んだ、モランシーの民兵たちが、隊列を組んで近づいてくる。


彼らは徒歩だった。はるか後方から、牛の群れがついてくるのが見える。牛から降りたのだ。だから、こんなに早く戻って来られた。


軍の先頭には、騎馬の将校達がいた。その中の一人が、ジュリアンだった。


「兄貴のやつ……総司令官の命令を無視して戻ってきやがって」

噛みしめた歯の間から、なんともいえない激情が漏れた。

「戦場で死んだらどうすんだよ。ロタリンギアの王太子がよ!」


「ジュリアン殿下を、軍規違反で拘束しますか? そうすれば、彼を保護できます」

足元で副官が問う。


「馬鹿! 今は一人でも兵が惜しい。戦ってもらうぞ。民兵どもと一緒にな!」





前衛基地にモランシー軍が到着した。

人払いをし、営巣地の外れの草原に、アルフレッドはジュリアンと二人きりで対峙した。


「軍務違反の懲罰なら、甘んじて受ける。だがそれは、後回しだ」

最初に口を開いたのは、ジュリアンだった。

「今日はまだ、終わっていない。勝つ時間は残っている。戦おう、アルフレッド」


「もちろんだ」

わずかに、アルフレッドの声が揺らいだ。死の恐怖を、彼は初めて感じていた。殺すのは趣味だが、殺されるのはいやだ。

「だが、どうやって? 敵はわが軍の3倍はいるんだぞ」


逆光で、兄の顔はよく見えない。

草原を渡る風に吹かれて、彼の態度は、全く普通だった。心拍数も脈拍もいつも通りだと思われた。


自分は冷や汗をかいているというのに!


「ここへ来る途中、モランシー軍の指揮官殿と話し合った。二人で作戦を考えたんだ」

くすりと笑った。


ゆくりなくもアルフレッドは、幼い日のことを思い出した。

彼は、ジュリアンの子分だった。どこへでも兄の後をついて回った。

あの頃兄は、極上のいたずらを思いつくと、よく、こんな風に笑ったものだ。アルフレッドは、兄の笑顔が大好きだった。いたずらは冒険へと繋がるからだ。追いかけてくる意地悪な侍従を森へ置き去りにしたり。皮肉屋の家庭教師を戸棚に閉じ込めたり。


子どもの頃と同じ笑顔を浮かべたまま、ジュリアンは提案した。

「大砲を撃ってくれ、アルフレッド。敵が度肝を抜かれた所へ、我々モランシー軍が突撃をかける。なにしろ、我々は歩兵軍団だからな。どうしても、大砲で驚かすことが先決だ。敵が怯んだところで、我々歩兵隊が切り込んでいく。そうすれば、敵軍には揺らぎができるはずだ。隙を見極め、騎馬隊が切り込んでくれ。一点集中で決死の切り込みをかければ、敵は総崩れになる」


「わかった」

アルフレッドは答えた。

もはやこれしか作戦はないように思われた。


「さあ。敵が仕掛けてくる前に、行動に移ろう」

「兄貴……。無事でな」


「また会おう」

白い歯を出して、ジュリアンは笑った。









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