第34話 ふっくらほっぺとつやつやの唇
「ひぇーーーっ! 助けて!」
「もうしません。許して」
「ぎゃーーーーっ!」
わたしがちょっと呪文を唱えただけなのに、大量の山賊が、網にかかった。
禁じられているにも関わらず、対岸のスパルタノスと密輸を続けている、極悪人どもだ。
ここは、ヴァルトモアの森。街中から追い立てられた山賊たちは、薄暗い森の中を逃げ惑い、最終的には、恐竜時代に隆起した崖のてっぺんから飛び降りた。
もちろん、自ら進んで、だ。決してわたしが突き落とした訳ではない。
むしろ、崖下に巨大な網を張って受け止めてあげたのだから、感謝してほしいくらいだわ!
「よくやった! コルデリア!」
腕を組んでじっと見守っていたコルデリアが、やっと口を開いた。
「あら、お姉さま。褒めて下さったんですの?」
「うむ、まあ、端的に言うと、そうなる」
「まあ、嬉しい!」
オウム先生より厳しいフェーリアが褒めてくれるなんて! 古代に隆起した山脈が、噴火したりしないわよね?
「それで、お姉さま。この人たち、どうしますの?」
まさか、山賊鍋とかにするんじゃ……。
「こいつらには、スパルタノスに
フェーリアの、灰青色の目が光った。
網に囚われた山賊たちは、悲鳴をあげて気絶した。
◇
負けん気の強い
皇帝に騙されているかわいそうなスパルタノスの民に真実を教える為、同盟軍から、山賊たちが派遣された。
彼らは、フェーリアにひと睨みされ、すっかり悔い改めていた。今では、誠心誠意、モランシーと同盟国の為に働くと誓っている。
これは決して、フェーリアの魔法のせいではない。彼女への恐怖からだ。
武器弾薬を運び込むだけでなく、農作物を買い上げるなど、頻繁に街中や農村に現れる山賊達の言うことなら、スパルタノスの民も信じるだろう。
この戦争に勝ち目はないと。
◇
「スパルタノスの民は、今ではすっかり、連合国寄りだぁ。家来衆も皇帝が間違っとるべとわかっとる。そんで、皇帝に退位を迫ってるべ」
スパルタノスから戻ってきた山賊が報告した。
「スパルタノス皇帝は、退位を受け容れるだろうか」
椅子にふんぞり返り、フェーリアが問う。
「皇帝が頼りにしている参謀も、戦争にはうんざりしとるからな。退位は時間の問題だべ」
「よし」
スパルタノスの参謀は、昔から、皇帝の影だとか、女房役だとかいわれている。皇帝の信任の厚い、有能な将校だ。有能なだけに、彼は、戦争に負けていることを、きちんと把握していた。認めようとしないのは、軍人からたたき上げた皇帝だけ。
皇帝には内緒で、密かにスパルタノス参謀は、同盟国側に密使を送ってきた。彼は、同盟国側の停戦協定を受け容れるべく、皇帝を説得すると言っている。
「スパルタノスの民に今、一番、きゃーきゃー言われとるのは、皇帝じゃなかと。あんたら、モランシーの
去り際に、山賊は付け足した。
「わたしたち?」
それって、わたしも含まれているのよね? 心当たりは全くないけど!
「うんにゃ。レメニー河の岸辺を削って、湾や溺れ谷(リアス式海岸に代表される複雑な入り江。本来は海岸線を指す)みたいな地形を作ってくれた、ってな!」
「ええと……」
「おかげで、水辺の生き物が大繁殖さして、レメニー河の漁業が盛んになったそうだべ」
「まあ! 素敵!」
つまり、フナやコイ、マスやアユが食べ放題ってことね! もちろんカエルは、食べたらいけないわ!
山賊は大きく頷いた。
「大きくえぐられた部分は、船着き場として活用するんだと。スパルタノスの民は、一刻も早く講和条約を締結し、貿易が再開されることを望んどるべよ」
「入り江に溺れ谷だと? それは、あれだな。いくら注意しても、お前が、”gna”を、“ぐにゃ”って唱え続けたせいだな」
憤慨やるかたないという調子で、フェーリアが口を出す。
「おかげで、大地が削れ、大惨事だったじゃないか。結界を張ったのが、モランシー領内じゃなくて、本当によかった」
「わたしのせいだとおっしゃるの!?」
むっとしてわたしは言い返した。
「毎度毎度、フェーリアが、“ニャ♡”って、可愛く唱えるからじゃない。だから気になって、自分の呪文に集中できなかったんだわ!」
「かっ、カワイイだと? お前、私を侮辱するのか!」
「お姉さまこそ、岸辺が削れたのはわたしのせいだとおっしゃるのね!」
「……あのう、姫御前方よぅ。おらぁ、褒めたんだべ? スパルタノスの民は、姫さん方の大ファンになったって……」
「ありえん!」
「あり得ないわ!」
わたしとフェーリアは同時に叫んだ。
「私が人気者だと? 失礼極まる!」
「わたしのファン? カエルにされるわよ! わざとじゃないけど!」
◇
その晩。
「コルデリア様。お呼びですか?」
部屋に、メイドが入ってきた。
「あの、またお願い」
頬を赤らめ、わたしは、小さな箱を差し出した。
「また破れちゃったの」
「コルデリア様……」
メイドはためらった。
「ジュリアン様との仲がとてもおよろしいのは、使用人一同、よく存じ上げております。殿下がいらっしゃらなくて、姫様がお寂しいことも。けれど、カエルの脱皮の皮については、一こと申し上げてもいいですか?」
「あら、何かしら?」
「コルデリア様は、キスをし過ぎです。それから、頬ずりも。叔父は、そう申しておりました」
「……」
わたしは頬を赤らめた。だって、メイドの言った通りなのだから。
「大丈夫ですよ」
気遣うように、メイドは付け足した。
「必ず直してくれるよう、叔父に伝えますから!」
「お願いね。どうか、お願い」
「お任せください、コルデリア様」
頼もしく、メイドは請け合ってくれた。
「ニコール」
箱を捧げ持ち、しずしずと退出しかけたメイドを、わたしは呼び止めた。
「ほっぺをすべすべにする薬はないかしら。あと、唇も」
「ほっぺと唇?」
ニコールは繰り返し、わたしをじっと見つめた。再び私は、真っ赤になった。
「つまり、その……ジュリアンの皮に負担をかけないように」
「キスや頬ずりを控えるわけじゃないんですね」
「それは無理」
ふ、とニコールは笑った。
「おかしいかしら」
そわそわして、髪に手を当てたりしながら、わたしは尋ねた。
「美人でも可愛くもないわたしが、すべすべのほっぺや、滑らかな唇になろう、なんて」
「そんなことはありません!」
きっぱりとニコールは否定した。
「べ、別に、きれいになりたいわけじゃないのよ」
誤解のないように、わたしは付け加えた。
「ジュリアンの残していった皮を、これ以上破らない為よ」
自分の頬や唇のかさかさに引っかけて、繊細なカエルの皮にこれ以上ダメージを与えたくない。
「コルデリア様……」
ニコールは声を詰まらせた。それから、優しい声で言った。
「わかりました。保湿剤を探して参りますね。すべすべのほっぺと、ふっくらつやつやの唇になれるように。ジュリアン様の帰ってこられる日の為に」
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