第11話 おもてなし
「たとえカエルといえど、神のお導きで修道院に保護を求めて来られた方を、無碍に追い出すわけにはまいりません」
気絶から回復し、きっぱりと言い切った尼僧長は、立派だった。
「ここは、神のお膝元。わたしたちは、神の花嫁です。カエルさん。安心してお疲れを癒して下さい」
「神の花嫁というのは、そんなにたくさんいるものですか?」
恐る恐るジュリアンが尋ねる。
「望めば、神はどなたでも受け容れて下さいます。わたしたちはみんな、神の花嫁です」
「コルデリアも?」
「ひい様はまだ、見習です」
「それはよかった」
ぺろんとジュリアンが舌を出した。顔の前を横切った虫に巻き付け、口の中に引き込む。目にも止まらぬ早業だった。
「あっ!」
尼僧長の悲鳴を、初めて聞いた。
「ここは清浄の地。せ、殺生はいけませんぞ」
明らかに動揺している。
「すみません。目の前を飛んでいったものですから、つい」
カエルのジュリアンがしょげかえっている。私はちょっと、可哀想になった。
「尼僧長様。ジュリアンが捕まえたのは、蚊です。あれは害虫ですわ。刺されたら痒くて、その上、まかり間違えば死ぬことだってあります」
「蚊にも命があります」
憮然として尼僧長が応じた。そこでわたしは教えてあげた。
「人類滅亡は、蚊によって達成されると言われていますわ」
「なんですと!」
尼僧長は飛び上がった。
「あの小さい生き物は、そんなに邪悪なものだったんですね! 人類滅亡とは! 悪魔じゃないですか! 蚊が、悪魔の遣いだったとは! よろしい。カエルさん、お好きなだけ、蚊を退治なさい」
「はい。ありがとうございます……」
素直に礼を言われ、尼僧長は、大満足で退出していった。
「ありがとう、コルデリア。君は優しいね」
二人きりになると、潤んだ瞳でジュリアンは私を見上げた。
「僕が虫を食べると、ロタリンギアでは、みんな、気持ち悪がるばかりだったのに」
「見事なお手並みでしたわ」
やはり賞賛すべきと所はきちんと褒めなければいけないと思うの。たとえ相手がカエルであっても。
「私、蚊には逃げられてばかりですの」
「これからは僕が君を守る!」
ぴょん、と飛び跳ね、ジュリアンが叫んだ。
「僕が蚊の襲来から、君を守るんだ!」
「あら、嬉しい」
これは本心だった。どういうわけか、私は、蚊にだけは好かれるのだ。頓宮でも、他においしそうな尼僧がいっぱいいるというのに、私ばかりが狙われる。私は目が悪いものだから、自分を刺している蚊がよく見えず、刺され放題になっていた。ただでさえここは川が近いから、蚊が多いのだ。だから、ジュリアンが護衛を申し出てくれたのは、本当にありがたかった。
「もしかして、ジュリアン。あなた、お腹が空いていらっしゃるんじゃなくて?」
私が言うと、ジュリアンは、ぽっと頬を赤らめた。
「空腹だったのに、尼僧長のお話が長くてごめんなさいね」
あんな小さな蚊では、ろくにお腹の足しにならなかったろう。
人間の食事で大丈夫だと言うから(但し、歯がないので*、離乳食のように柔らかくしてほしいと、リクエストされた)、わたしとジュリアンは、差し向かいで食卓についた。テーブルに届くように、ジュリアンの椅子は、座面を高くしてあった。
「わたしたちはお先に済ませましたから」
ひきつった愛想笑いを浮かべながら、配膳を終えた尼僧たち達は、我先にと食堂から出ていってしまった。
ちなみに、モランシーでは、カエルを食する。鳥のように淡白な味で、こりこりしていて、これがなかなか、美味なのだ。もちろん、この日の食卓には、カエルは載っていなかったけど。そもそも潔斎中だから、肉や魚は供されない。
向かいの席で、テーブルの上に顔だけ覗かせ、ジュリアンはじっとしている。喉の皮だけが、ひくひくと動いているが、あれは無意識だろう。
「ご遠慮なくどうぞ」
わたしが食べないから遠慮しているのか思い、豆のスープに匙をつけた。だが、ジュリアンは、一向に食べ始めようとしない。
「召し上がらないの? お口に合わないのかしら」
やっぱりカエルに、人間の食べ物はきついのか。
「そうじゃないんだ」
困ったようにジュリアンは言った。
「それじゃ、ほら。このタマネギの姿煮もおいしいわよ」
ジュリアンのそれは、ペースト状にすりつぶされているけど。
「あ。もしかして、カエルって、肉食だったかしら?」
「大丈夫。人間の食べ物なら、たいがい、イケる」
「よかったわ」
再びわたしは、自分の食事に専念した。
「あのね、コルデリア」
しばらくしてから、思い切ったようにジュリアンが言った。
「僕って、ほら。カエルだろ? だから、問題があって」
「問題?」
「僕らは、動いているものじゃないと、食べることができないんだ」
「まあ!」
そういえば、カエルはじっとしていて、目の前に蠅などが近づくと、長い舌をぱっと伸ばして捕食する。さっき、蚊を捕まえたように。
「つまり、僕は……。あの、君が……」
「ああ、そうか!」
唐突に理解した。
動いていないとダメなのね。
席を立って、ジュリアンの隣に座る。ぴょん、と横跳びにジュリアンが跳ねた。なんだか、うろたえているようだ。
わたしはスプーンを取り上げ、そら豆のペーストを掬った。緑色のペーストをこんもりと乗せたスプーンを、ジュリアンの目の前で、左右に揺らす。
「わたしが、こうしてスプーンを振って上げたら、あなたは、食べやすいのかしら」
言い終わらないうちに、ぱくっ、と、ジュリアンが飛びついた。それはもう、全身で。
「わっ!」
思わずわたしは叫んだ。勢いあまって、彼は、スプーンの先全部を、口の中に飲み込んでしまったのだ。
「ちょっとジュリアン、放してよ!」
ばたばたばた。
両手両足を振って、口だけで、スプーンの先端にぶら下がっている。スプーンの反対側を握ったまま、わたしは途方に暮れた。
ぽたり。
ジュリアンが、スプーンから離れた。テーブルの上に零れ落ちる。
「失礼。もう、1ヶ月近くも、何も食べてなかったんだ」
長い舌をべろりと伸ばして、口の周りを嘗め回しながら、ジュリアンが言った。
「1ヶ月も?」
「つまり、レメニー河を流れていたから」
「ああ、そうか」
山の勾配がきついので、レメニー河は、結構な急流だ。一度流れに身を任せたなら、食事どころではなかったろう。
そうまでして、モランシーまで来なくてもよかったのにと、わたしは思った。
今度は、トマトのすりつぶしをスプーンに乗せた。ゆっくりと、ジュリアンの鼻先で振る。
ぱくっ!
ジュリアンが、スプーンの横の、空気を噛んだ。
「外れてる! ジュリアン、トマトはこっちよ」
ぱくっ! ぱくっ!
何もない空間に、連続して飛びついている。
カエルは、左右の視力が合っていないのだろう。遠近感が、全くつかめていないようだ。最後にジュリアンは、スプーンの先ではなく、横からスプーンの軸に食らいつき、滑って落ちた。
ぜいぜいと、肩で息をしている。
「落ち着いて。ここにあるのは、全部、ジュリアンのものよ。誰も取ったりしないから」
トマトの乗ったスプーンを振ってみせながら、わたしは言った。
「うん」
食事を終えるのに、2時間近くかかった。
◇
夜になるとジュリアンは、自分の寝床として、硝子の水槽を所望した。
「蓋をしてあれば、自分では、外に出られないからね。うっかり君のベッドに忍び込んでしまうこともない」
「うっかり? 私のベッドに?」
「それが僕の願いだから」
ああそうか。ジュリアンは、人間に戻りたいのだな、と、私にはわかった。
でも、カエルはかわいいから? エリザベーヌのように、壁に叩きつけるというのは、どうかしら?
「ジュリアンには、いつまでもカエルの姿でいてほしいわ。だって、とても可愛いんだもの。金髪碧眼の王子だった頃より、ずっとよ」
「そお?」
ジュリアンは複雑な顔をした。嬉しいような、困ったような?
「わかったよ、コルデリア。僕は君の騎士だ。君の言うことなら、何だって聞く。君が願うのなら、ずっとカエルでいたっていい。僕は水槽に入るから、朝になったら、君が僕を外へ出しておくれ」
尼僧たちが、遠巻きに、恐々と見ている。突然やってきたカエルに、彼女たちは、ひどく怯えていた。
仕方がないから、ジュリアンの入った水槽は、私が自分で寝室へ運んだ。
*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*
*歯がないので
日本のアマガエルやヒキガエルには歯がありませんが、外来種のカエルには、上あごに歯があるものがあります。最近の研究では、下の歯が復活したカエルもいるそうです。
ジュリアンは、日本のアマガエルか、イエアメガエルをイメージしていますので、歯はないと思われます。
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