第6話 同衾
「カエル! カエルよ!」
部屋に忍び込んできたカエルに、男爵令嬢エリザベーヌは、悲鳴を上げた。
「いや! 来ないで! あっち行って!」
「なんで? どうして? 君のジュリアンだよ」
優しい声で、カエルが話しかける。
「違うわ! いえ、違わないけど、違うのよ!」
ドレスの中で足をバタバタさせて、エリザベーヌが身もだえる。
「
長くから付き従っているメイドが宥める。
「ジュリアン様は、貴女様と同衾しさえすれば、元の姿にお戻りになるんです。たった今、陛下から知らせがあったばかりじゃございませんか」
「マリアの言う通りだよ、エリザベーヌ。君は、もっと喜ばなくちゃ。一番愛する人と
「だって、カエルじゃないっ!」
半狂乱で、エリザベーヌが叫ぶ。
「一時我慢すれば、人間の姿にお戻りになります!」
必死でメイドが説得する。
「元の麗しい、王子のお姿に!」
「王子が何よ! どうせ私は、王妃になれないんだわ!」
王が2人の結婚に反対であることは、さすがに、エリザベーヌにも漏れ伝わってきていた。
「あなた、父上を説得するって、言ったくせに!」
「ケロケロ」
カエルが鳴いた。
「今度のことで、よくわかった。カエルになっただけで、継承権を否定するなんて、王位というものは、なんともろいものだろう。それに、父上は、本当は、弟のアルフレッドを、即位させたいのだ。アルフレッドの方が、僕より優秀だからね! でも長男即位が鉄則だから、僕が先に生まれたことを、残念に思っているのさ。ひどい話だ。王位なんぞ、こっちから、願い下げだ!」
「だってあなた、私を王妃にしてくれるって!」
「別にいいだろ? 王妃になんかならなくたって。そんなの、煩わしいだけだよ。いつだって僕は、君の側にいるから。ケロッ」
「そのケロ、止めて!」
「仕方ないだろ、出ちゃうんだから。それよりさ、エリザベーヌ。二人だけで、湖畔の町で、静かに暮らそうよ」
「たとえどのようなお姿でも、ジュリアン様は王族。個人財産をお持ちです」
メイドのマリアが助太刀をする。
「もし万が一、即位なさらない場合でも、ヴェルレ湖近くの荘園は、ジュリアン様の名義のままです」
「でも、カエルよ?」
「すぐに人間にお戻りになります。エリザベーヌ様、あなた様が、ほんのちょっと、気持ち悪い思いに耐えれば!」
メイドに諭され、エリザベーヌは震えあがった。
「いやよ! いやいや!」
「堪えておくれ、エリザベーヌ。これが初めてってわけじゃないんだから」
「おや、そうでしたか」
「そうだよ、マリア。知らなかったの?」
「いやあっ!」
一際大きな悲鳴を、エリザベーヌがあげた。カエルがぺろんと舌を出して、目の前の蠅を巻き取ったのだ。長い筋肉質の舌に巻き取られた蠅は、即座に、ピンク色の口の中に消えた。
「グェッ」
げっぷをするように、ジュリアンの喉から体全体が波打つ。無事、飲み下せた模様だ。
「ジュ、ジュリアン様! 何をなさいます!」
落ち着いていたメイドのマリアも、さすがに悲鳴に近い声をあげた。
「あ、ごめんよ。動くものを見ると、つい」
悪びれることもなくジュリアンが答える。
「気持ち悪い! 気持ち悪い!」
エリザベーヌは半狂乱だ。真っ青な顔をして、今にも吐きそうだ。
「気持ち悪い? いや、僕はちっとも変わってないよ」
ぴょんと大きく飛び跳ねて、カエルは、彼女のドレスの裾にしがみついた。
「ウギャーーーーーーッ!」
この世の物とは思われないほど凄まじい悲鳴が響き渡る。まるでケダモノの咆哮だ。とうてい、淑女の声ではない。
それでもカエルは、彼女のドレスから離れなかった。それどころか、じりじりとよじ登っていく。
「君だって僕のこと、愛してる、って言ったじゃないか」
「あの時のあなたは、金髪青い目の、王位継承者だったわ!」
「今だって、変わらず、君を思っているよ!」
「気持ち悪いこと言わないでよ!」
涙目で、エリザベーヌが叫ぶ。
「これ、エリザベーヌ様! かりにも王子ですぞ。そのようにないがしろにしてはなりませぬ!」
慌てて、マリアが諫めた。ドレスにしがみついたカエルを、エリザベーヌが、内側から蹴り飛ばそうとしたのだ。
騒ぎを聞きつけ、王宮付きの衛兵たちが駆けつけてきた。
「怖い! 気持ち悪い!」
エリザベーヌは目を瞑り、半狂乱だ。
衛兵たちは、顔を見合わせた。カエルが彼女にしがみついている限り、衛兵たちは、手出しができない。うっかり豊満な胸にでも触ってしまったら大変だから。
というより、そもそもこのカエルは、王子だ。手の出せようはずがない。
「大丈夫です。この場は、わたくしが」
懸命に自分を落ち着け、衛兵たちに向かい、マリアは申し立てた。
衛兵隊長が敬礼した。
「して、いつ同衾されるかと、王からの御下問ですが」
「ええと……。今夜」
と、マリア。
「いやっ!」
すかさずエリザベーヌが、鋭い声で拒絶する。
「では、明日の晩!」
「いやよっ!」
「明後日……」
「いやぁーーーっ!」
絶叫する。
「お黙りなさい!」
臣下の身でありながら、ついにわがままな主人を、マリアが叱りつけた。
「いいですか、エリザベーヌ様。貴女は単なる男爵家の娘に過ぎないのですよ! 皇族とまぐわえる機会を逃すなんて贅沢、許されるわけがありません! 聞けば、お二人はすでに睦み合っているというではありませんか。何をいまさら、生娘みたいに!」
不意に、マリアの声が小さくなった。主人を叱りつけるという異常事態と防衛本能から、彼女はひたすら自分の思考の中に入りこんでしまった。
「いいえ、エリザベーヌ様が生娘だなんて、あり得ないわ! この方の股ときたら、生まれてこの方、閉じているのを見たことがないし。……あ、生まれた時は、生娘だったのかしら?」
あらぬことを口走り続ける。
「ジュリアンとは、最後までヤってないから!」
大勢の衛兵たちの前で、エリザベーヌが断言した。
衛兵たちが、顔を見合わせた。猥褻な冗談を言おうとしている気配がする。
ドレスの縁にまとわりついていたカエルの顔が青ざめた。
こほん。
ようやく冷静に戻ったマリアが咳払いをした。もともとこのメイドは、有能だった。王族に生まれたのなら、どこかの王妃として国を治めることもできたろう。男爵家の娘のメイドとして一生を終えるのだとしたら、なんとももったいないことだった。
「近日中に、エリザベーヌ様のベッドにジュリアン殿下をお迎えします。それは、この私が保証します」
言い終わると、兵士たちを睥睨した。
「何をしているのです! 王の御下問にはお答えしました。いつまで婦人の部屋にいるのです。下がりなさい!」
メイドの余りの剣幕に押され、どやどやと、兵士たちは、部屋から出て行った。
最後の兵士が、部屋から出て行った。
「愛しているよ、エリザベーヌ」
カエルが跳ねた。膨らんだ胸に着地し、また跳ねた。
「僕が求めているのは、真実の愛だ。君こそが、僕の真心にふさわしい、」
たゆん。
大きく揺れた胸の反発で、カエルは、彼女の顔に着地した。
「何するのよっ!」
顔に貼り付いたカエルを、エリザベーヌが引っ掴んだ。
「王妃にもなれないのに、誰が、カエルとなんか寝るものですか!」
凄まじい形相で、顔に貼り付いたカエルをべりべりと引き剥がす。
「いやーーーーーーっ!」
凄まじい形相で、顔に貼り付いたカエルをべりべりと引き剥がし、床に叩きつけた。
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