1. 黄昏-11
「……」
黙ったままの篠井さんに手を引かれるまま歩いていく。歩道を歩く塾帰りの小学生の列を、ほぼ倍の速さで追い抜かす。周囲と比べて倍速い時間を過ごしているようで気まずくなったが、周りの人々はあまりこちらに関心を向けていないようだった。
彼女が足を止めたのは、昨日前を通りかかった公園だった。あまり人が入ろうという気になれない、生い茂る木で囲まれた公園には、手前に砂場、奥に滑り台と何かの用具入が無造作に置かれていた。
まるで自分の家のようにずけずけと入っていく彼女の後を追おうとすると、
「ちょっと待ってて」
と彼女は手で制し、小走りで滑り台の奥に行った。
彼女がいなくなってから数分が経とうとした頃、滑り台の奥から叫びとも解釈できるうめき声が聞こえた。僕は一瞬腰を浮かせたが、自分にできることが何もないということ、できたとしてもそれをする決断ができず、すぐに座り直し、その場で固まってしまった。長らく聞こえるその声は、徐々に僕の心を蝕んでいくようにその握力を強めていった。
声が聞こえなくなってすぐに、奥から自分より大きく見える存在が現れた。叫ぶ声すら出ない恐怖感に襲われたが、よく見るとそれは薄れていく―――こともなかった。
それは、最近よく見かけるお婆さんだった。僕はその時、妙に合点がいった。
「篠井さん、なの?」
「うん。お待たせ。天川くん」
少し疲れた様子ではあったが、声は馴染みのものだった。
「……恥ずかしいから、見えないところ行こ?」
お婆さんの顔が、若さ溢れる澄んだ声を話している。混乱してきた。僕は自分の脳にどう説得しようか悩みながら後をついて行った。
お婆さん―――彼女は、タイヤの遊具に腰を掛け、僕に滑り台の階段に座るよう促す。何かの切れ端のような、ボロボロになった布を何重にも体に貼り付けたような姿で、傍から見ると達磨のような風貌に見える。表情はあるのだろうけど、上手くそれを読み取ることができない。それがもはや全てをあきらめた、無表情なら話は別なのだが。
「私は、夕日が出ている時間だけ、元の姿に戻れるみたい。それ以外は、ずっとこのまま。こんな姿じゃ、学校にも行けないし、家にも帰れない。体育祭の当日の夜、家に帰ったんだけど、花瓶投げられちゃった。出て行けって、言われて。何にも聞いてくれなかった。出て行こうとした時、玄関の隣に作った衣装が置いてあったから、せめてそれだけでもって思ったけど、通報されかけて……」
彼女はたどたどしくも、鮮明に覚えている負の記憶を一つ一つ語る。
「この姿の時は周りの人に見えるらしいんだけど、もちろんこんな人に声をかけてくれる人は誰もいない。お店で何か買おうとしても相手にされなくて、後ろから来た人に押し出されて。結局元あった場所に戻して出てきちゃった。服は知らない間に色々重なってて脱げないし、風呂にも入れない」
想像するだけで、胸が痛い。どうして、この世の中にはたくさん嫌な人間がいるのに、彼女がこんな目に遭わなければならないんだ。
「ごめんね。ちょっと匂うでしょ……って、え? なんで泣いてるの?」
ずっと悲しいはずの、悲しさで塗り固めたような日々を送っているはずの彼女を前に、僕は何も言えずに同情して泣くことしかできなかった。彼女の今の状況が非現実的かどうかなんて、もはやどうでもよかった。自分の目で見たことだけが真実だ。それで十分だ。
「……もう涙なんて枯れちゃうほど泣いたって思ってたのに、なんで出てくるんだろうね」
と、彼女も顔を伏せて泣き出した。その声には自嘲の意が込められていたように感じた。
僕は袖で顔をぬぐい、彼女を包む服を一枚づつ取っ払おうとした。しかし様々な場所を見ると、あちらこちらに特殊な縫合がなされており、手でどうにかできるものではなかった。
「明日、はさみ持ってくるから、あと一日だけ我慢してくれる?」
「……わかった」
顔を伏せたまま、彼女は応じた。
「明日さ、もうちょっと早く来るから、ここで待ち合わせでいい?」
彼女の頭は少し沈んだ。
僕は帰る前に、近くのコンビニで飴玉とお茶、弁当を購入し、ずっと顔を伏せたままの彼女の隣に置いて、その場を後にした。
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