1. 黄昏-8
*****
「……で、今日は何しに来たの」
「何って、会いに来なくなると忘れるって言ったから」
「ふーん」
一度家に帰ってからわざわざ来たにもかかわらず、彼女の機嫌は悪いようだ。
「君はさ、どう思ってたの。体育祭のこと」
「急だな」
「別に急じゃないでしょ!」
彼女は声を張り上げた。かつて学校に通っていた時にこんな声を出していただろうか。周りの人に迷惑だろうと見渡すが、こちらを気にする様子はなかった。まあ多少精神状態がおかしくなるのは仕方ないような生活をしているのだろう。
「わかった。体育祭のことね。うーん……僕はそもそも競技の方が楽しかったから、そっちの感動の方が強いかな。アンカーだったし」
「あ、そうだったね。結果どうだったの?」
「隣のレーンの陸上部がこけて、見事一位!」
「すごいじゃん!」
数分前と打って変わって、彼女の顔は柔らかい表情になっていた。これでやり過ごせるかと思ったが。
「で、出し物の方は?」
「……言わなきゃだめ?」
「だめ」
真剣な表情の彼女には、真剣な答えを返すのが道理だろう。
「僕は、君の方が心配だったな」
「え?」
「僕って幹部でも何でもないし、衣装はどうしようとか、出し物の内容はどうしようとか、考えてなかったから。それより、前の日に疲れた顔してた君の体調が心配だったな」
「……そう」
なぜか不満そうだ。
「実はあの衣装、まだ家にあるの。取りにいけないけど」
「完成してたの?」
「うん。でも……ティアラ、なくしちゃった」
「……そっか」
これまでの経験的に、もうそろそろ彼女が去る時間であるから、僕は追及をやめた。
「なんでなくしたか聞かないの?」
「うん。もうそろそろ行かないといけないでしょ?」
「まあ、そうだけどさ。ちょっともったいなくない?」
「明日もまた来るから」
「そう? じゃあいっか」
手を振って彼女はいつも通りホームの雑踏に消える。誰かに隠れた瞬間に、まるで消えてしまったかのように彼女の存在感はつかめないものになってしまう。でも、元から彼女はそうだったような気がする。
入学当初から特別親しい友人がいないように見えた彼女が、体育祭の衣装係に立候補したことは、クラス全員にとって衝撃だった。自分から率先して何かをしない人だと、たった一か月でもわかるほどであった彼女は、その後生き生きとした様子で、家庭科室のミシンを使って衣装を作っていた。その出来は、たとえ途中であったとしても、売り物に遜色ないものだと誰もが思っていた。当初は学校の家庭科準備室に置いていたものの、本番が近づくにつれて家に持ち帰る回数が増えていき、最後の一週間は毎日、軽くない衣装と制カバンを抱え、汗をぬぐって登校していた。上級生にこそこそと言われていたことを気にし、落ち込んでいた時も、皆で励ました。一番の衣装だって、励ましていた。
彼女が今の状況になった理由を見つければ、どうにかなるかもしれない。少なくとも名前を知り合っている仲なのは僕くらいだろうし……。
あれ、彼女の名前、何だっけ。
僕はその時、彼女の名前を、今日一度も呼んでいないことに気づいた。
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