第8話 影の女傑


 独りの軍人が師団を退けた。


 何かがおかしい報道は、またたく間に世間の話題をかっさらった。ネットワークを介して世界中に伝播し、ラディウス・ラスター中佐の名を一躍有名にした。


 単独で師団を足止めした。まごうことなき偉業だ。


 何人もの偉人を排出したディクロスト帝国でも、同じことができる人物はそういない。すぐ百年祭にノミネートされるまで時間を要さなかった。


 百年祭。五百年前から始まった、ディクロスト帝国発祥のお祭り。約百年ごとに偉人が誕生することに由来する、すっごい才能を秘めた天才が爆誕したぞやったあ! という催しだ。


 過去祭り上げられた人物は、いずれも世に功績を轟かせた大物ばかり。百年祭にノミネートというだけでディクロストの国民は騒ぐ。敵に該当する国々は恐れる。


 味方の士気を上げ、敵の士気を下げる。ただの祭りごとでも、ここまで多大な効果があれば一種の戦略として機能する。


 その戦略を意図して築き上げた男は、自身の屋敷でチェアに体重を預けている。室内に靴音が鳴り響き、男性が顔を上げる。


「魔族殺し、単独で師団を退ける。また有名になってしまいましたね閣下」


 黒白の衣服で身を包んでいる。メイドにしては距離の近い物言いの女性は軍学校からの知り合いだ。


 このメイドが出た執事養成学校は少々特殊な機関だ。ラディウスが信用できる側近を求めて一から設立した経緯がある。


 求められるのは、ラディウスが全てを打ち明けて協力を求めるに足る人材。能力が優秀なだけでは足りない。日頃の態度や思想、その他要素を吟味される。


 拷問されても口を割らないタフさも要る。数年かかっても見出された者がゼロ、なんてことはザラにあった。ラディウスの側近になる者は、狭き門を潜り抜けた一握りのエリートに限られる。


 レンシ・バルハートもその一人。若くして執事養成機関を出た才女だ。今はラディウスのもとで働き、秘書を兼ねて身の回りの世話をしている。


「閣下はやめてくれ。俺はまだ大佐だ」


 単独で師団を退けた功績が称えられて、ラディウスは中佐から大佐に昇進となった。


 昇進ではあるが、大佐の階級はすでに何度も通っている。母国のトップたる総帥になったこともある。ラディウスからすれば大してめでたいことではない。


 レンシが品よく上体を前に傾ける。


「失礼いたしました。以後気を付けます」

「謝るようなことではないさ。ただ、常用しているとふとした拍子に出るものだ。君に限ってそれはないと思うが、一応気に留めておいてくれ」

「承知いたしました」


 ラディウスは部屋の時計に目を向ける。


 時計の針は十時頃を示している。


「そろそろ調印式ですね」

「ああ。これで魔皇国への道がひらける」


 偽物が居付いていたヴェルディーラ共和国は、長い年月を経て軍事帝国に変貌した。それを機に魔皇国と改名され、偽物が魔皇大帝を名乗って頂点に君臨している。


 ヴェルディーラ魔皇国は近隣諸国を侵略して領地を拡大した。今や大国となり、軍事力も昔とは比較にならないほど増強されている。


 世界情勢はラディウス率いるディクロスト帝国と、偽物率いるヴェルディーラ魔皇国の二強状態に陥っている。


「ようやくだ。ようやく、ここまで来た」


 ラディウスは右の拳を握る。強く、固く握りしめる。


 転生してから数百年の年月が経った。


 多くが死んだ。多くを生かした。


 そしてついに王手がかかった。調印式が済めば魔皇国につながるルートができる。


 当初は空路が提案されていた。障害物を無視して直線ルートで向かえる。攻め込むなら最も簡単なルートだが、実行するには重力魔法の存在がネックだった。高速で安定する航空機の類は、ささいな干渉でバランスを崩して墜落する。


 そこそこな出力の重力魔法は世界に広まっている。航空機での攻撃を主力とするには無理があった。


 海路での攻略にも問題があった。


 魔皇国は魔物を改造して国周辺にばらまいている。行動が制限される海上では、水中に隠れ潜むそれらの迎撃が難しかった。


 陸路にも頑強な魔物がはびこっている。


 しかし人間も地に足をつけられる。対処の術は数多あるのだ。


 陸路をつなげることは、魔皇国攻略にどうしても必要なファクターだった。


「やっとユハとブルムに顔向けできそうだ」

「そのお二方は、かつて魔王グリズフを討伐なさった時の戦友でしたね」

「ああ。彼らと過ごした時間は俺の至宝だ」

「ラディウス様、よろしければ、ユハ様について伺ってもよろしいでしょうか?」

「ユハだけでいいのか?」


 ラディウスはレンシの瞳を見据える。


 同性だから気になったのだろうか。


 思うラディウスの前で、レンシが理由を口にする。


「ブルム様のことは学んでおりますが、ユハ様については、あまり存じ上げないのです。文献を探っても情報が載っていなくて」

「情報は抹消されたんだ」

「抹消、ですか?」


 レンシが眉をひそめる。


 抹消。不穏な言葉だ。レンシが何を想像したか想像に難くない。


 ラディウスは空気を和らげるべく表情に苦笑を貼り付けた。


「そう物騒な話ではない。俺のせいなんだ」

「と、おっしゃいますと?」

「ユハには、転生魔法を使用する際に世話になった。その行為自体が法に触れる行為だったのだ。英雄の中に犯罪者がいては国の沽券こけんに関わる。ならば最初からいなかったことに、ということさ」

「そう、だったんですね」


 しんみりとした空気が漂う。


 レンシの表情は変わらない。伊達にラディウスの秘書を務めてはいない。この程度で自分の感情をさらすようなら彼女を雇うことはなかった。


 覚えた感情が消え去ることはないが、レンシには感情が爆発しないようにコントロールする教育も施されている。放っておいてもくすぶる前に解消される。


 放っておく。 


 この話題に関して、ラディウスがその選択をすることはない。


「軽蔑したか?」

「え?」

「遠慮する必要はない。君の前にいる男は、自分勝手な理由で一人の英雄を穢したのだ。望むなら秘書を下りてくれても構わない。無論本来得られるはずだった数十年分も含めて、退職金は出させてもらう」


 レンシがわずかに目を見開く。


 それは一秒に満たない間だった。黒い髪が左右に揺れる。


「いいえ。その必要はございません」

「いいのか?」

「はい。その程度でラディウス様を見誤るなどあり得ません。確かに、法に触れることは褒められたものではなかったかもしれません。ですがそのご判断があったからこそ、母国ディクロストは世界一の大国となりました。そうでなければ、周辺諸国や怯えた小国によってとっくに滅ぼされていたでしょう。ユハ様にはお気の毒ですが、必要な犠牲だったと言わざるを得ません」

「……そうか」


 侍従が離れなかったことの安堵はない。


 ちょっとした寂寥感が、そこにあった。


「文献が見当たらない理由については把握いたしました。話は戻りますが、ラディウス様から見たユハ様はどのような方だったのですか?」

「聡明で勇敢な女性だった。彼女の在り方を語るならバルゼの戦いが適しているだろう。作戦の要だった魔導砲兵と魔装歩兵の仲が悪くてな。先日誤射したこともあって一触即発の空気が流れていた」

「誤射ですか。背中から撃たれた方はたまったものじゃないでしょうね」


 レンシがくすっと小さく笑う。少しだけ部屋の空気が軽くなる。


 ラディウスも苦笑いで応じた。


「そうだな。わざとではなくとも空気は最悪だった。魔装歩兵が背を預けられないと主張して別行動を取ろうとしてな。タイミング悪く魔族が現れる始末だ。場を任されていた指揮官の人望では統率も取れなかった。後退が最善と本気で考えたよ」

「そのおっしゃり方だと後退なさらなかったんですね」

「ああ。近くに街があって、撤退は街の放棄と同義だったんだ。喧嘩で作戦が失敗したとなれば評価の下方修正は免れない。指揮官は一人突撃を叫んでいたものさ」

「それは無駄に死傷者を出しそうですね」


 レンシがげんなりする。指揮官への悪印象を隠そうともしない。


 当時のラディウスも似たような評価を下した。レンシを叱る気にはならず話を続ける。


「俺も無謀だと言って諫めようとしたよ。ユハが動いたのはそんな時だ。部下に指示出しするだけでなく、誤射を恐れず魔導砲兵に援護要請して前に出た。ユハも魔装歩兵だったが、所属問わず人気があったから兵は奮起したものさ。死なせてたまるかといった感じだな」

「指揮官だからこそ、あえて前へ。ですね?」

「その通りだ」


 切迫した状況下では、安全圏で命令する相手への反抗心が生まれる。突撃で戦果が挙がるケースは稀だ。


 指揮官の死因において、部下からの不意打ちはそこそこの割合を占める。あのまま強行していたら、叫ぶだけの指揮官は十中八九部下に撃たれていただろう。


「指揮官が前に出れば兵は続かざるを得ない。女性の軍人はユハだけだったし、男としてのプライドも刺激されたのだろう。魔導砲兵も名誉挽回の機会を得てたちまち団結したものだ。あれがなかったら、俺は軍を見限って独立勢力として戦う道を選んだかもしれない」

「グランスト家は軍事貴族でしたね。組織の大規模化を為すために、軍との併合を提案されていたとか。それが成ったのはユハ様のおかげだったわけですね」

「勉強熱心だな。その通りだよ。団結できない有様に辟易へきえきしていたが、ユハのおかげで考え直すことができた。他にも新しい兵科を作って先導するなど、普段はおしとやかなわりに快活な面があったな。魔王城強襲作戦で人員を募った際には、周りが怯える中で一番に挙手してくれた。敗戦ムードで味方の士気も低かったから、女性の自分が名乗り出なければ実行できないと察していたのだろう」


 レンシが首を傾げた。


「学んだ内容と違いますね。ラディウス様が、尋常ならざるカリスマを発揮したと記述されていた気がします」

「当時はまだ男尊女卑の考え方が強かったのだ。俺たちが違うと主張しても上は聞き入れてくれなかった。年月を経てその考え方が薄れたかと思えば、改訂には歴史的根拠が必要になった。結局記述を改められず今に至るというわけだ。我ながら不甲斐ない限りだよ」

「影の女傑ってやつですね。何だかあこがれます」


 レンシが微笑を浮かべる。


 普段大人びた立ち振る舞いのメイドが子供っぽいワードをチョイスした。ラディウスはその可笑しさに吹き出しかけた。


 何とか衝動に耐えて言葉を続ける。


「影と言うほど暗躍していたわけではないがな。魔法のエキスパートらしく、上級魔法を連発する豪快な戦い方を得意としていた。戦う姿も絵になるものだから、ユハが活躍した年は志願兵の数が桁一つ違ったらしい」

「……ふふっ」


 レンシが口元を手で押さえた。


「どうした?」

「何だか楽しそうでしたので」

「そうか?」

「はい。初めてラディウス様の自然な笑顔を見た気がします。誇らしいお仲間だったのですね」

「ああ、自慢の戦友だったよ。ユハにブルムも加えて、三人いれば何でもできると思っていた」


 ラディウスは窓の向こう側に視線を向ける。目を細めて、脳裏に戦友たちの笑顔が浮かぶ。 


 拳を固く握りしめた。


「だが結果はこのザマだ。俺の偽物が発現し、魔皇国の台頭を許した。俺のミスが二人の勇気と覚悟を台無しにしてしまったんだ」


 リビングに視線を戻して、誓うように告げる。


「だからこそ、俺は魔族を殲滅しなければならない。それこそが二人への手向けになると信じている」

「だから、なのですね」

「ん?」


 ラディウスは眉をひそめる。


 レンシの表情に憂いの色を見た。


「ラディウス様。一つお聞きしてもいいでしょうか?」

「ああ」

「先日相対した敵の中に、カヴラという魔族がいたと伺いました。あの魔族は人類との融和を目指して、精力的に活動していたと聞き及んでおります。何故討たれたのですか?」

「ふむ」


 先程レンシがつぶやいた納得したようなセリフ。


 そして今告げた内容。ラディウスは腑に落ちて口を開いた。


「魔族は皆殺しにすると決めているからだ。人類に友好的かどうかは関係ない」

「その理由を、伺っても?」


 ためらいがいな問いかけにうなずく。


「人類に友好的な魔族がいるのは知っている。とうとぶべき絆も一つや二つではないだろう。だが、それと魔族との争いは別だ」

「別?」

「俺が見ているのは種の争いなのだ」


 すなわち人類と魔族。


 話のスケールが変わってレンシが息をのむ。


「荒々しい個体は全て魔皇大帝が抱え込んでいる。魔皇国の戦争が終わればしばらくは平穏が続くだろう」

「しばらくは、ですか」


 戦争が終わっても憎悪は消えない。表面化していないだけで、戦後を見据えて水面下で活動する組織もある。いずれ抗争が起きるのは確定事項だ。


 どれだけ相手を知っていようと関係ない。違うものは違うのだ。


 同じ人間でさえ、人種や性別といった差異をいまだ受け入れられていない。どうして人類と魔族が分かりあえようか。


「終戦に導いても、まだ争いは続くと?」

「ああ。武力による閉廷は長く続かないものだ。押し込められた悔しさや恨みは残された者の中でくすぶる。魔族が在る限り第二のグリズフや魔皇大帝が生まれる。だからこそ好ましい個体も含めて消さねばならない」


 戦争の経緯は歴史に記される。後世に生きる魔族がそれを知ることもあるだろう。


 友好的な固体が牙を剥かなくともその子は? 友人は? 魔族の不遇な歴史を知って、憤怒と憎悪に駆られないとどうして言い切れるのか。


 ラディウスの懸念はそこにある。


 合計で千年近く生きたラディウスから見ても魔族のポテンシャルは計り知れない。これまではラディウスが人類の発展を促せた。余計ないざこざを未然に潰して、人々を導いてきた。


 この形態を続けるわけにはいかない。 元来ラディウスは鬼籍に入っているべき存在だ。この世に存在してはならない異物だ。


 為すべきことを為した時、ラディウスは隠居する予定でいる。人類の未来に自分は必要ないとわきまえている。


 多くの若者からチャンスを奪った。ラディウスが台頭するたびに才ある、されど実力の劣る若者が落ちていった。突出した才覚に数百年の積み重ね。誰もがラディウスに敵わない。


 さながら烈日だ。突出した才能は士気を上げるが、同時に同じ境遇の同志を絶望させる。届かない諦観や嫉妬が同胞の胸を焼き焦がして灰にする。


 ラディウスにはそれがもどかしくてたまらない。力の差に絶望して魔皇大帝に心を売る者もいた。それら含めて、ラディウスという烈日に焼かれた被害者だ。


 強すぎる太陽は周りを焦がす。周囲を思うなら雲に隠れるべきなのだ。


 だが今はまずい。


 ラディウスが烈日なら、魔皇大帝は冥府の太陽だ。ドス黒い闇を塗り潰すにはそれに近い輝きが要る。仲間を灰燼かいじんと化そうともラディウスが歩みを止めるわけにはいかない。


「そろそろ、調印式の時間ですね」


 ラディウスはテレビに視線を向ける。


 調印式。ディクロスト帝国とランブル共和国の休戦協定を形にする式典だ。


 ラディウスが師団を撤退させたことで、ランブル共和国の司令部は震え上がったらしい。ディクロスト現総帥が休戦協定を持ち掛けた時には二つ返事だった。


 形こそ休戦協定だが、実質的なランブルの敗北だ。形だけの休戦を受け入れて魔皇国へ続く道を明け渡すしかない。


 ディスプレイに両国のトップが現れる。


 それもつかの間。テレビが振動した。


 否。揺れているのは画面の中だ。各国のトップがぐらつき、その周囲が慌ただしい雰囲気に一変する。


 地面が隆起して二人の体が宙に投げ出される。


 地面を下から突き破ったのは暗褐色の物体。先端が二つに分かれてグロテスクな内部を覗かせる。


 それは口だった。コンクリートを突き上げた勢いのまま人影に突っ込み、二名のトップも含めた計五名の命が失われた。


「ラディウス様! これは⁉」

「ああ。魔皇国の襲撃だ」


 偽りの和やかさは霧散した。テレビの向こう側で阿鼻叫喚あびきょうかんが起こる。


 ラディウスはソファーから腰を浮かせた。これからかかるであろう招集に向けて準備を始める。

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