第4話 禁術


 魔王の崩御を高らかに告げた瞬間、人類と異形の軍勢が動きを止めてラディウスたちに注目した。


 ラディウス、ブルム、ユハの三人でした、異形の盟主たるグリズフの討伐。その事実は異形――魔族に戦う意義がなくなったことを意味する。


 魔族は一番強い者をトップに据える。トップだった魔王グリズフこそ、人間を虐殺するように命じた張本人だ。他の魔族は弱き者として生きるべく従ったにすぎない。


 グリズフが討ち取られた今、配下に戦う理由はない。長い硬直が解けると、両者は鏡のごとく正反対な反応をした。


 人類軍は勝利の雄叫びを上げた。


 魔族は戦意をなくしてうなだれた。ラディウスの言葉を信じない個体もいた。


 降参を促すには証拠がいる。グリズフの首でもかざすべきなのだが、ラディウスたちはグリズフの首を持参していない。わめく魔族が出るのは当然だ。


 持参しなかったわけではない。したくてもできなかったのだ。


 魔族の首魁しゅかいは細胞一つからでも復活する。再生されては消耗したラディウスたちに勝ち目はない。討伐の証明ができないと知っていても完全消滅させるしかなかった。


 戦争は止まらない。


 一方で魔王軍の司令塔は葬られた。バラバラな個が集まっても組織にはなれない。事態は戦争から、人類軍が魔族を虐殺する展開に転がった。


 魔族も生物だ。圧倒的劣勢となれば降伏するくらいの知能はある。情勢は人類側に傾き、魔族の全面降伏で戦争が終結した。


 ラディウスたちは英雄として称えられた。大国の王から勲章を授与され、国を挙げて人類の勝利が祝われた。


 しかしラディウスたちは知っている。魔族との戦いは終わっていない。


 魔族全てが屈したわけではない。下手に真実を告白しては魔王軍の残党が息を吹き返す。ラディウスは軍の権力者に事の詳細を話して秘密裏に捜索を依頼した。


 捜索の結果は散々だった。年月を費やしても、捜索範囲を広げても討伐対象は見つからなかった。


 行動は決して遅くなかった。戦勝した日のうちに、動ける兵で班を再編成し、速やかに捜索が行われた。当日の捜索でも見つからなかったのだ。後日の追跡で成果を出せるはずもない。


 怪我がえてからはラディウスも遠出した。わずかでも可能性のある場所には、積極的に足を運んだ。


 地道な努力が実を結び、取り逃した相手と相まみえる機会を得た。


『それ』はラディウスの姿をしていた。身長や腕、脚の長さ、手に握る得物の長さまでそっくりだった。


 違うのは二つ。体が闇にも劣らない漆黒で構成されていることと、ラディウスにはない左腕があること。目も耳も、口の輪郭さえ分からない。相手が人間ではないと知るには十分すぎた。


 ラディウスはすぐさま剣を抜き放ったが、影の動きは全盛期のラディウスそのものだ。隻腕せきわんで勝てる道理はない。仲間も駆け付けたが撤退を余儀なくされた。


 これを最後に、黒い瘴気と相対することは叶わなかった。


 目撃情報は上がってもその後がうまくいかなかった。手がかりになるものを徹底的に消しているのだろう。徒労を積み重ねて長い長い時間が過ぎ去った。


 ラディウスの年齢は六十近くに達した。


 親友のブルムは病気で立つことも難しい。ベッドの上で仰向けになっている。


 死が近いのはブルムだが、見た目だけならラディウスの方が枯れている。かつて隆々だった筋肉はしぼみ、たび重なる無理が祟って様々な箇所が故障した。髪は燃え尽きた灰のようで元の金色は見る影もない。


 もはや英雄と呼ばれた偉丈夫の姿はどこにもない。在るのは、執念で生きる往生際の悪い老いぼれだ。


「ラディウス、俺たちは……なし遂げられなかったな」

「……そうだな」


 偽ラディウスは野放し状態。鬼ごっこじみた追跡と逃亡の繰り返し。それがほんの数年前まで続いていた。


 ラディウスも歳を自覚している。足腰にガタがきたせいで遠出すら難しい。


 追跡の任は別の者に明け渡した。それでも何らかの形で貢献したいと考えて、ラディウスは若者に戦い方や技を教えた。勇気ある者が偽物を討ち果たすようにと、余生を後続の育成に注ぎ込んだ。


 明確な成果が出るのは何年、何十年、あるいは何百年後か。いつか出るか分からない成果を見届けることもできずに、一人の戦士がこの世から旅立とうとしている。


「なあラディ。もし……もし俺がお前の腕を斬り落としてなかったらさ、結末は、変わってたのかなぁ?」


 左右の剣で敵を滅殺する。それがラディウス本来の戦闘スタイルだった。 


 片腕だけでは威力が出ない。人相手なら得物の重さで斬れるかもしれないが、魔族相手となると心もとない。体全体の筋肉を使って遠心力すら味方につける。そのセンスがあったからこそ成り立った戦い方だ。


 バランスの悪い隻腕で勝てないのは当たり前。ラディウスはそれを踏まえた上でかぶりを振った。


「それは違うぞブルム、断じてお前のせいではない。俺がもっと、慎重になるべきだったのだ。洗脳の術を自力で解除した前例があったとはいえ、魔族の頂点に立つ者の悪あがきを許してしまった」

「そりゃ結果論だ。あれが大規模な破壊魔法だったら、下手すりゃ何万もの人が死んでた。あの時は無理してでも突っ込むしかなかったさ。それに偽物が相手でも、左腕があれば勝てたはずだ。全盛期のお前なら、絶対……っ!」

 

 ブルムの口調に興奮が混じる。


 ラディウスは手で友人を制した。


「やめろ。戦場に絶対はない。仮に左腕があっても勝てていたかまでは分からないだろう」


 両腕があっても相手が弱くなるわけではない。ラディウスが全盛期に近づくだけで、条件は相手と変わらない。


 偽物のベースとなったラディウスは、名実ともに人類最強の男だった。独りで一個師団相手に時間稼ぎをしたこともある。自分以外に偽物を討てる者はいないかもしれないと、ラディウスは内心危惧している。


 後の世代に負債を担わせていいものか。ラディウスは悩み、悩み、悩み抜いた。


 その末に一つ決断したことがあった。


「ブルム、安心しろ。奴は俺が必ず討ち果たす」

「無理だ。若い頃のお前でも無理だったのに、そんなボロボロの体で何ができるって言うんだよ」

「お前の言う通りだ。今の俺には何もできない。だから、転生しようと考えている」


 ブルムが口を開いて固まった。


「どうした?」

「いや、ラディも冗談を言うんだなって。おとぎ話じゃねえんだ、転生なんて都合のいいもんがあるわけないだろ」

「それがあったのだ。魔族から押収された魔導書、中でも禁書とされていた書物にその術が記されていた」

「禁書って、全部国が保管してるはずだろ」


 告げて、ブルムがハッとした。


「まさか、盗んだのか?」

「ああ」


 ブルムが唖然として固まった。


 小さい頃から貫いてきた生き方を変える。簡単そうに見えて、それが難しいことは眼前の友人もよく知っている。


 ブルムは槍で多くの魔族を手にかけた。ラディウスほどではないにしろ、十分にエース級の働きをした戦士だ。


 そんなブルムも元々温厚な男だった。魔族に蹂躙される人々を見て、市民を守るべく槍を取った経緯がある。


 その動機に反して、当初は魔族相手でも殺生におよべなかった。追い返すのが精一杯な自身の在り方を恥じ、長い時間をかけて自らを変えた。そんなブルムならばラディウスの決意の重みを十二分に理解できる。


 親友は賛同してくれる。ラディウスは確信していた。


「信じられねえ。正しさのかたまりみたいだったお前が、そんなことを。下手すりゃ死罪だぜ?」

「臨むところだ。お前は俺を止めるか?」

「いや、止めねえよ。どうせ止めたって聞かないしな。ユハは知ってるのか?」

「知っている。ここだけの話、ユハは共犯者だ」


 ラディウスはこの場にいないもう一人の親友を想う。


 ユハは優秀な魔法師だった。美しく強い彼女は、ラディウスと同じくらい民衆人気が高い。様々な功績を称えられて出世し、禁書庫の管理を任されていた。


 ラディウスは、その役職に目を付けてユハに協力をあおいだ。


 法に触れる、下手をすれば積み重ねた名誉全てを失う行為。ユハはそれら全てを承知の上で首を縦に振った。禁書庫から転生魔法の資料を持ち出し、ラディウスがそれを受け取って今に至る。


 ブルムがクックとくぐもった声をもらした。


「共犯者ねぇ、あいつらしいなぁ」

「らしいなんてことはない。俺が無理を言ったせいで、ユハの輝かしい経歴に泥を塗ってしまった。彼女には死んでも詫びきれん」

「いや、頼ってもらえてほっとしてると思うぜ。知ってたか? あいつ、お前に好意を抱いてたんだ」

「俺に?」


 ラディウスは目を見開く。


 表情がツボにはまったらしい。ブルムが愉快気に身を震わせた。


「おいおい、本当に気付いてなかったのか? 外野からすりゃかなり分かりやすかったんだけどな」

「だが、ユハはそんなこと一言も……」


 頭の中をよく分からないものが駆け巡る。


 語尾を濁らせたのはいつぶりだろうか。それすら思い出すのに時間が掛かる。


 ブルムの表情から笑みが消えた。


「平和になったら想いを伝えるつもりだったんだとさ。なのに戦争が終わったと思ったら、今度はあんなもんが出てきちまって……不憫ふびんでならねえよ、本当に」


 ラディウスは偽物を追い続けてきた。仕事がない日には、決まって遠方に足を運んで情報を集めた。食事、睡眠、仕事。それ以外の時間を全て偽物の捜索に注ぎ込んだ。ユハは責任感のある女性だ。奔走するラディウスを見て、想いを伝えるべきではないと考えたに違いない。


 罪悪感。他にも形容しがたい何かが胸の奧をチクリと刺す。


 ラディウスは苦々しく口角を上げた。


「ユハは聡明な女性だと思っていたが、男の趣味は悪かったんだな」

「違いねえや」


 親友と笑い声を響かせた。


 ひときしり笑って、ラディウスは椅子から腰を浮かせる。


「行くのか?」

「ああ。俺もいつ死ぬか分からない身だからな」

「んじゃこれでお別れか。最後はいつもお前独りに背負わせちまって、不甲斐ない仲間で悪かった」

「不甲斐ないなどと口にするな。お前たちとの日々はかけがえのない宝だ。俺の方こそ、無能なリーダーですまなかった。後は俺に任せて休め」

「そうさせてもらうぜ。じゃあな、親友」

「ああ……さよならだ」


 ラディウスは別れを告げてブルムの自宅を後にした。


 この日、二人の傑物がこの世を去った。

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