第31話 繋がらない想い

 「怜音様」


 ミスコンも目前に迫った昼休み、最後のサイン会を前に少し一人になろうと思った俺はグラウンドの手頃な樹木の木陰に座り込んでいた。

 

 すると、天音が姿を現した。


 腰を斜めに落とし、俺を優しく見下ろしていた。


 「言ってくだされば、メイドにその日のうちにクリーニングをして差し上げましたのに」


 俺のジャージ姿を見た彼女は、制服が汚れているのだと気づいたようだ。


 結構汚れがひどく、クリーニングに数日を要するらしい。


 「構わないさ。俺が転んだだけだから」

 「まぁ……それは本当ですか?」

 「ああ」 


 その結果、この体操服である。


 派手に泥が付着したせいで、何分時間がかかる。


 「その日は体育の授業はなかったはずですが……」

 「どんくさいよな。掃除のごみ捨ての時に前方不注意で石に躓いてドボン。間抜けだろ?」

 「……それでお怪我は?」

 「ないない。服が汚れて、日中体操服とかいう恥ずかしさはあるけれど」


 俺がそうお道化て言うも、天音の表情は何か含みのあるものだった。


 「わたくしは、鉄心さんに――」

 「天音」


 言葉を遮る。


 「天音は何も知らなかったのはわかっている。だから、そのままでいいんだ」

 「それはっ……」

 「なぁに、別にケガさせようってわけじゃないんだから案外平気だよ」

 「……わたくしには、わたくしのできる精一杯の責任を……全ういたしますわ」


 そう言いながら、彼女は去っていく。


 後に俺は、ここで彼女をどうして止めなかったのかと後悔することになるが……それは先の話だ。


 「……まさかこうなるとは。俺も予想していなかった、こればっかりは申し訳が立たない」

 「いや、鉄心は悪くないさ。だが、これは……」


 ミスコン前日にして、大変な事態が発生してしまった。


 華乃宮天音が、ミスコンの出場を取りやめた。


 本来であれば許されることではないが、グループの力で押し切ったのだろう。


 末端の順位の人物が辞退するのとはわけがちがう。


 首位レースを走る人物の、急遽な出場停止は……ミスコン参加者や観戦者を混乱させるには十分すぎた。


 「華乃宮嬢に相談を持ち掛けたのは、お前が体操服となったときだ」

 「三日、あるいは四日くらいか」

 「恐らく、お前をああさせた人物を特定しようとしていたのだろう」

 「でも早々特定できるものじゃないだろう?」

 「そう……だから華乃宮嬢はそもそもの参加を取りやめたのだろうな」


 不本意なのだろうが、身内から出た問題に終止符を打つのはそれしかないと天音は考えたわけだ。


 依然と俺に対する妨害工作というか嫌がらせは止まっていなかったが――辞退すれば、妨害をする意味が失われる。


 天音を勝たせるため、天音を想ってのためであるため、下手なアンチとはちがって厄介だった。


 絶対に奏ちゃんに被害がいかないように注意を心がけていたが……。


 「華乃宮嬢は何か言っていなかったか?」

 「特には…………いや」


 一つあった。


 「今日の昼休みだ」

 「犯人までは特定できていなかったが、妨害が行われているという確信を得たのだろう。そして最後にお前の確認を取りに行った。事実に間違いがないか、ってな具合にな」

 「……あの時、天音は言っていた。わたくしのできる精一杯の責任を……と」

 「責任を感じた故の事態かっ! 大企業の令嬢だ、義を実に重んじているようだな」


 と、軽口をたたくが、当の鉄心もこれに関しては予想も大外れ。それも悪い方向に傾きすぎているためか――かなり動揺している。


 「これは強力なライバルが減った……という風に喜ぶことは難しいな」

 「…………これじゃ、駄目だ」


 俺が奏ちゃんを全力推ししているせいで、多少のルート変更は仕方がないものとしている。


 が、これだけは駄目な展開だ。


 このままだと、天音と奏ちゃんの関係が変わってしまう。


 優勝できたとしても、孤立しては何も意味がない。


 それは紛れもない敗北だ。


 「だが、実際にどうする? 華乃宮嬢がなかなかに頑固なことはお前も知っているだろう」

 「そうだな」


 説得して参加しなおしてくれるなら、このような事態にはならない。


 彼女が事態を決めた段階で、俺たちは完全に後手に回ってしまっているのだ。



 その時、部屋に近づく足音が聞こえた。


 普段あまり人が来ない場所にあるため、足音の主は特定できる。


 「……奏ちゃんだ。鉄心、わかっていると思うけれど――」

 「口が裂けても言わん。だがな、怜音、お前は夜瞑譲のことを……」

 「こ、この記事はどういうことですか!?」


 入ってきた途端、奏ちゃんは号外と記された新聞部発行の新聞を俺たちに見せてくる。


 「俺も盟友も、すごく動揺している。前日だぞ? ありえるかってな」

 「朝来さん、もしかして何か、ご存知なのですか?」

 「すまない、俺もわかっていない。もしかして、勝負を制する必要はないと考えたんじゃないか?」


 今の葵と天音による俺をかけた戦いを一言で例えると、『紳士協定』。


 葵と天音の間にこぢんまりとした争いが起こっている状態だ。


 だからこそ、律義に守る必要もない。


 直接行動に移そうと考えたのでは……といった風に誤魔化そうと考えたが、


 「……天音さんは、絶対にそういう理由で勝負は降りません」


 難しい。


 だけど、俺が同じ立場でも違うと断言できるだろう。


 この誤魔化しには無理がある。天音は、正式な契約がないとはいえ約束を反故にする人間ではないことは、俺も知っている。


 「もしかして、天音さんのことについて朝来さんが――」


 ガラガラと勢いよく扉が開かれる。


 そこには葵がいた。


 腕を後方に、縄で縛られている複数人の生徒たちがいた。


 彼らに見覚えがある。一人は整列中に難癖をつけていた男だ。


 これ人たちは、天音の親衛隊なのだろう。


 「怜音、よかった。ここにいたのね」

 「……葵」 

 「だいたいの話は聞いているわ。で、首謀者がこいつら」

 「話……? 首謀者……?」


 奏ちゃんの声を聴き、葵は驚いている。


 「どうしてここに奏が……? ま、それはいいわね」

 「それで天音は?」

 「謹慎よ。自発的にね」

 「!」


 責任を取るといったが、葵に手を回していたいたとは――。


 「ま、待ってください、本当にどういうことなのですか!?」

 「簡単に話すとね、怜音は嫌がらせを受けていたのよ」

 「え……」

 「理由まではまだわかんないけど、天音の親衛隊が少し暴走してしまったの。天音の知らないところ勝手にやってたってのがまた問題なの」


 聞いていない、という鋭い視線を奏ちゃんは俺に向ける。


 「ともかく」


 奏ちゃんと俺の事情を知らない葵は報告を進める。


 「こいつらは停学処分。立派ないじめだものね。で、天音の方には私もかけこんでみる。アイツがいないと、明日の戦いが寂しいから……アンタも声くらいかけてあげなさい」


 それだけ残すと、尻を蹴り上げるように親衛隊の面々を歩かせ始めた。



 場が静寂に包まれる。


 なんて声をかければいいか、わからなかった。


 だけど、奏ちゃんは俺に対し詰め寄る。


「どういうことですか――どういうことなんですかっ!」


 それは奏ちゃんにしては、大きな声だった。


 「おかしいと思ったのですよっ……靴も急に変わっているし、服だって、服だって……転んだって、朝来さんの様子が変だって……」

 「夜瞑譲、怜音は夜瞑譲を想って――」

 「そんな想いは伝わりませんっ、悲しいだけですよっ! そんなの、そんなのって……」 


 いいんだ、と俺はフォローに入ろうとする鉄心を制する。


 「……奏ちゃ、俺は――」


 「…………っ」


 奏ちゃんは、無言で走り出していった。


 小さな涙を流している姿が、俺の心に棘のように突き刺さる。それは、ミスコン前日の出来事なのであった。

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