第30話 募る不安

 「ん……?」


 俺の下駄箱の様子が少し変だ。


 上履きが濡れていた。


 匂いもあり、ただ水にぬれた様子でもなさそうだ。


 恐らく誰かがジュースをぶちまけたのだろう。


 一体だれが?


 「いや……」


 なんとなくだけど、わかる。


 明確でいて露骨な嫌がらせ、起こったタイミングと昨日の騒動。偶然の一致と言うには無理がある。


 「参ったな」


 予備の靴は家にある。


 まだ始業まで時間があるから、美嘉にスペアの革靴を持ってこさせるか? 


 いや、来るはずもないか。


 奇跡的に外に誘いだせたとしても、法外な報酬を持ちかけられるのがオチだろう。


 「仕方ない、購買部に買いに行くかぁ」


 学園にそういった必需品が仕入れられる購買部があることを、今日に限ってはありがたく思えた。


 葵や天音が来ると話が厄介になるしな。


 「はふぅ……」


 最近の忙しなさからくる疲れを誰かに悟られぬように、奏は体を伸ばす。


 教師に悟られぬよう、身体をほぐし、ノートを進める。


 以前までは睡魔と必死に戦うことばかりであったが、最近は少し違う。


 隣の席をちらり、とみる。


 隣には、奏にとっての大切な人。朝来怜音がいる。


 (朝来さん、起きていて偉いなぁ)


 午後の授業でいて、なおかつ眠くなる教科。


 好きな教科でもない限り、誰もが睡魔に誘われる。


 そして、苦手な教科だと教師も好きになれないことが多く……。


 (あれ……?)


 意中の人を観察していると、普段の人間観察以上に発見が多い。


 髪型とか、仕草とか、眠そうな顔だとか。


 靴の様子が、少し普段と違う。


 なんというか、真新しい。


 学生靴は日々消費するため、他のモノよりも消耗が激しい。だけど入学して一カ月ちょっと、まだ彼の靴はそこまで傷ついていなかったはずだった。


 (どうしてでしょうか?)


 学生靴は基本、学校に置きっぱなしだ。


 家に忘れがちな体操服とはわけが違う。


 「この問題……そうだな、朝来、やってみろ」

 「あ、はい」


 奏の視線に気づくことなく、怜音は教師に指示された問題の答えを黒板に書き始めた。


 「上出来じゃあないか」


 中間投票の結果が公示された。


 それを眺め、鉄心は唸る。


 「驚きです……」


 結果は、首位に天音、次席に葵と続き、三番手が奏だった。


 「順位こそ得票数によるものだが、ほぼほぼ誤差の範囲と考えて問題ないだろうな」


 順位こそ、奏は劣っているが標数の差は二桁を切っている。


 宣伝活動を継続すれば、十二分に埋められる距離であるし、何よりもミスコン当日にもアピールタイムがある。


 「サイン会は隔日でいいのでしょうか? 期間も限られていますし、連日行った方がいいのではないでしょうか?」

 「驚いた」

 「はい?」

 「最初は話を聞く限り、どうなるかという懸念はあったが、ここまで積極的になれるとはな。ひとえに盟友――朝来怜音の支え合ってなのだろうな」


 そう指摘されてしまい、奏はぷいっ、と視線をそらしてしまう。


 「だが、隔日で十分だ」


 そう褒め称えた後、鉄心は返答を開始した。


 「大切なのは希少性だ。推しに置き換えて考えれば夜瞑譲とて理解している筈だ。例えば――」


 ライブツアーなどを例示した。 


 「全国ツアーの場合を考える。そして同時にどのライブにも参戦可能だとしよう。セトリだって殆ど変わることはない。だから一会場だけで良い、そう思えるか?」

 「思えませんね」

 「その通りだ。例えセトリが類似していようとも、高々MCの内容が変わるだけだろうとも、オタクはツアーという数少ない希少な行事を楽しんでいるのだ。それと同じである」

 「ああ、成程」


 心から応援していれば、何度だって参戦するだろう。


 そして、その数が限られていれば?


 「新規客も押し寄せるだろうし、下手をすればもう会えないかもしれない。そうならないように、後悔がないようにどの会も参加するようになるだろう」


 数を減らせば、そのオタクの心を刺激できる……そんな作戦である。


 それで、長蛇の列ができていれば、自ずと新規を呼び込みやすい。


 「……というのわけだが、俺の意見でないのが惜しいな。全て盟友の受け売りだ」

 「そうなのですね。それにしても……」


 怜音が遅い。


 終業後、選挙本部という体で空き部屋を普段は作戦会議に使っているが、到着が妙に遅い。


 今日はたまたま鉄心と奏が掃除当番ではなかったが、仮に掃除当番が入っていたとしても……流石に三十分以上の遅刻は少しおかしい。


 「何かあったのでしょうか?」

 「なぁに。奴とて時には考える。少しくらい一人にさせてやってもいいだろう」


 そう言っていると、扉が開く。


 「悪い、遅くなった」

 「朝来さん! って、どうして体操服で……?」

 「ああ、掃除中に転んでしまってな。午後の授業中、雨降ってたろ? ほんとついてないよ」


 彼が言うには、服をクリーニングする必要があるそうだ。


 「…………」


 鉄心は、微かに背景を推察できそうであったが、何も言わなかった。


 それについては奏も思うところがあるようで、じっと怜音を見つめる。


 「……何かあったんですか?」

 「何もないさ。ま、こうも言うだろ? 不幸と幸運はプラマイゼロだって。俺の運が悪ければ、その分奏ちゃんにいい運が集中しそうだし」

 「言ってる場合ですかっ!」

 「なんにせよ、あと数日だ。俺のことは気にせず、明日以降のイベントの方針を定めよう。ぽっと出の後追いに追いつかれないようにもね」


 奏の急上昇の結果、二匹目のどじょうを狙う立候補者が現れ始めた。


 しかし、表層をなぞっただけの再現であったり、肝心の候補者の対応が粗末だったりで急上昇には至っていない。


 だが、慢心はできないからこそ、今日も作戦を詰めるのだ。


 「明日の方針に提案が――」


 何があったかを最後まで明かさない盟友の様子に――鉄心は思うところを隠せなかった。


 「……突然手紙で呼び出されたかと思えば、佐久間さんでしたのね」


 屋上に姿を現したのは天音だった。


 一方で、彼女を迎えたのは鉄心。


 だが、これは別に愛の告白をする場面ではない。


 あえて怜音からの匿名の告白風を装うことで、親衛隊から彼女を遠ざけるためでもあった。


 「すまないね、華乃宮嬢。ミスコンの忙しい時期に」

 「それは構いませんが……佐久間さんは夜瞑さんの陣営では? まさかスパイ行為というわけでもないでしょうし」

 「ああ、俺にそんな意図はない。ただ数点、確認しなければならないんだ」

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