第30話 募る不安
「ん……?」
俺の下駄箱の様子が少し変だ。
上履きが濡れていた。
匂いもあり、ただ水にぬれた様子でもなさそうだ。
恐らく誰かがジュースをぶちまけたのだろう。
一体だれが?
「いや……」
なんとなくだけど、わかる。
明確でいて露骨な嫌がらせ、起こったタイミングと昨日の騒動。偶然の一致と言うには無理がある。
「参ったな」
予備の靴は家にある。
まだ始業まで時間があるから、美嘉にスペアの革靴を持ってこさせるか?
いや、来るはずもないか。
奇跡的に外に誘いだせたとしても、法外な報酬を持ちかけられるのがオチだろう。
「仕方ない、購買部に買いに行くかぁ」
学園にそういった必需品が仕入れられる購買部があることを、今日に限ってはありがたく思えた。
葵や天音が来ると話が厄介になるしな。
◇
「はふぅ……」
最近の忙しなさからくる疲れを誰かに悟られぬように、奏は体を伸ばす。
教師に悟られぬよう、身体をほぐし、ノートを進める。
以前までは睡魔と必死に戦うことばかりであったが、最近は少し違う。
隣の席をちらり、とみる。
隣には、奏にとっての大切な人。朝来怜音がいる。
(朝来さん、起きていて偉いなぁ)
午後の授業でいて、なおかつ眠くなる教科。
好きな教科でもない限り、誰もが睡魔に誘われる。
そして、苦手な教科だと教師も好きになれないことが多く……。
(あれ……?)
意中の人を観察していると、普段の人間観察以上に発見が多い。
髪型とか、仕草とか、眠そうな顔だとか。
靴の様子が、少し普段と違う。
なんというか、真新しい。
学生靴は日々消費するため、他のモノよりも消耗が激しい。だけど入学して一カ月ちょっと、まだ彼の靴はそこまで傷ついていなかったはずだった。
(どうしてでしょうか?)
学生靴は基本、学校に置きっぱなしだ。
家に忘れがちな体操服とはわけが違う。
「この問題……そうだな、朝来、やってみろ」
「あ、はい」
奏の視線に気づくことなく、怜音は教師に指示された問題の答えを黒板に書き始めた。
◇
「上出来じゃあないか」
中間投票の結果が公示された。
それを眺め、鉄心は唸る。
「驚きです……」
結果は、首位に天音、次席に葵と続き、三番手が奏だった。
「順位こそ得票数によるものだが、ほぼほぼ誤差の範囲と考えて問題ないだろうな」
順位こそ、奏は劣っているが標数の差は二桁を切っている。
宣伝活動を継続すれば、十二分に埋められる距離であるし、何よりもミスコン当日にもアピールタイムがある。
「サイン会は隔日でいいのでしょうか? 期間も限られていますし、連日行った方がいいのではないでしょうか?」
「驚いた」
「はい?」
「最初は話を聞く限り、どうなるかという懸念はあったが、ここまで積極的になれるとはな。ひとえに盟友――朝来怜音の支え合ってなのだろうな」
そう指摘されてしまい、奏はぷいっ、と視線をそらしてしまう。
「だが、隔日で十分だ」
そう褒め称えた後、鉄心は返答を開始した。
「大切なのは希少性だ。推しに置き換えて考えれば夜瞑譲とて理解している筈だ。例えば――」
ライブツアーなどを例示した。
「全国ツアーの場合を考える。そして同時にどのライブにも参戦可能だとしよう。セトリだって殆ど変わることはない。だから一会場だけで良い、そう思えるか?」
「思えませんね」
「その通りだ。例えセトリが類似していようとも、高々MCの内容が変わるだけだろうとも、オタクはツアーという数少ない希少な行事を楽しんでいるのだ。それと同じである」
「ああ、成程」
心から応援していれば、何度だって参戦するだろう。
そして、その数が限られていれば?
「新規客も押し寄せるだろうし、下手をすればもう会えないかもしれない。そうならないように、後悔がないようにどの会も参加するようになるだろう」
数を減らせば、そのオタクの心を刺激できる……そんな作戦である。
それで、長蛇の列ができていれば、自ずと新規を呼び込みやすい。
「……というのわけだが、俺の意見でないのが惜しいな。全て盟友の受け売りだ」
「そうなのですね。それにしても……」
怜音が遅い。
終業後、選挙本部という体で空き部屋を普段は作戦会議に使っているが、到着が妙に遅い。
今日はたまたま鉄心と奏が掃除当番ではなかったが、仮に掃除当番が入っていたとしても……流石に三十分以上の遅刻は少しおかしい。
「何かあったのでしょうか?」
「なぁに。奴とて時には考える。少しくらい一人にさせてやってもいいだろう」
そう言っていると、扉が開く。
「悪い、遅くなった」
「朝来さん! って、どうして体操服で……?」
「ああ、掃除中に転んでしまってな。午後の授業中、雨降ってたろ? ほんとついてないよ」
彼が言うには、服をクリーニングする必要があるそうだ。
「…………」
鉄心は、微かに背景を推察できそうであったが、何も言わなかった。
それについては奏も思うところがあるようで、じっと怜音を見つめる。
「……何かあったんですか?」
「何もないさ。ま、こうも言うだろ? 不幸と幸運はプラマイゼロだって。俺の運が悪ければ、その分奏ちゃんにいい運が集中しそうだし」
「言ってる場合ですかっ!」
「なんにせよ、あと数日だ。俺のことは気にせず、明日以降のイベントの方針を定めよう。ぽっと出の後追いに追いつかれないようにもね」
奏の急上昇の結果、二匹目のどじょうを狙う立候補者が現れ始めた。
しかし、表層をなぞっただけの再現であったり、肝心の候補者の対応が粗末だったりで急上昇には至っていない。
だが、慢心はできないからこそ、今日も作戦を詰めるのだ。
「明日の方針に提案が――」
何があったかを最後まで明かさない盟友の様子に――鉄心は思うところを隠せなかった。
◇
「……突然手紙で呼び出されたかと思えば、佐久間さんでしたのね」
屋上に姿を現したのは天音だった。
一方で、彼女を迎えたのは鉄心。
だが、これは別に愛の告白をする場面ではない。
あえて怜音からの匿名の告白風を装うことで、親衛隊から彼女を遠ざけるためでもあった。
「すまないね、華乃宮嬢。ミスコンの忙しい時期に」
「それは構いませんが……佐久間さんは夜瞑さんの陣営では? まさかスパイ行為というわけでもないでしょうし」
「ああ、俺にそんな意図はない。ただ数点、確認しなければならないんだ」
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