第35話 消せない想い
夜瞑家は、近代的な鉄筋造りの家だ。
一見するとコンクリートが剥き出しの殺風景な造りに見えるが、よく目を凝らすと細部にまで精巧な作りであることがわかる。
「お邪魔します」
「アマチュア時代はね、私のアトリエもここだったんだ」
扉を潜ると、壁側に階段が回転するように続いている。
中央部分は吹き抜けとなっており、天井付近には観葉植物がつるされている。
「奏は二階だよ」
「……わかりました」
「朝来怜音くん」
階段を昇ろうとする俺に対し、湊さんは手を振り、
「グッドラック」
そう呟いた。
◇
時はほんの少し遡る。
奏の部屋、彼女はベッドの上で三角座りで角に丸まっていた。
最近はこうやって、丸くなることは多かった。
だけど、今日ばかりはいつものそれと、違う。
心がとんでもなく痛くて、張り裂けそうで…………。
「どうして……どうして――」
先程からこの言葉の連続だ。
嫌い。
嫌いだ。
自分が大嫌いだ。
少しでもでしゃばろうと思ったのが、そもそもの間違いだった。
分不相応だったのだ。
凡人にも満たない人間である自分が――ミスコンなどと。
調子づいていた。
実際、自分は何もしていなかった。
ただ、助けてもらっていたばかりで、自分一人では何もできていない、何も為せていない。
脆弱だ、余りにも貧弱だ。
それでよく恋などと、葵や天音と張り合おうなどと思ったものだ。
幸運が続き、忘れかけていた過去のトラウマが、これでもかと嘲笑う。
「朝来さんに……遂に見捨てられてしまいましたね」
あの場では守ってくれた彼に対し、感謝すべきだった。
何故、声を荒げてしまった。
自分はなにも苦しんでいなかったではないか。
嫌がらせの苦痛を背負ったのは紛れもなく彼だ。
「あの時と、同じ」
小学校の時、湊が自分を助けてくれたこと。
あの時だってそうだった。
結果的に、虐めから解放されることとなったが、自分は何もしていなかった。
その苦しみのすべてを湊が背負ったのだ。その果て、反撃を湊だけが受けることとなった。
「奏を責めてくださいよ、なんで……なんで大切な人にばかり、不幸な目に……」
手には、怜音とのプリクラが優しく包まれていた。
それは彼女の、今の矛盾そのものだった。
奏は朝来怜音との接触をこれ以上避けるべきだと考えている。
自分がいる限り、彼はまた自身を盾にし続けるのだから……離れていれば、怜音は無事でいられる。
しかし、それは怜音との思い出を放棄することに他ならない。
思い出を保ち続けながら離れるなんて、奏には不可能なのだから。
思い出を捨てる真似なんてできやしない。もっと、もっとたくさんの思い出を作りたいのだ。
「誰か……奏を、許さないで――」
膝を抱えながら、膝に爪を食い込ませていたからか……止め処なく血が流れる。
なくなりたかった。
自分さえ彼の前に姿を現さなければ、きっと怜音は幸せな青春を辿れていた。
葵も、天音も強い人だ。きっと、彼を導いてくれただろう。
「奏を叱って――奏を拒絶して――奏を……」
ぐちゃぐちゃになった顔を元に戻すことができない。
いっそ時間を戻すことができたのならば、彼の元から消えてなくなれるかもしれない。
そう、そうすれば――。
「……できないよ」
できなかった。
「いなくなれるわけがないよ、だって……好きなんだもん。もっと話したいし、もっと遊びたいし、もっと思い出を作りたいし、もっと……もっと……」
時間を百回、千回も遡行しようとも、間違いなく出会っただろう。そして絶対に――恋をする。
「忘れるなんてできないですよ、会いたい、会いたいですっ……」
もうそんな段階まで、奏は堕ちてしまっているのだ。
そのとき、玄関の扉が開く。
「……湊姉様が帰ってきたようですね」
顔を洗おう。
そう考え、奏は自室を出た。
「え」
「え」
扉を開けると、そこには階段を昇ってきていた怜音の姿があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます