第26話 掌と熱と、心と言葉

 「よーい、スタート」


 SNSに投稿するための動画撮影が開始される。


 別に難しい話ではなく、6秒弱の映像を撮ればいいだけなのだが……。


 「ひゃ、ひゃ、こ、こん! わ、私は、や、ややぐ……夜瞑……」

 「「…………」」


 完成には程遠いものだった。



 「どうしようか…………」


 あがり症、というわけではなく、単純に自分を撮影するという経験が著しく足りていないのだろう。


 言わば、経験値が足りないのだ。


 補おうにも、必要な経験値があまりにも……多すぎた。


 「あ、あのっ、朝来さん、よければ、よければですよ?」

 「うん?」

 「手が、震えているので……握ってもらえませんか?」

 「!?」

 「い、いえ、そういうのではなくて、こう、心細い、そう、それですから……」


 恥じらいと緊張が交じり合い、顔がこれでもかと赤く染まる。


 ツンデレってやつかしら?


 いや、違うな……ツンデレは葵の専売特許だし。


 「俺なんかでいいのか? 何かお菓子とか……」

 「それでいいんです! お願い! します!」


 奏ちゃんはそう言いながら、震える手を差し出してきた。


 彼女の震える掌を見ると、断ることはできなかった。


 俺がそっと、片手を差し出すと……彼女は一方の手で握るのではなく、両方の掌で包みだした。 


 「……あったかいです。奏のちっちゃな手よりも、ずっと、ずぅっと大きいです」

 「そうかな?」

 「はい、男の人の手を、こうやって触るのは、お父様以外にありませんでしたから」


 彼女から伝う熱は、とても暖かかった。そして同時に、彼女の不安と緊張が、掌の中に伝播してくるのを感じる。


 「少し、休憩としようか」


 はっとなる俺と奏ちゃん。


 「湊姉様――」

 「今の私は何も見えていない。なにしろ、定期的に摂取しなければならないニコチンが不足しているからね」


 有無を言わせず、彼女は離席してしまった。


 ……悪いことをしたな。


 「……湊姉様には敵いませんよ」


 奏ちゃんはポツリと、そう呟く。


 「湊さんは凄い人だ。これだけやっても、きっとあの人の想定内なんだろうな」

 「……憧れるなぁ」 

 「憧れ?」

 「はい、湊姉様のように。それがきっと理想なのだと思います」


 ――まだ小さく、彼女の手は震えたままだった。幾分かおさまってはいるが、まだ万全には程遠い。


 その湊さんへの大きすぎる憧れは、日々の奏ちゃんの発言から伺える。


 誰がどう見ようと、夜瞑湊という人間は完璧だった。


 俺の姉であったとしても、奏ちゃんと同様の憧憬を抱くし、何よりも自身と比較してしまうだろう。


 彼女の自信のなさの原因には、湊さんへの余りにも大きすぎる影があるのかもしれない。


 「憧れなくても、いいんじゃないか?」

 「へ?」


 平々凡々な人生しか送っていない自分が、奏ちゃんにかけることのできる言葉なんてたかが知れている。


 いやきっと、的外れな発言なのだろう。


 言えば、嫌われるかもしれない。独りよがりなのは理解している。


 それでも……言葉をかけたくなった。


 「湊さんは……凄い人だ。こればかりは、どうにもならないけれど……湊さんの後を追う必要はないんじゃないか、なんて思う」

 「そう、ですか?」


 顔を上げ、不安を浮かべる。


 その不安は、動画を撮影することや人前に顔を曝け出すことに対する不安ではない。


 むしろ、普段は隠すことができている彼女の根っこの部分……それが出てくることを恐れているのだ。


 「……奏ちゃんは奏ちゃんだ。社会経験も積んでいない自分が言える言葉なんて薄っぺらいけどさ、湊さんを追うのに囚われて、奏ちゃんが違う人になってしまうのは……嫌だ」

 「…………ずるいですよぉ」

 「そう、かな?」

 「ご褒美を、貰いすぎてますっ」

 「え?」


 すると、彼女は先程まで握っていた俺の手を、自身の頬まで運ぶ。


 (やばいっ……)


 理性が、鼻血がっ!


 待ってほしい、最高に可愛いが過ぎる。尊みがあふれて止まらないっ!


 「実を言いますとね」


 ゆったりと、彼女は胸中の想いを吐露し始める。


 「お母様も、お父様も……もちろん湊姉様も、奏には自由にあれ、そうおっしゃっていました。笑ってください……別に誰に重圧をかけられたわけでもありません。勝手に、勝手に自分を追い込んでいるんです」

 「笑うはずない。それに……プレッシャーと無縁な方が、おかしいじゃないか」

 「奏を励ますための言葉だとしても……優しい嘘だとしても……今はそれがとても嬉しく、幸せです」


 手で、そっと頬を撫でる。


 「……湊姉様を、呼びましょうか」 

 「いいのかい?」

 「はい、ワガママは言ってられません。それに……朝来さんに嫌われたくありませんから」


 途端に恥ずかしくなって、手を放して俺と奏ちゃんは視線を逸らす。 


 「そうだ、な。あまり時間をかけすぎると、たばこを一杯吸うことになる」

 「それは心配ありませんよ?」

 「え?」

 「湊姉様は、ココアシガレッツをこよなく愛しておられるのです」

 「……成程」


 この後、ちょっとずつであるが、動画の質は上がっていった。 


 そして、鉄心に渡すころにはある程度の完成度となり、彼女の宣材写真と解釈違いを起こすことなく……より夜瞑奏という存在が拡散されるようになった。

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