第7話 オタクたちの朝は(イベントのときだけ)早い

 四月の中旬とはいえ、朝方の街並みは冷え込む。


 一度は衣替えで棚の奥地に眠りについた冬用の上着さんに、もう一度頼み込んで起床していただいた。


 それを羽織り、販売店から軒並み撤退したカイロの残りを片手に、始発早々の店舗前に並ぶ。まだシャッターも降りており、何なら店員さえもいない。


 時折巡回する警備員が訝しむ顔で俺を始めとした並ぶオタクたちを一瞥する。


 本当にそれ以外誰もいない。休日だからか、サラリーマンさえも少ない。


 「……元の朝来怜音なら面倒ごとなのだろうけど、今の俺にはなんてことはない」


 何故開店まで数時間ある店舗の前、それも最善の列で迷惑にならないように並ぶのか。


 理由は簡単で……今日は美嘉が好きなアニメの限定品の発売日である。


 事前予約なし、数量限定店舗販売というネット販売全盛期にしては途轍もなく鬼畜な販売手法である。


 そして何よりも、妹は究極な夜型人間で、起きられるわけもなかった。


 「……こちら側にもラノベとかネット小説があってよかった」


 アニメがあるのだから、当然あるものだと思っていたが、あるかないかで娯楽が大きく異なる。


 それだけは本当によかったと思う。


 「……眠い」


 そう愚痴っていると始発組は落ち着いたのか、俺の後ろに並ぶ人はいない。


 現在は午前六時過ぎ。


 これは長丁場である。


 事前に買い込んだホットドリンクを片手に開店まで待つことにした。


 「やっぱ品数バグってるよなぁ」


 列の人数に対し、品数は圧倒的に不足していた。 


 こういう需要供給の調節は、かなり高度な知識や技術が必要で、なかなか難しいという。


 個数制限はあり、二つまで。兄妹で一つずつ買うことができたのだ。


 (ゲーム世界でもそういった事情は変わらないの、なんだかな……)

 「うわぁぁぁぁ……やっちまいましたぁ…………」


 離れた距離から耳にいい親の声よりも聞いた声が聞こえてきた。


 「ん、奏ちゃん?」

 「え、えええ!? あ、朝来さん?!」


 なんていう奇遇。


 この広い街中でまさか奏ちゃんと出会うとは。


 早起きして妹のお願いも聞いてみるものだな。


 というか、今の奏ちゃんは……私服じゃないか!


 ゲームは基本的に学園内で展開されるため、どの生徒も立ち絵は制服だ。


 例外的にヒロイン二人は私服立ち絵が用意されているが、奏ちゃんに関しては外で出会っても制服だ。解せぬ。


 「あ、あのぉ……恥ずかしいので、あまり奏の服は……その」


 見るからに恥ずかしがる彼女の服は、所謂ロリータ系のファッションだった。


 下地に薄い黄色のシャツを着用し、そしてその上に羽織る様にピンク色のドレスをまとっていた。膝を隠すくらいのスカートであり、童話の中の可愛らしいお姫様のようでとてもかわいく見えた。

 

 白い靴下に細い脚、そして羽織りよりもやや薄い朱色のパンプスを履いている。


 片掛けのかばんは、痛バッグというやつだ。俺も知っている作品の推しキャラの缶バッチがかばんに沢山付けられていた。


 実際に痛バッグを見るのは初めてだが、こういうのはファンとしての熱量を他者に示すのに最適だから、こちらとしても素直に尊敬できる。


 蛍光色が強いからか、やや幼めに見える佇まいは奏ちゃんの放つ雰囲気にマッチしていた。


 「…………」

 「あ、朝来しゃん? 無言が一番堪えるといいますかー……」

 「可愛い……」

 「え」

 「とっ……とっても可愛い!」

 「っ!?」


 俺の反応をまるで予想していなかったのか、奏ちゃんはびくりと震える。


 「そ、そんなお世辞は……」

 「悪いな、俺は世辞は言えないタイプだ」


 世間を渡っていく上では必要スキルだと、元の世界の父母も言っていたが、なかなか難しい。


 無理に言おうとしたら、絶対怪しい感じになってしまうのだ。

 

 それに好きな人に嘘を吐くのは、あまりに不誠実だろ?


 「何もかもが可愛い。まず色合いだ、色がいい。一番表側のピンクは一見すると派手な格好と思われがちだが、シャツの薄い黄色が蛍光色ではありながらも優しい色合いになっているから全体として……」

 「あ、奏が言える立場ではありませんが……饒舌に感想を言われると照れちゃうなっていうか……」

 「照れさせたくなるじゃん……」

 「えっ」


 あっ、心の声が漏れてしまった。



 話がそれてしまった。


 「そういや奏ちゃんはどうしてここに?」

 「はっ、そうでした。今日は……限定品を買おうとしていたのですが……」


 既に時間はお昼を回りつつある。大遅刻だ。


 「昨日……早く寝ようとしたんです。だけど、その、寝る前についテレビをつけたら……」

 「リアタイしてて寝坊したわけか」


 あるある過ぎて、自分の話のようだ。


 「奏、一生の不覚です。ネットでは転売価格でしか出品されていませんし……」


 限定品はその場で買い逃すと、適正価格で入手することは非常に困難である。


 再販があれば、その傾向もおさまるが……もともとが品薄なら、購入のしにくさは変わらない。


 「朝来さんは……無事仕入れられたようですね。見知らぬ誰かではない同志の手に渡ったのならば奏としても嬉しい限りです。売れ残るよりはましですからね」


 こと考え方は、奏ちゃんが見かけよりかなり大人であることをよく示している。


 感情的になってもおかしくない場面だというのに彼女はそうならない。


 それどころか、一オタクとしてコンテンツの発展を素直に喜んでいるのだ。そういった考え方は、俺も見習っていきたい。


 「よければ一つ、譲ろうか?」


 元々、美嘉に依頼されていたのは一つだ。


 同時期にハマった俺がそれ幸いと個数制限の範囲内で追加購入したに過ぎない。


 美嘉の分以外はポケットマネーなのである。


 「ひょぇ!? ま、まことに嬉しい申し出ではあるんですが、これは朝来さんが寒空の中、徳を積んで獲得したもの。言うなれば雪の山でただ登山者を見守る傘地蔵の如き努力の果てに得られた勲章です……それを横入りで奪うなんてもっての外……」

 「そう難しいことを考えないで」


 今回の限定品は、OVAと書籍だ。一つあれば、何とでもなる。


 「同じ仲間同士、助け合っていこう、な?」


 これは別に彼女が好きだから起こした行動ではない。 


 心の底から欲しかったのに手に入らずに悔しく思った経験は幾度とある。


 それを防ぐために、かつての俺もコミュニティに属し、相互に助け合った。今回もそれと同じである。


 情けは人の為ならず――助け合いはいつか自分の身に帰ると俺は信じている。


 「…………」

 「奏ちゃん?」


 突然、彼女の両眼から大粒の涙が流れ始める。


 「ちょ、奏ちゃん!?」


 奏ちゃん、大泣きである。


 もしかしなくても、この現場はまずくないか?


 男と女、女の方は号泣、そして男の両手にはグッズ。


 下手をすれば……強盗に間違えられかねない。


 「奏ちゃん、と、とりあえず場所を変えよう、な?」



 急いで人混みが多少は少なくなる場所へと移動した。


 「とりあえず……」


 俺はハンカチを差し出し、ぐびぐびと涙と鼻水を流す奏ちゃんに手渡す。


 「あ、ありがとうございましゅ……」


 余程感極まったのか、彼女は泣きだしたのだという。


 感情が豊かなことを知っていたが、まさかこれ程とは……。


 「落ち着いた?」

 「ひゃい……しゅみません……」


 ある程度泣き止んだのを確認し、そう声をかける。


 「お幾ら支払えばいいでしょう……? 今手持ちは二万円ほどで、もし足りないというのなら後日にでも……」

 「待って、待って。定価は七千円だし、それじゃあ俺は転売屋と変わらない。それに……お金を取るつもりはないよ」

 「ええっ!?」


 心底驚かれた。


 「美嘉ちゃんのではない分は、朝来さんがご購入されたのですよね……?」

 「そうなるな」

 「なのに無償で……? それでは朝来さんが大損ではないですか」


 先にも言ったが、俺の購入分は偶然みたいなものだ。


 別にあってもなくても、家に一つあるから問題はない。


 彼女にいい所を見せられただけで、定価分の価値はある。


 それに、奏ちゃんからお金を取るのは絵的にもあまりよくない。代行していたわけでもない、勝手に申し出たことなのだからなおさらだ。


 だけど、それでは奏ちゃんの気が収まらないようだ。


 どうしたものか、と俺は周囲を見回すと、ちょうどいいものを見つけた。


 「わかった、こうしよう」


 俺はすぐ目の前にあるカフェを指差した。

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